見出し画像

外に干して作る味噌?! 消えゆく伝説の味噌「味噌玉」作りに参加しました

毎年、趣味と実益を兼ねて大豆から育てる自家製味噌を作っています。
ごく一般的な、大豆と米麹と塩を混ぜて作るタイプです。
ところが、青森県には米麹を使わない味噌があったというのです。
麹といえば米麹ですが、青森県は長らく稲作に向かない土地で、米麹も手に入らないものだったと思われます。私の住む階上町に至っては昭和30年ごろまでは雑穀畑の割合が7割ぐらいだったとか。
そこで先人が編み出した製法が、外に大豆の球を吊るして自然の菌を付着させて作る味噌。
今ではほとんど作っている家もないのですが、僅かに残る味噌玉の作り手を見つけ出し、その菌の研究に携わっていらっしゃるのが八戸工業大学工学部 工学科 生命環境科学コース星野保先生です。
2022年にデーリー東北でエッセイを書いていたことがあり、愛読しておりました。
ご縁あって2023年に私もデーリー東北でエッセイを書くこととなり、その文章の中で一方的にリスペクトしましたところ、先生の目に止まって味噌玉作りのワークショップにお誘いいただいた、というわけです。
味噌玉作りは4年目とのこと。島守ふるさとルネッサンスの上野さんが地域ディレクターとなり、故郷資源の活性化を図る活動のひとつにもなっています。

早速味噌玉作りをご紹介します。


味噌玉を外に吊るすための縄作りから。
稲は昔と今では全然違うそうです。昔の稲は長いものでは1メートル近くあったそう。現代では倒伏しづらく機械の刈り取りがしやすい、短めの品種改良されたものが主流なんだとか。青森では例外で米が取りづらくとも、藁の利用価値が高かったため、冷夏周期の時は藁のために稲作をしている年もあったそうです。



お湯に藁を浸し、専用の藁叩きで叩いてコシを出します。夏場は水でもいいとのこと。手でしごいてちょうど良さそうな長さのものだけを選別します。余った藁は束ねて、たわしがわりに使っていたそうです。
下準備した藁は2〜3本の束を1組として、2組用意します。端を結んで、足の親指と人差し指の間に挟み、V字を保ちつつ手を合わせながら2組同時にこよっていきます。1ひねりしたら、奥の方の束を手前に持ってきて同じ作業を繰り返します。この作業を縄を綯(な)うといいます。今回は2組1セットでやりましたが、3組1セットで丈夫な縄にしたり、神事に使うものは逆ひねりで作られたりと、されど縄、という感じです。


大豆の方はというと、通常の味噌作りと途中までは一緒です。
乾燥大豆を一晩水につけて戻し、翌日茹で上げます。水切りした熱々の大豆をシートの上に広げ、つまごと呼ばれる藁履を履いて踏んで潰していきます。昔は直接大豆を踏んでいますが、今回は衛生的な兼ね合いもありビニール袋カバーをかけました。耳たぶぐらいの柔らかさにまでペースト状にしたら完成です。

この大豆ペーストをソフトボール大に丸めていきます。
なるべく中の空気を抜いて整形するのがコツ。叩きつけたりこねたりして密度高くなるように丸めていきます。


なるべく同じ大きさの大豆ボールを揃えます。
新聞紙をまとめるのと同じ要領で、縄を十字にして縛っていきます。
従来は3つ重ねるそうですが、味噌玉の水分量や熟成具合によって割れて落ちてしまうことが多いらしく、今回は2つ重ねになりました。


2こ組の味噌玉を2セットゆわえてひとまず完成です。

屋外と屋内にそれぞれ干して、違いを検証します。
味噌玉にはどこからか菌がやってきて、2ヶ月ぐらいで菌が見られるようになるとか。完全な室内で干した場合と、土間の倉庫で干した場合でも違いがあるそうです。もちろん野外で干した味噌玉も違います。

今日のワークショップはここまで。
次回はいい感じに菌のついた味噌玉を砕いて、塩水と合わせることになります。

今主流の味噌は、大豆ペーストにした時に塩も混ぜ込んでしまうのですが、味噌玉は後から塩を足していくんですね。

それではまた次回の味噌玉作りをお楽しみに!


おまけ
こちらの外に干して作るタイプの味噌玉、岩手県野田村の「つきや」さんで食べることができます。こちらは麹が入っているタイプですが、独特の風味があり大変おいしいです。お近くにお立寄りの際はぜひ。道の駅ぱあぷるでも購入できますよ。


▼動画バージョンでも紹介しています。(というかこのnoteが動画の台本です)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?