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ドラムオタクがイラストレーターになった話(前編)
こんにちは!イラストレーター・デザイナーのRitです。
私の経歴を人に話すと「夢がある」と言われるのでもうちょっと掘り下げてみようと思います。
王道の方法でイラストレーター・デザイナーになったわけではないので再現性は低いけど、何か行動できずにいる人が「自分でもできるかも」と思ってもらえたら嬉しいです。
人生に消極的な人や、やりたいことをやる勇気がなく行動ができずにいる人、年齢を気にして諦めかけてる人には「とにかくやってみよ!」と言いたいです。
私も直感的にやりたいと思ったことは後先考えずにとりあえず飛び込むか、気づいたらやり始めちゃってるタイプなのでたくさん痛い目も見たけどこのスタイルは変えるつもりはないです。
自己紹介の中でも語ったように
私は絵を描かないブランク期を経て偶然の出会いをきっかけにイラストを再び描き始めイラストレーターになりました。
好きなドラマーのライブで知り合った人に誘われて
CD制作に関わることになり、デジタルイラストを始める
お絵描き少女で音楽少女
私は幼少期の頃から、絵のほかに音楽(パーカッション)も始めて小中高はずっと吹奏楽で打楽器を担当していました。
中学時代の顧問の先生が外部から呼んでくださった打楽器の先生がかなりスパルタで本当に素晴らしい先生で、大会で金賞を受賞するなど貴重な経験をさせてもらえました。
退職してアメリカ逃亡
社会人になってからは絵も音楽もやらなくなってしまったのですが、退職をしてアメリカへ1ヶ月だけホームステイしました。
学生時代から計画していたので、フリーターになるか就職するかで悩み、
普通の会社員はできない性格だと自覚していたので、経験はしとこうと思って就職を選択。週2で仕事が終わったら英会話教室へ行く感じ。
(先輩だけには計画のことを話していたのですが、いざ退職を申し出た時に、すでに上層部の人に周知されてたのでその時がきたかという感じだったらしい。申し訳ない)
アメリカでは語学学校と音楽学校へ通い、帰国後にドラムを再開します。
(この時お世話になったミュージシャンや友達は今でも連絡を取り合う大事な存在✨)
この時のアメリカでのエピソードもいつか書こうかな?(毎日アメブロ書いてたのでネタは思い出せる)
ちなみに英語は小学生の頃にとても素晴らしい先生(日本人だけどネイティブ並みの発音でレッスン中は英語で話す)のもと学んだ経験があり、英語に抵抗がなくなったので語学力はなくてもなんとかなりました。
全国のお母さんお父さん!
英会話教室は先生選びが大事!
英語をカタカナ英語で話す人はNG
発音記号も読めるようになっておくとベター
帰国後にいろんな音楽シーンにトライしドラムを再開。
そしてロックが好きな知り合いに教えてもらったバンドに見事にハマります。
TOTOというアメリカのバンド
このバンドのドラマーSimon Phillips(サイモンフィリップス)にどハマりします。
そして好きが高じてある時「奇跡」が起きます。
長くなったので続きは次回にします〜
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