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アリバイ工作の大学生活で

大学で授業をしていると、やはり講義も聴かずに寝ている学生はいます。今も昔も変わらずいます。大教室で数百人を相手に講義する場合、これはもう仕方ないことだと思ってそっと放置しています。

おしゃべりをする学生には注意しますが、眠っている学生については、イビキでもかかないかぎりは周りの学生に迷惑を掛けることはないので、あとのことは自己責任で対処して下さいというのが私のスタンスです。

さて、現在の大学生の親世代の多くは昭和生まれで80年代の終わり頃から90年代の初め頃に社会人になった人々ですが、その世代はしばしば間違ったアドバイスをしてしまいます。

典型的なアドバイスとして「大学は遊ぶところだ、勉強なんてしなくていいから大いに遊んで社会勉強をしろ」ってやつです。学生に話を聴くと「親やアルバイト先の上司にそのように言われました」と話してくれます。

私は「絶対に鵜呑みにしてはダメだぞ、遊ぶことは大切なことだけど、大学に籍をおいているのであれば学問の追究もしなさい。それがのちのち幸せになる用件だから」と口酸っぱく伝えます。

なぜなら、80~90年初頭までの高等教育への進学率と現代の進学率とは全く違います。例えば1980年頃は約50%でした。現在では約84%です。さらに、大学進学率に限っていうのであれば1980年は約11%でしたが現在では約55%です。(※高等教育への進学→大学+短大+高専+専門学校への進学)

それだけではなく、それ以前の進学率はもっと低かったので、企業においては中卒や高卒から働き始めた叩き上げの管理職も多く、大卒者は(たとえ勉強をしていなくても)希少な存在として大切にされたのです。

そんな親世代が青春を謳歌した時代、学生は勉強せずに「社会勉強」という言い訳をしてウェイウェイと遊んでいても良かったのですが、現代企業における多くの上司は高等教育を受けた後に就職した人となっています。もはや大学全入時代といわれる現在の大学生に希少性はありません。となると、大学時代の4年間に大学生として何をやっているのかが大切なのです。

閑話休題
ただ恋するだけでいいですか。ただ呼吸をする人生でいいですか。そしてそのまま死んでいくだけでいいですか。「大学生の4年間、私は遊んではなかったことを証明する」というアリバイ工作のために授業に出席し、その間ひたすら眠り続けることで満足ですか。

4年間、何かひとつでも必死に学んでみてはいかがでしょうか。本来大学で学ぶ「教養」は英語で“Liberal arts“といいます。つまり教養とは「自由になるための術」なのです。大学で学ぶ4年間は、不自由な人生から脱出するための時間なのです。

「迷わず行けよ、行けば分かるさ」

Abril Lavigne と アントニオ猪木
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