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ADHDの私と、ADHDの会社のチームのメンバーが語る、”伸びるもの”と”伸びないもの”。(Private対談)

夫が見つけた私の才能の話をしたら、
「それは、努力する才能があるものだとみていました。」
とあるチームメンバーに言われた。

彼女がそれに続いてこう話したところからこの対談はスタートした。


1."自分でできる"こと

「さっきも言ってたじゃないですか、
たくさん出てくる、ぐるぐるネタを、
人に書いてもらうのもいいけど、
いずれ自分でできるようにしたい。って。

その、いずれ自分でできるようにしたい、を
何に対してもそう思っているように見える。」

彼女がこう続けたその言葉に、多少の違和感を感じた。
私だって、全部の分野で努力できているわけではないからだ。

その違和感を素直にぶつけながら紐解いていくことに・・・

2."努力する才能"の中に隠れた、努力できていない部分

私:ぶっちゃけ何に対してもで言ったらそうじゃないかも。
料理とかはあきらめてる。

その言葉を受けて、彼女は、

「(伸ばしたいと思うことの)範囲が広いのかもしれないですね。

その、あきらめることと、自分でやりたいこととの境目って何なんでしょうね。」

私:自分が毛嫌いするじゃないけど、ちょっとでも苦手意識があると、料理って、食材を素手で触れないんですよ。
まったく苦手意識がないものは全部チャレンジしていくと思う。

「私は最初にちょっとできないな、と思っただけで、苦手意識が芽生えるんですよ。
そうじゃない分野もあるけど、大体は、できないな、やりたくないな、になる。」

私:(あなたは)できないとやりたくないが、イコールになっちゃんだ。

「感覚としては、そういう人(できない=やりたくないと考える人)のほうが多いんじゃないかなと思っちゃうんですよね。」

私:例えば、もっと言うと、英語が伸びないのもそれかもしれない。

「苦手意識があるってことですか?」

私:前職でホームシックになったんだよ、日本にいながら。
日本にいるんだけど、会社内で使われる言葉が違うから、
名前を呼ばれていても、名前が英語の中に紛れていると、気づかないんだよね。で、怒られちゃったりとか、言葉はわからんくても怒られているのくらいわかるじゃん?だからそれが怖かったりとか。
そんで、最後のほうなんて、実験室にずっと一人でこもってた。

「なるほど・・・」

私:だから英語は伸びないのかも。

「それくらい、もう、やだなっていう、ところが強くなっちゃった感じですかね?」

私:そう

「そこまでいかないと、でも苦手意識って逆に出ないんですね。」

私:そう、そうだと思う。

3.私が努力できないコトとその理由ワケ


ここまで話をした内容を、後々読み返して、気付いたことがあった。

それは、毛嫌いとか苦手意識よりも、
”恐怖心”によって、努力に対する制約が生まれているんだな、と。

生肉を触るのには鳥肌が立つほど恐怖心がある。感触が想像できない感覚に至るからだ。
英語に対する気持ちも、日本にいながら英語だらけの職場にいてホームシックになるほどの恐怖心がある。

コレだ・・・。

4."できないカモ"と"できるカモ"の違い

「そこまでいかないと、でも苦手意識って逆に出ないんですね。」という問いかけに、そうだと思う、と返した私に、こんな質問をしてくれた。

「それは、やっぱなんか、すごいなって思います。

私なんて、失敗してなくても、失敗するかもっていう不安で避けちゃったりとか、しますもん。

さっきの記事を、
今ちょっと難しいなと思っている現状に対して、
どういう気持ちなんですか?
悔しいとか?」

私:それで言ったら、まだ方法が見つからない、うまく対応する、私に合う何かが私に見えていないだけで、できるはずだと思ってる

「あ~、できるんだけど、状況がまだ整っていない的な?」

私:そうそうそう。

「デフォルトがその状態は、強い気がしますね。」

私:どう強い?

