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#1 じいちゃんの味を残したい|ごまどうふ屋・大島史也 〜継ぐ編〜

「ごまうふふ」というごま豆腐を
みなさんは知っていますか?

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スプーンを入れた瞬間から
ぷるんとした感触に驚き、
食べてみると、さらにびっくり。

「いままで食べたごま豆腐じゃない!」
と思うほど、味も食感も新感覚。

素朴な甘さと、豊かなごまの香り。
やさしい味わいに感動します。

・・・・

そのごま豆腐を作っているのは、
新潟亀田でたった一人でごま豆腐を製造する
「じいちゃんの味」を継いだ、若き2代目。

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「こんな仕事があったのか。in新潟」
Vol.1 ごまどうふ屋・大島史也

・・・・


当たり前だったごまどうふが「特別」になった瞬間

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4年前に「じいちゃんの味」を継ぎ、
ごまどうふ屋になった大島さん。

ごま豆腐の材料は
葛(くず)、砂糖、ごま、たったこれだけ。

シンプルな製法で、50年前から
祖父の雅男さんが作っていた伝統の味
です。

大島さんにとってごま豆腐は、
子供の頃から慣れ親しんできたもの。

そんな、
生活に「当たり前」にあったごま豆腐を
強く意識するきっかけになったのは、
大学時代、バイト先の人たちに
雅男さんのごま豆腐を配った時のことでした。

「こんなおいしいごま豆腐初めて食べた!」
「いままでで一番おいしい!」
「もうスーパーのごま豆腐食べれない…」

食べてくれた人たちの感想は、
想像以上に、ポジティブなものでした。

「自分の中でじいちゃんのごま豆腐はあって当たり前で、『喜んで食べるものじゃなかった』からこそ、こんなにおいしいおいしいと言ってもらえたことが、すごく嬉しかったんです。」


「自分にしか作れない」があるじいちゃんは、かっこいい

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大学生のころから、
漠然と「いつか商売をやりたい」と
考えていた大島さん。

就活を経て、
改めて"仕事"について考えたとき、
「そういえばじいちゃんは自営業だった!」
と、気づきました。

帰省した際、それまでの22年間
一度も足を踏み入れたことがなかった
じいちゃんの工場に初めて入ってみることに。

「今まで知らなかった『ごまどうふを作るじいちゃんの姿』はまさに職人で。かっこよくて、衝撃的だったんです。それに、『自分にしか作れない商品』をつくってるじいちゃんって、すごくかっこいいなと思いました。」

その後、新卒でキッチンメーカーに
就職した大島さんですが、頭の中は
「じいちゃんのごま豆腐」のことばかり。

休日は、スーパーやデパ地下で
ごま豆腐を買い集め、
「じいちゃんの味を超えるもの」を
探しましたが、
見つけることはできませんでした。

そんな中、就職してから3か月。

母から
「おじいちゃん、
ごまどうふ作りやめるって。」

と電話があり、大島さんは継ぐことを決意。

就職したばかりの東京の会社を辞めて、
「じいちゃんのごまどうふ」を継ぐために
新潟に帰ってきました。


全部手作業!大変すぎるごまどうふ作り

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祖父の雅男さんがごま豆腐を作るのを
やめたのは、80歳の時。
引退の理由は「体力の限界」でした。

そもそも、大島さんが作るごま豆腐は
全て“手作り”です。

ごま豆腐 30個分を作るにあたり、
機械は使わず、40分間、
ずっと手で練り続けなくてはいけません。

この作業を、毎日平均3ローテーション。
多い時には8回も行います。

重たいペーストを練り続けるのは、体力勝負。

50℃以上にもなる銅鍋はとにかく熱く、
最初は手袋をしても
鍋が触れないほどだったそう。

火傷は日常茶飯事で、
夏場のエアコンがない中での作業は
まさに「地獄」です。

最初の3か月間、
見よう見まねでじいちゃんのマネをして、
ごま豆腐を作り続けた大島さん。

毎日作業を見に来ていたじいちゃんが
ある日、突然工場に来なくなり、
「認めてもらえた」と思った瞬間でした。

「じいちゃんも言ってたんですけど、本当に満足できる出来って年に1・2回くらいしかなくて、毎回反省があります。でもそれ以上に、手作りって奥が深くて、楽しいなって思います。」


なんで売れないものを作ってるんだろう?ごまどうふは条件最悪

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雅男さんの時代のごま豆腐は、
晩年は、祖母のゆりこさんが営む金物屋で、
常連さん向けに販売していました。

大島さんは継いだ当初、
スーパーやデパートなどに
ごま豆腐をおろしていましたが、
当時売れたのは、1日3~4個程度。

1年目の収入は、ほぼゼロだったそう。

「ごま豆腐は、条件最悪の商品です。手作りだから大量生産できないし、日持ちもしない。おまけに冷蔵保存。売り手側に嫌がられる要素ばかり。そもそもごま豆腐って人の生活の中に入ってる食べ物じゃないから『食べたい』って思ってもらえないんです。『なんで僕、売れないものを作ってるんだろう?』って何度も思いました。」

それでもあきらめずに作り続けられたのは、
絶対的においしい自信がある
「じいちゃんのごまどうふ」だったから。

「本当においしいからみんなに食べてほしい」

バイト先の人たちに食べてもらって感じた
あの純粋な想いが、
どんな時も大島さんを動かしていました。


いまでは、
月に3000個も売れるようになった
大島さんのごま豆腐。

大島さんは、
どうやって売れる工夫をしたのでしょうか?

次回、「~がむしゃら編~」に続きます!
(12月2日 月曜 公開予定です)


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大島史也(おおしまふみや)
Twitter instagramnote
1993年生まれ/新潟県 新発田市出身
石本商店の2代目/ごまどうふ屋5年目
好きな食べ物は「笹だんごと、カレー」


2019/11/28

〜がむしゃら編〜 公開しました!


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