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「就職に不利だ」と言われても、文学部という居場所を選んだ

なんの根拠もなしに「就職に不利だ」と嘲笑する大人たちを押し切って文学部への進学を決めた春の終わりから4年という年月が過ぎていった。大学4年生の5月を迎えた今、私は未だに就職活動を終えられずにいる。
他大学でスポーツ科学を専攻していた私が仮面浪人して文学部をもう一度受験したいと言ったあのとき、「文学なんて何の意味もないのに」と言い放った大人たちは誰ひとりとして文学部のことをきちんと知らなかったと思う。ただ単に、経済学部や商学部とは違って、社会に出て役に立つ学問ではないからとか、そういうイメージだけで語っていたのだろう。
実際、文学部に所属している「から」就職に不利、ということはあまりないと感じている。大手の通信やコンサル、商社から内定をもらって早々に就職活動を終えた同級生のうわさなんて、片手で数えるほどしか友人のいない私の耳にも入ってくるのだから、「文学部」という肩書きが就職活動の足枷になるということは滅多にないと思われる。
ただひとつ思うことは、文学を拠りどころにして生きてきた人間が文学部という居場所を選んだとき、彼らの「就職」に対するハードルはすこし高くなる、ということだ。文学という「何の役にも立たない」存在にこころを救われ、そうした生き方を肯定してくれる文学部という楽園に足を踏み入れたことで、就職活動の当事者となったときにじぶんたちが企業という利益追求の場で生産の歯車に加わることに対して漠然とした疑念を抱く。周りとおなじようにリクルートスーツを着て面接を受けてはみるものの、日を追うごとにその疑念だけが強くなっていく。

私は、"ふつう"に働くのだろうか?


小学生のころから小説が好きだった。1学年たった30人の小さな世界で、休み時間に本を読むクラスメイトはほとんどいなかったけれど、じぶんだけが知る世界を持っていることがうれしかった。大好きだったシリーズ作品で主人公のペットが命を落としたときには悲しくて涙を流し、べつの作品で主人公が片思いする男の子に告白されたときには、うれしくて私までふわふわした気分になった。おなじクラスの女の子たちに陰口を叩かれた日も、肩の強い男の子が私の顔をめがけてサッカーボールを投げてきた日も、物語というここにはない世界が現実からの逃げ道だった。
私を嫌う子たちとおなじ中学校に進学したくないと思い、中学受験をした。近くに住んでいるから、という理由で集められた空間ではなく、努力して、じぶんの手で選びとった場所でを息をしたいと思った。

運良く合格した都内の中高一貫校には、ボールを顔に投げつけるような男の子はいなかったし、仲良くしてくれた子たちもみんな優しかったけれど、それでもずっとじぶんの居場所は見つからなかった。もし学校中の生徒全員が一斉に二人組をつくったら、私を選んでくれるひとは誰もいない、と考えては塞ぎ込むことの多い日々だった。いじめられているわけではなかったし、仲良しグループのようなものにも属していたけれど、いつもひとりでいる感覚だった。選ばれるひととじぶんの違いが分からなかった。ただ必死に、これ以上じぶんが教室という社会から切り離されてしまわないように、みんなと"おなじ"でいることに努めた。


文学部を目指しはじめたのは、中学3年生の夏に聴き始めた深夜ラジオがきっかけだった。パーソナリティを務めていた小説家の朝井リョウさんは、それまでじぶんが生きて、出会ってきた人間の誰ひとりとも"おなじ"ではなかった。持ちものから私服の系統、好きなアニメまでありとあらゆるものを多数派の河へ寄せる同級生たちに違和感を抱きつつ、かと言ってその流れに逆らう勇気もなかった当時の私にとって、朝井リョウという存在は衝撃そのものだった。家族も友人も寝静まった深夜3時に始まるそのラジオは、私だけが知っている秘密基地のようだった。両親を起こさないよう、朝井さんが発することばの数々を布団のなかでくすくすと笑いながら夜を明かした。はじめてじぶんのお金で買った『少女は卒業しない』という小説は、高校生になるまで何度も読み返した。彼の作品が、彼の目を通して描かれる世界が、どこか息苦しい学校生活を耐え抜くお守りだった。そうしてどっぷりと朝井さんのつくる世界に浸るうちに、彼が早稲田大学の卒業生であることを知り、自然とじぶんもおなじ場所を目指すようになった。ただ切実に、息ができる場所だけを探し求めていた。


