目的は成長を阻害する。

もっと私は勉強したい。もっと私は成長したい。というような内的精神を目的は阻害する。

即ち、勉強をすれば君は良い大学院に合格することができるとか、成長すれば彼女ができるよ。とか目的は甘く囁やくのである。そして彼らは目的を達成することがすなわち人生である。と誘導するのだ。更に社会も一定数誘導してくるのである。YouTubeで流れる動画も、人々の会話も、全ては大きな物語としての目的に回収されてしまうのである。


では如何に生きねばならないのだろうか。

目的を否定し、自らの成長だけを願うことでしか人生の喜びは達成できないのではないだろうか。即ち、目的を抽象化させるということである。例えば台湾史の研究者になる。という大きな私の夢だ。目的は例えばこのように私に誘導する。

有名な大学院に入学して、〇〇先生に師事し、話題の研究同期と交流し、〇〇歳までには正規の職につくようにと。

しかしそのような事を考えてしまったら、その目的にだけ力をいれてしまい、自発的な研究などできないのだ。そして研究者に必要なその土地の言語を學ぶ能力も損なわれる。勿論研究者は優秀な人々がなる職業である。その為目的に囚われながらも自発的な研究を行う事ができる人が大半ではあろう。しかし私は優秀ではない。そのような事はそもそも不可能なのである。

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