見出し画像

だらだら映画レビュー【華麗なるギャツビー】

これは少し遡り、5月2日に書いていた記事です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

夜 夢を見ました。

夢の中でいた所は、タイムトリップしたような、まるで昔の時代のニューヨーク(行ったことないけど)を連想させる場所でした。

時々自分の意思と共に、夢の内容を進み見れたりすることが出来るのですが

昨晩もそれが可能で、一旦目が覚めた後も「続きが見たい」と強く思い、再び夢の中に戻って、続きを見ることが出来た。

その時代を生きてないのにタイムトリップしたかのように感じるのは、映画や本などからの情報が整理されて(いなくても)脳の中でそういうイメージが残り、待機している場所があって、そこから繋がったものがその時その時で出て来るからではないかと思っているのですが、

ある写真を見て懐かしく思ったり、ある音楽を聴いて何か前から知っているように感じることってたまにないだろうか。

普段から不思議な夢を沢山見るのですが、昨晩観た夢の場所は、実は前にも夢の中で「行ったことがある」「居たことがある」場所のひとつで、色んな国の色んな時を行き来しているように感じることがあります。あ、ここ、前にも寝てる時に来たな、このレストラン…あそこと同じ街だ…っていうのが、なぜだか分かりませんがあります。

眠っている時にパラレルワールドに行っているという説や、前世の記憶にアクセスしている説など、実際に興味深い説は様々ありますよね。

夢の中の内容は、一度見ただけで何年経過してもハッキリと覚えているものもあれば、思い出そうとすればする程、比例して遠のいていき、全く記憶に残らないものもあります。(ちなみに夢の中で銃で撃たれ死に、自分の遺体がどこに安置されたかご丁寧にマップで位置情報まで出て来た夢を見た事が今までで最もリアルで衝撃的な夢でした。日本人として家族も同じでしたが、日本がテロのような状況に置かれており、なんと外国のジャーナリスト達までいた……※夢です。夢系の話はまた今度書こうと思います。)

昨晩の夢は、内容的にはそれ程深いものは無いように感じた。だけどひとつ、今までと全く違かったのは、「この夢からのメッセージを受け取るには〝華麗なるギャツビー〟を観れば分かる」という的確なメッセージが降りてきたこと。直感で、です。もう夢ノートに出てきたキーワードをメモなんてしなくていいから、ただ、華麗なるギャツビーを観よ、といったようなハイヤーセルフからの直感的なものでした。

華麗なるギャツビー?あーあのディカプリオの映画… よく分からないけど、観れたら観るわ… という感じで、その降りて来たメッセージを一応受け取り、頭の片隅に入れたまま、起床後を過ごしていました。

夢の中の場所が瞬時に昔のニューヨークのような場所という直感が単純に、私の中にあった「華麗なるギャツビーのイメージ」に結びついたからだとは思うんですが、私この映画一度も観たことがなかったんです。ただ知っていたのは、この映画の広告か何かを以前見た時に、ヒロインの女の人(デイジー/主役のディカプリオが愛する女性)↓ 

画像1

のオーラが「ギャングの紛争的な、金銭的にギラギラしたイメージ」 で、「この女の人悲しそう。ギャングの女になって人生棒に振ったのかな」 なんていう、勝手なイメージだけ持ったまま、そのイメージからあまり観たい衝撃には駆られず、一度も観ることがありませんでした。

調べると1920年辺りの時代の物語なんですね。ニューヨーク郊外に住んでいる主人公の。

ふぅん…… なんかギラギラしててヤダな…(おそらくギャツビーの頭文字Gのあたりで既にGIRAGIRA(ギラギラ)となっているわたしの単純な脳も否定出来ない)でもディカプリオはカッコいい。渋いな。金、金、殺し、そして女、みたいなやつはヤダよ?   そんなん観るなら是枝監督の映画でホッコリしたいわ。と思いながらAmazon prime videoでチェックするとギャツビーはレンタル/購入しないと観れない。

うん、無いから、やっぱいいや。

物事がすんなりと進む時、わたしは正しいタイミングで波にのれていると捉えるタイプなので、逆に観たい作品がすぐ観れなかったりする時は、今じゃないんだな、と切り替えたりする。


じゃあまた今度でいいや。ねっ?


そう思ったんですよ。


でも、買い物から戻る時に、ここで左折しようとなった場所で、ふと目に飛び込んで来たお店。こんなとこにお店あったっけ?と思って名前を見たら「LANA」という名前。


LANA•••? 