高校を卒業して、とある大学のスポーツ科学部に進学した。必死に受験勉強をしたつもりだったけれど、夢だった早稲田大学には引っ掛かりもしなかった。幼い頃からダンスを習っていて骨と筋肉に興味があったことが理由で受験し、唯一合格できたその大学への進学を決めたものの、2ヶ月ほど通ったところで心が折れた。真剣に授業を聞いていると良い子ぶっていると冷やかされ、何かにつけてあんたは頭がいいからウチらとは違うと笑われるような毎日だった。今まで出会ったなかでもっとも、じぶんの対極で息をする人間の集まりだった。学問として興味のある分野ではあったけれど、どうしてこんな思いをしてまで明日も生きて、学ばなくてはならないのか、分からなかった。ある日、帰宅するなり玄関で泣き崩れた私を見て母は、生きることが苦しくなるくらいなら学校なんて行かなくていいと言った。
再受験を決意した、春の終わりのことだった。

19歳になった1ヶ月後、ずっと夢見ていた早稲田大学への進学が決まった。1年間の仮面浪人を経てようやく掴み取ったその空間は、中学生の頃に夢見た世界が広がっていた。物語という世界を愛するひとたちがいて、各々が信念を持っていて、だから誰も他人の「好き」を否定しなかった。多数派、という名の河に気を取られることなく、一人ひとりが目の前にある湖を愛でるようなこの場所に、やっと辿り着くことができた。ひとりでいることも、誰かといることも、そのすべてを肯定する、幼いころからずっと探し求めてきた居場所だった。


「何の役にも立たない」と言って反対された、文学という学問を選びとった。たしかに大学の授業で学んだ内容で社会的な利益に直結するものはなかったけれど、べつに何だって良かった。幼いころに小説を読んで喜んだり悲しんだりした、あの種の感動には「うれしい」とか「悲しい」の先にもっと繊細な感情が無数に存在していることを知った。べつにそんな世界を知らなくたって私たちは生きていけるけれど、知る、ということが人生に幅を持たせた。
ずっと物語の近くにいたい、という思いが派生して出版社のひとになりたい、というぼんやりとした気持ちを抱くようになった。ただ、実際に出版社に就職して働くじぶんの姿は想像できなかったし、「就職」という響き自体、どこか遠い国のことばのようにも感じられた。
同級生が就活、とかインターン、などと口にし始めた大学3年生の春になってもなお、就職に対して当事者意識を持つことができなかったけれど、きっと卒業が迫るころには気持ちも変わって、じぶんもどこかの企業の一員として生産の歯車を回すことになるのだろうと信じて、就職活動を始めた。


初めて参加した業界別の合同説明会で、登壇していた採用担当は口を揃えて「この時期に就活を始めている皆さんなら何も心配することはありませんよ」とか言って微笑んでいた。ウェビナーの画面に映る女性たちは皆、前髪をかき上げていて凛々しい眉をしていて、"正しく"息をしているように見えた。直感的に、じぶんとはちがう人間だと思った。中学生の頃、教室の中心で大きな声を出せる男子を、体育の時間につくる二人組で余ったことのない女子を、前の大学で出会った子たちを、べつの世界に生きる人間だと感じた瞬間とおなじだった。
いくつかの説明会に参加したり自己分析を進めたりするうちに、やはり出版業界がいい、という結論に辿り着いた。無くても生きていけるけれど、それでも前を向いて生きていくために物語という存在を必要とするひとに寄り添うことでしか、私自身の生き甲斐を見いだせないように感じた。
生きていくために働くのならば、この先も生きていく意味を見失わないような居場所を探すことが必要だった。


面接はおもしろいほど上手くいかず、一般的な大学3年生よりは早めに始めていたはずの就職活動も、あっという間に大半の同級生が私を追い抜いていった。本選考の面接を受け始めてから半年が経った今年の3月下旬、初めて最終選考に辿り着いたとある出版社から不採用通知が届いた瞬間に、これまで積み重ねてきたはずの人生がこぼれ落ちていくようだった。周囲が続々と就職活動を終えて卒論に本腰を入れ始めるなか、じぶんだけが取り残されたような気分だった。苦しみながらもそれなりに生きてきたつもりの人生で、みんなに出来ることが私には出来なかった。私だけが、誰にも選ばれなかった。

