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娘さんたち気をつけな、コーヒーの飲み過ぎにゃ

香ばしい香り薫れば、ほろ苦い恋にも似ていて。

大好きなサニーデイ・サービスを流しながら、いつか神戸の丘から見た街の光みたいな、キラキラのネイルを塗り終わった。キラキラの神戸の光を5本指に飼っているので、最強だが? という気分で、コミュニティを卒業するときに後輩たちがくれたプリザーブドフラワーの隣にかけられ、色彩で負けすぎたカレンダーに一瞥をくれる。毎日使うならシンプルが一番だと、祖父はよく言っていたっけ。明日は、連休最後の日だ。

朝、7時に起きよう。私の部屋は大きな出窓付きで、毎朝、薄いキャメルのカーテンに濾されたような早起きの光が眩く差し込んで、耳元でもう起きる時間だよ、と告げてくれる。眠いまぶたを擦ったら、軽くストレッチして洗濯物を片付けてシャワーを浴びて、読みかけの円城塔を今日こそ読破しよう。今日というか、今日的な明日だけど。

道端に咲くチューリップを見ては、「3密…」なんて思ってしまうようになった。居酒屋で他愛もない話をしながらつつくチャンジャも明らかに価格設定のバグった純喫茶のナポリタンも、遥か昔の記憶としか思い出せなくなって、久しい。
世間が外出自粛のムードに包まれてからというもの、人に会わなくて良くなったから心は比較的元気だ。けれど、腐ってしまいたくはない。生活リズムを整えて、1日にやることをリストアップしなくては。そんなわけで、私の5月6日は、最高のスタートを切る、はずだった。

──地震です、地震です!

早起きするために日付が回るまでに眠りに落ちていた私は、耳元で鳴り響く甲高すぎるサイレンによって、いきなり現実に引きずり戻された。音やら光やら外界の刺激に敏感なのにこんな高い音で起こされた上に、人類の叡智を結集させたところで到底太刀打ちできないような揺れを体感させられて、心臓はドキドキバックバク。しっかり目が冴えてしまって、文字通り頭を抱えた。

眠りに落ちるには時間がかかるのに、飛び起きちゃえば一瞬だなんて、なんとダイエットと構造が似ていることよ……。
完全に、目が冴えてしまった。このままじゃ、「元に戻るのは一瞬」という命題について考え始めて「愛と信頼について」とかいうエッセーを書きはじめかねない。自分との付き合いも20年を超えたところで、私は私の気持ち悪さに絶大な信頼を置くことにしている。し、それは大抵の場合間違っていない。

自分がヤバくなりそうな予感を察知したら、寝ようとする努力は無駄だ。既に思考の世界へ片足突っ込んでしまった時点で、窓の外を走る車の音にも木々を揺らす風の音にも、普段の数倍敏感になってしまっているし、副交感神経はおしまいになってしまっているのだからして。
それにしても夜中の2時に風が運んでくる春の匂いで、情緒がすごいことになる。外出することもできないこのご時世に春、芽吹かないでくれ。

ここで、盛大なため息。

ハッとする、幸せが逃げる。しかし幸せが逃げてしまうというとき、幸せをどう定義するのか、それを明らかにしないままため息だけを怖がるなんて、ため息がかわいそうなんじゃない?

やれやれ、夜中のベッドなんて、取りとめのありすぎる考えごとの温床でしかない。憩いのリビングへ逃げ出して、人をダメにしない、申し訳程度にふかふかのソファーに腰掛けた。この時間にテレビをつけても愉快な通販番組しかやっていない。1人で観るのもまた一興だろうけど、あまり気が進まなかったので、聴き逃していたオールナイトニッポンを流すことにする。
聴き慣れたトランペットのテーマに乗せ、パーソナリティが喋りだす。表情が見えないのに、きっと笑顔なんだろうことが伝わるからラジオをよむ人はすごい。

昔、コーヒー屋さんでアルバイトしていたときに、あなた女性にしてはハスキーだから気持ち高めに喋るといいわよと店長に言われた秋の夕方を思い出す。なんでも女性は、実音でソくらいの高さで喋るとモテるらしい。
耳に心地いいから、なんてどこかで読んだことがあるけれど、喋るときも歌うときも考えごとにふけるときもデフォでこの低さだった私にしてみれば、実音でソの音で喋るなんて、砂漠でコーヒー飲まずにクッキーを食べ続けるくらい苦痛だ。もしくは、バターが多くてより水分が欲しくなるビスケットでもいい、知らんけど。

そんなことを考えていたら、やはりコーヒーが飲みたくなった。
私、寝る気あんの?

大学受験のときに気付いてしまったのだけど、寝なければ勉強ができる。そもそも過眠症の気質があるので、白米を食べるのをやめ、固形物も、なるべく口にしないようにした。今思えば狂っているけれど勉強が本当に楽しくて、ご飯を食べたいという気持ちもそこまで沸かなかったから辛くなかった。それでも3食の時間はきっちりやってくるし、食べ始めたら幸せだ。(もっとも、ほぼスープしか摂取していなかったから、飲み始めたら、と言った方が正しいのだけれど。)
3食ありがたーく、それはそれは美味しく頂いていたのだけれど、雀の涙ほどの量に抑えたとて、私は眠かった。眠気が物理だったら、今、眠れずにオールナイトニッポンのジングルを聴き、自分の声の低さを省みている私に分けてあげたいくらい眠かった。きっと、1眠気10円くらいならお金を出すことすら厭わない。知らんけど。

そんなこんなで受験生の私は、ブラックコーヒーに手を染めた。

ここだけの話だけど、中学高校と、味のついていないものにお金を払うのは不経済だという持論を唱えて一切ミネラルウォーターを買わない、アフリカの角とタメ張れるレベルの尖り方をしていた時期があった。その時は烏龍茶やジャスミン茶、ルイボスティーなど香りのついた飲み物に凝っていて、今思えば、香りの延長線上に味があるような飲み物を好きになる素質があったみたいだ。飲み物を飲む時私は、香りを飲んでいるのだろうか。

引き出しを開け、インスタントコーヒーから100グラム数千円する豆まで幅広いラインナップをそろえる「私のゾーン」から、豆を物色する。コーヒーメーカーは持っていないから、マグカップとドリッパーを用意するけど、このドリッパー、早起きした自分のために洗ったんだよなあ。いそいそ、鼻歌なんか歌っちゃったりして……。いや、悲しい気持ちになっちゃいそう。眠れないことを考えるの、やめよう。寝れないということを考えたところで、私は寝れるわけじゃないのだし。

あれ、そういえば……?

日付を見たら、明日だ! ていうか今日!
新しく加入したコーヒーのサブスクリプションから、豆が送られてくる。

期待に膨らむ私の心を描写するかのように、キャメル色のカーテンは既に暁の光を濾し、部屋に朝の気配を届け始めていた。

朝に聞きたいのは、やっぱりサニーデイ・サービスだ。軽快なメジャー調で歌う愛に想いを馳せれば、コーヒーの香りが鼻先を撫でる。

朝の光も昼の散歩も夜の考えごとも、コーヒーといっしょじゃない瞬間がもはや考えられない。こうなってくると眠れないこともどうでも良くなってきて、カーテン越しの早起きな光に目を細めた。受験期にコーヒーを飲みすぎたせいで、もはやコーヒーが私の眠気に作用することはもうない、ということは経験則からわかっている。眠るスイッチが入るまでこうしているしかないのだ、そう思えば携帯から流れる音楽は既にアウトロに入っていた。

ああ私は本当に、コーヒーを心から愛している。

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