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オアシスに連れていくより、オアシスをつくれる土になりたい

守り方について
ん?と考える瞬間があった。

どういう守り方が適切なのだろう。

満員電車の扉の近く、
彼女の背中を支える男性がいた。
男性の肩に頭を預ける彼女は
具合が悪いのだろうか。
それにしても、彼女の体には
降りにくそうに次々と人がぶつかる。

優先席で空いた席。
隣におばあさんが立っているから、
おばあさんが座るだろうと思いきや
「空いたよ!座りな」
と彼女を座らせるドヤ顔の彼氏。
彼女は足が悪いのだろうか。

おばあさんは、
ようやく空いた席に
安堵を見せたのもつかの間、
閉口し、窓の外に視線をうつした。
空気を読んでいるようにもみえる。


なんだかな。


彼女の心の中を想像したとき
「ぶつかられた」
と思うか
「これで通りやすいかしら」
と思うか、どちらだろう。

「私の席」
と思うか
「他に座りたい人はいないだろうか」
と目を向ける余裕があるか。
それは、彼女自身が外からの
守り体制なのか
協力の姿勢かどうかを
問いている気がする。


たとえぼ、
机の上のフォークを取ろうとして 
コップを倒してしまったとして、
「ダメな子ね」 
と拭いてしまうか、
「こぼしちゃったね。さぁどうしよう。」
と布巾を渡すかのような、
小さい頃からのささいな積み重ねさえ、
自身に対する自信と
外への世界への安心感に結びつく。

心の中に安全地帯があって、
存在が守られている人ほど
他者に対して保守的ではなくなる。

ともすると、
周りの人と
円滑でいられるような
コミュニケーションにつながる安心感や
信頼を育むことが
最強の守り方なのかもなぁ
と、ふと思った帰り道です。






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