端折ると、華麗なるギャツビーのテーマソングを歌っている歌手がラナ・デル・レイ(Lana Del Ray)という女性なんですね。

https://youtu.be/o_1aF54DO60

言わずもがな、来たよ〜 観なさい系のサインの流れ・・・と解釈するわたしの脳みそ。LANAが目に入って来ることはなかなかないな…そもそも5年間くらいラナ・デル・レイのこと忘れてたのに。

このレアさに押され、

なにかこう、ハイヤーセルフからのメッセージが、どうしてもこの映画を観る方向に繋がり、どうしても何かを訴えかけているように感じたのです。

わたしは決意しました。夢から的確に降りて来た「華麗なるギャツビー」という名詞、そして目に入って来たLANAの文字の偶然からのソワソワするようなメッセージを聞き入れることにしました。そして、レンタルし、遂に観たのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


感想。

※ネタバレを含むので、ネタバレが嫌な方はこのまま戻るボタンで戻って下さいね。

1. ディカプリオの成功した男の役はとにかく渋い、カッコいい。

2. トビーマグワイアの役の立ち位置、立ち回り方、そして人間性がとても好きだった。主役の周りに置く脇役達のキャラクター設定にだれひとり印象に残らない人がいない、登場人物のキャラ設定の無駄のない感じがとても良かった。あの子かわいい。プロゴルファーの女友達の子。

3. 色々ギラギラしているが、ギャングの紛争がメインの話ではなかった

4. 途中ジェイZの曲が入る度イラッとした

5. ギャツビーが愛した女、デイジーについて色々考えさせられた← 【ココ】

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

結局この5の、「ギャツビーが愛した女について色々考える」というのが、今回の夢のメッセージの完全なポイントだということに辿り着きました。

一体全体、何を考えさせようとしたのでしょう。

このデイジーという女性、女心の間で揺れるんですね…理性と本能…冷静と情熱…     好きでもない男と結婚した後に、本当に一緒になりたかった男(ギャツビー/ディカプリオ)と再会するんですよ。偶然ではなくて、ギャツビーの長年の何とかして彼女と再会したいという行動の結果なんですが。ギャツビーはデイジーに「旦那の前、友人の前でハッキリと意思を公言し筋を通すことで、俺達は一緒になれる。」と、逃亡作戦ではなく、筋を通す作戦で修羅場に挑むのですが、

デイジーが途中でそれを放棄…。 

これにはさぞ、彼女を理解不能だという意見や、優柔不断でムカつく、などと色んな意見があると思います。

ただ•••

これにはね、深い深い女心があると思ったのですよ……わたしは女として想像させていただきますが、あくまで、想像ですが、

「一度たりとも旦那を愛したことは無い」と旦那に伝えるんだ。そうすれば全てから解放されるんだよ、、、」と優しく言うギャツビーに対し

言いかけるのですよ、デイジー。言いかけそうなのに、言わないんですわ。あと一秒間が違かったのなら、言ってたと思うんですわ。言ってみて欲しかったんですわ。視聴者としては。でも気が変わって、あと一歩「あなたを愛したことは一度もない」と旦那に告げる手前で、やめましょ。帰りましょ。みたいな事を言い出す。bitch, what?! そして、ひるがえったように一変し、ギャツビーを置いてその場から去っていく。なんなら旦那と帰ろうとする。

え。というシーンがありましたね。

ギャツビーがいなかった間に、旦那といくら好きでなくて結婚したとしても、心から愛してなかったとしても、浮気され放題だったとしても、トロフィーワイフだったとしても、デイジーの中に少しの情はあったはず。旦那は旦那なりに彼女は彼女なりにお互いの人生に関わって来てたハズ。

それを「全く愛したことはない」と言葉にさせられるのって、わたしは酷だと思ったよ。何か他のアプローチで旦那に別れたい、この人と一緒になりたいと伝える方法はなかったのだろうか。

小さな娘がいますからね。ギャツビーがいなくなった間に、デイジーの人生は進んでいたわけさ。(ここ重要に思う)

一度も愛したことはないとキッパリ言うのって、これ以上ない突き付け方だし、「真実は傷付くもの」と言葉に関して男の人の方がわりとストレートを好み受け止める脳の処理が出来るから?(疑問形)ギャツビーはそのセリフを旦那に言うようにデイジーを導こうとしましたが、デイジーはその一歩を踏み出さず、新しい世界へ行くことを断念しましたね。

