いま・ここ

 根無し草。この街に移って来てからもう6年以上経つ。その間何をしてきたというのか。絶えず再開しては打ち切られる滑稽な芝居を繰り返してきたにすぎない。何に賭けてきたのか、何を目的にしていたのか、それすらはっきりしないまま、世間の尺度が求めるままの空虚な生存を続けている。自分から何かを選ぶことなど、今まであっただろうか。何か考えるに先立って、あらじめ結論は決まっており、私はその結論に至る過程を後追いしているにすぎない。箱庭の中で無意味な演技をしている。自分の意志ではないのに、まる自分の意志であるかのように物事が進められ、説明を求められる。理由なんてあったためしがないし、説明などできるはずがない。気が付いた時には物事が開始され、気づいた時には周りから取り残されている。まだ、たどり着けない向こう側と、すでに、通過してしまった開始地点。状況は決断に先立って、つねに・すでに開始されている。
 いま・ここにいるということ、それにどんな理由があるだろうか。気が付いたら私はいまここにいて、ここで生活している。それ以上の説明などできない。もしかしたら、それでありえたかもしれない他の可能性、世界を見渡すとそのようなものがあふれている。膨大なインターネットの求人を見てもそうだし、テレビに流れるコマーシャル中の生活を見てもそうだし、何気なく街を歩いていてもそうだ。ほんのちょっと偶然が異なっていたら、ありえたかもしれない他の生活が身の周りに溢れている。しかし、今現在のところ、私はこの可能性でしかありえない。いくらでも、ほんのちょっとの偶然でいかようにでもありえたはずなのに、なぜ自分は今この可能性でしかありえなかったのだろう。この説明をどうつけたらよいか。いくらでも取り換え可能な個人の感覚と、それでもなおこの私でなければならなかった事実との落差。そのことに何とかつじつまを合わせをつけなければならない。そもそも私はこの可能性を選んでいるのか?選ばされているのか?私が私であることの理由はそんなに簡単なことだろうか?もしかしたら、私は他の可能性でもありえた。それが、さしあたり今この可能性であることに、どれだけの蓋然性があるだろうか。私の意志がどれだけ関与するのだろうか。
 村落共同体→金の卵→中産家庭→抑圧→非正規雇用→?すべては必然なのか。繰り返される悲劇。私の意志とは関係ないところで、大枠のカルマは決まっているようだ。他の可能性を想像することはいくらでもできるが、私の来歴を説明する概念は結構用意されていたりする。気づかないうちに、大きな枠組みの中で私という存在が規定され、その大きな枠組みの中で、個人がそれぞれの生活を営んでいる。私は自分の必然性を引き受けることができるか。
 それと同時に、自分だけの人生を生きることも不可能になった。故郷を離れ、ばらばらになった私たちは、いくらでも取り換えのきく社会の部品として、ほかでもありえたかもしれない可能性の間をさすらい迷うことになる。私たちに与えられ演じられていた役割は取り去られ、その後、分断され、抽象化され、切り詰められた生活は、互いに目隠しをしたまま、それぞれの最適化を目指して空虚な競争を演じるはじめる。
 何にでもなれるということは、何にもなれきれないことと表裏一体だ。持てる者は資源を動員し、望むものをいくらでも手に入れることができる。その一方で、ほとんどの大多数の人々は自らのおかれた環境の限界内で、それしかなれなかった可能性を生きながら、ありえたかもしれない空虚な幻想を追いつづけている。世界の中で自分を布置する絶対的な指標がないという個とは、すべてが他者との、他でありえたかもしれない可能性との相対評価に晒されるということだ。目の前の現実は、他と比べてどうか、優っているのか劣っているのかで判断され、それ自体が持っている豊かさを直接感じ取ることはない。世界は抽象的な尺度で、均一化、平均化され、他でありえたかもしれない可能性どうしの間の空虚な並列空間になる。世界はそれ自身の厚みを失って、自らにとっての人生の意味を欠き、可能性の間の選択の問題に生存が矮小化される。意味を欠いた生存は、あれもこれもと可能性の残滓を、飽くことなく追い続ける。そして、意味というものを永久に見出すことはない。私は主体であることを求められるが、この状況で主体であることはありえない。社会生活上、個人であることは、主体をまったく失うということでもありうるのだ。没個人的である場合のみ、私は社会を軽やかに生きてゆくことができる。完全に個性的であるとしたら、反対に社会から疎外されてしまうだろう。社交的なことと個性的なことは必ずしも一致しない。社会が高度化したからと言って、それだけ人間が自分自身の主人になるわけではないのだ。自らの意味をよりよく生きるならば、抑圧され、変化のない場合のほうが良いことだってありうる。


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