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祝日は日本文化だ・・・          知っておきたい本来の意味

先日の勤労感謝の日、国民の祝日だ。学校も会社も休みで、一部の人を除き、皆さん有り難く休んだことであろう。
 
祭日と休日の違い
 
ところで祭日と祝日の違いはおわかりだろうか。
この違いが重要なポイントになるので、しっかり理解しておこう。
 
「祭日」は賀茂祭、祇園祭、天神祭など、神社で祭祀が行われる日のこと。そして元始祭、神武天皇祭、新嘗祭など皇室の祭典が催される日のこと。
明治時代から大東亜戦争に負けるまで皇室の祭典が催される祭日と、紀元節、明治節などの祝日の両方があり、どちらも休日であった。
 
昭和23年(1948年)に「国民の祝日に関する法律」が制定され、祭日は廃止され、祝日だけが残り「祝日」「国民の祝日」という呼び方に統一された。
ただし、春季皇霊祭→春分の日、秋季皇霊祭→秋分の日など、明治時代に祭日だった日が名前を変え、祝日として残っている例もある。
 
「祝日」は国で定めた祝いの日という意味がある。内閣府のウェブサイトによれば、「国民の祝日に関する法律」により「美しい風習を育てつつ よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために定められた『国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日』」となっている。
 
 
祝日には意味がある
 
祝日は単なるお休みの日ではなく、ちゃんと意味があり、皇室、日本の歴史・伝統・文化に基づいたものなのだ。
 
勤労感謝の日とは「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」とされている。
この日は「働いている方に感謝の気持ちを伝える日」と広く認識されているが、なぜ11月23日なのだろうか。
 
新嘗祭とは
 
実は、11月23日は最初から勤労感謝の日だったわけではなく、もともとは「新嘗祭(にいなめさい)」というお祭りの日だ。
新嘗祭とは、その年に収穫された新米や新酒を天地の神様に捧げ、天皇と国民が一体となって、天地自然の神々に感謝し、収穫を喜び合う国民的な祭典である。
日本のハロウィーン、五穀祭であり、秋の収穫祭なのだ。
五穀とは、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)のこと。
 

伊勢の神宮 新嘗祭

日本では、古くから五穀の収穫を祝う風習があり、古事記に「豊葦原の瑞穂の国」と記されているように、日本にとって非常に重要な、神話の時代から続く伝統と歴史ある収穫祭である。
まさに「国民こぞつて祝い、感謝」する日であり、大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の御代に始められたと伝えられる。
 
新嘗祭は神様に収穫を感謝し、天皇も神々と共に新米を頂く日。
陛下が今年初めての新米(陛下の植えた米)を御自らお食べになられる日だ。

なんと陛下はこの日まで新米は口にしないらしい。
知り合いに神社の神主がいるので聞いたところ、やはり新米は11月23日まで食べないそうだ。
 
新嘗祭まで新米食べない国民ってどれだけいるのだろうか。
「それまで新米は口にしない」という家はすでに相当少ないだろう。
大昔は新嘗祭の頃にとれたから違和感はなかっただろうが、今日の市場ではこの時期もう「新米」を売りにしているし、そもそも新嘗祭自体を知らない人も多い。
しかし、食べる食べないではなく、その伝統と精神さえ理解していればあまり気にする必要はないと思う。
日本の神様は寛容なので、しょうがねぇな、と言いつつ許してくれるよ。
神や自然や生産業・流通の方々に感謝しつつ頂くことが一番大切なことだ。
 
新嘗祭は大切な宮中行事として、また各地の神社の重要な行事として、今でも執り行われている。
 
境内の神田に実った米、お神酒(みき)、魚、乾物など海山の恵みが12の食台に盛られ、神饌(しんせん)として供えられる。
 

神 饌


私もこの日は近くの神社を訪れた。
新嘗祭だ。
祝詞が奏上され、神楽が舞われていた。快晴も相まってとても美しく清々しい時間であった。

収穫に感謝する営みが千年以上この国で続いていることは、まことに感慨深い。
自然と共生してきた日本人ならではの、慎ましやかで、折り目正しい精神を表している。


今上天皇皇后陛下  新嘗祭

現在では農作物の収穫を祝うだけでなく、「勤労感謝の日」として様々な労働・勤労に対して感謝する日となっている。
産業構造が変わり、感謝する対象が様々なものに及んだと考えれば、そんなに悪い名称でもないが「新嘗祭」にはかなわない。文化的な深さ、格調が全然違う。
しかしそれではなぜ、このような日本文化に根付いていた新嘗祭の日が名称を変え、薄っぺらい「勤労感謝の日」へと姿を変えたのか。
 