私はただ、じぶんの納得する居場所から選ばれたいだけだった。意味もなく大手企業に勤めて年収やステータスを得たいわけでもなければ、子どもが欲しいとか家を建てたいとか車が欲しいとか、そういった"正しい"人生に対する憧れもなかった。ただ、じぶんが明日を生きていくために困らないだけのお金を稼ぐ必要があって、どのみち働くのならばじぶんが明日も生きていく意味を感じ続けられる空間に身を置きたいというその一心だった。編集者になってどんな作品をつくりたいとか入社したらこんなことがしたいとか、そういう会社に対する利益的な発想に興味を持つことができなかった。ずっと本が好きで、物語という世界が救いで、それを愛するひとたちとの空間が生きる糧だった。それだけの思いしか、私のなかには存在していなかった。


このままのじぶんでは、"ふつう"に働くことができないのではないか?薄々気付きつつあった疑念が、ゆっくりとその輪郭を見せていた。それでも、取り繕わないそのままの私を拾ってくれる出版社といつか出会えるに違いない。そう信じていた。信じなければ私の人生が何のために存在してきたのか分からなくなってしまいそうだった。4月を過ぎても新卒の募集をしている出版社を見つけてはエントリーシートに存在しない志望動機を捻り出してそれっぽい文章を書くだけの日々が続いた。

そうして終わる気配を見せない就職活動のなかで見つけた、とある企業のエントリーシートに「あなたの長所と短所を教えてください」という設問があった。これまでにも面接で似たようなことは訊かれてきたので、いつもとおなじ文言を書こうとしていたものの、ふと思い立って友人に「エントリーシートに書きたいんだけど、私の短所ってなんだと思う?」と尋ねてみた。しばらく時間を置いて返ってきた答えは「何でもかんでも、ちょっと引いて見てるところ」というものだった。
LINEに送られてきたその短い文面を眺めながら、高校生のころに読んだ朝井リョウさんの『何者』という小説を思い出していた。斜に構えたようすで周囲の就活生を分析する主人公は思うように結果が出せず、就職浪人をしていた。

ずっと分からなかった、選ばれるひとたちと私との差は、"ふつう"のなかに飛び込むことができる素直さを持っているかどうかだと、そのとき気付いた。中学生のころ、朝井さんのラジオで好きだったのは世の中を全員敵だと思っているかのような斜に構えた発言の数々だった。幼い頃から、ひととは違うじぶんだけの世界を見つけることが好きだった。みんなと"おなじ"でいようとすることに違和感があったし、"正しさ"に向かっていける人間の反対側を歩いてきた。これまでの人生のあらゆる場面において、思い当たる節があった。
遠回りしてやっと辿り着いた文学部という居場所は、そういう人間の集まりやすい空間だった。「社会に出ても何の役にも立たない」、答えのない自由な学問を選んだ私たちの多くはじぶんだけの「好き」を持っていた。各々の信念を持っていた。だから他者に干渉しなかった。これは、外の世界へ溶け込んでいく力が弱いということでもあった。
文学部「だから」、就職に不利なのではない。就職という"正しさ"に飛び込むことのできない人間が文学部に集まりやすいというだけだった。


多くの働き方が目の前に広がるなか、みんなとおなじ髪型でリクルートスーツを着て"ふつう"に就職する未来を掴みにいく。就職活動に対してどこか他人事のような視線を抱いていたのは、今更"正しさ"の内側を歩こうとする自身を俯瞰していたからなのかもしれない。22年間の人生の蓄積が、すこしずつ、ゆっくりと私の人生のレールを歪めていった。
私はもう、諦めるというかたちでしか私という存在を肯定することができない。諦めることが肯定することと同義であるかは分からないけれど、積み重ねてきた人生を手放して"ふつう"に生きるじぶんをゆるせないならば、歪んだレールのうえをひとりで歩いていくしかない。苦しくても、いつか「この道を選んで良かった」と思える日が来るまで、諦めて生きていくしかないのだと思う。

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