エコノミック・ミニマム
2022年の政府統計調査では、高等専門学校進学率は98.8%、大学・短大進学率は60.4%となっている(※1)。OECD中、日本の大学進学率は特に高いというわけではないが(※2)、それでも全人口のうち、結構な割合が義務教育以上の教育をうけていることになる。私は高校、大学と一応高等教育(?)を受けてきたが、そのうち、実生活で役に立つ知識はほとんどなかったように思う。職にもよると思うが、世の中にあるほとんどの職種は小・中学校の知識があれば足りるのではないかと思う。そんな実感を持つ中で、高校・大学へと進学する意義とは一体何なのか。「まわりのみんながいくから」「卒業していないと就職に不利だから」私にしてもそんなクチで、実際は進学する意義も必要性も認識しないのに、まわりの人間が勧めるまま進路を選択してきた。その結果が、幾千幾万とある下請け企業でほとんど意味のない仕事を続けているのだから笑えない。生きていくうえで本当に必要な知識はわずかしかない。それに自分が心から楽しめるか、そうでないか。それだけだ。それだけがハッキリしていれば、人生の選択で思い悩むことはない。学校でやたらと知識を詰め込むけれど、それが人生を生きやすくしているだろうか?それどころか、反対に知識が多いぶんだけ、本能的な自分の判断を鈍らせてしまうこともありうる。特に進学の理由に就職上の打算がついてまわる場合はそうだ。進学することで自分の人生を不自由にするのではなく、どうしたらより自由に生きてゆくことができるのかを考えよう。それこそが究極の目標であり、本来学問の目的でもあるのだから。私は不自由になるために多くの時間と金銭をかけて勉強するのだろうか。意義も必要も感じない目的のために大切な時間を浪費するのだろうか。だとしたら、手に負えない。多大な犠牲を払ってまで、虚しい人生を送るハメにはなりたくない。それなら、人は自然人であれば良いと思う。好きなことは好きと云い、嫌いなことは一切せず、本能のまま、欲望のまま、自然に生きればよい。最近中国で寝そべり族(※3)と呼ばれる種族が増加しているようだ。むべなるかな。人間は畢竟、寝そべっていればそれでよい。最近は必要でもないことにエネルギーを使いすぎだ。自分にとって必要なのかどうか、それがハッキリしていれば、あとは人間、ほとんどの時間寝そべっていても何とかなるものだ。
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