なぜ神嘗祭が勤労感謝の日になった
その理由は日本が戦争に負けたからだ
 
1945年、日本が戦争に負けた後、日本国内ではGHQによる日本弱体化政策が始まる。
それは何年も前から周到に日本人を研究した上に立っての巧妙なる政策である。
日本人を日本人たらしめる根本の日本文化を徹底的に破壊し、日本人の精神、言葉を変えれば「魂」を抜き取る政策であった。
 
GHQとはGeneral Headquarters「総司令部」の略称で、アメリカ合衆国陸軍を中心に、イギリスやソ連、オーストラリア、中国など11カ国(後13カ国)の連合国軍を統括した組織だ。
総司令長官はご存じ、マッカーサー元帥。アメリカ太平洋陸軍USAFPACの総司令官と、民政を司った連合国最高司令官SCAP(the Supreme Commander for the Allied Powers)の両方を兼ねた。天皇や日本政府を凌ぐ絶大な権限をもち、日本を実質支配したのだ。
 

マッカーサー元帥


GHQの占領下のもと、国家神道の色が強い新嘗祭という名前の祭日を排除し、違う名前の祝日にするよう提案があったのだ。そこで制定されたのが現在の勤労感謝の日。やがて新嘗祭は徐々に影をひそめていく。
 
日本人の精神を骨抜きにしたGHQの占領政策
 
占領後第一番に行われたことは、「武道禁止令」を発したことだ。
柔道・剣道を中心とした武道を公の場で練習することを禁じたのだ。戦前の武道、そしてそれを基盤にできあがっている日本の精神、戦士をGHQは徹底的に恐れていた。

そして次に「刀剣類」すなわち刀は没収提出させられた。
私の父は、「あの時は刀、鎧兜、戦前の書物 家系図、日記、写真など、とにかくヤバそうなものは全部見つからなさそうなところに隠したもんだ」と語っていた。
 
さらには「神道指令」が昭和20年12月に発令される。
随分前に占領政策を研究していただけに、占領後わずか4か月での素早い発令だ。
 
国民の一体感がアメリカの占領政策にとって邪魔となり、また再び日本がアメリカに刃向かうことを恐れ、伝統的宗教観で連帯していた日本の近代国家観を徹底的に破壊しようとしたのだ。
 
「神道指令」によって、皇室に関して教えること、学校での一切の神道行事は禁じられた。
皇室に関する行事は変更され、神道を国民行事の中から取り除いていく政策が取られたのだ。
驚くことに、国民の精神的な拠り所であった靖国神社はなんとドッグレース場にしようという計画まであった。とんでもねぇ奴らだ。
ま、あの時代、アメリカ人からみたら、日本人は極めて危ない異教徒であっただろうから、こちらの宗教や文化などは尊重するわけがない。
この計画は辛うじて中止になったが、ともかく日本人の根本的な基本的な精神文化を破壊することを第一としたのだ。
 
GHQの怖さと陰険さに怒りがこみ上げてくるのは私だけではないだろう。

消された日本文化
昭和21年以降…日本文化が「日本人の前から姿を消した」
 
日本史の中で、とりわけ戦後史を学べば、なぜ昭和21年以降、日本文化が日本人の前から姿を消していったのかがわかるようになる。
日本人の前から「日本文化が消えた」などとはにわかには信じられないかも知れないが、事実なのだ。
その代表的な例が「神道指令」だ。
この方針を受けてやむなく日本側は祝日法をまとめた。
しかしたとえば「新嘗祭」は、「好ましくない神道の用語」なのだろうか。そんなふうに思うのは左巻きの反日日本人以外、まずいまい。
歴史の味わいを帯びた美しい言葉ではないか。「勤労感謝の日」では何もわからない。
 
宗教的な儀式が禁止され、祝祭日を祭祀儀礼の日とする考え方が排除され、日本の神話、歴史、天皇と国民のつながりが絶たれてしまった結果 従来の祝祭日の意義が見えなくなってしまったのである。
 
このように占領は日本人の心象風景まで変えてしまったのだ。
 
およそ国家という共同体は、なにがしか節目の日を持つものだろう。
それを変えることは歴史の忘却、ひいては国家意識の希薄化にもつながる。
現在の国旗のない祝日の光景があたりまえになっているのも、理由のないことではい。GHQの作戦は大成功だ。
 

