森美術館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:⑥ [数学] [総合]
「森美術館開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」。5回足を運び、自分にとって無理のないペースで映像作品以外はほぼ鑑賞できた。
本日は【数学】から。
片山真妃
わたしには数学という言語に乏しいため、とても残念なのだけど、作家の創り上げた(数学的な、そして音楽のような)世界観をくみ取れなかった。ここでは覚え書き的に、作品と作家のラフを残しておこうと思う。まず作品から。
一連の作品の、プランドローイングも展示されていた。
プランドローイングと、作品を並べてみる。
法則や意味があることを強く感じながらも、その意味を読みとることができない歯がゆさというのは、外国語に接したときと似ている。ただ法則性に満ちた美しい作品があることだけは感じながら。
しかし。この説明を読むと「ん?」となってくる。
読んで、少し救われた気になる。作家は完璧な法則性にとどまって扉を閉じてしまうのでなく、そこからさらに転じて、アート的なものを目指しているのだ。
だから筆致はどこか揺らいでいるのか? と、再び作品に戻ってしまう、お茶目な「罠」も感じつつ。
杉本博司
直島の「家プロジェクト」、ベネッセハウスミュージアム、「杉本博司ギャラリー 時の回廊」と、直島でもおなじみのアーティスト・・・なのだけど、わたしにはとても難解な作家で、「時の回廊」については、結局ブログにできなかった。
著作も何冊か手に取ったのだけど、作家の知識の深さと世界観の大きさに、理解が追い付かないし言葉を失ってしまうのだ。
ただ、壮大な世界観は好きで、わからないけれど惹かれてしまう。
笹本 晃
よく書いていることだけれど、特に現代アート展示において、説明文をいつ読むのか、というのは大問題だ。
感じたままでいいといわれても、コンセプチュアルな作品を予備知識なしで「自分なりに」観たところで、作家の意図にはかすりもしないで出逢いが終わってしまうこともありがちだから。
という言い訳のもと、説明をまず読んで作品を鑑賞したけれど、モヤモヤしたままとなった。
下の説明が、何かの手がかりになるのだろうと感じながら。
【総合】から
作品数が多めの【理科】は次回として、【総合】から2作品を。
ヤン・ヘギュ
回り出す、響き出す、といった何か起きそうな雰囲気に満ちている空間。やはりパフォーマンスも行われるようで、QRコードから再現できるようになっていた。
たしかに、もし照明が落とされ、平衡感覚もない空間に作品たちが設置されていたとしたら、現実の感覚が間違いなく失われていくだろうと思えるパワーに満ちていた。
ヤコブ・キルケゴール
本作だけが設置された、あえて窓を塞いでいない展示室には、大きなスクリーンに雲の映像が流れ、スピーカーからはパソコンのデータ室のような機械音が響く。
ちょうど曇り空だったので、コンピューター音→クラウド→つまり雲→ここは六本木ヒルズ(都心)52F(高層)→リアルな外の雲、という連想もはたらく。
多くのことを語っているのに、まず美しい、そしてシンプルで、意味として広がりがある。この作品いいな、と思った。
次回は【理科】(サイエンス)を。
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