[吹きガラス 妙なるかたち,技の妙]展①[ガラス×現代アート]表現の追究
「吹きガラス 妙なるかたち、技の妙」@サントリー美術館。古代ローマから現代に至る、繊細なガラスの世界。博物館的な、学術的で静かな世界が広がっていることを予想し、まずはその通りだった(ためになった)。
その中で、例外的に「展示風景も、展示作品も撮影OK」の第5室は、いい意味で全体の流れから外れた、現代アートの部屋となっていた。
まずそこから、振り返っていきたい。
「Amorphous 21-1」 横山翔平(2021)
わたしの受けた印象も、上の解説に同じく「巨大な飴細工」だった。表面はリアルな飴のようにつややかで、四方から、上から、下から、観るときの印象が違ってくる。
冷ややかに見えながら、じつはとても熱くて実は今も熱を持っている…、といわれても納得しそうな存在感があった。
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「Amorphous 22-5」 横山翔平(2021)
同じ作家の2作品目。観たときには惑星にも、また海原から飛び出した巨大な水しぶきのようにも見えた。
ガラスは繊細な「静」のイメージだが、本作はやはり、見かけのクールさとは裏腹に、動きがあって、熱いもののようにも感じられる。制作風景を想像してしまう。
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「しろの くろのかたち」 小林千紗(2022)
細い細い手足を持つ生き物のように、壊れやすそうな見た目にドキドキしてしまう。それは、素材がガラスだと知っているからだろう。知らなければ、間違いなくなにか金属でできていると思い込んだはずだ。
そのうえで、この漆黒はどうやって着色したのか気になっていたのだけど、上の説明でもともとは無色透明のガラスだと知って、余計にドキドキしてしまった。色によるこの印象の違い。投げかけるものの多さが、まさに現代アートだと感じる。
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「Vestige」 藤掛幸智(2023)
ごく近くで観ても、プラスチックとか紙とかビニールとか、そんな柔軟性の高い素材でできているのではないか、と感じられてしまう。「プチプチ」を思わせる表面のドットからくるイメージに、引っ張られているのかもしれない。
高温のときの一瞬のなめらかさが、そのまま固まって美を形づくる。全く同じものの作りようがないところに、止まったままの時を想う。
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「Transition'22-11」 竹岡健輔(2022)
ガラスである、ことをストレートに出しながら、意図的なのだろうな、というアンバランスさが気になって目が離せなくなる。
そして眺めているうちに、これは本当にガラスで造られたのだろうか? という疑問もわき上げてきて、つい触れたくなってしまう(もちろん禁止)、という、わたしにとってはちょっと危険な作品だった。
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ガラスだからこそ
広く贅沢な空間で、5作品をじっくりと観た。どの作品も、目にするたびにため息が漏れた。
「まさかガラスとは思えない」という、ガラスであることを明らかにしない形で意外性を愉しむもの、脆くてこわれやすいガラスであることを開示して、そのうえで意外性を表現するもの、そして、ガラスが温度によってはドロドロの液体であることをはっと思い出させるもの・・・。
作品たちを観ていて興味深かったのは、作家たちはやはり、ガラスという素材そのものを愛しており、表現方法は数多あれどその魅力をなんとか伝えたいのだと、わたしにはストレートに感じられたことだ。
温度によって姿を変え、人間が使う温度では固まってしまう、そんなガラスだからこそ、クリエイターがそそられるものがあるのだろう。
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