読書メモ:流刑地で
2年ほど前、私がまだ会社員だったころ、ある金融システムの更改案件に携わっていた。システムは老朽化しており、至るところでトラブルが頻発し、何度も改修を重ねて複雑化していたため、全体を把握することはもはや不可能になっていた。私は毎朝暗澹とした気持ちで電車に揺られていた。今日もまた妖怪じみたシステムと格闘しなければならないのか。直してはまた壊れることが確定している無意味は労働は拷問に近かった。ほとんど壊れかけの仕組みのために、多くの人間の頭を悩ませ時間を奪い絶望させることは、確かに限りない労力の損失に違いなかった。
『流刑地で』(フランツ・カフカ著、原田義人訳)はその頃、私が電車に揺られながら読んでいた小説である。この物語は、今となっては全く時代遅れとなったある機械—処刑機械—の周りで展開する。
大学人でヨーロッパ的教養を積んだある旅行者は、官庁の紹介状によりある国の流刑地を訪れる。そこで彼はある処刑の様子(裁判手続き)を目にする。今は亡き旧司令官の遺志に従って処刑を行う将校は旅行者に向かって説明する。処刑機械は、上部の図引きと、そこから四本の真鍮棒でつながった下部の寝台、そしてその間に鋼鉄のひもで吊り下げられたエッゲ(馬鍬)からなっている。機械は12時間をかけてじっくりと受刑者の身体に罪の内容を刻み込む。将校は言う。受刑囚は寝台の上に寝かされ、革紐で手足を縛られ、ぶら下がったエッゲの針で身体を刻まれる。最初の6時間で叫ぶ元気は失われ、受刑者は解脱の表情を見せはじめる。それから6時間をかけて体に刻まれた罪の内容を読み解く。そして12時間目にはエッゲが受刑者の身体全体に突き刺さり、あらかじめ掘っておいた穴の中へ遺体を投げ入れる。それで裁判は終わりである。
旅行者は問う。「あの男が刑を宣告されたということは、知っているんでしょうね?」「それも知らないのです」と将校。「事情はこうなんです」将校は説明する。受刑者は中隊長の戸口の前で時計が時を打つごとに敬礼することになっていた。2時に中隊長が戸を開けて敬礼しているか確認してみると受刑者はうずくまって眠っていた。そこで中隊長は鞭を取り出して受刑者の顔を打った。打たれた受刑者は飛び起き中隊長につかみかかり叫んだ――『鞭を捨てろ、さもないと食い殺すぞ』将校はつい1時間前に中隊長の申し立てを書きとり、直ぐに男を捕まえ鎖につないだ。そして今、処刑(裁判)が行われようとしている。こういう具合であった。
旅行者は将校の説明する裁判手続きに嫌悪を覚える。しかし、将校は旅行者の内心に気づく気配もなく得々と装置の説明を始める。受刑者とその鎖をもった兵士の2人は戯れはじめる。
将校は、かつて旧司令官がいた頃の刑執行の華やかさを思い出し、現況を憂う。かつては、刑執行の当日には大勢の見物人が訪れ、予算も潤沢に用意されていたのだが、新司令官になってからは予算は削減され、支持者も失い、刑執行も廃れてしまっている。「みんな司令官の罪だ!」——将校は叫ぶ。「新司令官にとっては、あらゆることがただ古い制度を打破するための口実に役立つのです」
将校の訴えを聞き、旅行者は自分がこの裁判手続きについて意見を述べるために招待されたのだと気づく。彼はこの問題について深入りするのを避けようとする。しかし、将校は旅行者に向かって新司令官も出席する会議の席上で自分に有利な発言をするよう旅行者に懇願する。旅行者は、自分は新司令官の意見を左右するほどの力はないと説明し、なお食い下がる将校に対し、はっきりと「私はこんなやりかたに反対するものです」と将校の擁護する裁判手続きを批判する。
将校はしばらく無言でいたが、明るいまなざしを旅行者に向けると、寝台に縛り付けられた受刑者に「お前は釈放だ」と告げる。はじめはポカンとしていた受刑者であったが、革紐を外されると急いでエッゲの下から這い出す。
将校は旅行者を呼び寄せ紙入れから図面を取り出し、「読んでごらんなさい」と云う。「私には読めません」と答える旅行者に対して、将校はなおも「どうか、とっくりとこの紙片をご覧ください」と云い、無理にでも読ませようとする。しかし、やっぱり旅行者には何が書かれてあるやら分からない。「『正しくあれ』というのです」将校は教える。観念した様子の旅行者は「そうかもしれません」と答えると、将校は「では、よいのです」と告げ図面を図引きにはめ込み、おもむろに服を脱ぎ始める。
受刑者に起きていたことが、今、将校に起ころうとしているのだ。将校は機械を調整し、寝台に裸で横たわった。「将校は今や完全に正しくふるまっているわけだ」旅行者は思う。事態を理解した受刑者は満面の笑みとともに機械に駆けつけ、兵士に指示して革紐を手足に縛り付けようとする。
旅行者には受刑者と兵士が不快であった。「お前たち、帰りたまえ」旅行者は彼らを追い払おうとする。すると、それまで静かに運転していた機械の、図引きの扉がおもむろ開き、中の歯車が現れ、地面に落ちてしばらく転がった。地面に落ちた歯車に気を取られていると、次から次へと図引きの上に歯車が現れ、地面に落下しはじめた。機械は瓦解してゆくようだった。今や将校の身を引き受けねばならないと思い、旅行者は確かめるようにエッゲの上に身を乗り出す。衝撃の光景だった。エッゲは皮膚の上を書きつけてはいず、ただ突き刺しているだけだった。これでは拷問ではなく直接の殺害だった。そしてエッゲは普通なら12時間目にやるように突き刺した将校の体ごとわきへ廻った。しかし将校の体は落下せずぶら下がったままだ。引きずり降ろそうと手を貸す旅行者は意図せずして死体の顔を見た。そこには必ず表れると言っていたあの解脱の表情の徴候はなかった。「ほかのすべての者がこの機械に寝かされて見出したものを、将校は見出さなかったのだ」
後日、旅行者は元受刑者と兵士を伴い、旧司令官が埋葬されているという茶店を訪れる。流刑地の他の家屋と同じくひどく荒廃してすすけきっており、テーブルには港の人足と思しきひどくいやしい連中が座っていた。旧司令官の墓はそのテーブルにあった。「ここに旧司令官が眠る。今、姓名を記すことが出来ぬ彼の一派の者たちは、彼のために墓を掘り、石を置いた。ある年数の後に、司令官はよみがえり、この家から一派の者たちをひきいて流刑地を奪還する、という予言がある。信じて、待て」テーブルに隠れてしまうほど低い石の墓銘にはそう書かれていた。旅行者は茶店を出、2人を置いて流刑地を去る。
私はなぜかその頃、この文章を読んで異様な感銘を受けた。それは、将校のおかれた立場が当時の自分と近しく感じたからであろうか。労働の意味とは?結局それも、ほとんど無益な骨折り仕事でしかないのか。今、社会は停滞しているそうだし、私の人生も停滞している。望みのない現実の中で、それでも行われる労働は、自分の首を刎ねる断頭台を築く行為に似ている。結局、古いシステムにしがみついて滅びるしかないのか。旧司令官は復活するのか。墓銘には記されている。信じて、待て。将校の支持する旧癖な裁判は、私には何故か救いにも思える。
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