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公学校と小学校。日本と台湾で生活するものとして。
日治時代の初等教育における台湾の教育制度は基本的に公学校と小学校に分けることができるだろう。
統治初期には、清の時代の名残で科挙を目指す人々による漢文などを教授する私塾が一定数存在していたが、段々と減少していき、台湾人子女が通う公学校と日本人子女が通う小学校の2つがその教育の一端を担っていった。
公学校は、その来歴から理解できる通り、台湾人に日本語を教育することが目的であった。
そこには、人
目的は成長を阻害する。
もっと私は勉強したい。もっと私は成長したい。というような内的精神を目的は阻害する。
即ち、勉強をすれば君は良い大学院に合格することができるとか、成長すれば彼女ができるよ。とか目的は甘く囁やくのである。そして彼らは目的を達成することがすなわち人生である。と誘導するのだ。更に社会も一定数誘導してくるのである。YouTubeで流れる動画も、人々の会話も、全ては大きな物語としての目的に回収されてしまうの