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疲れきった私をリセットさせてくれるのは

田舎育ちで都会の生活に憧れを抱く人は、少なくないと思う。
私もそのうちの1人で、田舎で生まれ育ち、大学進学のタイミングで田舎を出て一人暮らしを始めて、都会で暮らしたいと思っていた。そしてそれは現実となった。

田舎の何が嫌だって、挙げ始めるとキリがない。
まず、コミュニティの狭さが嫌だ。狭いがゆえに、噂話はあっという間に広がる。誰が学校で問題を起こしただの、誰がいじめられているらしいだの、あそこの塾には行かない方がいいだの、誰が受験に失敗しただの、良い噂も悪い噂も、それが本当の話か否かというのは横に置いておいて、瞬く間に誰もが知っている話となってゆく。

虫も多いから、夏になると車に乗るだけでも一苦労だ。ドアを開けると大量の虫が一緒に同乗してくる。蛙やコオロギのような昆虫にはさほど抵抗はないのだが、夏の庭に大量発生したり、夜の蛍光灯に無数に群がる類の小さな虫は本当に嫌いだ。

そして何より、車以外の交通手段がなさすぎる。バスは一応通っているものの、本数が少なすぎて乗ったことがない。1時間に1本通っているかいないかだ。電車の最寄り駅は、成人男性で徒歩50分かかる。自転車だと15分くらいなのだが、それは信号が少ないからというのが理由だ。坂のアップダウンも非常に激しく、高校時代でも苦痛に感じた。というか、徒歩50分はもはや「最寄り駅」とは言えないだろう。

大学時代に田舎は脱出したものの、そこまで都会と呼べる場所には住んでいなかった。でもバスが1時間に何本も通るという点では、地元よりはるかに都会に住んでいたと言える。そして今は社会人になり、関西の中でもかなり大きな駅から徒歩7分の場所に住んでいる。交通の便で、不都合を感じたことは一切ない。

現在の会社に勤めて5年半が経過したが、ここ1年でハードワークに拍車がかかってきた。部署の異動や立場が変わったことが大きく関係していると思うが、ハードワークが続きすぎると、心身共に疲弊していくスピードがどんどん速くなっていくことを実感しているところである。会社の廊下を歩いていると同僚に「顔が死んでる」と言われることも多くなったし、実際に会社のトイレや帰宅して手を洗っている時に、鏡に映った自分の顔を見ると「ブスな顔してんなー」と思う。もともとブスかどうかは置いといて、とにかく、確かに目は死んでいる。

そんなタイミングでゴールデンウィークがやってきた。仕事で疲弊していた私は、とにかく「実家に帰りたい」と思った。そして「とにかくダラダラして仕事の一切を忘れたい」と。

ゴールデンウィーク初日、早起きをして実家に帰った。あんなに大嫌いだった田舎にある実家なのに、とにかく早く都会から逃げ出して帰りたかった。学生時代の私が今の私を見たらビックリするだろう。最寄り駅からは、やはり自力で帰るには遠いので、親に迎えに来てもらった。

帰宅して荷物を下ろし、少し散歩に行くことにした。というのも、実家にいるといつも食べすぎてしまい、その上、身の回りの世話は母がやってくれるため家事の一切を放り投げ、リビングのソファを定位置とし、ほとんど動かない。そうすると、当たり前だが信じられないくらい体重が増えてしまう。無駄な抵抗かもしれないが、少しでも身体を動かして、食べすぎた際のカロリー摂取をマシにできれば、と思ったのだ。

父や甥と散歩に出かけることもあれば、1人で行くこともあった。ぽかぽかしているお昼すぎに行くこともあったし、少し涼しくなる夕方に行くこともあった。散歩して思ったのは「空が広いな」ということだった。

田舎に住んでいるときは、空が広いことなんて当たり前だった。空、田んぼ、畑、山、川、池。徒歩圏内で行けるコンビニも、スーパーもない。かろうじて、自動販売機はあるが、それ以外には物を買える場所は、車を使わないと行けない。約2㎞先にある母校の小学校も、望遠鏡などを使わなくてもはっきり見える。視覚的に障害物となる高い建物は、周辺にまったくないのだ。それゆえ、空がとても広い。

「田舎は空が広い」と誰かが言っているのを聞いたことがあるし、よく言われる言葉でもあると思う。しかし田舎を出て何年も経っているが、そのことをあまり実感したことがなかった。都会でも、高層ビルやマンションに囲まれている場所でなければ、結構空は広いものだ。私が今住んでいる部屋も、目の前に高い建物はないので、見晴らしは結構良い。天気の良い日は青空も広く見えるし、夜に星空も見える。「都会だから空が狭い」と感じたことは、正直ほとんどない。

でも、今回田舎へ帰省し、初めて思った。
確かに田舎の空は広い、と。

都会の空も、確かに広いところはあるはずなのに、何が違うのだろうか。ゴールデンウィークの滞在期間中、考えた。そして私の中で出た結論は「物理的な空の広さ以外の要素が大きく関係している」ということだ。具体的には「空、田んぼ、畑、山、川、池」のような、自然である。これらの自然の色が空の広さを際立てていて、空気も澄んだように感じられて(実際に、確実に都会の空気よりは澄んでいて綺麗だと思うが)、空以外の要素も相まって、都会で見る空よりも綺麗に、広く感じられるのではと思うのだ。

しかし、夜になるとそれらの要素の色がなくなる。山の緑もなくなるし、畑の茶色もなくなる。空をコントラストで魅せる色がなくなり、一面が真っ暗になる。田舎なので、道路を照らす明かりもまばらだ。家の明かりもなくはないが、だいたいの家は雨戸を閉めているので、それもほとんどない。あるのは、広い夜空にある、大量の星だけだ。

ああ、綺麗だなぁと、ありきたりで語彙力の欠片もない感想だが、星がいっぱいの夜空を見た私は、そう思った。思い返せば、都会で良い天気の日に空を見て「綺麗な青空だな」と思ったことはあるものの、夜空をみて「綺麗だな」という感想を持ったことはなかった。例えそれが、星でいっぱいだったとしても、私が田舎で見ている星の数には、きっと敵わないだろう。田舎の星空は、昼間に感じた空の広さよりも、さらに広く感じさせられる。

日常で疲弊しきっていた心も、田舎の自然を肌で感じて徐々に回復していった。青や緑や茶色のはっきりしたコントラストを毎日見ていると、それだけで心が満たされるような気がした。

それでも、満天の星空は格別だった。周りにあった色が黒に染められてなくなり、空の面積がより広くなったように感じられる。そこにあるのは無数の星だけだ。上を向いて視界をすべて星空で覆いつくすだけで、何も考えなくてもいいような気持ちになれたし、心がどんどん洗われていくような気持ちにもなった。それと同時に、あんなに早く脱出したいと思っていた、嫌いなこの場所で癒されるときがくるなんて思いもせず、驚いている自分もいた。

ゴールデンウィークが終わり、仕方なく私は日常に戻った。まだ1ヵ月も経っていないのに、もうゴールデンウィーク前の疲弊した状態に戻っているし、なんならそれ以上に悪化もしている気もする。

ああ、早く田舎に戻って空を眺めたい。

高校時代の私が聞くと、やっぱり驚くかもしれない。でも、当時の私がこの感情を心の底から実感するにはまだまだ早すぎる。

私も成長したし、ちゃんと働いているんだろうなぁ。だから田舎の自然がこんなにも沁みるのだろうなぁ。
嫌いだった田舎の夜空を見て、そう思うのだった。


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