プロとアマ、社会人と学生の境界線

私には、常日頃疑問に思っていることがある。
どうしてTwitter見かける創作屋さん(特に音屋)は
「ご依頼はこちら」ってプロフィールに書きたがるんだろう
まるでそれが創作人のステータスとでも言わんばかりだ。

プロとアマ、社会人と学生には決定的な違いがある。
ざっくりいうと、それが「仕事」かそうじゃないかということだ。
そんなん当たり前やん、って反応する人は多いだろう。
や、学生も「職業」やん、って人もいるかも。
みんな認識してはいるけど細かい違いは意識しないものだ。

実は、就活でもそこの観念的なシフトに苦労する人が結構いる。
私だって苦労した。というか現在進行形で苦労している。
就職面接自体は、試験社会ニホンの例にもれず試験チックである。
でも、就活それ自体は単に試験にパスしたら終わりってのとは違う。
認識が曖昧であれば、就職した後もついて回る問題なのだ。
面接に通ったにもかかわらず、不幸なミスマッチを起こして再びあちこち飛び回る羽目になる人を何人も見てきている。
多くの人が、試験に終始する前に一度立ち止まって考えることがあるんじゃないかなと思う。

今回は、そんな「プロとアマ」の違いに関する細かい話を、創作や就活の事例を交えて話したいと思う。
正直あまりまとめるのが上手じゃなくて、とっ散らかってしまったかも。
興味がある部分だけ齧ってでもいいから、読んでもらえると嬉しい。
これを読んだ全ての創作人就活に悩んでいる人仕事で悩んでいる人に良き実りがありますように。

人のしてほしい事をするからお金がもらえる

私が、新人研修でいの一番に教わった観念だ。
全てのビジネスに通じる常識中の常識である。
だけど、こんなにストレートに教える会社ばかりではないと思う。
正直に言って、これを学生上がりの新入社員に直接ぶつけるのはいささか荒療治で、得策ではないともいえる。
やばい会社って思われても良くないから、「感じろ」とか「察して」っていうスタイルの所も多いだろう。

そうして多くの人がハッキリと認識しないまま、
「好きな事を仕事にすると嫌いになるから」と興味のない職に就いたり、
「自分のニーズ」と「他人のニーズ」をごっちゃにしたり、
「自分のやりたいこと」と仕事のタスクの板挟みで苦しんだり、
「なんか働きたくない」と鬱病になってぶっ倒れたり、
とにかく色々なミスマッチを起こしてるように思えてならないのだ。

依頼をする側と受ける側がいて、
金銭の授受をもって、依頼する側が受ける側に事を成し遂げてもらう。
これが資本主義社会の一番ベーシックなルールだ
何人たりとも、このルールから逃れられない。

このことを、具体例をもって深掘りしながらきっちり整理したいと思う。

楽曲制作の場合

楽曲制作で、「依頼主」って誰だろうか。
お金を出す側といえば、普通はリスナーである。
しかし、リスナーはこういう音楽が欲しいと直接要求するわけではない。
そこで注目したいのが制作を統括する「プロデューサー」の存在だ。

この一般的なメジャー楽曲制作に関わる人間の模式図を見て欲しい。
(いかにもパワポで雑に作った資料ですまぬ)

楽曲制作に関わる人間

※一応、全部が全部完全に分業されているわけではない。
プロデューサーは基本的にある程度音楽制作に造詣が深いので、一部の制作工程を兼任することもあるだろう。
兼任するかどうかはあまり重要じゃない。

作曲過程の多くは技術職寄りであり、プロ商売が成立しやすいものだ。
以下に例をあげた工程は比較的技能に依るところが多い。
・歌唱
・ギターやドラムの演奏(パート音源の制作、演奏家)
・パート音源ミックス
・マスタリング
・etc…

ただし、下記の工程はあまり体系化されておらず、一定の専門知識や技能でどうにかなる部分から若干飛び越している。(※個人の見解)
・作曲(楽譜作り)
・編曲(楽譜をもとに各パートでどの楽器を使うか等を選定する)
・作詞

上記楽曲制作のベース工程を2種類に分解したが、ベース工程に従事する人に関してはどちらもやることは変わらない。(優劣を論じる気はない。)
依頼主であるプロデューサーのやりたいことを実現する、その為にプロフェッショナルとして持てる技能を出し尽くして作品作りに貢献するのだ。

一方、プロデューサーは依頼主であると同時に、リスナーの「欲しい」を実現するプロフェッショナルである。
リスナーは厳しい。
リスナーの欲しいものを提供できなければ、売上にダイレクトに響く。
制作会社は間に挟まるだろうが、リスナーの評価をモロに受けるのは上記演奏家等々ではなく、プロデューサーだ。
場合によっては容易に干されうるだろう。
そういった意味で、上記に従事している人とは明確に一線を画す。

