幻想文学—無限と美

 『夜長姫と耳男』を読んだ。ライトノベルじゃないかと思った。ヒロインのセリフと云い、主人公の耳男の人物造形と云い、私が中高生の時に読んだライトノベルと似ていた。文学に不案内な私にとって、純文学とライトノベルの違いがどこにあるのかなど、区別する理屈などもたない。読んだ感じ、あれ、これラノベっぽいかもと直感的に判断する。それで終わり。中高と私が過ごした環境は、本といえばライトノベルが主流であった。ライトノベルから始める読書体験。そんなのもありだと思う。
 夜長姫は山奥の長者の娘で大勢の侍女にかしずかれ不自由のない生活をしている。主人公の耳男は師匠の代理として長者の屋敷に招かれ、夜長姫のためにミホトケの像を彫りはじめる。夜長姫は耳男の前で数々の残虐な行為を要求して、それが行われるのを純粋に楽しむ。耳男は夜長姫の翳のない無垢な笑顔に惹かれるが、エスカレートする夜長姫の要求に次第に恐怖し、ついに夜長姫を殺してしまう。可愛さ、幼さ、無垢が残虐性と結びついて、得も言われぬ美をつくりだす。作者の独善的な美のためだけに捧げられた作品は、ライトノベルとほとんど近いところにあるような気がする。
 『桜の森の満開の下』は同じ坂口安吾の幻想文学に属する作品だ。夜長姫と同じように、この作品でも特異なヒロインである『女』が登場する。山賊として通りかかる旅人を襲い生計を立てていた男は、ある日、女の美しさに心奪われ、連れの男を殺して山奥の屋敷に連れて帰る。都から来たという女は、男の恐ろしさなど意に介さず、無理難題を押し付けては男を意のままに操り、わがままな生活を押し通そうとする。男は山の中から出たことはなかった。ゆえに、女が醸す美は、男にとって未知の体験だった。男は自然の人で、当然のように旅人を切り殺し、物品を盗んで、目に見える範囲の山の主として何不自由ない生活をしていた。その男が女を恐れるのである。何のためか。いまだ経験せざる美の戦慄のため?男は次第に女に感化されてゆき、自分の中に芽生えつつある観念に恐怖を覚える。女は都を恋しがり、男は女と一緒に山奥を出て都で生活することになる。
 都での生活も、本質は山奥での生活と同じで、夜中に他人の邸宅に忍び込み盗みを働く。そして、住人の首を切って持ち帰る。彼らの住む家には、何十もの切り落とされた首がコレクションされており、女はその首を使った人形芝居で遊ぶ。「ほれ、ホッペタを食べてやりなさい。ああおいしい。姫君の喉もたべてやりましょう。ハイ、目の玉もかじりましょう。すすってやりましょうね。ハイ、ペロペロ。アラ、おいしいね。もう、たまらないのよ、ねえ、ほら、ウンとかじりついてやれ」エスカレートする女の要求に、男は次第に怖れをなす。「あの女が俺なんだろうか?そして空を無限に直線に飛ぶ鳥が俺自身だったのだろうか?…女を殺すと、俺を殺してしまうのだろうか。俺は何を考えているのだろう?」男は都会の生活にウンザリし、いつしか山へ帰りたい気持ちがわき起こる。
 男は女に別れ話を切り出し、自分は山に帰ると告げる。女は男と一緒にいることを願い、ついてゆくという。男は喜び、女をオンブして昔暮らした山奥の屋敷を目指す。途中、男は桜の森のことを思い出す。彼はそこを通るたび、冷え冷えとした底知れぬ恐怖を感じたのだ。ちょうど桜の盛りの時期だった。男は幸福に恐怖を忘れ、満開の桜の森の下へ足を踏み出す。するとひんやりとした空気が周りを取り囲む。背中の女が冷たくなっていることに気づき、振り向くと、女は醜い鬼に変わっている。男は我を忘れて桜の森の下を駆け抜け、引きずり下ろし組み伏せ、首に手をかけ殺してしまう。しかし、手をかけたものは鬼ではなく、まぎれもない女だった。桜の森の真ん中で男は泣き崩れ、抱き寄せた女は桜の花びらに変わってしまうが、彼自身もいつしか桜の花びらになり失せ、すべてが虚空の中に消えてなくなる。
 夜長姫と同様、桜の森においても、女は酷薄で、男は女を怖れるとともに、そこに美を感じる。女は文明化されていると同時に残酷であり、男は山奥の生まれ(夜長姫において耳男はヒダの出身)であり、あくまで素朴である。女は自らの残虐行為において無垢であるが、それゆえに善悪の判断に縛られない美の境位にあり、男はその涯しのなさを怖れ、女を殺害する。「女の欲望は、いわば常にキリもなく空を直線に飛び続けている鳥のようなものでした。休むひまなく常に直線に飛び続けているのです。その鳥は疲れません。常に爽快に風をきり、スイスイと小気味よく無限に飛び続けているのでした(桜の森)」「『とうとう動かなくなったわ。なんて可愛いのでしょうね。お日さまが、うらやましい。日本中の野でも里でも、こんな風に死ぬ人をみんな見ていらッしゃるのね』それをきいているうちにオレの心が変わった。このヒメを殺さなければ、ちゃちな人間世界はもたないのだとオレは思った(夜長姫)」美=無限。女の欲望が無限に向かって涯しなく広がってゆくのに対して、男の欲望は一つ一つの対象を離れることができない。「けれども彼はただの鳥でした。枝から枝へ飛び廻り、たまに谷を渡るぐらいがせいぜいで、枝にとまってうたたねしている梟にも似ていました(桜の森)」結局、美=無限を殺害することでしか救われないのか。作者にとって、男女の関係の究極にあるものは、破滅でしかありえなかったのかもしれない。


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