結婚式の直前で、ギャツビーがまだ本当は自分のことを思い続けてたと知って、クソ高価なパールのネックレス引きちぎって発狂して好きでもない人との結婚なんてやめる!!とデイジーもたった一人本気で一緒になりたかった男・ギャツビーを思い続けてきた想いが爆発してたけど、あのシーンよかったな。なんかやっぱりディカプリオが出てるとタイタニックで持った気持ちが2割増し位上乗せし始めるから、よりドラマティックに感じてしまうこの効果をジャック・エフェクトと名付けたいと思う。

あとデイジーとの再会の場を花だらけでセッティングした部屋とか、約束の時間2、3分前位に「やっぱどうせ彼女は来ないからこれはやめよう」ってソワソワして緊張のあまり投げやりになった感じのギャツビーのシーンよかったなー。かわいかったな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

誰かを傷付ける覚悟を持った上でそれでもデイジーとの愛を選んだ男ギャツビー。

誰かを傷付ける覚悟を持てず、運命を変える一歩手前でそこにとどまったデイジー。

ギャツビーのような一途で男として地に足を着けて、しかも着実な方法で将来を築こうとするタイプの男ってほんとに熱いし素敵だと思う。デイジーのことだけを真っ直ぐ見つめ続けて思い続けて、ね・・ 男としてGOLDだよね。

デイジーのいとこであり、のちにギャツビーの親友となっていったトビーマグワイアと彼の男同士の友情も、清くて素敵だった。

ギャツビーがどうなったかは、是非観て頂けたら•••と思っています。この映画はラストのパートがだいぶ心に刺さりますし、タイタニックのように船はひっくり返りませんが、話はひっくり返りかけ△○×◆⌘…… 


あぁ、やめてケロ。

結局、なぜこの映画を観るような流れのメッセージを受け取ったのか掘り下げて考えてみると、本来であれば多少の障害はあっても、最終的に一緒になり、幸せな人生を送れたかもしれないはずの男女が、運命の悪戯で結果一緒になる願いが果たされないパターンって、この世に数え切れないほど存在して来ているんだろう、ということについて、何かわたしの魂が考えたいことがきっとあったのだろう、とそんな風に思えた。本命じゃなくても、お互いの人生に関わり合って来た相手という存在に、どんなに嫌気が差していたりこんなはずではなかったのにと思っていても、関わっている以上、それも確かに縁ではあり、何かを共有したことがある限り、全く愛したことはなかった、というのは、あり得るのだろうか、そう言えないこともあるのではなかろうか 女って、情の生き物的な所あるじゃない、なんか、、、そんなに簡潔に切り捨てられない事だって、確かに存在する。デイジーにはギャツビーと幸せになって欲しかったけど、なれなかった…ならなかった…それは彼女が選んだ選択…。弱さではなくて強さなのかもしれないし、強さではなく弱さなのかもしれない、したたかなようで優柔不断なのかもしれないし、優柔不断なようでズルいだけなのかもしれない。でもギャツビーに愛される喜びに再会し、既に旦那を裏切ってたのなら、腹をくくって最後までギャツビーを信じてその手を取って欲しかったyo!

人の恋愛について物凄く考えてしまったけど、一つ言えるのは、これが映画で良かった、ということ。

というなんともココロの奥底がぎゅうっとなるような感覚が尾を引き、久しぶりに映画を観た後に少々引きずる、という愛がテーマの映画を観る醍醐味を味わったので、あった。


デイジー演じるキャリー・マリガン、高嶺の花感というよりは、親近感がある。もっとなんかこう、もうちょいツンとした女の人を抜擢した方が、高嶺の花感が出たのかなぁ。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私、すごい昔、ゴッドファーザーのゲームで、リトルイタリーとか、ヘルズキッチンとかそれぞれの場所に行きマフィアの仕事をする(ざっくり)みたいなゲームに少しハマった時があって、その時ゲームの中で街を運転する感覚とか、えんじ色のカーペット的な雰囲気とか、とにかくニューヨーク行ったことないのに、映像が凄く鮮明な時があって、前に、生まれる前ここにいたのかな?なんて思ったりする時があります。他のニューヨークが舞台の昔の映画とかを観ても、懐かしい……っていう感覚が止まらない。特に1950年代…「キャロル」の世界観とかも、あの時代のニューヨークの雰囲気、ファッション、大好きです。あとロバート・デニーロの「ブロンクス物語」は、永遠に好きな映画トップ5に入るなぁ。


夢からある映画へのお誘いを受けた不思議で面白い話でした。



ちゃんちゃん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?