とまあ、ごちゃごちゃ具体例を話してきたけれども、
登場人物の全てが冒頭に挙げた大原則に沿って動いているということがおわかりいただけただろうか。
その道のプロフェッショナルが、お金をもらいながら楽曲制作をするという事はこういうことだ。

担い手が多ければ相場は下がる

これは市場原理のお話だ。
供給が多ければ価格は下がる、ただそれだけのシンプルなお話だ。

イラストや音楽は、知っての通り完全な供給過多だ。
MV制作の方はそうでもなさそうに見えるが、それでも供給は多いと思う。
今後ますます敷居は下がって、価格も下がっていくだろう。

需要と供給のバランスは、お給金に色濃く反映される。
ゲーム制作の大企業お抱えのサウンドディレクター(SD)の仕事は、相当数の応募があると聞く。
軽く調べてみたが、相場は年収350万円スタートだ。
10年勤めても400万いかない人もザラらしい。
昨今の物価上昇と消費増税を鑑みたら、とてもじゃないが妻子を十分に養える金額には見えない。
それでも、憧れから企業SDを目指す人は後を絶たないだろう。

「そんな安いなんて迫害では!?」と思ったらちょっと違う。
やりたいやつはいくらでもいるのだ。
それは資本主義のルールなのだ。


「してほしい事をするからお金がもらえる」こと、
創作におけるプロフェッショナルのシビアな事情、
理解していただけただろうか。
次はアマチュアの話をしようと思う。

やりたいこと事があるのであれば、お金を払う

対偶もまた真なり。
こっちの具体例はそこら中に溢れていて、実にわかりやすい。

ジュースを飲みたければお金を払う。
遊園地で遊びたければ入園料を払う。
どこか遠くに行きたいのであれば交通費を払う。

この辺であれば、ルールについて違和感を感じることはないだろう。

学生はお金を払って通っている

これはなかなか腑に落ちない人もいると思う。
学生が金を払っているという事は、どうやらやりたい事をしているらしい

学生時代は意識していなかったことだが、
まともな研究室であれば学生はやりたいテーマをある程度選べる
勿論教授の専攻外の事は出来ないので「ある程度」だが。
私は修士卒だが、博士課程まで行けば完全に自分でテーマを考えるらしい。

主体的に研究テーマに取り組めず、燻ってしまう学生は多い。
それは、みんながそうだから・就職に必要だからという意識で大学院に行っていて、やりたい事に取り組むという感覚を持てていないからだ。
そうするとお金を払ってやりたくない事に取り組むという二重苦が起きる。

正直に言って、これは大学が就活の窓口と化している社会全体の問題だ。
だが、その問題について指摘するのは本記事の守備範囲を出てしまうので、
ここでのこれ以上の言及は避けたいと思う。

とにかく、学生はやりたい事をしてる側。
それだけ認識してもらいたい。

アマチュアの定義

芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う人。

wikipedia "アマチュア"

プロが「してほしいことをする」側なら、
アマチュアはそれの対局概念で、「やりたい事をやる」側だ。

いくら金や手間暇をかけるかは個々人の事情によるものの、
やりたいことをやる為にコストを払っているのがアマチュアだ。
特にここに異論はないだろう。

「やらせたい」と「やりたい」がぶつかった時

>・作曲(楽譜作り)
これを2人でコンペするとしよう。
適当に取捨選択して決まった方に満額払う…といいたいところだがそうは問屋が卸さない。

「やりたいです!やらせてください!」

言ったな?やりたい事なのであれば話は変わるな。
「やらせたい」と「やりたい」は当然、相殺される
市場原理の需要供給とは別に、その分相場から下がるようだ。

各所で問題になる「やりがい搾取」の構造はここにある。
あれは、「やりたい事」に対する認識を歪ませたり、言質を取ったりという行為によって不当に報酬額を減らそうという邪悪な試みだ。

そこらに転がる公募案件も、正直やりがい搾取に近いものだと思っている。
作編曲?やりたい人はいくらでもいる。(二回目)
そうとなればまさに依頼側としては入れ食い状態だ。
「やりたい」を盾に、限界まで足元を見てくる。
公募に出るのであれば、潰れないように。
勝っても対価としては非常にしょっぱいものだし、
負ければ努力は無に帰すのだから。

ここからは、具体的なミスマッチの事例を見ていきたいと思う。

ミスマッチ①ボカロ曲制作で「やりたい事」があるのは誰だ?

お前やろ。違うの?
ボカロ楽曲制作・音楽シーンはアマチュアの世界だ。
ミクさんIAちゃんONEちゃんを歌わせてみたい、それで自分なりの表現をしたいってこの世界に入ったんと違うか?