GHQ総司令部


祝日の新旧
 
戦前に存在していた国の成り立ちや歳時、皇室祭祀など、廃止された重要な12の祝祭日とつくり変えられた9の無味乾燥で意味不明な国民の祝日や休日をみてみよう。
この作り変えはGHQの悪行の一つであることを決して忘れてはいけない。
 
*〇が戦前、▢が戦後

一月一日
 
〇四方拝(節)
元日における宮廷行事の一つ。 天皇が元旦の早朝に、天地四方を拝する行事。
平安時代に取り入れられ、宮中、貴族や庶民の間でも行われ、豊作と無病息災を祈っていた。
国の行事として行われて、祝祭日の中の四大節の一つとされていたが
戦後廃止され、天皇家の私的な行事として行われている。
 
▢元日
年のはじめを祝う日。
 
一月三日 【廃止】
 
〇元始祭
天皇が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)においてみずから主宰する「親祭」であり、皇位の元始を祝ぐ儀式。
1874年(明治7年)から1948年(昭和23年)まで同名の祝祭日(休日)であった。

一月五日 【廃止】
 
〇新年宴会
宮中において新年の到来を祝う宴会。かつての祝祭日(休日)のひとつ。

正月早々いきなり2日廃止。理由もうおわかりのはず。そう、皇室がらみの休日だから。

一月十五日
 
〇成人の日
現在は1月第2月曜日。1948年公布・施行の祝日法によって制定。制定から1999年までは毎年1月15日。
成人の日を1月15日としたのは、この日が小正月であり、かつて元服の儀が小正月に行われていたことによる。
 
▢成人の日
意義は受け継がれているが、ハッピーマンデー制度により、1月の第二月曜日になった。

二月十一日 
 
〇紀元節
日本書紀によると、最初の天皇の即位日『神武天皇即位の日』を日本国の誕生日としている。旧暦の1月1日で、新暦(太陽暦)に換算すると、紀元前660年2月11日だ。
新暦として、“太陽暦”を採用した明治政府は1872(明治5)年、2月11日を『紀元節』として制定。
1914(大正3)年からは、全国の神社で、紀元節を祝う祭りが行われ、民間でも、この日を『建国祭』と称して、祭典を行っていた。
 

昭和8年の紀元節ポスター


▢建国記念の日
建国をしのび、国を愛する心を養う。
戦後の1948(昭和23)年以降廃止とななったが、“建国をしのび、国を愛する心を養う日”として、1966(昭和41)年に『建国記念の日』として、再び制定。
※『建国記念日』ではなく、『建国記念の日』なのは、当時の社会党などの左巻き勢力による妨害により、この日を祝う本来の意味を曖昧にするために、“建国された”という事そのものを記念する日”である、というわけが分からない理屈に基づいたものである。
したがって“建国の神話“は現在学校で習うことはないのだ。

三月二十一日 
 
〇春季皇霊祭
旧制の大祭の一。毎年、春分の日に、宮中の皇霊殿で天皇が歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式。
ちなみに、現在でも宮中では春季神殿祭が行われ、「神殿」には国内のさまざまな神を祭り、この神々の神恩に感謝する祭儀が行われる。
ここでは天皇陛下がお告文を読まれ、皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下が拝礼される。
 
GHQは、歴代の皇室の霊を国民全体で祭る事を禁止したのだ。
 
▢春分の日
自然をたたえ、生物をいつくしむ日
まったくわけがわからないし、この日に“自然をたたえ、生物をいつくしむ”のか必然性も理解できない。

四月三日 
 
〇神武天皇祭 【廃止】
大祭日の一つ。幕末の孝明天皇の時代、1860年(万延元年)3月11日に神武天皇の御陵祭として始まり、1871年(明治4年)9月に定められた「四時祭典定則」で規則化され、その後、1908年(明治41年)9月19日制定の「皇室祭祀令」で改めて法制化された。
当然ながら、同法は1947年(昭和22年)5月2日に廃止される。
理由は同じである。日本の始まりの神武天皇を国民全体で祭る事は許さない、というGHQの意向だ。
もっとも、今となっては神武天皇が誰であるか知らない国民は相当数いると思うが。ここでもGHQの作戦は大成功だ。
 
ちなみに神武天皇祭は宮中祭祀として現在も存続している。

神武天皇二千六百年大祭 橿原神宮 

四月二十九日 
 
〇天長節
昭和天皇誕生日。(明治時代は11月3日、大正時代は10月31日)
 
