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人と喋りたい。

彼女との連絡がつかなくなり今日で丸一週間。ぼくは「彼女とメッセージのやり取りができなくなっただけ」でひどく心を病んでいる。家族としか関わりのないぼくにとって彼女の存在は唯一の外界とのつながりだった。家族以外で言葉を交わすことができるのは彼女しかいなかった。

ぼくは「人と喋ること」を必要としている。必要としているのだけれどそれ以上にひどく恐れている。彼女にはおろか父にも、母にも、本当に言いたいことはいつも隠してきた。子どものころ、ぼくが何か言うと、それはすべて口答えだとして叱られた。子どもながらに人格を否定され、自分の考えを拒絶されることに耐えがたい痛みを感じていたのだろう、だからぼくは、本当に言いたいことを言えなくなってしまったんだ。

それは二十五歳となった今も変わらない。それどころか、屈託のない態度がとれなくなった現在のほうが、より本当に言いたいことを言えないという症状が悪化しているように思う。

母と口論になった。真面目な話がしたいからあなたが話を聴く態勢になるまで待つよと言い、その三十分後に、ようやく話ができそうな態勢が整った。ぼくが話し出すと、母はふいと目を逸らしてテレビを見出した。ぼくがそれに怒った。

すると横から父が出てきて、俺なら真面目に話を聴いてやるぞと言った。母はいつも人の話を聴かないじゃないかとも言った。

その母は、入社式を明日に控えている弟に、明日は何時に出る予定なのかと聞いている。覚えているじゃないか。明日が入社式だということを。大事な話をしっかり覚えているじゃないか。どうして弟との話は覚えていて、ぼくとの話は覚える以前に聴いてすらいないんだ。

ぼくが問い質すと、父がまた、俺なら聴いてやるぞと言った。話を聴いてくれるのはありがたい。だがそうじゃないんだよ。ぼくはイジメを受けて学校に行きたくないと告白したとき、あなたにしこたま殴られたでしょう。制服はびりびりに破れて、口のなかや頬を切ったでしょう。ぼくはそれからぼろぼろの制服を着せられ、車に乗せられて、学校まで連れて行かれたんだ。

ぼくは父を恐れている。いつこの家を追い出されてしまうのだろうかと毎日びくびくしてるんだよ。だからこそあなたが帰ってきたらおかえりなさいと言うし、お疲れ様と言う。どれもこれもあなたを恐れているからなんだよ。

ぼくは母にさえ心を開けていないんだ。でももう一人ではこの暗澹とした気持ちをどうすることもできないから、少しずつ、ぼくにとって重大で、口にするのが恐ろしくてたまらないこの気持ちを、細切りにして、吐き出そうとしている。だから一度しか言えない。二度目はないんだ。聴く態勢が整うのを待ってから話をしたいのはそのためだ。

そういうことだから、母じゃなきゃいけない。父にはとても喋ることなどできない。事務的な、あるいは日常的な会話ならともかくとして、ぼくの黒黒として、どろりと粘着質な気持ちを受け止めてくれる人など、きっとどこにもいない。ましてやそれを父に託すことなど、恐ろしくてしょうがないんだ。

うつは甘えだ。根性で治る。元気を出せよ。

そんな言葉が返ってくるだけなら我慢できるさ。でも父はそれを強要してくるだろう。あのときのように、ぼくのことを叩いて、服をびりびりに裂いて、それから車に乗せてどこかへぼくを置き去りにするかもしれない。

かといって母はぼくが暗い話をするのを極端に嫌っている。母は「お母さん業」と一緒に看護師としてもフルタイムで働いているから、すごく疲れているんだ。それはよく分かっているし、ぼくにできることなら何でもお手伝いをする。でもだからといってぼくの黒い気持ちを受け取るのは嫌みたいなんだよ。いや、誰だって拒絶したくなるだろう。それこそ家を追い出されていないだけでも感謝をしなくてはならない。

ただ、そう考えると、ぼくの周りには何もなくなってしまうんだ。目に見える景色も、音も、味も匂いも、感触も消えて、ぽつん、と、暗闇のなかに一人佇んでいるかのような虚しさが、体の隅々まで行き渡り、ぼくは虚しさの塊になってしまうんだ。

殺して欲しいんだ。ぼくの話を聴いてくれないなら、ぼくの助けになってくれないなら、ぼくを産んだ責任をとって、しっかりとぼくを殺して欲しいんだよ。自分では何度やろうと思っても、何度計画を立ててもできないんだ。

腫れ物に触れないような扱いを受けることには納得している。ぼくだって自分の周りにぼくのようなヤツがいたら見なかったふりをするだろう。それは厳しさでも優しさでもない。単にどうしていいか分からないんだ。父も母もぼくをどうしたらいいか分からないでいるんだと思う。

ただ、いつかきっと、ある日突然、ぼくはこの家には居られなくなり、追い出され、野垂れ死ぬことになるんだ。

ぼくは自分の心がより良い方へ向かっていくことをこれっぽっちも想像することができない。あなたはどうだと母に尋ねると、そうねと言った。

ぼくにできることはやっているつもりだ。調子が良い日には記事を書くこと、寝ること、起きること、お風呂に入って、トイレに行くこと、ご飯を食べること、歯を磨くこと、爪を切ること。調子が悪いときは、記事を書くことができず、歯を磨くことができず、爪を切ることができない。髭を剃ることは調子が良い日にもできない。どうしようもない理由で剃らなくてはならないときに、えいやっと気合いを入れて剃るんだ。何を馬鹿なことを言ってるんだと思われるかもしれないけれど、全部本当のことなんだよ。

もっと調子が悪い日は、お風呂にも入れないし、トイレにも行けないし、ご飯も食べられないし、眠ることもできない。トイレに行けないまま布団の中でおもらしをしてしまったことも、一度だけある。体に力が入らず動くことができなかったんだ。

ぼくにできることは、調子の良い日でさえ、たったこれだけ。調子の悪い日にいたっては、できることを数えていっても、片手で足りてしまう。できることを並べ立ててみても、やっぱりぼくの心が良い方へ行くとは思えない。

人と喋りたい。人と喋っているときだけは嫌な思考が減り、なんとか耐えられるんだ。一人でいるときはいつもあああああああああと声を出している。そうやってごまかそうとでもしないと、寝ても覚めても居られないんだよ。

何でも、人と喋りたいという欲求は、文章を書くことでも多少満たされるという話を聞いたことがある。あんまりしんどいときはそのことを忘れがちだし、パソコンの前に座ることさえできない。だからChromebookという安いパソコンを買い、それを布団に置いている。それでもって文章を書くことにしている。

でも、しんどいときは文章が上手くまとまらない。集中力も長くは続かない。そしてどんなに長い文章を書いたところで、人と喋りたいという欲求は満たされない。

文章を書くことで満たされるのは、普段から他者とおしゃべりをしていて、それでもちょっぴり足りないという人だけなのかもしれない。

ああ人と喋りたい。

でも人と喋るのは怖い。


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