マガジンのカバー画像

それは少し、歪なカタチをしていた。

8
あんたの恋愛は、本になる。と昔から友達に言われてきた話は、本当に本になるのか。愛おしき、ヘンな男たちの物語。
運営しているクリエイター

記事一覧

仕事ができる、キミは嫌いだ。

「俺よりコピー書けるから、お前とは付き合えない」

その昔、好きで好きで仕方なかった人に、そう言われたことがある。

当時、通っていた広告コピーの学校では、
「よいコピーを書いた上位10人に、順位が刻印された金の鉛筆が渡される」
というシステムがあり、嫌でも各々の実力が目に見えてしまっていた。

すでに広告の仕事に足を突っ込んでいた私と、実務未経験の彼。
確かに鉛筆をたくさんもらっていたのは、私の

もっとみる

神様、おなかが空きました。

「好きな食べものは?」と聞かれたら、

「好きな人と食べる食べもの」と答える。

食べることが苦手な時期が長かった私にとって、

食べもの自体は、あまり重要でなかったりする。

もちろん、今となっては

おいしいものにも惹かれるけれど

そのおいしいものを「誰と食べるか?」が何より大切で。

「おいしいね」と言ったら、

「おいしいね」と返ってくる。

それがいちばんの幸せだと本気で思うし、

もっとみる

一泊、添い寝、朝食付き。

ごはんの炊ける匂いで、目を覚ます。

これ以上のしあわせを、私は知らない。

米粒が、ごはんになるまでの数分間。

そこには甘くて、ふわふわとした、愛おしい空気が流れる。

キッチンに立っているのは、母でも、父でも、彼氏でもない。

ただの友達だ。

ただ一緒に眠って、ただ朝を迎えるだけの男友達。

背が高く、ホリの深い顔立ちで、女性の扱いにも慣れている。

いわゆる肉食系男子と呼ばれる彼とは、過

もっとみる

逃走は、計画的に。

畳1.5畳ほどの小さなプレハブの部室に、
オレンジ色の夕日が差し込む。
そこに乱暴にかけられた、2着の学ラン。

を、眺めるのが私の青春だった。

高校時代、陸上部だった私と友達は、
それぞれ1つ年上の先輩に片思いをしていた。

厳しい上下関係もなく、仲のいいクラブで
「高校受験が終わるまでは部活禁止!」という
母の言いつけから解放された私は、
放課後のためだけに高校に行っていたに等しい。

一応

もっとみる

「影響されやすい」という力。

女子が急に「サッカーが好き!」と言い出すと、
彼氏か好きな人の影響だとはよく言ったもので。
私ももれなく、そのひとり。

日韓ワールドカップの時に
当時の彼氏が「玉田圭司に似ている!」と
バイト先でお客さんによく言われていたので
気にはなっていたものの、今ほどサッカーにハマったのはもっと後。
あるチームの熱狂的なサポーターに片思いしたのが、始まりだった。

とりあえずテレビで日本代表戦を観てみたら

もっとみる
赤色のこうふく。

赤色のこうふく。

一年に、たった一度だけ。

桜の咲く季節に、会えるひとがいた。

まだ肌寒いことも、1日中外で過ごすこともわかっていながら、

薄手のワンピースにライダースという格好で、新幹線に飛び乗る。

ミュールの先から、らしくない赤いペディキュアをのぞかせて。

行き先は、東京。

はじめて行ったときは、集合場所にたどり着けず。

申し訳なくて連絡もできずにいたら、気づけば辺りは真っ暗で。

「こどもじゃな

もっとみる

本当にあった、ギターを弾きながら歌をプレゼントされるという話。

 

今日は、少し昔の話を。

あれは、27歳の夏だったと思う。

当時まだ大阪に住んでいた私は、

夏休みを利用して1週間ほど東京に滞在していた。

20代前半からいわゆるインディーズロックが好きで、

夜行バスに乗っては、ライブのためだけに上京。

「ハコ」という呼び名がぴったりの

下北沢の小さなライブハウスには、何度足を運んだかわからない。

いつしか東京の友達も増え、大阪市内に遊びに行く

もっとみる

明けまして、さようなら。

ある年の元旦、朝5時。

私は寝ている母を叩き起こし、お雑煮を作ってとせがんだ。

いつもなら9時ぐらいからゆっくり始まる、我が家のお正月。

その年は弟を除く、父、母、私の3人で早朝からおせち料理を囲んだ。

それは、非常事態だった。

長年仕事しかしてこなかったアラサー娘が、

ついに幸せをつかむかどうかという、非常に大切な事態。

私は4日間という、これまでにない短い帰省を終え、

朝7時の

もっとみる