▢昭和の日(平成十七年より)
激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。
昭和天皇の御誕生日であるこの日は、平成元年に「みどりの日」として祝日となった。しかし、多くの国民の強い要望をうけて、2007年(平成19年)「昭和の日」が施行された。

昭和天皇

五月三日 
 
▢憲法記念日
憲法の施行を記念し、国の成長を期する日。
原文が英語で書かれた、いわゆる現在の占領憲法は、日本弱体化政策の一環としてGHQにより作られた。
めでたくも何ともないこの日を祝日にする必要などない。

五月四日 
 
▢みどりの日
自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
4月29日は昭和天皇の誕生日なので4月29日を天皇誕生日という国民の祝日に制定した(1948年~1988年)
1989年、上皇陛下即位により、天皇誕生日は上皇陛下の誕生日である12月23日に改められた。
今上天皇即位により、この日は祝日ではなくなった。
現在の天皇誕生日は2月23日で祝日である。
昭和天皇誕生日だった4月29日は陛下が自然や植物をこよなく愛したことから「緑」にちなみ、「みどりの日」という祝日名が付けられた。

五月五日 
 
▢こどもの日
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する日

七月十七日 
 
▢海の日
海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。現在は7月第3月曜日。
(世界の国々の中で「海の日」を国民の祝日としている国は唯一日本だけです。国交省より)
元々祝日化される前は海の記念日という記念日だった。
海の記念日は、1876年(明治9年)の明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」によって航海をし、7月20日に横浜港に帰着したことにちなみ、1941年(昭和16年)に逓信大臣・村田省蔵の提唱により制定された。

九月十八日  
 
▢敬老の日
多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日。現在は9月第3月曜日。

最初昭和29年に「としよりの日」という名前で制定されたのだが、この名前はちょっとあんまりだ、ということになり、昭和39年に「敬老の日」に改められた。そして昭和41年に国民の祝日となった。
敬老の日の由来については聖徳太子が悲田院を建立した日説と元正天皇が岐阜県の養老の滝に御幸した日説の二種類ある。
ちなみに、祝日ではないが、「老人の日」というのもある。
敬老の日が9月第3月曜日になるのにともない、老人福祉法の交付を受けて9月15日に制定された。
21日までの一週間を「老人週間」として各省庁が年寄りの社会参加や長寿社会の促進などの啓発活動を行っている。

九月二十三日 
 
〇秋季皇霊祭
旧制の大祭の一つ。
天皇が皇霊殿で歴代の天皇・皇后・皇親の霊を祭る儀式。1947年(昭和22年)に廃止された。
なお、秋季皇霊祭は宮中祭祀として現存している。
 
▢秋分の日
先祖を敬い、亡くなった人々をしのぶ日。
秋分の日という言葉からは「先祖を敬う」など連想されず、何故この日と思うが、これも春分の日と同じく、秋季皇霊祭に由来している。
春分秋分の日は昼と夜の長さが同じになる日。仏教では「現世と極楽浄土が最も近くなる特別な日」と考えられてきた。だからお彼岸でお墓参りをするのだ。
これはこれでよくわかるのだが、どうしてもGHQは「皇霊祭」という言葉は使いたくなかったようだ。
 
十月十日 
 
▢体育の日
スポーツにたしなみ、健康な心身をつちかう日。
東京オリンピックが行われた昭和三十九年十月十なんで十月十日を体育の日に制定された。しかし、連休にするために十月の第二月曜日と定められた。
ハッピーマンデーによる改悪により、元々定まった日とは違う日が祝日となっている。
これでは祝日とは言えない。いったい何を祝うのか。
 
もっとも、これは3S政策の一環ではないかという疑いもある。
3S 政策とは主にGHQが日本占領下で行ったとされる、screen(スクリーン=映像鑑賞)、sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている・・・知らんけど
 
十月一七日 
 
〇神嘗祭
その年に収穫された五穀を天照大神に捧げる。
1947年までは大祭日だったが廃止。戦後は宮中祭祀としてのみ残っている。

お供えの新米

十一月三日 

〇明治節(明治時代は天長節)
『明治天皇』の誕生日の11月3日を『明治節』として、1927(昭和2)年制定されたが、1948(昭和23)年廃止。

明治天皇

▢文化の日
自由と平和を愛し、文化をすすめる日。
これもまたなぜこの日が文化の日なのか、全く意味不明。
1946年に占領憲法が平和と文化を重視していることから、この日を記念日にしたという。
現在でも文化の日には文化を称える行事として、皇居で文化勲章の授与式が行われる。
また文化の日を中心に、文化庁主催による芸術祭が開催されている。
文化の日と現在はなっているが、「明治天皇の御誕生日」であることを忘れてはならない。
 
