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立ち位置

私には[悠樹]という立ち位置があります、皆さんにも皆さんの立ち位置がありますよね。立ち位置は私の中で私自身を捉えます
その立ち位置で私はどこに居るのか立っているのか分かりません。分かろうとしていないのかもしれませんが

[○○家の私]でもあれば[○○が嫌いだと思っている私]でもあれば[○○が頼りにしている私]でもあるのかもしれません。それは本人には分からない事ですよね、相手の思考なんて見えないのですから
なので私は私自身であって誰の、とかではないんです。なので両親はいますがその子供という感覚は何故か掴めません

外で歩いている人たちを見てもその人それぞれがいち個人なわけでそこに兄弟や姉妹がいたり親がいたり祖父母がいたり…それがイメージ出来ないんです。サザエさんの様な家族構成の見取り図の様なグラフが私の頭の中で構成されないのです

その人はその人であって誰のでもない、って思いからです。なのでその人はその人の人権みたいなのが見えない壁のように立っていますから誰にも命令されることもないんです。本人の意思で動けるし発言も出来る、制限されていない状態

この思考意外と共感されないんです、それが普通なのかもしれませんね。普通は人一人に親もいるし兄弟がいる人もいるし帰る家も勿論ある、それが私には頭の中で「うーん?」ってなってしまうんですよね

[自閉っ子、こういう風にできてます!]って本でも一部で出てきている「学校の生徒それぞれに帰る家があるとは思わなかった。」というようなことが書いているのですがそれに近いかもしれません

その人単体で見ているのでその人の周りに誰がいようと私には知るつもりは一切ないです、その人とはあまり関係ないのですから。
私自身親を親として見ていません、以前書きましたね。一人の人間です、意見・意思・気持ち・行動を持つ一人の人間で[親]と言う関係とよりは[親]という括りに入っている一人の人間ですね。

なので色々と苦労する面がなんだかんだあります。「親御さんと相談してみて下さいね」なんて言われたら「親御さん…親…あの人たちに言うの…?」と考え込んでしまいます。不思議なことかもしれません

これは本当に中々理解してもらえない、私の立ち位置は私自身であって[娘]や[息子]や[子供]や[大人]や[親]でもなく私自身という一人の人間で…。という感覚
だから制限されて縛られたり私の行動などを拘束されると「あなたは私の何?主人か何かなの?私は貴方に飼われてるの?」という支配されている感覚になって本当に不愉快になってしまいます

親が厳しく、最近はあまり守っていませんが[門限]が成人超えている今でもまだ解除はされていません。それだけでも「あんたの物じゃないのに何で決められなきゃいけないの?」とムカムカします。
周りの人は「大切な自分の子供だから心配なのよ」なんて言ってきます、なので「過保護で心配性で面倒な人(あくまで一人の人間なので親とは言わない)なんだろうな」と自分に言い聞かせるようにはしています

貴方は貴方です、私は私です、関係は…著者と閲覧者ですかね?これもまたその一人のその場での呼び方でもあれば括りですね

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