お金握らされて作ってるプロが上でキラキラ自己主張してるから勘違いしてる奴が多いが、ここはプロへの登竜門じゃない。
誰に望まれて作曲・プロデュースを始めるわけじゃない。
それを始めるのは自分で、好きでやりたい事を実現する気持ちだ。

「採算取れないから同人やめます」
「支援者が少ないから活動やめます」

こういうお気持ち表明する人よくいるけど。
同人は言い換えればアマチュア有志で、「やりたい事」の表現の場だから。
頒布物という体裁を取ってるから、イベントとかあればお金は多少は取るだろうけど、基本的に材料費に毛が生えた程度だ。
無料配布する人もいる。

好きだから、行動して、世界に入ってきてる。
私だってバンバン身銭切って作編曲してる。
過去に9曲のアルバムも作った。在庫は今も家に眠ってる。
買ったプラグインの数は知れず。
音楽関係の機材だけで総額20万は余裕で超えてると思う。
採算なんて当然考えやしない。
でも、それがやりたい事だからやった。

生業にしたいんだったら根本からアプローチを間違ってる。
音楽のキャリアを調べろ。正規ルートで仕事取れ。
やりたい気持ちが消え去ったのなら、それを誰も責める事はできない。
でもそれを周りのせいにするんだったら違うと思う。

話は変わるけど、ひとつ勘違いしないでおきたいのが、

アマチュアだからといって鑑賞者の事を考えない訳じゃない

ってこと。
楽曲制作は立派な芸術だ。
芸術は、制作者と鑑賞者の制作物を通した対話によって成立する
鑑賞者が存在しなければ、表現は成立しない。

芸術はよくわからないもの。
独創的で作者の世界だって認識が一般だけど、それは違う。
ピカソだって、鑑賞者(依頼者)の好みの画風で描くスーパービジネスマンだったという。
伝わらなければ、芸術は芸術として価値がないのだ。

自分のやりたい事があって、
それはそうと鑑賞者の事を考える必要がある。
ここがアマチュア創作の難しいところだ。
一切を意識から外して自分の表現を追求してもいいんだけど、
好きそうな表現をガッツリ当てに行ってもいい。
要するに、伝われば芸術は芸術として価値を生むわけだし。

鑑賞者に応える事が出来たら、やってることは立派なプロだ。
そこはサウンドがリッチかどうかは関係ない。
本物のプロに昇華する可能性だってきっとある。

そこは非常に境界線が曖昧な世界だ。
だからこそ、誰のため・何のためにやってるのか見失いそうになる。
自分はアマなのか?プロに片足突っ込んでるのか?
なんならプロが同人イベントに顔出してビジネスやってる。
クッソギラギラさせて長蛇の列を作ってる。
「好きでやってるならいいか」と思いつつ、「他所でやれ」とも思う。
まあでもいっか。

この世界、面白くない?
私はそういう感想も抱く。
だからこそ、改めて首を思いっきり突っ込んでる。

楽曲制作のことだけ話してたけど、
イラストもMVも作詞も作文も同じ事がいえると思う。

「やりたい事」だけが、アマチュアの原動力だ。
同人界隈に足を踏み入れたなら、「やりたい事」を見失うんじゃない
そうしないといつか必ず、悲しい思いをする。

やりたい事が消えたなら、退き時なんだろうな。
悔しい?悔しいならまだ「やりたい」は消えてないんじゃないか?

ミスマッチ②依頼を請ける覚悟はあるのか?

「プロっぽいサウンド使ってます!」
「〇〇で曲出してた人です!」

いくらプロのガワを被ろうが、アマはアマだ。
技量が多少あっても、応える意識があるかどうかの差もある。

その辺よく認識せずに、
みんなやってるから、
付けておいた方がそれっぽいから、
カッコつけたいからと
よく考えもせず依頼窓口を設定する。
むっちゃ危険だと思うんだよな、アレ。

依頼関連でトラブルになった事例は頻繁に聞いている。
依頼額が少ない・無償で投げられた、と燃えるのはもはや茶飯事だ。
最初にフラッと来た依頼をウッキウキで快諾して
リテイクの嵐でトラブルになったってのもよく聞く。
精神を病んで創作自体を辞めた人もいる。

基本依頼者側の問題だけど、野良の依頼って基本的に質が低いんだ。
リテイクを喰らっても、
「もうちょっと○○っぽくしてくれ」って言ってくれるならまだしも、
「なんか違う」「カッコよくしてって言ってるじゃん」と具体的なフィードバックが返ってこない事も多い。
依頼側もプロじゃないから仕方ない部分もあるのだが。

これに対して「こっちは金払ってるし、プロなんだから汲み取ってよ」と言われたらぐうの音も出ない。
金を受け取ってる時点でそれはプロの所業だ。
金額の多寡に関する妥当性はあれど、放棄するわけにもいかないだろう。
確実に応えなければいけないのだ。
その覚悟が、貴方にはあるだろうか?
ないのであれば、安易に請けないほうが良い。

