長男のこと。 周りの手をかなり借りているが、 スムーズに学校生活が遅れている。 ここ最近感じているのが 親も子も 『家庭以外に信用できるところ』を探すことも、必要だなと感じた。 信用といっても、 話をするだけでもいい。 『はけ口』が必要だということ。 我が家には2人、障害を持った子がいる。 しかもそれぞれが正反対の性格。 旦那の協力は皆無。 なので、いろんなことを『外部委託』する必要が出てくる。 多少の本人も私も無理しなきゃいけないこともある。 でもその、
こんばんは。 久しぶりの更新ですが、 タイトルの通り 今年から支援学校に転校した次男。 私的には今の支援があってのことだとはおもっていますが、 そのことについて 吐き出したく…
過去のことが全然書けていませんが、 飛んで今のことです。 私の記録のために書いているので 完全に自己満です。 二人の支援学校生活で感じたことです。 長男→中学部1年 1学期、生活に慣れることを目標に 正しい行動と、正しい知識、 意欲のわくことを頑張ってもらいました。 次男→小学部5年 こちらも生活に慣れる。 生活の中で、発表に慣れる 数の概念、ルールを理解し、守る ことを、ザックリ目標にしていました。 色々、小と中で、 比較が兄弟しかないので、 うーん。と
お久しぶりの更新になってしまいました。 我が家は絶賛花粉と闘っております。 次男こうちゃまのその後 1歳くらいから… 小さめBOY相変わらずちっこい。 相変わらず細い 相変わらず食べない 当事者な時は どれも成長に心配になる項目。 とりあえず2年先輩の長男から それでもニコニコすくすく育つことはわかっていたので、 食事に関しては 半分適当になっていた。 離乳食より、幼児食をこよなく愛していた😅 が、やはり 成長がゆっくりなのは 気になってくるので… 1歳半
その後、心臓のことは 1歳くらいのときの検査で 異常なしとなり、 通常の生活を送れることになった。 今だになんだったのか、治るとかあるのか?とか 色々な疑問はあったけど、 とりあえず気持ちは軽くなった🌈 それでも発達はゆっくりさん長男がかなり遅かったので 私的にはニコニコ笑ってくれただけで 勝手に順調じゃないかとおもってしまっていた。
ここからは一旦次男の生い立ちを。 次男は今、小4。 生まれは小さめの2340g。 38週でした。 今度こそは、個人の産院で出産できた。 とりあえずは偏見持つことなく、 育ててはいたが、 どちらさんかが『母乳』にこだわっていて 次男のときは早々にパイマーにつれていかれた… それが原因かはいまだにわからないが、 生後2ヶ月の時、体重が増えなくなったこともあった。 4ヶ月検診のときに、その体重の増えをみて、 ⁉️⁉️となったことを覚えている。 即刻パイマー中止。 ミル
年長さんの年。 すべての行事が最後だったなぁと思い出した。 発語はあまりなかったが、迷惑をかけるタイプではなかったので、 イベント以外は、先生がいれば大丈夫だった。 この年は就学相談の年。 それもあり、一つでも多くのことができるように、が目標だった。 ただ、たいぼーは先生大好き。 持ち物の一つ一つの場所はすぐ覚えた。 お手伝いも大好きな子だった。 偏食はあったので、給食は苦労していたと思われる。 食材というより、 混ざっているものがダメだった。 それは今でも健在
やっと幼稚園入園!正確にはまだ4歳だけど、 年中さんで、晴れて入園することができた。 この喜びったらありゃしないよね。 まぁ、、周りはね。 私からしたら出来ないことだらけだったから 日々の担任との連絡と きちんと幼稚園生活が送れているか、不安でしかなかった。 担任の先生はとても優しく 私も話しやすい先生だった。 今考えたら、 幼稚園の大丈夫です、は、 こちらからしたら、何が大丈夫かわからないこともあったが、とりあえず、人並みに園生活は大丈夫なんやろうとおもって、様子を
