合理的01

真面目に楽しむドイツ人

前回は、『"意義"の追求が自滅を招く話』と題して、泉谷閑示さんの『「普通がいい」という病』の感想と共に”意味”と”意義”の違いについて書きました。

今回は、意義を求めることに長けている国、日本とドイツについて共通点を見ていくと共に、意義と意味のバランスを失うことでどんなことが起こるのかを考えていきたいと思います。

日本とドイツに通じる家父長制度が意義の存在を高めている

フランスの歴史人口学者のエマニュエル・トッドさんという人は面白い研究をされています。

国の出生率や識字率、家族構造と言った観点から民族性を解き明かして、国と国の関係性に注目をしています。

日本とドイツはよく民族性が似ていると言われます。

例えば、とても精緻な製品作りやまじめな性格など、アジアとヨーロッパという全く別の地域にあるにも関わらず、似通った部分がある理由について、トッドさんは家族構造に注目します。

それは、家父長制という家族構造を持っているという点です。

トッドさんの著書『問題は英国ではない、EUなのだ』の中で、日本とドイツの似ている点を次のように語っています。

たとえば、日本の家族には直径家族の特徴が表れています。階層序列的で、権威主義的で、効率的で、自民族中心的(=自民族を特別視する考え)、というような特徴です。

一方で、日本とドイツとの違いについて、内向的か外向き拡張的という違いがあります。

その点について、地理的な状況によるものの違いと共に、イトコ婚が日本にあったことが関係している点に注目しています。

その他にも、日本ではアメリカの情報はたくさん見聞きするのに、ロシアや中国は脅威な存在として思わされるような報道を見ますが、実際はどうなのか?中東の問題やEUについても、家族構造や教育のあり方などのデータを元に解き明かしていて、とても面白い本なのでおすすめです。

さて、少し話がそれましたが、真面目な国民性の日本とドイツ。

前回の泉谷さんの話しにも出てきた、"意味"と"意義"という観点で見ていきたいと思います。

真面目に楽しむドイツ人

以前、日本のアーティスト、作家、活動家のとある女性から2016年前後で世界が変わったという話を聞きました。

2016年の世界的に大きな出来事というと、ブレグジットが挙げられると思います。

その女性曰く、ブレグジットを契機にして資本主義が終わったのだと実感したとの事でした。

その兆候自体はブレグジットの前から世界中のクラブシーンで見られたそうです。

クラブカルチャーの世界にも資本がどんどんと入ってきたことで、クラブがつまらない場所になった、閉鎖された、有名なイビサでは新しくクラブが開けなった。

などの現象が起きたことを目の当たりにしたその女性は、近々何かあるなと思ってイギリスに渡っていた時にブレグジットが起きたのだ、と話していました。

このイギリスがブレグジットに至った経緯についても、先述したエマニュエル・トッドさんの『問題は英国ではない、EUなのだ」に書かれています。

もの凄く簡単に言うと、EU内でドイツが資本主義権力を持ったことが挙げられます。

一般的には移民の問題によるイギリス国内の問題(雇用やテロなどの危機)が話題になっています。

なぜそのようになるかと言えば、EU内で資本をたくさん持つドイツが権力を持っているからです。

詳しくは書きませんが、ドイツはシリア問題などでも移民の受け入れを表明していました。

これは日本と同じくらい少子高齢化が進行していて、国内の生産を移民に頼る必要があるためです。

EUとしても移民の受け入れを各国に義務付けていましたが、業を煮やしたイギリスはブレグジットを決断します。

先ほどの女性が近年イギリスを歩いていると伝統的な建物は残るものの中国資本も入って新しい建物が増えていったそうです。

ブレグジットによってイギリスは資本という点では簡単に言えば損を被ることになりますが、資本よりもイギリスらしくあろうとしたいという国民の選択がEU離脱を決めました。

そこで、今一度"意味""意義"から考えてみたいと思います。

ブレグジットをする意義はなんでしょうか?

