food skole 第6回目のメモ
写真は、講義の中でご紹介いただいた「焼き大根」と「ふろふき大根」です。焼き大根は、一度蒸して柔らかくしたものをフライパンで焼きます。ちなみに「ふろふき」が気になって調べたら漢字では「風呂吹き」と書きます。語源には諸説あるみたいです。
第5回目の講師は、「日本料理 一灯」の店主、長田勇久さん。
テーマは「食材の始末を考えて料理するということ。」
授業前に「大根を1本使いきる」を考えてきてほしい、というお題がありました。以下はお話を聞きながら、思ったことや考えたことを中心にまとめています。
今回は「大根を一本使い切る」方法を料理人の長田さんから教わるという(主婦としては)非常にありがたい内容であるとともに、料理人として生きる長田さんの哲学に触れる機会となりました。
なんでも捨てるな、使い切ることを考えろ。
まず教えていただいたのが、この東京の【つきぢ田村】の大旦那さんの言葉。
野菜のヘタがうまく使えないのは、お前が下手なだけや!
ということで、大根一本使い切るために、まずは大根について知る。大根には「葉の部分」「葉に近い首部分(上部)」「中央部分」「尻尾(下部)」がある。
大根には「外皮」「中皮」「芯」がある。外皮は、いわゆる大根の外側の皮。皮付近は縦に繊維が通っていて、加熱してもその部分だけが筋っぽくなってしまうので外皮を剥いた後、その筋の部分も剥く、これが「中皮」。残ったのが「芯」。
葉っぱは炒めたり料理の飾り(唐草大根)として、下部は辛味が多い部分でおろしによく使われる。中央部分は一番いいところ。首の部分は甘みがあるが色(緑色)があるので、料理の見た目に影響が出る。
この唐草大根、初めて知った。長田さんに実演していただき感動。調べてみると他にも色々あるらしい。
外皮、中皮はもちろん捨てない。繊維に沿って切るか、繊維を断ち切るかによって食感や見た目(真っ直ぐかカーブするか)が変わる。きんぴらのように千切りもあるし、1〜2センチ四方の正方形に切ってもいい。皮を正方形切りで炒め物、これは目から鱗だった。
1本使い切るために、まずは大根を部位ごとに分ける。そしてそれぞれにあった料理や保存をする。
使い切る料理法と保存法
まず、料理法としては「生食=(刺身などの)つま、サラダ、おろし」と「加熱=煮る、むす、炒める、焼く」がある。加熱は火を入れることで甘さを引き出すのが目的。
次に、保存する場合。冷蔵庫だけではなく「干す」「漬ける」そして「冷凍」がある。干すことによって旨みを出す仕組みを利用したのが「切り干し」。漬物は塩、糠、甘酢、醤油、たまり、味噌などで、より保存期間が伸びて、味も良くなる。
驚いたのは大根を「冷凍」保存する方法。冷凍することで繊維が壊れ、調理する際に早く火が通るため時短になり、かつ繊維が壊れることで歯応えが出るのだそう。講義の後、早速家にあった大根をいちょう切りにして冷凍してみた。料理するのが楽しみ。
長田さんも話していたが、確かに東北では「凍み大根」がある。以前に調べる機会があって、その時に見た動画を再び見つけた。この説明をしてくださるおばさんの言葉遣いが、私は好きだ。
旬の時期、たくさん採れた食材を、その時に保存して作るのが郷土料理の知恵。郷土料理は、食べれる時にどう食材を残していくか、という暮らしの知恵。
切り方や料理法を知っていると、料理の幅が広がる。普段いかに同じ切り方、料理法しかしていないかを痛感。長田さんは「料理は掛け算、素材×料理法」と言う。
料理屋の料理とは
料理屋の料理は「野暮ったくしちゃいかん」。基本は「五味」「五色」「五法」。
五味=うま味、甘味、酸味、苦味、塩味のこと。
五色=赤、緑、黄、白、黒の色。
五法=生(切る)、煮る、焼く、蒸す、揚げるの5つの基本の調理法のことらしい。
しかし、料理屋の料理は「良いところだけを使って、あとは使わない(捨てる)」のではない。日本料理の発展は、お寺の精進料理が影響を与えている。
精進料理は、お寺で育てた野菜を使う。育てるのも行。料理も行。食べるのも行。しかし、味付けは比較的自由で、中華風、洋風、油で炒めるなど、自由がある。素材を全て無駄なく食べれるように工夫する。食材の制限はあるけど、食べたら満足できるような工夫をする。
この精進料理の「素材を無駄なく使い切る」「食べたらその人が満足するような工夫」は日本料理も同じだ、と長田さんは言う。フランス料理も素材を無駄にはしない。野菜クズで出汁を取る、食材を尊重する料理法。
東京のお客さんに、愛知で東京の味を出してしまった
東京で修行をしたあと、地元の愛知に戻ってある人をおもてなす料理を担当した時。考えうる最高の料理を出したつもりだった。そこで言われた一言。
美味しかったけどなぁ、東京でも食える物じゃない?