それから待つこと約1年… みんなと同じように願書を提出し、 軽い面接のようなものを受け、 その日に制服の採寸まであった。 …後日幼稚園からの電話。 一度子供さんと一緒に幼稚園へ、きてください。 …嫌な予感しかしなかった。 そこの幼稚園は、断るというより、 近くにたまたま療育の通園施設があったのだが そちらのほうが、この子のためだとおもう、 というお話だった。 なぜなら、園長の子どもさんも、そうだったらしいから。 …それは重々わかっていた。 そのときは、話せる
年齢的には 年少さん。 遡ること、12月くらいに、 突然義母から 『S幼稚園に入園できるか、私奥さんと知り合いだから、聞いてみるわ。』と言われた… 幼稚園入園?義母は、発達検査を受けたことは知っていた。 でも、受容はしていない、認められないタイプだった。 その後、あなたが電話してあぽとりなさいと言われたので、 言われるがまま、した。 幼稚園へ出向く 面談のために、こどもを連れて行った。 申し込み時期は過ぎていたため、 キャンセル待ちになった。 そこで軽く面談という
ご無沙汰な更新になってしまった… まだまだ記録として残しておきたいことが 何年分あるのよ!というかんじなので ざくっとここからは年齢でいこうとおもう。 3歳の成長記録この頃は 私も専業主婦であったため 日々公園遊びや買い物で日々過ごしていたと思われる。 とにかく普通に近づけたい まだこの頃は 市の療育へ、通っていたものの 私の知識も 周りの理解がなかったため、 『ここへ通えばよくなる』 そういう想いで通っていた記憶がある… 都会への通所だったが、 微妙に乗り換えが
もはや正確な記録ではないが、 母子手帳も空欄気味ではあるが… この頃やっと…❗️ ひとり歩きが出来るようになった❗️ と同時に、出産後と言われていた、市の療育も開始した。 まだまだ小さい赤子を連れて、よく頑張った🥹 が。 この頃からよく考えたら自閉の傾向強かったのかな、と思うことが出てきた… 部屋に入れないとはこの時思いもしなかった。 どんなことで入れなかったのか?○先生方の盛大な歓迎 わぁぁ☺️よくきてくれたねー!などの わかる人はわかるとおもうけど… あのテ
その後も順調に、高速ハイハイを極め、 2歳になるころ…やっとモノに捕まっていれば、歩くようになった。 ほんとは、1歳半あたりから、療育を勧められたが、お腹が大きくなるから、出産後がいいね、という、医師の計らいから、様子を見ながら通院した。 長男が2歳になる頃、 2人目出産ということで、里帰りをするか、そのまま自宅に戻るか… 出産は実家の近くだったが、 母も仕事で日中いないから、もう里帰りせず、昼間に長男を連れ出せるほうがいいかなとおもい、義母に通ってもらうことになった
前回の続き ハイハイをしたと思ったら、 順番が違うが、寝返りと、お座りが完成した。 ずり這いはなく、ハイハイが始まった。 その頃つわりもひどく😱 ハイハイが出来た喜びと、自分の体調がすぐれない日々が、続いた… それとともに すごい仕打ちも受け始め、 自分のメンタルも最低だった… そんなことを裏腹に ハイハイしかできないが ハイハイを極めて行った。 足腰鍛えられそうなハイハイをしていた。
ほんとに癒し系たいぼー。 このときから、今のたいぼーの色々、 想像出来なかった。 そして、このとき、徐々に… 低緊張を疑われる?! もともと成長がかなりゆっくり。 体重の増えもゆっくり。 体幹ぐらぐら。 おすわりも長くない。 ハイハイしない。 寝返りはたまに。すぐに諦める。 こんな感じだった。 小児科では、 様子を見ましょう。 この言葉ばかり… そんな不安の中。 2人目の妊娠 生い立ちには書いていないが、 たいぼーの出産は、親子とも、生命の危機のなか生まれ
●我が家の長男の発達の遅れについて たいぼーは、 36w2d 2150g 未熟児だった。 首の座りも遅く、 哺乳力も弱く、 4ヶ月検診のときから、 ずーっと要観察😞 1人目ということもあり、 心配が尽きなかった… 手もかからず、ミルク飲んだら寝る。 起こすまで寝る… 大人しい。 首座りのオッケーが出たのは6ヶ月。 そのからも、寝返りもしないー、 物に興味を示さない。 えっ、大丈夫❓ なんて思う時も多々あった。 そして、少しのおすわりができたかなと思う頃