十一月二十三日
 
〇新嘗祭
新穀を供えるお祭りの日。
1873年(明治6年)から1947年(昭和22年)まで祝祭日だったが、現在は宮中祭祀の一つして残っている。
 
▢勤労感謝の日
勤労を尊び、生産を祝い、国民が たがいに感謝しあう日。
またしても何故この日に勤労を感謝するのか意味不明。
 
要するに、大東亜戦争後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。

十二月二十三日 
 
▢上皇誕生日
2018年までは天皇誕生日として国民の休日であった。
退位に伴い天皇誕生日は2月23日に変更。

天皇誕生日が変更になったことは法律に基づき当然のことだが、この日は1948年極東国際軍事裁判で死刑判決を受けた「いわゆるA級戦犯」7名の絞首刑を執行された日でもあるのだ。
昭和天皇の子供である当時の皇太子(上皇陛下)の誕生日に処刑日を合わせるとは・・・
これは偶然ではあるまい。GHQが誕生日を知らないはずがない。
なんという陰険で人でなしな行いであるか。

十二月二十五日 
 
〇大正天皇祭
昭和年間における先帝祭の名称。大正天皇崩御日にあたる12月25日に、皇霊殿において昭和天皇親ら皇族および文武百官を率いて親祭する大祭であった。
現在は宮内庁の行事として大正天皇例祭が行われている。

12月25日のクリスマスが、日本人にとっては大正天皇祭なのだ。

大正天皇

現在の日本人で12月25日が大正天皇の崩御日でかつて休日で、しかも日本ではものすごく盛り上がる大祭だったと知っている人は何人いるだろうか。きっとほとんどおるまい。

戦前の日本の年末最後のクリスマス級の大祭を忘れさせるとは・・・。
GHQは恐ろしい。作戦大成功だ。
 
天皇の誕生日は「天長節(てんちょうせつ)」と呼ばれ、天皇が生まれたことを祝う祝日だ。
奈良時代の第49代天皇にあたる光仁天皇の時代にも祝われていた記録がある。
昭和になると、天長節は明治天皇の誕生日として親しまれていたが、日本が戦後にGHQの支配に入った際に祝日ではなくなったのだ。
しかし天皇の誕生日は古くから慶事として親しみをもって祝われてきた歴史がある。
 
天皇誕生日とは時代とともに変わる祝日だが、この日には日本国の歴史や歴代の天皇について思いをはせてみたい。

祝祭日の本来の意味が忘れられ、ただの休みになることは悲しいことだ。忘れられている一つの理由としては、それらを十分に学ぶ機会がないことだ。学校はもちろん、今は誰も祝祭日の意味を教えていない。
 
現在の日本の休日は戦勝国によって廃止、新設、すり替えされた日で、本来祝うべき日は廃止されたり、意味を変えられたり、有り難く休んでいる今の休日は日本人にとって、こんな言葉は使いたくないが。“屈辱“ともいえる日なのだ。
 
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約発効によりGHQの統治から解放され、独立したはずだった。
しかし、それから71年、この日を記念日ともせず、国民から忘れさせ、変えようと思えば変えられる多数の押し付けをそのまま放置している。
これはもうGHQうんぬんの話ではなく、日本国政府の責任であり、そのような政治家を選び続けている日本国民の責任である。
 
祝日の理解が日本への誇りを持たせる
 
諸外国では、アメリカの独立記念日やフランスの革命記念日のように、その国の歴史や建国にちなんだ重要な記念日には国を挙げてお祝いをする。しかし、日本では祝日に国を挙げて祝うことはなく、前述したように単なるお休みの日とみなされている。
日本の文化でもあるこれらの祭日を忘れるのは実に愚かなことだ。
 
「国民こぞつて祝い、感謝」する日が祝日であるならば、なぜ祝い、何に感謝をするのかを学び、教えなければならないだろう。
日本建国の由来を知り、連綿と続いてきた日本の歴史や伝統を学ぶことで、日本に対する誇りや感謝する心は育まれる。祝日には国旗を掲げ、なぜ今日が祝日なのかを子供たちに伝えることができる国民でなければならない

歴史・伝統・文化を失い、屈辱の日を祝う今の日本人・・・。
三島由紀夫が予言していたとおりになりそうだ。
 
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう」

最後までお読みいただきありがとうございます。

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