長田さんはハッとする。山に行ってマグロが出てきた、海に行って山菜が出てきたのと同じではないか。なぜ山なのに山のものを出さず、海なのに海のものを出さないのか。なんでも東京が一番だと思っていた長田さんは、初めて地元の人の話に興味を持つ。会ってみたらやたら面白い、素材も面白いが、人も面白い。
通ううちに仲良くなって、食べ方を教えてくれるようになる。旬を教えてくれるようになる。刺身と小鉢の工夫をするようになる。
今まで(東京で)は、献立を立ててから材料ゲットしていた。今は、材料を見てから献立を考える。調味料も、できたら地元ものを使う。理由は、その土地の調味料は風土にあっているから、自分たちの体にあっているから、文化を残すことにも繋がるから。
料理が変わった。地域性が変わった。そして、面白くなってきた。生産者さんと一緒に、その人たちの顔を思い浮かべながら料理する。「日本料理 一灯」のホームページを見ると、たくさんの生産者さんたちの写真が並んでいる(そして、生産者さんのウェブサイトへリンクで飛べる)。
生産者が近い環境では、旬の時期になると食材がどかっとくる。食材を作った人、獲った人を知っている。「その姿を見ていれば、全部使わないといかんな。」
さらには、その生産者の人たちに食べてもらったときに「お!」と美味しくて驚く体験をしてもらいたい。長田さんが何度も言った言葉が「生産者への感謝と食材への尊重」。もったいない=バチが当たる。いただきます=物を大事にしていただきます、ごちそうさま。
子どもたちに食文化を伝えたい
和食とは日本人にとって、とても大切なもの。日本人の体を作ってきたもの。魚介類と野菜。野菜、海藻、出汁を飲む。これが本来の日本人の食事。
和食は季節の行事と密接に繋がっている。おせち、節分、春の節句、端午の節句、夏のそうめん、秋の栗や菊根、新嘗、年越しそば。
神様へお供えをし、神様と一緒にお下がりを食べる。日本独特の風習。
和食が世界遺産に認定された、その目的は日本の和食離れに警鐘を鳴らすため。これは外+内に向けてだった。子どもが好きな料理のトップ10。和食でその中に入るのが「回転寿司」。好きなものしか食べない、それで良くなっちゃった。
和食は代々引き継がれてきた食文化だ。3世代同居が当たり前だった時、祖母の料理する姿を見ながら、みんなで食べた。その味は次の世代へと台所で引き継がれていった。祖母が、母が料理する姿を見ながら味見をして味を覚え、家族のみんなで食べた。
核家族で味の伝承が止まった。今は孤食の時代とも言われる。家族みんなで食べるのがバラバラ。今は料理をする姿自体、見ることが少なくなったのかもしれない。
出汁を引いて、その味を試す、味わう機会が喪失。和食の献立を噛み締めて、出汁を味わって食べる、その機会をなんとか残せないか。地元の素材を尊重し、伝統やさい=昔ながらの野菜を味わう。そんな機会を子どもたちに与えることができないだろうか。
長田さんは横のつながりを求めて、調味料や同志をつなげた。醤油サミット、小学校の白醤油の出前授業を計画。醤油屋が白醤油の作り方を教えて、料理人が白醤油の使い方を教える。
みりん屋見学や、八丁味噌の蔵見学を計画。愛知は調味料が豊富だ。近くに物がある=見にいく?市役所も商工会も協力して実現した。地域の文化と子どもをつなげる取り組みだ。
和食文化国民会議という団体がある。以前は出前授業が盛んに行われていたみたい。バーチャルでも可能かどうか、現在準備中だという。私もぜひ利用してみたい。
そして、苦味を楽しめる大人に
料理の工夫は愛情。食べた人の驚き、子どもの喜び。手間は必要、手間は大切。手間と考えるか、喜びに繋がる手段なのか。相手のことを考えたら、喜びにつながる手段だと捉えることもできるはず。
「きっと驚くぞ、これ」
そのまま出しても面白くないじゃない。一工夫。ワクワク。思いついたら即やる。
苦味が旨味 こう思うのは大人。子どもは苦味=毒素を感じる。子どもは甘いのが好き。だから最初は甘く作ってある現代の野菜で、まずは食べることを楽しめばいい。
しかし、大人は甘いだけじゃ物足りない。クセや苦味を美味しいと思うようになる。苦味がないと味に奥行きが出ない。大人は経験則、この苦味は大丈夫だとわかる。経験則で苦味を食材から感じられるかどうか。
素材本来の味を残す取り組み。伝統野菜にこだわって、苦味やクセのある野菜を育てる。その苦味やクセが、料理によって旨味に変わる。
昔、長田さんがまだ料理やり初めの頃、やっと自信がでた頃、よくよく考えたら、美味しくするために味をつけていた。本来の自然のものってそれだけでもいい。食材を適切に加熱して、塩だけでも美味しくなる。
付ける味は、引き出す味には敵わない。子どもたちには、このことを感じられるような大人に、なってほしいなぁ。
食事は、ただ栄養素を取るだけではない
時間には限りがある。何に力を入れるのか。今の傾向は、時短、手間を省く。料理の世界も時短=工業化(また、工業化が出た!)。
昔は素材を掃除する作業を行っていたため、長時間労働が当たり前だった。市場から買ってきたところから、一から全てを行えた時代。今は料理人とて労働時間の短縮が求められる。時短の影響で、すでに掃除されている食材を使うことが多い。
食事は、ただ栄養素を取るだけではない。食べることが苦痛であってはならない。料理に手間をかける。この手間について、長田さんは食べる人が食べやすく、美味しく、楽しむためだ、と言う。
「食」が自分たちを作る。栄養だけではなく「一つの工程」、食材から知る、そこからストーリーになっている。そのストーリーを伝える。
食=愛情+ストーリー。食材から料理、食事、そして今生きている自分。全部繋がっている。食のバトンを次に渡す。それを、今、私たちはできているのだろうか。
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