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いま必要な「農道」。初心の気持ちをここに記しておく。


こんにちは!
三月からはじめての自然農をはじめる蝋梅です。

といっても初めての自然農どころか農業をすること自体、経験がありません。。
せいぜい子どもの頃の学校行事でサツマイモを収穫した程度。日常的に土に触れることなく街の中で育ってきました。
そんな私がなぜ農業?しかも一般的な慣行農業より難しいとされる自然農をしたいと思ったのか??

それは、自然農という道がこれからの世界の土台をつくると思ったからです。

え、どーいうこと?なんかアツいなぁ、壮大だなぁと笑われそうで自分でも恥ずかしいのですが初心の気持ちって大事っていうし、また何があっても立ち帰れるようにここに記しておきたいとおもいます。



子どものころから仲がよかった子たちと「自然隊」といって川の掃除をしたり、木に話しかけたり木の絵とか詩を書いたりする変わった子どもで。
(聞いたら母も子どもの頃にリサという名前をつけた木とよく遊んでいたそうなのでこういうところは完全に母親譲り。)
将来は環境保護団体とか青年海外協力隊のようなボランティアに携われたらいいなぁとボンヤリ考えてました。

世界のボランティアなら、まずは英語だ!と短期留学に行ったりフラフラしていたのですがそんなときに母が病に倒れたりコロナで海外に出ることが難しくなって。
コレらのことがきっかけで、世界がどうのこうのよりまずは身近なところからこそ見なくてはならない、と考えを改めて今のリラクゼーション職につきました。
人を癒して、笑顔で帰っていただくことが仕事だけど根本的な癒しには繋がらない。し、一緒に暮らす家族のあいだにも孤独感やうつ、ストレスが渦巻いていて、人を癒すどころかいつのまにか自分自身も仕事のストレスでその渦に巻き込まれるように、、、。

「自分はどんなときに心がワクワクして、癒されるのだろう」と考えたとき、子どもの頃に触れた風とか土の匂いといった自然の感触が思い返されたのです。

手に乗せたてんとう虫


その時から休日に農家の手仕事を学ぶワークショップや園芸療法の講習に参加して実際に植物を育てたり手作り醤油を仕込んだり、土に触れるということを本当に久しぶりに体験しました。

醤油を絞る


それまでは野菜や花、醤油などの製品はお店で買うもの!としか思っていなかったのです。お金さえあればいつでも好きなときに買えるし、不便なんて何もない。けど、こういうところから人は自然とのつながりはおろか人同士の繋がりさえも希薄になって、なにか大きな輪から切り離されてしまったような気がします。


休日に足を運んでいた地域では、「ぽん酢は買ったことがない」という人もいるくらい醤油などの調味料や野菜、しめ縄も自分たちでつくる。
飾っているお花も庭から摘んできたものをさりげなく上品に飾っていて、「これは誰々からもらったもので作ったのよ」という会話が食卓を囲んで織りなされる。そして、それらの技術や工夫をこらす手に大昔からこの瞬間まで受け継いできた人たちの手が重なって見えてくる、、、。

しめ縄を練り上げる手


地と生活と人が密接に関わり合っている素敵な場所。
そんな場所で時を過ごすうちに今までなんとなく感じてきた大きな輪から離れて漂い続けているような虚無感を感じなくなってきたのです。


海が雨となって川となるように自分も自然の一部なんだということ、私が仕事を通じて働きかけたこともちゃんと人の心に乗ってまわり巡っているんだということ、そうして一人ひとりがいろんな想いや技術工夫を紡いできたからこそ今があるんだという、言葉にすると当たり前っちゃ当たり前のことなんだけど、なんだろう?と感じることができなくなっていたこの大きな輪に、徐々に立ち返ってゆく感覚。他に足をつけたことで心も身体も癒されていったのです。 


