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自分に戻るためにいつも最善が起きている(瞑想チャレンジ19日目)

先週はいろいろいつもと違う動きがありました。

母が急遽また入院になったり
車とスマホが故障してあたらしいのが来たり
フラはイベントがあって人前で踊ったり
なんだか心情的に慌ただしい一週間だったけど

瞑想習慣のおかげで
一日に少なくとも一回は
帰るべきところに帰って安堵している感があります。

もちろん、まだまだ雑念だらけで
「終わったらあれとこれしたいな~」とか
「終了まで5分くらいかな~」とか
瞑想中に考えちゃってるときもある。

誘導中に寝落ちすることもしばしば。

でも

すぐに先の未来に飛んだり
昨日あった楽しいことを反芻したり
それをやめようとするあまりに抑圧に走ったり
今ここのありのままを感じられない
心や頭があるなあ、と

俯瞰して見られる時間が
前より少し増えた、とも思う
瞑想19日目。


母が今年何度目かの入院をした、ということも
俯瞰すると結構ポジティブな側面があって。

前回のこちらで
とある装具をつけている話を書いたけど

あれからしばらくしたらまた
うまくいかなくなってしまったんですよ。


もはや素人の努力では、
太刀打ちできない状態だなあ、と
はたから見ているわたしは感じたんですが

母としては
「自分が情けない」という方向に思考が向かって
また落ち込み悲しんでいたんです。


この母の思考の癖、
まるで引き継ぐように
わたし自身も長年持っていたもの。
(親子で思考の癖が似るの、あるあるですね)



「自分でなんとかしないとイカン
(なぜなら、誰も助けてくれないから)」


実際そういう現実があった、
という落胆から生まれた昔のこの信念。

一見自立的なこんな信念を持っていることで、
ほんとうに
「誰も助けてくれない」という現実をなんども創り

「ホラ、やっぱり誰も助けてくれないじゃん」と
信念を強化していくってことを
昔、たびたび繰り返してきました。


なんで強化するかって、

そういう信念を持っていたら
「助けてほしい」と(言語非言語問わず)表明する機会が少ないから
助けてもらえる機会も少なくなり、
その少ない機会で「助かった」と感じなかったら
すぐ「やっぱりね」って
諦めちゃうから。

それで「人生詰んだな」と
何回か感じたことのあるわたし・・・・

今回の入院の件では
わたしは当事者ではなかったことと
自分の思考の癖について
多少自覚的であったことで

「これはもう無理、専門家の力を借りないと」

と早めにいい意味でギブアップでき
それを母にも何度となく伝えられたことが

結果的に
最善で親切なケアを受けられることに
繋がったと感じてます。


自立って、
ある程度のところまで行くと
「行き止まり」のような地点がやってくる。


そこはもう、
自力ではどうしようもできなくて
他力を頼るしかない、
でも単なる自立より豊かな地点。

「自立した同士がお互いの力を信じ分かち合う」ような
「相互依存」の境地。

それが「人同士の信頼」レベルにとどまらず
より広がっていくと

「大きな流れにゆだねる」
「何が起きても最善」
というような
「世界(宇宙、大いなるなにかと言ってもいい)への信頼」
になっていくようにも感じます。

今、
母がお世話になっている病院は

主治医をはじめ看護師さんや
医療事務さんまでみんな、
とても感じよく親切。

家族のわたしのことも気遣ってくれるし
病気と向き合い弱りかける心に、
頼りになる存在がいてくれて
ほんとうにありがたいなあ、と
思うんですよね。


育児や看護や介護などの家族のケアって
家族だけじゃとても背負えない時、ありますもんね。



「助けを求めれば、
力になってくれる人がいる」


そう感じられるありがたい体験を
小さく繰り返し、させてもらっています。



「誰も助けてくれないから頑張らなきゃ」
という信念をもって生きるより
「他力に頼ってもいい」
というゆるしが自分にあるほうが


世界への信頼感が増して
なんというか、
それぞれの力が円環的に生かされる気がします。
安心感をもとにそれぞれの力が発揮できるような。

今回の母の入院の件で
母がどう感じたかはわたしはわからないけど

わたしにとってこの件は
またもう一歩、
人の力や世界を信頼できる体験ができ

過去の思いこみを
またもう一歩
強力に書き換えることのできた出来事でした。


ああそうか、

こういう「気づきの出来事」が
瞑想チャレンジ中に起きたということは

つまり

「自分の意志ではないところで
自分の身体に呼吸が発生するように
どうやっても自分を活かす方向に
大きな流れは動いている」

「こんな風に何が起きても
思いこみを手放しながら
本来の自分に戻っていくことができるから
その大きな流れにゆだねよ」
という大きな他力を信じていいという
ことなんだなあ。

最善の流れがいつも起きている。
自分を整えることで
そんな瞬間をより実感できるのが
瞑想の恩恵かもしれない。


【心を耕す一歩 その26歩目】

最善が起きているという視点でみてみる。


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