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『あとの祭り』3

ーオワリマシタヨ、オオミヤサン、オワリマシタヨー耳の奥で、かすかに女の人の声が聞こえる。耳障りが良い。私は閉じていた目を開け周りを確認する。どうやら眠ってしまったようだ。
「ごめんなさい、寝てしまって。」
「いいんですよぉ。寝落ちされる方たくさんいらっしゃいますよぉ。」
体からは甘い香りが漂っていた。初めてかいだ香り。肌に触れるともっちりとしてその変化に驚いた。たった90分なのに。
「この体に塗ったクリーム?オイル?欲しいんですけど販売していますか?」
「香りも質も良いですよねぇ。少しお値段張るんですけど自宅でのスペシャルケアに良いですよ。」
「購入していきます。」
私はバスローブをまとい化粧室へ行く。裸の自分を見て息を呑んだ。そこには肌の血色の良い華奢な女が立っていた。まだ眠たいのか動作がゆっくりになってしまう。ジーンズにワッフル素材のカットソー。今の肌に全然合わない服装につい笑ってしまった。
「大宮さん、オイル用意できましたから。無くなったらまた購入しにおいでくださいね。お会計時、お渡しします。」
「はい、ありがとうございます。」これから火葬まで毎日使おうと考えるとにやけてしまう。遠くでーあんたなにやってるの!ーと怒鳴る母の声が聞こえた気がした。

 なんでこんなに自分は生きづらいのだろう。なんでこんなに惨めなんだろう。なんでこんなに謝ってばかりなんだろう。物心がついてからいつも感じてきたことだ。学生時代は毎日「おはよう」「いってらっしゃい」の代りに「早くでていけ、目障りなんだよ。」と、両親からの言われ登校し、登校後は感情が不安定になり涙だけ流す毎日だった。帰宅したら「顔も見たくないから早く自分の部屋へ行け!」ひとり自分の部屋でどうしたら人生を変えられるかを考え、夕飯は母が持ってきてくれたお盆に乗ったものをードアの前に置いてあるー自分の部屋で一人で食べた。クラスの子も普通ではないと思ったのか友人はほとんど出来なかった。出来ても殴られた次の日には情緒不安定で、愚痴や不満ばかり言ったり、そうかと思えば突然ハイになり笑い転げたりした。いつの間にか友人は私を避けはじめ、中学校も高校も、卒業式には友人などおらず誰とも写真を撮らないで一人で帰った。生まれてこなければよかったのだ。楽しい、幸せなんて両手の指で足りる位の数しか経験しないまま大人になってしまった。欠陥人間だといつも思ってしまう。失敗することを異常に怯え、昔両親に言われた事された事を思い出し落ち込み、人の顔色ばかり伺ってしまう。変わりたい、変わらなきゃと思っても傷つくことを恐れ、物事から逃げてばかりだ。気持ちが落ち込むときは息を吸うのもしんどくて、誰かに親切にされると躁状態のように浮かれてしまう。波の大きさに体がついていけなくなり、どんどんどんどん生きるのが辛く苦しい事になっていた。ようやく『自分』という人間を客観的に見れるようになったのは高校を卒業して就職してからだったと思う。

 平日のお昼に街中を歩いているのはなんだかこそばゆい。買い物はもっぱらネットだ。食料品は近くの商店街。街中すら滅多に来ないのだから多少なりとも居心地は悪い。昼過ぎなのに空腹感は無く、なにかに気持ちが満たされている感覚で人混みの中を歩く。しばらく歩いていると、お洒落なカフェや雑貨屋などに視覚を刺激され、急に自分の格好に恥ずかしくなった。自然と曲がる背中。急ぎ足で喪服を購入する為にデパートへ向かう。途中つまずきそうになりながら。目指しているデパートまで後少し。曲がった背中は伸びている。