「私だと(負のほう=できないと捉える方が多いため)行き過ぎ(た発想)かもしれないけど、
私だったら、今できない、それができないって現状を見たときに、
それが本当にできないってことだと判断します。
なので、それを見ないようにして、それをしないで、何とかする方法を探す。」

私:逃げみたいになるってこと?

「そうですね、私はでも極端だと思いますけど、
ちょっとダメだと、全部ダメって判断しがちだから・・・」

私:あーなるほど

「そうだな・・・、
できないのは、ダメなことだから、
ダメなところに触れられないように隠しておくみたいな。

逆に、最初からダメって言っておいて、
あとからできてないじゃんって言われないようにしているというか・・・」

私:自分を守る意味でもだよね?

「それをできるようになって、解消しようってのも、
そんなに簡単にはいけないんですよね。

今その方法が見つかっていないと、そうやってフラットに捉えられたら、
私ももう少し、試してみようとは思えるんだと思います。
できないことが、いけないことだと思っているんだと思います。」

5.私と同じ発想になれる唯一の"場所"

「できないことを、フラットに捉えられていたことが1つあって、
それが数学なんですよ。」

彼女がこう話したことを妙に納得してしまう私がいた。
彼女も私も数学科にいたわけで、数学を専攻していたことには変わりがない。

だけど、どこか私は、彼女の数学に対する気持ちの持ち方が、私とは違う気がしていた。

その理由はここにあった。

「あ、確かに、って思えない問題(答えがわからない、出てこない問題)とかって出てくるじゃないですか」

彼女がこう語る。その意味は・・・

テストで100点とかじゃない場合は、
必ずしも何かしら違うわけで・・・、
それが、

  • 理解できているのに解けなかったもの

  • 説明を受ければ理解できるもの

  • 説明を受けた上で考えてやっと理解できるもの

  • 全く理解できないもの

などがあるわけで・・・

でも彼女は、


「それを、今わかっていないだけ、ってそう思えるんですよね。

極端な話、なんだろうな、いくらでも長い時間使えて、
気力があって、適切な本とか論文とか読める環境にあるとしたら、
既に誰かがわかっていることは、私にもわかるんじゃないかな、と思うんですよ、それが一生より長いかもしれないですけど。

実際には、そんな気力も時間もないから、できないですけど・・・。
特に気力がないから挫折したんですけど・・・。」


6.まとめ

なるほど、やはり、この考えができないわけじゃないんだ。
範囲は違えど、何かしらで、皆同じ部分は持っている。

だからこそ思うのは、
苦手しかない人間なんていない。
だった。

障がい当事者である私は、現在トレーナーとして障がい者のトレーニーを支援をする立場で働いている。

そんなときにふと考えたことにマッチしている気がした。

社外向け講演の際のスライド


〇.番外編

まったく違う二人

私たちは、世界の反対側にいるような感じで、全然違う
同じ障がいだとある程度の共通点があるかといえば、
全く違う、そうじゃない、ということを、彼女は痛感させてくれるような立ち位置にいる。

意外なる共通点

そんな二人がかかわる時間を増やしていくことで見つけた、
意外なる共通点があった。

「こんなところが似ているんだって思ったことが意外とあります」と彼女は語った。

  • お箸の持ち方

  • 考え事をするときに頭の中に誰かを置いて話す

  • 部屋をいったりきたり往復する

お箸の持ち方で、同じ持ち方をする人に出会ったことは今までなかった二人だったが、偶然ここに来て出会ったのだ。


持ち方が改善されている彼女を見て、私は、(できるようになる)”可能性”を感じた。


小さな”可能性”が大きく左右する私


「私もちゃんと正式な持ち方でもってごはんが食べられるかもしれない!」

そう思わせてくれる感覚が、とても新鮮だった。

そんな境遇も何もかもが違う二人だからこそ、
お互いから学び得られること”がたくさんあると気付かされた一日だった。


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