奈良尾

小説や日記を書きます。

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最近の記事

文学フリマ東京38でお買い上げいただいた方、ありがとうございました。当日は私の怠慢から部数を限って販売していたため、早々に撤収することとなってしまい申し訳ございません。(いないとは思いますが)手に入らなかった方でもし再販を希望される方がございましたらDMをいただけますと幸いです。

    • 文学フリマ38に出す本【つー41】

       突然ですが、このアカウントの管理人、文学フリマなる催しに出店するそうです。何でも世の中には自分で作った本を不特定多数の人間に売り捌く奇特な催しがあるのだとか… ■開催日時:2024年5月19日(日)12:00〜17:00(最終入場16:55) ■開催場所:東京流通センター 第一展示場・第二展示場 ■入場料 :1,000円  今回から入場料を取るようになったそうです(1,000円もするのか…)  もしご興味を持たれたら一度お越しください。かなりのサークルが出店するので、も

      • 雑記(馬)

         春が来た。というより、もうじき5月である。街を歩くと大学生の集団によく出くわし、そういえば新歓の季節なのだと気づかされる。かくいう私も長い冬眠から覚めて…などということはなく、相変わらず殻に引きこもったままである。駅前の商店街を歩くと、人の群れに圧倒される。たいていはグループを為しており、学生サークルらしき集団、子供連れ、カップル、酔っぱらったサラリーマン、夜更かしの中高生…などから成る。その間を、独り身の人間は、足早に、伏し目がちに、そそくさと駆けてゆく。かくいうわたしも

        • ひさしぶりに笑った。 https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DWZemQW6Onupx?si=9JMHSt2lRHOtWw-2_nEzqA

        文学フリマ東京38でお買い上げいただいた方、ありがとうございました。当日は私の怠慢から部数を限って販売していたため、早々に撤収することとなってしまい申し訳ございません。(いないとは思いますが)手に入らなかった方でもし再販を希望される方がございましたらDMをいただけますと幸いです。

          雑記(24/2/13)

           「私」とは、文法上の問題に過ぎないのではないか?最近、そう思う体験があった。私はずっと「私」なるものを考えてきたような気がする。自分探し、アイデンティティ、本当の自分、無意識と自我、超自我、等々。しかし、「私」なるものが、一つの点、紙に書かれたインクの染みであり、それ以上のものでないとしたら?「私」なるものが、文法を成立させるために、文を成り立たせるために、その出発点に配置された仮の点でしかないとしたら?  ことばとはメカである。「私」はことばというメカを起動させるための

          雑記(24/2/13)

          読書メモ:流刑地で

           2年ほど前、私がまだ会社員だったころ、ある金融システムの更改案件に携わっていた。システムは老朽化しており、至るところでトラブルが頻発し、何度も改修を重ねて複雑化していたため、全体を把握することはもはや不可能になっていた。私は毎朝暗澹とした気持ちで電車に揺られていた。今日もまた妖怪じみたシステムと格闘しなければならないのか。直してはまた壊れることが確定している無意味は労働は拷問に近かった。ほとんど壊れかけの仕組みのために、多くの人間の頭を悩ませ時間を奪い絶望させることは、確か

          読書メモ:流刑地で

          映画:孤狼の血

           『孤狼の血』(柚月裕子原作、白石和彌監督)は暴力団対策法成立前、昭和63年の広島を舞台にしたヤクザ映画だ。大学出で主人公の日岡(松坂桃李)は本部から呉原東署に配属され、マル暴刑事、大上(役所広司)の下で働く。事の発端は呉原金融職員の上早稲が行方不明になったことからはじまる。映画は最初、取調室で大上が上早稲の姉に事情聴取するシーンを映す。大上は上早稲の姉から弟に関する情報を聞き出そうとするが、カメラは上早稲姉の口元や胸元を肉感的にアップで映し、大上は取調室から日岡を追い出し二

          映画:孤狼の血

          読書メモ:苦役列車

           かれこれ五年以上前の話になる。当時、リゾートバイトなる求人に応募し、旅館の従業員として住み込みで働いていたことがある。K氏と出会ったのもそこで、彼は私と同じように期間労働者として、私とは違う派遣会社から同じ旅館に派遣されてきていた。私は仕事が終わると、シーズンを過ぎ、寂れた地方都市の裏町を、彼とよく飲み歩いた。K氏はその時30歳で、私は23歳だった。彼はリゾートバイトの先輩として、今までにも数々の職場を転々とし(そのたびに数々の問題を起こし)、その道の先輩として私に数々の訓