 こういう喪服が良いという考えは特別なかったのだがいざ見てみると迷ってしまう。ワンピースは何種類も形があるし、パンツも格好が良い。
「いらっしゃいませ。どのようなものお探しですか。」
後ろから声が聞こえる。振り返ると年配の女性販売員が怪訝そうな顔つきで私を見ていた。
「喪服が欲しいんですけど。種類がすごく多くてどんなものにしたら良いか…」
言った途端、販売員は仕事用の笑顔を作り
「お嬢さんお若いんだから」と、バババッと4着、ワンピースの喪服を手に取った。
「お若いんだから可愛らしくワンピースね。お式にも良いデザインよねこちらなんて。」Aラインのワンピースにジャケットのセット。取り外しのできる黒いリボンがついていた。販売員はリボンをはずして、またつけた。にこりとしながら。
「出来れば少し大人っぽいタイトなものが欲しいんですけど…」少し苛立たせたようだ。無言で私の理想の物を取りに行く。
「こちらですかねぇ」タイトなラインのワンピースにジャケット、ジャケットの襟の作りは小さく立ち襟だ。確かに雰囲気のある物だった。
「試着していいですか?」もちろんもちろんと、試着室まで品物を持って案内してくてる。喪服を持つ手の皺を見て、何故か父に会っておけば良かったなと思った。皺がか弱そうに見えたからか、年月を重ねることを意味するからなのか、自分でもわからないがそう思い切なくなった。

 就職してから一度も両親とは会っていなかった。就職先が決まってすぐ知人の家に居候を始めた。就職後3年位までは、ごくたまに父からも母からも電話がかかってきていた。半年に一回位のペースで。主にお金の催促だったが、断り続けていたら電話は来なくなった。ホッとしていたが内心少し寂しかったのを覚えている。お金もたまり知人が保証人になってくれるというので部屋を借りた。その頃にはもう寂しさは消え一人で生活していくのだと心に決め毎日がむしゃらに仕事をした。私が自分の居場所を作り生活している間に両親は当たり前だが年を取り老いていったのだ。私がいなくなって安堵した?いらないものが無くなってすっきりした?それとも少しは後悔してる?私への仕打ちを。

 試着は楽なものだ。さっと着ているものを脱いだ。着飾って出かけなくて良かったと思いながらジーンズを脱ぐ。タイトなワンピースを見てやはり素敵だと心の中で呟いた。後ろのファスナーを上げて鏡を見る。ラインがとても好みだ。ジャケットも羽織り想像してみる。母は、弟は、その他の人たちはどう感じるだろう。特に母。怒鳴り散らすだろうか。

 「いかがですかぁ?」販売員が聞いている。私は何も言わず試着室のカーテンを開けた。機嫌が悪かったわけじゃなく、ただいそいでいただけだ。
「どうでしょう」聞いてみる。
「お似合いじゃないですかぁ。最初は大人すぎるかなと思いましたけど落ち着いた印象で素敵ですわ。お靴はお持ちです?」
「いいえ、持っていないんです。出来れば一番高いの試着したいのだけど…」
「サイズは?」
「24センチです」
怪訝そうな表情はどこへ行ったのか、販売員は笑顔で靴を取りに行く。マットな質感の、見たからに高そうな革のパンプスを持ってきた。
「こちらになりますねぇ。履いてみて下さい。」
革が柔らかく履きやすい。
「この靴もください。あと数珠も値段の高いもので…あ、真珠のネックレスとピアスもお願いします。」
「只今お持ちいたします。」いつもはこういう接客なのか、よそよそしい感じの対応に居心地の悪さを覚えた。しょうがない。ボロボロのコンバースに、履き込んだジーンズ、化粧はしていなく髪の毛はただひっつめただけの客だもの。不審がるのは当たり前かもしれない。数珠はクリーム色の物でキャンディーみたいな風合いだ。パールのネックレスとピアスもつけてみた。私の想像通り、こんな弔問客が来たら注目を集めるに違いない。
「こちら全て下さい。」販売員はニッコリして
「ありがとうございます」と言った。顔の皺を深くさせて。


※毎週月曜日投稿します

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