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映画:孤狼の血

 『孤狼の血』(柚月裕子原作、白石和彌監督)は暴力団対策法成立前、昭和63年の広島を舞台にしたヤクザ映画だ。大学出で主人公の日岡(松坂桃李)は本部から呉原東署に配属され、マル暴刑事、大上(役所広司)の下で働く。事の発端は呉原金融職員の上早稲が行方不明になったことからはじまる。映画は最初、取調室で大上が上早稲の姉に事情聴取するシーンを映す。大上は上早稲の姉から弟に関する情報を聞き出そうとするが、カメラは上早稲姉の口元や胸元を肉感的にアップで映し、大上は取調室から日岡を追い出し二人だけになる。追い出された日岡は署内の先輩刑事から「取り調べはよぉ、相手を丸裸にしてなんぼじゃけん」と言われる。取り調べが終わり、部屋から出てきた大上は開いたチャックを閉めながら、上早稲姉に「ええ気持ちやった」と告げ、密室での行為を示す。出だしからいきなり警察と取り調べ相手との行為がほのめかされるのである。警察の倫理とは何なのかを、新米刑事日岡の視点を通してガツンと衝撃を受ける。大上の破天荒はつづく。取り調べを終えた大上はパチンコ屋に行き、スロットを回し始める。とがめる日岡に対し、大上は向こう端の台に座っている大男に因縁をつけて来いと挑発する。最初は拒む日岡であったが、臆病者となじられ、腹を立てた彼はその男の頭めがけて手にしていたコーヒーをぶちまける。案の定ヤクザらしいその男にボコボコにされる日岡であったが、男がドスを取り出した時点で大上が割って入り、男から上早稲についての情報を聞き出そうとする。男は呉原金融を支配する加子村組の組員であった。因縁をつけて逮捕をちらつかせるまで、すべて大上が仕組んだ罠だった。

 当時、呉原のヤクザ勢力は尾谷組と五十子会の傘下にある加子村組に割れていた。14年前、尾谷組と五十子会との大規模な抗争があり、尾谷組の組長は逮捕、五十子会幹部・金村は死亡し、痛み分け的に休戦していた。最近また、尾谷組と加子村組との間で緊張が高まっていた。尾谷組と関係のある大上は加子村組に手を出そうとする若頭・一ノ瀬に対し、「加子村を追い込むネタはもうつかんじょる」と云い、突発的な行動に出ないよう諫める。大上は賄賂らしき封筒を日岡の目の前で懐に入れる。ヤクザと警察との癒着が当然のように描かれる。

 上早稲殺害の加子村組関与の物証を掴むべく、大上と日岡は右翼団体代表・瀧井の情報を基に、近辺の連れ込み宿を訪れる。宿の亭主相手に顧客リストの提供を求める大上であったが、「アンタ、広島仁正会にちゃんとスジ通してこんなんしとるんか。警察じゃあ言うて何でもできると思うたら大間違いじゃ」と言われにべもなく断られる。一旦は引き下がる大上であったが、引き返し塀を飛び越え宿の裏手に侵入し、近くにおいてあったポリタンクの灯油をばらまき、雑誌を引き裂きライターで火つけて放火する。火の手を察知した従業員が裏手に駆けつけている間に、大上と日岡は裏口から再び侵入し、監視カメラのビデオテープのありかを探す。「やめてください。こんなこと許されません」否定する日岡に対し、大上は「なんじゃいわれは。ガタガタガタガタぬかしくさって」と云い殴りかかるも、逆に空手を習っていた日岡のカウンターに遭って意識を失う。日岡は一瞬戸惑うも、番台下の棚にビデオテープを発見し大上と一緒に持ち帰る。持ち帰ったテープには確かに加子村組・苗代と連行される上早稲が録画されていた。加子村組関与の証拠を手に入れたと喜ぶ署の一同であったが、日岡は浮かない様子。「祝勝会じゃ」と飲みに誘う大上に対し、日岡は反論する「自分は、やはりまだ釈然としません。放火、窃盗、住居侵入、懲役に換算すれば10年以上くらっても……」

 一方、尾谷組のシマのクラブ梨子は加子村組組員の出入りを許していた。クラブのママ・里佳子にひそかに思いを寄せる尾谷組の組員タカシは、里佳子に対しセクハラまがいの行為をする加子村組・吉田に逆上し、裏道で切りかかるも、逆に返り討ちに遭い殺される事件が発生する。事件を知り、今すぐ加子村組に戦争を仕掛けようとする尾谷組・一ノ瀬に対し、思いとどまるよう説得する大上であったが、一ノ瀬は大上に3日以内に加子村を何とかしなければ実力行使に出ると告げる。 

 日岡には裏の顔があった。日岡は大上の内偵のために本部から送られた監察官であった。大上の数々の犯行の証拠を挙げ直ちに逮捕を要求する日岡であったが、それを聞いた監察官上司の嵯峨は大上の日記を持ってくるように頼む。これ以上証拠が必要なのかと食い下がる日岡に対して、嵯峨は14年前の五十子会幹部・金村殺害について大上の関与を仄めかし、その証拠が必要なのだと説得する。