          読書メモ:苦役列車

          戦争について~坂口安吾の小説~

           YouTubeのおすすめ欄に、連日のように戦争の報道が並ぶ。スタジオを替え、同じコメンテーターが何度も登場し、戦況の分析を自身の専門的見地から詳細に解説する。どこにどれだけ戦力を投下し、どれくらいの戦果を得たか、どれだけの相手の兵站に影響を及ぼし、どれほど相手に損害をもたらしたか。ニュースを聞く視聴者は戦線の変化に一喜一憂し、それが良い結果であれば喝采する。コメンテーターは新型兵器の性能を、玩具を与えられた子供のように、嬉々として説明する。まるでショーだ。戦争というものが、

          戦争について~坂口安吾の小説~

          幻想文学—無限と美

           『夜長姫と耳男』を読んだ。ライトノベルじゃないかと思った。ヒロインのセリフと云い、主人公の耳男の人物造形と云い、私が中高生の時に読んだライトノベルと似ていた。文学に不案内な私にとって、純文学とライトノベルの違いがどこにあるのかなど、区別する理屈などもたない。読んだ感じ、あれ、これラノベっぽいかもと直感的に判断する。それで終わり。中高と私が過ごした環境は、本といえばライトノベルが主流であった。ライトノベルから始める読書体験。そんなのもありだと思う。  夜長姫は山奥の長者の娘で

          幻想文学—無限と美

          エコノミック・ミニマム

           2022年の政府統計調査では、高等専門学校進学率は98.8%、大学・短大進学率は60.4%となっている(※1)。OECD中、日本の大学進学率は特に高いというわけではないが(※2)、それでも全人口のうち、結構な割合が義務教育以上の教育をうけていることになる。私は高校、大学と一応高等教育(?)を受けてきたが、そのうち、実生活で役に立つ知識はほとんどなかったように思う。職にもよると思うが、世の中にあるほとんどの職種は小・中学校の知識があれば足りるのではないかと思う。そんな実感を持

          エコノミック・ミニマム

          いま・ここ

           根無し草。この街に移って来てからもう6年以上経つ。その間何をしてきたというのか。絶えず再開しては打ち切られる滑稽な芝居を繰り返してきたにすぎない。何に賭けてきたのか、何を目的にしていたのか、それすらはっきりしないまま、世間の尺度が求めるままの空虚な生存を続けている。自分から何かを選ぶことなど、今まであっただろうか。何か考えるに先立って、あらじめ結論は決まっており、私はその結論に至る過程を後追いしているにすぎない。箱庭の中で無意味な演技をしている。自分の意志ではないのに、まる

          いま・ここ

          もしもし?…

           私は私の人生の主人公ではとうになくなっている。筋書きのない世界の中で、終わることのないエピローグを延々と繰り返している。この空虚な私の生存にどんな意味を持たせられるか。問題はこの点に尽きる。本当にそうだろうか?  私は私の人生がまっさらなページであったらと思う。誰にも見られず、誰からも書き込まれない。私を見た人間は、私に対してある印象を抱き、それを自らのノートに書きとめる。それが耐えがたい気がするのだ。私の存在を皆の記憶から消してくれと思う。私という存在が、他人の思考の中で

          もしもし?…

          「私」?それって だ れ ?

           私は自分というものが本当に存在しているのか自分に問いかけてみる。しかし、それは、どのような方法によって?私は私の意志を持っている。私は私の個人的な目的に従って、日々の仕事を処理している。私は自分の意見をもって、自分の言葉でそれを表現している。しかし、しかしそれは本当だろうか?自分にに限って言えば、私はその場の状況で私の意志をかえるし、確たる目的など持ち合わせておらず、他人の命令を易々と受け入れる。私の話すことは九割九分他人の受け売りであり、そこに、私自身の発想が含まれること

          「私」?それって だ れ ?

          現実探しゲーム

           私は在宅での仕事をしているため、買い物以外ほとんど自室から出ることがない。私の1Kのアパートはほとんど私の一部になってしまった。朝起きてから、夜眠るまで、毎日繰り返し目に映る、閉め切ったカーテンの私の部屋は、私の体内空間同然で、私は私の部屋という繭の中で一日中を過ごし、そ日々を繰り返す。私は現実空間でも、ネット空間でも、友人と呼べる存在が一人もいないので、仕事がない時(それは一日の大半なのだが)は、ほとんど文章を読んだり動画を見たりして過ごしている。このような生活を続けてい

          現実探しゲーム

          個別/全体―正しさとは違う仕方で

           私が自分のことを話すとき———自分の環境、境遇、来歴を他人に向かって説明するとき―――ニュースや本、最近ではSNSなどで仕入れた知識や概念を無意識に交えて語っている。ごく身近な日常の出来事でさえも、世の中の大きな文脈と関連付けて、どのような意味や問題とつながりがあるか、否応なく意識させられる。反面、今目の前にいる他人は記号化され、大きな文脈の中で解釈される一因子になり、質量を伴った存在として実感されることはなくなってきている。私が自分の環境のことを理解しようとするとき、否応

          個別/全体―正しさとは違う仕方で