それらを通じて自分だけではなくてみんながほんとうに心身ともに元気になれる、いちばんの根源的な癒しは自然にあるんじゃないか?と実感していきました。
それからは、街の中の風景もとてもキラキラしたものになりました。遠くにあると思っていた自然がいつも通る道にたくさんあることあること!
ヨモギ、ゲンノショウコ、ドクダミ、オオバコ、、、。
子どもの頃に雑草を食べる年配のタレントさんを見てえぇっ、、と見ていましたが、いま思うとすごい!
雑草とよばれる野草たちの名前や効能を調べたり、野草を使ったお菓子や料理が嗜まれる日本の行事や風習を知ってからは自然や先代のみなさまへの感謝と敬意が止まりません。わくわくも止まりません。

草もちを蒸すまえ。色味がきれい


そんなこんなでやっと自然農に興味を持ちます。去年、彼氏が病を患ったことで食の安全についてより強く関心が沸いたことがきっかけでした。
自然農で作られた野菜は腐らずに、“枯れる”らしいのです。しかも、一般農業では厄介者扱いされる雑草や虫も大切にされると、、、。
どういうこと?!


自然農について調べるにつれて、農薬や耕すという行為が環境や健康に多大な影響を及ぼしていること。雑草と呼ばれる草や虫たちに大切な役割があるということ。自然の全てが作用しあっていることなどを知りました。
そして、この自然農の特徴である三原則が同じように自然に配慮した有機農法と決定的な違いを生み出しています。

①不耕起
②農薬や化学肥料を使わない
③草や虫を敵としない 
 
土を柔らかくするという意味で多少は草を抜いたり人の手で柔らかくするみたいですが、重機は使いません。自然の分解者である小さな虫や微生物を殺してしまうからです。たとえばダンゴムシは枯れた落ち葉や生ゴミ、木屑などなんでも餌にして、糞として肥えた土に変えてくれます。


農薬と化学肥料については、十数年かけて無農薬のリンゴ栽培に成功し映画「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんはこのように伝えています。

化学肥料や農薬、除草剤を田畑にまくと、汚染物質が地下水に混じります。汚染された地下水は川に流れ込み、やがて海に出て行きます。すると海ではプランクトンが汚染物質を食べるために大量発生し、その呼吸熱で海温が上がり、台風が発生していく。

最近大きな台風が多いのも、このせいではないのかなぁと私は思っているの。 

現代ビジネス 日本人だけが知らない!日本の野菜は海外で「汚染物」扱いされている より


アメリカ海洋大気局(NOAA)によると、農薬・化学肥料・家畜の排泄物に含まれる窒素肥料をまいた農地などから発生する亜酸化窒素ガスが、地球のオゾン層を破壊する要因であるというのです。
おなじく地球温暖化の原因の一つといわれる二酸化炭素の約310倍の温室効果があるみたい。


そして、厄介者扱いされている愛すべき雑草たち。実はこれらはスカスカになった土に必要な栄養分を補給して、必要がなくなれば生えてこなくなりまた必要な栄養分を持った草が生えるというように、偏った土のバランスをとってくれているというのです。

何も厄介者なんていないのです。悪者とされていても実はそれぞれの役割をただただ全うしている。そんなに頑張らなくても、それだけでいつも完璧なのです。
ただ、農薬や化学肥料の恩恵でたくさん生産ができて、雑草抜きの煩わしさから解放されたのは事実。
その反面、様々な環境、健康、社会問題にまでつながったのもまた事実。土から離れ、大量生産が当たり前になった時代では実はすべてが繋がっていると感じられないのも無理はありません。



この三原則がある自然農に“みんな”で取り組むことこそが、地球環境、心身の病、孤独などの問題の解決への糸口になるのではないかと思い、広めたい!まずは自分が実践していこう!
と意気揚々と自然農を学ぶ勉強会に参加させて頂いたのですが、半日をかけて行われたフィロソフィー(哲学対話)を通じて猪突猛進で突き進んでいったツノをへし折られることになります、、、。

、、長くなりそうなので、また次回に!

ここまで読んでいただきありがとうございます。



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