100万くらいなら貸すから、そんな会社とっとと辞めてしまえ
大人になってこういうことを聞かれることもまぁないと思うし、それ聞く意味って何? と思うけれど、それでももし「1番仲の良い友達って誰?」と聞かれたら、私は迷わず「山瀬(仮名)です」と答える。山瀬は私の高校時代からの友人で、付き合いはかれこれ17年になる。
高校時代の山瀬は「美少女」という言葉が似合う女の子だった。こんな透明感のある子が、こんな田舎にいたとは……と、本人には言ったことはないが、そう思ったのを覚えている。もうしばらく開いていないが高校の卒業アルバムには、入学説明会時の、中学の制服を着た山瀬が載っており、こいつは紙でも透明感を放つのかと思ったのも覚えている。
そんな山瀬、可愛いだけでなく、高校3年間で愚痴もほとんど言わなかった。聞いた記憶がない。ひたすら私の愚痴やら何やらの聞き役に徹してくれていた。それでも別々の大学に進学し、当時1人暮らしをしていた私の家に初めて遊びに来た時、「同じ必修クラスになった女がクッッッッッソうざい奴で!!!」と透明感の薄れた顔で吐き出し始めたことに、私は衝撃を受けた。よくよく聞くと「高校時代は八方美人を演じてた」と言う。そんなものを3年間も演じていた彼女を、私はすごいと思った。
就職で私が地元に戻ってからは、ほぼ毎日遊びまわっていた。仕事終わりは地元の栄えている場所まで車で来てくれ、帰りは私の家まで送り届けてくれた。休日は、どちらかがどちらかの家まで迎えに行って、帰りは送っていた。普通にご飯に行ったり、カラオケに行ったり、バッティングセンターに行ったり。健全な遊びしかしない私たちは帰宅時間も健全で、遅くなっても22時には帰宅していたように思う。
山瀬が結婚したり、私も転職で地元を離れたりと、その時ほど頻繁に会うことはなくなったが、それでも2~3ヵ月に1回は会ってお互いの溜まっているものを吐き出している。
大人になると、異性云々に関わらず出会いの数は減っていく。学生時代の友人も「合わないな」と思った人とはどんどん連絡を取らなくなって疎遠になるし、会社で出会った人も、例え働いている時は仲が良かったとしても、退職を機に疎遠になることは珍しくない。疎遠にならないようにするためには、お互いにそうならないようにする努力のようなものが必要だと思う。
しかし、そんな中、15歳で出会って、32歳の今までそこまで努力をすることもなく、疎遠にならずにいる。卒業、就職、転職、結婚(私はまだだが)など、たくさんの転機はあったが、なんとなく「山瀬とは一生付き合うんだろうな」という直感があった。そして、「親友」という言葉を使うのは少し恥ずかしいけれども、もし「親友っている?」と聞かれても、私は迷わず山瀬と答える。山瀬も、きっと私だと答える。
疎遠になってしまった友人もいるし、疎遠になりたくてなった友人もいる。今私の周りにいる友人は、私が居心地良く感じていて、疎遠になりたくないと思っている人たちばかりだ。山瀬に対しても、漏れなく同じように思っているが、他の人に比べて私は彼女に恩を感じている(もちろん他の友人たちにも恩は感じているし、感謝もしている)。
山瀬は、私のことを本当に自分事のように考えてくれる人なのだ。
それを最初に感じたのは、高校3年生の受験シーズンだ。
山瀬は推薦で先に進学先を決めており、私は成績も良くなかったので必死に勉強していた。いつも山瀬と過ごしていた休み時間も、ひたすら英単語帳と睨み合っていた。するとそれを見た山瀬が「テスト作ったろか?」と言ってきた。
翌日から山瀬の手書きテストが始まった。毎日毎日手書きでテストを作ってきてくれ、答え合わせもしてくれ、休み時間のたびに単語を覚えるのにも付き合ってくれていた。そのおかげもあって、暗記が壊滅的に苦手だった私も大量の英単語を覚えることができたし、無事に第1志望の大学にも合格した。もちろん私が頑張ったからというのはあるが、山瀬の協力なしでは正直厳しかったと今になっても思う。山瀬が作ってくれたそのテストの山は、今も実家の机に保管している。
そして数ヵ月前、やっぱり山瀬が好きだなと思ったことがあった。
11月下旬、私は適応障害という診断をされた。
原因は職場環境なのだが、夏頃から症状は出ていて、限界が近づいてきたタイミングで病院へ行った。
