<作品02>グローブデザイナー 麻生茂明の手
あそう・しげあき 職業:グローブデザイナー
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バリー・ボンズ、イバン・ロドリゲス、野茂英雄、デビッド・ライト、ダスティン・ペドロイア、ブランドン・フィリップス、ミゲル・カブレラ、ホセ・アルトゥーベ、クレイトン・カーショウ、青木宣親…。メジャーリーグのファンであれば思わず息を飲むような、光輝くスタープレーヤーの名前ばかりだ。
所属したチームも違えば活躍した時代も違う。ポジションもバラバラだし、国籍もさまざまだ。しかしひとつだけ、彼らには共通点がある。それは、全員が同じメーカーのグローブを使っていること。彼らが手にしている、あるいは現役時代に手にしていたのは、アメリカを代表するスポーツ用品メーカー、ウイルソンのグローブである。
メジャーリーグにおけるウイルソン製グローブのシェアはおよそ30%。3人に1人がそのグローブを手にしていることになる。しかし残念なことに、そのグローブのすべてを手がけているのが日本人であることは、ここ日本ではほとんど知られていない。
今回の手の持ち主こそ、その人、グローブデザイナーの麻生茂明である。
メジャーリーガーが驚嘆する一瞬の「手合わせ」
麻生の手はおそらく、日本人で最も多くのメジャーリーガーと握手をした手のひとつだ。とは言っても、挨拶代わりの握手や、ファンが選手に求めるそれとは違う。握手をし、手と手を合わせ、その一瞬で選手の手の大きさや厚みを感じ取る。この「手合わせ」は、グローブデザイナーとして欠かせない彼のルーティンの一つである。
「自分の手と比べて相手の手のひらがどのぐらい大きいか、指がどのぐらい長いかによって、手がグローブにどのぐらい入っているのかを判断します。
本当は実際に使っているグローブを見せてもらうのが一番早いんです。でも、自分が使っているグローブを他人に触らせたくないという選手もいるし、メンテナンスをしていないのが恥ずかしくて見せたがらない選手もいる。それならばと思って始めたのが、手を合わせることで相手の手を感じることです。」
そこからが、彼の仕事の本番だ。手にしたのは、バットの端材から作ったというマレット。地べたに座り、選手のためにカスタムメイドされた真新しいグローブを、そのマレットでおもむろに痛めつけるのだ。場合によってはダンベルも使う。お湯に浸してしまうこともある。
グローブを叩くこの作業は「型付け」と呼ばれる。新品のグローブはとにかく硬い。そのグローブをすぐに使える状態にするために、型付けは日本のスポーツ用品店でもよく行われている。しかし、彼の型付けの様子は、新品のグローブに対してはかなり粗暴な仕打ちにも見える。
ところが、「叩き」が終わったグローブを手にしたメジャーリーガーは、一様に感嘆の声を上げる。ほんの一瞬手を合わせただけなのに、なぜ今使っているグローブと同じような型にできるんだ、あの硬かったグローブにお前は何をしたんだと。
「パフォーマンスの意味合いもあるんですけどね。」
と手を合わせることについて控えめに彼は笑うが、選手にとって、麻生とのこの手合わせは、東洋人が仕掛ける得体の知れないマジックのように感じるのかもしれない。
人に喜んでもらうために何をすべきかを考えてきた
グローブを知り尽くし、多くのメジャーリーガーから信頼を得る麻生だが、意外なことに彼自身に本格的な野球の経験はない。桑田・清原のKKコンビを擁したPL学園を下して1985年夏の甲子園を制した取手二高の出身であることも、単なる偶然だ。
彼とグローブとの関わりは、高卒後に就職した会社がウイルソン製品の輸入代理業をしていたことから始まる。その会社で彼は、アメリカから輸入される原皮(加工されていない牛の生皮)や、韓国や台湾の工場で製造されていたウイルソンのグローブの検品に関わった。プレーすることではなく、材料を手で知り、無数のグローブを眼で捌(さば)いたことで、グローブデザイナーとしての彼の今が養われた。
「グローブのことを自ら率先して勉強したつもりはほとんどないんです。ただ一つあったのは、“人に喜んでもらいたい”という思い。このグローブのここをこう変えたらもっと良くなるのではないか、もしそう変えるのなら、革も別な革にしたほうがいいのではないか。使う人のことを思いながら考え、経験を積んだことで、結果的にグローブを知ったということです。
人にいかに喜んでもらうかということは、今までやってきたすべてに共通する自分の考え方の基本です。例えば検品係は、工場から見れば嫌われ者の仕事です。出来上がった製品をはねるわけですからね。でも、どうしたら工場の人に受け入れられるかと考えながら検品をするうちに、“麻生さんが来てくれるといい製品ができる”と工場から喜ばれるようになりました。
グローブを叩くことも一緒です。本来はそこまでやらなくてもいい仕事かもしれません。でも、少しでも使いやすいと思ってもらいたいから、自分が納得できるまで叩いて選手に渡すようになりました。すると選手が“ASOが叩くとグローブが変わる”と言って喜んでくれるようになった。
その人が喜ぶために何をすべきか。そのことを考えて積み重ねてきたことが、結果としてメジャーの選手に受け入れられることにつながったんだと思います。」
与えた喜びのぶんだけ大きくなった「叩きダコ」
ウイルソンの本社に請われシカゴへ移住し、今年でちょうど20年。プロアマを問わず、また年齢も問わず、アメリカのベースボールプレーヤーの間での麻生の知名度は絶大だ。彼がグローブを叩く動画はウイルソンの公式YouTubeチャンネルにアップされ、これまでに約70万回も再生されている。野球関連の施設ではもちろん、空港で、時にはゴルフコースで、野球ファンからサインや写真を求められることも多い。野球教室に顔を出せば、たくさんの子供が自らのグラブを麻生に差し出し、叩いてくれとせがむ。
子供達のグラブを叩くことは、メジャーリーガーのグラブを叩くことと同じぐらい、いや、むしろそれ以上に大切な仕事であると言う。子供達が抱くグローブへのストレートな疑問や不満こそ、麻生のイマジネーションを刺激し、より質の高いグローブを作るモチベーションとなるからだ。
そして、グローブを叩いてもらった子供達は、「あの」ASOに自分のグローブを叩いてもらった、その喜びを胸に、きっと大人になっても野球を続けてくれるだろう。それもまた、麻生の大きな願いの一つである。
数えきれない数のグローブを叩いてきた彼の右手の指の第二関節には、大きな「叩きダコ」ができている。それは、彼の人生のポリシーが形になったもの。人に喜びを与えた分だけ大きく膨らんだ、彼にしか持ち得ない特別なタコである。
撮影:渡慶次勇太
協力:アメアスポーツジャパン株式会社、株式会社アーベック
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現在、秋の出版を目指して麻生さんの評伝を執筆中です。ご期待ください。
たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役