 大上は里佳子と一計を案じ、加子村組の吉田をホテルにおびよせ、陰部に埋め込んだ真珠を取り出すと脅し、上早稲に関する情報を聞き出す。吉田は、オヤジからの命令で上早稲の首を要求されたことを告げる。上早稲は加子村組の活動資金のために金を強請られ、五十子会が運営するホワイト信金にまで手を出していたのだ。吉田の情報を頼りに大上と日岡は郊外の養豚場に駆けつける。強引な捜査に憤る日岡は大上につめ寄る。「これは捜査とは言えない。拷問までして滅茶苦茶ですよ」「こんなもの正義とは言えません」それに対して大上は応える。「正義じゃ?じゃあ聞くがのう、正義とはなんじゃ?」「極道を法律で縛りつけたところで、なんも変わりゃせんわい。地下に潜って見えるものも見えんようになる。極道がバッチつけて背広着て、カタギと見分けつかなくなるんど」「奴らは生かさず殺さず、飼い殺しにしとくんがわしらの仕事じゃろが」法と正義。その感覚が、揺らぐ。「食われる前に、食うしかなあんじゃなか」極道の世界で綱渡りを続ける大上は、通常の倫理観から離れている。

 大上は養豚業者の息子で、上早稲殺害に関与したとみられる男を拷問し、遺体の隠し場所を聞き出す。一ノ瀬の指定した3日の期限が迫る中、大上含む捜索隊は上早稲の遺体を探し当てるが、署に戻った大上を待ち受けていたのは上早稲捜査からの除外と自宅謹慎処分だった。大上たちが島に捜索しに行っていた間、安芸新聞の記者が署長を訪れ、14年前の金村殺害に関して大上の関与を仄めかしたのだ。大上が謹慎処分を受け、署に閉じ込められている間に3日目の期限が経過してしまい、事態は尾谷組と五十子会・加子村組の抗争に発展する。

 尾谷組組員・永川は一ノ瀬からピストルを渡され、五十子会幹部を襲撃、幹部に重症を負わせる。事態を収めようと五十子会会長のもとを訪れた大上は、会長から条件として、見舞金1000万、尾谷組組長の引退、若頭一ノ瀬の破門を突きつけられる。大上は一ノ瀬に条件を伝えるも、要求は当然はねつけられる。クラブ梨子で日岡が飲んだくれていると大上が現れる。日岡は大上と差し向かいになり、問う。「そがな綱渡り、いつまでつづけるつもりですか」「また遺恨が残って、報復の繰り返しですよ」「自分は大上さんを、正直すごい刑事だと思うとりますよ。思うとりますけども、もうそろそろ引くときじゃありませんか。こんなことしよったら、そのうち大上さんがつぶされますよ。それでもええんですか」大上は応える。「綱渡りしとるちゅうんはわれの言う通りかもしれん」「綱の上にのったら最後、極道の側に傾きすぎても、警察の側にも傾きすぎても、落っこちてしまうけんのう。落ちんようにするには、歩き続けるしかなあ」「のう広大、わしはもう綱の上にのってしもうとるんじゃ。ほんなら落ちんように、落ちて死なんように、前に進むしかないじゃないの」警察上層部にもヤクザとの癒着、腐敗がある。ほんのちょっとしたバランスの上に、大上とヤクザの生きる世界はのっかっている。警察の側に傾いても、極道の側に傾いても、そのバランスが崩れてしまうことへの透徹したまなざしが大上にはある。警察の「正義」に染まらず、人々の生きる生の現実に根差し生きる強さが大上を突き動かす。その後、大上は日岡と会った夜から姿をくらます。

 加子村組は上早稲殺害の件で警察の捜査が入り、組長及び若頭が逮捕される。大上の消息不明が五十子会による指金と疑う日岡は右翼・瀧井や県警の嵯峨を頼るが相手にされない。日岡は里佳子のもとを訪れる。里佳子は日岡が探していた大上のノートを手渡す。そこに記されていたのは警察上層部の不祥事であった。日岡は気づく。県警が大上のノートを欲しがっていたのは自分たちの不祥事をもみ消すためであったと。「なんか、バカバカしくなって」「結局みんな、保身の事しか考えとらんのですね」そして、里佳子から14年前の金村殺害は里佳子によるもので大上が里佳子をかばうために内々に処理していたことを知る。大上のノートの最後のページには日岡について記載があった。日岡は自分が県警の内偵であることを大上が知っていた事実を知る。

 大上は後日、水死体となって発見される。大上の胃の中に豚の糞が詰め込まれていたことを知った日岡は、養豚場に駆けつける。大上のジッポを見つけた日岡は、怒りに駆られ養豚場の息子を殴りつけ半殺しにする。自宅のアパートで目を醒ました日岡は大上の内偵を書きつけていた日記を開く。そこには黒塗りとともに、大上の手による注釈が書き加えられていた。「監察官失格じゃ!」「もうちょいマシかと思っとったわ」「ほんまに広大出とるんか」「人として・・・・おまえは勉強不足なんや」「ようやったのう、ほめちゃるわ」

 日岡は一計を案じ、警察幹部が出席する「広島やっちゃれ会」で暗黙裡に一ノ瀬に五十子会会長を殺させ、身代わりの若い衆を逮捕すると見せかけ、一ノ瀬本人を逮捕する。大上の墓を訪れた日岡は薬局の娘に出くわす。ポケットから煙草を取り出した日岡は、娘から「たばこ、吸っとったん?」と聞かれ、「おお、吸っとったわ」と答える。日岡は大上が所持していたジッポでハイライトに火をつける。まるで大上の生き写しのように。

 広島の街並み、そこに生きる人々の生活が、生々しく映し出されるこの映画は、見るものに正義とは何か、倫理とは何かを強烈に問いかける。私たちが生きる世界は、本当は危ういバランスの上に立っていて、正義の側に振り切れても、悪の側に振り切れても、碌なことにはならない。そもそも正義自体が、汚職まみれの嘘っぱちでもはや信用に足るものではない。現在の状況を鑑みると、そのことは当てはまる。そして暴力団を追い払った後に残ったものは、何か。生きやすい社会になったのか。正しさが行われているのか。安心安全で空虚になった世界の中で、今一度、守らなければならない倫理とは何か、問い直しが求められる。

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