意義という観点からいけば、資本を減らしていく方向へ進むのですから、意義は無い、もしくはマイナスと言えるでしょう。

では、ブレグジットをする意味は?

イギリス国民にとっては、イギリスらしさを取り戻すという意味があります。

これは私の仮定ですが、もし、イギリスが意義を重視して資本拡大に進むならば、EU内で権力を持つドイツを孤立させるべく、他の国と手を取るでしょう。

ドイツが何故EU内でも権力を持てるのかと言えば、真面目な国民性ゆえにしっかりと働いて資本を稼いで大きくしているからです。

一方他の国はどうでしょうか?

イタリアも国内の経済状況は良くありません。

観光収入を得られる歴史的なスポットが多いにも関わらず、観光収入を得るための合理化は行われません。

なぜか?

そこまでする能力が無いわけではありません。

現在では海外からいくらでもコンサルタントを雇えば問題点の可視化やすべき施策まで揃えてくれるでしょう。

理由はシンプルで、そこまでしなくても十分じゃないか?と思ってるからです。

これがドイツなら、徹底的に問題を洗い出し合理化に向けて動くでしょう。

つまり、国内にある歴史的なスポットがことの意味よりも意義を重視できるからです。

この事からもドイツが意義を重視する能力に長けている事が分かります。

さて、この章のタイトルにもしていますが、ドイツ人が如何に真面目なのかを先ほどの女性から聞いた中で一番表していると思ったのが、「ドイツ人は遊ぶのにも真面目」という話です。

このニュアンスが伝わるでしょうか?

遊ぶ事について、本来は意義はありません。

どちらかと言えば消費行為ですし、その場を楽しむだけですし、楽しめなくても遊びですから別の遊びを探せば良いわけです。

最悪つまらなかったという経験でも良い思い出なになります。

更に言えば、何も残らなくて良いのです。遊びですから。

しかし、ドイツ人は遊ぶ事にも真面目ですから、真面目に盛り上がる=盛り上がらないと勿体ないと思うわけです。

つまり、"自分が楽しいかどうか"ではなく、"盛り上がらないと損"だと考えるのです。

これって、前回の泉谷さんの頭(=理性)と心・身体で言えば、頭が心・身体を押さえつけている構図と同じと言えます。

意味よりも意義を重視している事がこうした点からも見えてきます。

一言断りを入れておくと、全てのドイツ人がそうだという話ではありません。

ドイツ人の中にも楽しむことの意味を理解している人はたくさんいるでしょう。

ここでは、意義と意味を理解してもらう為に、ドイツと日本を上げています。

最後に、”意味”と”意義”のバランスを崩していくとどうなるか?を考えてみたいと思います。

例えば、人よりもAIの方が効率的に仕事(生産)をすると分かれば、人の仕事がなくなります。

これは最近でもよく言われていることです。

AIや機械が生産を担った時に人間が何をするかと言えば、意味を求めて遊ぶという行為が大きく広がるでしょう。

しかし、意味は突き詰めてもそもそも何も無いのですから、意義とは相矛盾する考え方です。

真面目に遊ぶドイツ人のように遊びにも意義を求めだすと楽しめなくなるばかりか、何が楽しいかということさえわからなくなります。

すると、生産的でもない、楽しくもないとなります。

そんなことをする人間という存在は果たして意義(意味)はあるのか・・・?

それよりも、無垢なまま自然に存在しているものの方が意義があるんじゃないか?となったら・・・?

人間の存在意義って・・・。

・・・。

”意味”と”意義”のバランスを崩せばどうなるのか?ということを相対化して考えると、なんとも怖くなりますね。

何事もバランスが大事だということで終わりたいと思います。

ちなみに、同様のことを釈迦や中論を書いた龍樹という大乗仏教のお坊さんは考えていました。

そのあたりのことについては興味がある人がいればお話したいと思います。

長くなってしまったので、『プロテスタンティズムから離脱したいアメリカ』については、次回に持ち越して書きます。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

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