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8年共にした夫が見つけた、私の"本当の"才能。


2023.03.23 木 午後 8:36 (55分 3秒)


私の才能はたくさんあるものだと思ってた。


例えば、ITに関する知識とかだったら、ソフト面も、ハードの面も、
そしてちょっとかじっただけのダンスも、ピアノもギターも、なにもかも、「すごい!!」と過剰に評価されてきた。

例えば最初は機械音痴だったけど、パソコンのことちょこっと教えてもらっただけで、こんなにもできるようになるのか、と自分でも、ちょっと自信に満ち溢れていた


過剰な他者評価から感じる違和感の正体って何だろう・・・?


「才能だ!!」と言われることへの違和感を感じ始めたのはいつだっただろうか。

「才能」と定義した時に、
自分には当てはまらないものを感じた。


「みんな才能って持ってるの1つじゃん。」
と思い始めた。


「わかった!お前の才能は全部副産物みたいなもんなんだ」

夫がこんなことを急に言い出した。

だから私は"これは何か得られるかも!"と思い、急いで録音を始めた。

夫はこう続けた。

「自分のものにして、自分の得意なものとして生かすことができる。
っていうのが、あなたの1番の才能なのかも。」

私:ほう・・・。

私は、この時よく理解できていない。

「それが、たまたま仕事だったりとか、そのコミュニケーションだったりとかっていう長所に繋がっただけで、元の才能はそこなのかも。」

こう言われたのだ。

そう、私の"本当の"才能は・・・

「努力できること。」

これだったらしい。

「てか、改めて、いい意味であなたの才能って言われてきたものは長所であって全部才能じゃねえ」

「努力の証。」

こう言われて、違和感が溶けていった気がする。



そう、
だって、
私が努力して手に入れてきたものを、
すべて「才能」で片付けられていた。

その努力の期間は短かったかもしれない。
でもその努力の熱は、誰よりも熱いものだったと思う。

その努力の結晶を、
一言「才能」で片付けられていた事実が、
違和感になっていた
のだと、わかった。





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