見出し画像

復職せずに退職すると決めるまでの日々のこと~真面目人間のご自愛日記~【SEICHOTSU magazine】

SEICHOTSU magazineの記事を更新しました!

適応障害なのかな? と思い始めたのが2023年7~8月頃。
適応障害だと診断をされたのが11月下旬。
そこから人事がなかなか動いてくれず、なんだかんだで結局休職することになったのが12月中旬。
そして2024年2月、復職はせずに退職することにしました。

文字にしてみると、特に診断が下されてからは3ヵ月ほどのことで、客観的に考えてみるとあっという間の時間だったなと思うのですが、渦中だった時は決してそうではなく、何がどうなれば症状が治ったという診断がもらえるのだろうと考えることが多かったです。決して無理して医師の前で取り繕って早々に仕事復帰しようとは考えていなかったのですが、これ! といった、はっきりした基準がない疾患なので、出口がどこなのか、出口が見つかるまでにどれくらい時間がかかるのかなど、不安に感じることが多かったです。

そもそも休職する気はなくて、働くペースを少し落とさせてほしいと会社に打診するために精神内科で診断書をもらったところが半分だったのですが、産業医との面談時に「休職一択」と言われ、またその理由にも納得し、休職することにしました。
実際休んでみての感想は、「休職して良かった」の一言に尽きます。もう会うこともお話することもないけれど、あの時私に「休職しなさい」と説得してくれた産業医の先生には、本当に感謝しています。

休職したての頃から年始にかけては、家でただ寝転ぶだけの日や、実家から自宅に戻った日はひたすら泣いたりもしていたのですが、そこから友人たちの助けを借りて、どんどん元気になりました。元気になったと自覚してやっと、休職前の自分は正常じゃなかったのだなと確信することもできました。

今後は、一旦実家に戻り、自分のやりたいことに向けて考えたり、行動したりする時間にしたいと思っています。甥が増えるので、当分の間は肩書きを「ベビーシッター」にしようかとも。地元はどちらかというと嫌いなので、家を出た時から戻るつもりはなかったのですが、なぜか今はワクワクしています。

復職せずに退職という選択をしたこと。
会社の人からは、症状が悪化したからとか、症状が良くならないから、という理由で私が退職を選んだと思っていた人もいて、その人たちには申し訳ない気持ちと共に、むしろめちゃくちゃ元気になったから辞めるんです、ということを伝えました。ものすごく、前向きな退職です。

人によってはこれを「逃げた」と思う人もいるかもしれないけれど、私に合わない場所から、私に合う場所にステージを変えただけなので、そんなこと言われても気にしないことにします。私の人生ですからね。

この記事に辿り着いてくださった、現在休職中で今後どうしようか考えている方や、似たような立場に親しい人がいる方などの、支えなのか何なのかわからないですが、そんな記事になっていればいいなと思います。

ぜひお読みください!

●産業医の先生が教えてくれたことを書いた記事はこちら↓

●「逃げる」について考えた記事はこちら↓


●多様な生き方とあなた自身の魅力に出会える場所『SEICHOTSU magazine』

●SEICHOTSU magazine のX

https://twitter.com/seichotsumag

●川端個人のX

https://twitter.com/_kawabata__

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?