その2週間後、もともと約束していた山瀬と出かけた。山瀬には病院へ行ったことや適応障害と診断されたことは言っていなかった。その時、山瀬も少し忙しそうにしていたし、わざわざ連絡しなくてもまた会う時に話せばいいやと思っていた。
少しうろうろして、お昼を食べるタイミングで、適応障害になったことを打ち明けた。余計な心配をさせてしまうだろうな、と思いながら話し終えた私に、山瀬は「100万くらいやったらすぐに貸すから、そんな会社さっさと辞めて欲しい」と怒りをにじませながら言った。お金がネックなんやったら、と付け加えながら。
「いや、大丈夫、ありがとう」と返したが、内心すごく驚いた。一通り話を聞いた直後に出てきた言葉が「100万ならすぐに貸せる」だったからだ。そんなに人にすぐ貸せるお金があるのか、という驚きではなく、躊躇なく「貸す」と私に言ったことに対して驚いた。ラーメンを食べながら、私は泣きそうになった。
もし、私が誰かに同じ話を打ち明けられた時、同じように「お金の心配だけで辞められないのなら、貸すからすぐに辞めて」と言えるだろうか。いや、言えない。実際に、仕事がしんどいだとか、そういう相談を何度か受けたことはあるが、自分のお金を貸す、ということは言えなかった。言えたのは「生活の責任は負ってあげられないから、お金の問題はあるけどね……難しいよね……」ということだけで、そこに関しては、ぬるっとしたことしか言えなかった。
お金を貸すということは、物の貸し借りの中で1番難易度が高いのではないだろうか。返ってこなかった場合に、信頼関係を1番崩してしまうものだと思うからだ。私もよく人に本や漫画を貸すことがあるのだが、長期間返ってこないと不安になるし、やっぱり信頼も少し減ってしまう気がする。だから、よっぽどでない限り貸さないようにしている。
しかし、貸し借り界において難易度最高位のお金を、私に貸してくれるという。実際お金は借りなかったし、今後も借りるつもりもないが、山瀬は私のことを「すぐにお金を貸せるくらいに信用している」ということがよくわかって、不謹慎かもしれないが、少し嬉しくなった。そして、沈んでいた気持ちも少しだけ軽くなった。
そして考えてみた。もし山瀬が私に、今回の私と同じことを言ってきたら、私はどうしていただろう。「職場が原因で、適応障害になってしまった」と打ち明けてきたら、私は何と言うだろう。
私もきっと、「すぐに辞めろ。旦那の金で足りんのやったら、私も出す」と、大した稼ぎでもないくせに言っただろう。やっぱり、私にとって山瀬は友人たちの中でも少し違うみたいだ。
思い出したが、山瀬に本や漫画を貸しても、1年以上返ってこないことは結構あった。一昨年貸した3冊の文庫本は、適応障害を打ち明けた日に「これ……長い間ごめん……」と、おずおず差し出してきた。しかも、貸した時に本を入れていた小さいバッグも、本を入れた状態でお茶か何だかをこぼして汚してしまったらしく、メルカリと古本屋を駆使して買い直したらしい。早く読んで早く返してたらこんなことにならんかったのになぁ、と思いつつ、ちゃんと買い直して返してくるあたりが山瀬らしいなと思って笑った。そして、普段なら信頼を落としてしまうことをされても何とも思わないあたり、山瀬は私の中で、もう別次元にいるのかもしれないと思った。
その瞬間、家族以外で見返りなく信頼できる人がいるということが幸せなことだと思ったし、山瀬の存在がとても有り難く思えた。
山瀬が困った時は私も全力で助けたいし、いろんなことがあるけれど、山瀬には幸せに生きてほしい。
5年前の彼女の結婚式のスピーチでは、大学受験を支えてくれたことを話した。もし今後何か山瀬について話す機会があれば、今回のことも付け加えて話したい。でも、これから先、山瀬に関するエピソードはどんどん増えていくだろう。いずれにせよ、山瀬はとても良い奴で、私の自慢の友人であることを、しっかりと伝えたい。
私の結婚式のスピーチは、山瀬にお願いすると決めている。
だがしかし、問題なのは、その結婚式の予定はともかく、挙げられるような相手も見つけられていないことだ。
急がねば。
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