それに、依頼請けたいは貴方のやりたいだ、という点を突かれると痛い。
前述した「やりがい搾取」と同じやり口なのだが、
良く知らずに「このくらいなら」とまんまとまけさせられる事もある。
貴方がプロマインドを持っているなら、決してそれを安売りしないことだ。

どうしても依頼を請けたいなら、最近はココナラとか専用のプラットフォームがあるのでそちらを利用することをお勧めする。
まあ、絵師はさておき大多数の音屋の場合、依頼窓口をチラつかせようが閑古鳥が鳴いていることも知っている。
なので、依頼窓口をつけようが違いはほとんど生じない。
つまり実害もそこまでなかったりする。

…やりたかったらやればいいんじゃないですかね。
色よい依頼は来ないと思うけどね。

就活が何故「自分探し」と言われるのか

一旦、話を就活にシフトする。
就活中にこんなことを言われなかっただろうか。

「就活は、自分を見つめ直す良い機会です」

面接通過と内定を集める事に躍起になっていて、
あるいは自分の生存戦略に必死で、
考える間もなかった人も多いと思う。
意識高い系の戯言だと流した人も多いと思う。

就活当時の私にとっても正直に言って完全に謎だった。
働き始めないと見えてこなかった。
聡明な人は気付くのだろうが、初見で気付けというのには無理がある。
ここはさっさと気付いたことを言ってしまおうと思う。

就活の本質は、「自分のやりたい事」と「世の中の人が自分にしてほしい事」の妥協点を探ることにある

世の中には、いろんな職業がある。
その職業は全て、「してほしい事」の具体化だ。
金を払う人が居なければ、職業は職業として成立しないから。

自分のやりたい事が、してほしい事だったらお得だ。
本来は金を払ってやるべきことを、金をもらいながら出来る。
こんなに心地の良い場所はない。天職ってやつだ。

自分視点のやりたい事⇔やりたくない事の軸をもう少し深掘りすると、
「やってもいい事」っていうものが間に見えてくる。
やってもいい」事で、社会が「してほしい事」ってのは案外多い。
しかし視野が狭まっているとなかなか気づけないものだ。

就活の時点で、専攻がこれだからと行きたい業種を絞ってしまうのはすごく勿体ない事のように思える。
その専攻を選んだ時、具体的にどの業種・どの会社に行くか、イメージはついていただろうか…?
もしくは、選んだ時とは気持ちが変わっていないだろうか…?

もちろん、会社によって給料はまちまちだ。
内定が出たところの中から待遇で一番良いところ、もしくはネームバリューのある企業に行く、というスタイルを取る学生も非常に多い。
しかしそういうやつに限って、入ってからすぐ「なんか違う」って察してすぐ出てったりする。
自分のやりたい事のマッチングが出来てなかった為、不幸が起きた瞬間だ。

もちろん学生は損をする。入ってすぐやめたという経歴が付き、そこにポジティブな理由を見いだせない限り次につくのは難しいだろう。
企業側も損をする。毎年多大なコストをかけて新卒採用を行っているのに、いきなり抜けられたら紛れもない損失だ。
離職率という客観的なパラメータにも影響が出る。
枠の都合上内定をもらえなかった、そこに居ない学生も損をしてるかもしれない。それを企業側の機会損失と捉えることも出来る。

そうした不幸が起きないためにも、
・自分がやりたい事は何なのか
・世の中の人がしてほしい事は何なのか、相場はいくらなのか
・上記を総合的に判断して自分の心地のいい居場所はどこなのか

これを就活でハッキリさせておくことが重要だ。
入社してから少し経って変わってもいい。今の自分を分析しよう。

ミスマッチ③嫌いな事を仕事に選ぶ…?

ここまで来れば、前述のこれがいかに良くない事か分かるだろう。
やりたくない事があるなら、それは給料から引き算して考えないとダメ

ただ、やりたくない事ことを押してまでやるほど給料が高い美味しい仕事ってそうそう存在しないだろう。
特殊清掃員とかも、昔は仕事が仕事だけに羽振りが良かったらしいけど、
経歴を気にせずに出来る仕事ってことで最近は担い手が結構いるらしい。

それに、やりたくない事が生む被害はたかだかマイナス数万の損失で片付けられない可能性があるのだ。

やりたくない事をやらされ続けると人は簡単に病気になる。

私が5年弱の社会人生活で得た教訓だ。
実体験だから、自信をもって断言できる。

過剰な、慢性的なストレスを受けて病気になるとどうなるか。
ストレスコーピングという言葉を聞いたことがあるだろうか?
気になる方は調べてみてはどうだろうか。
人は自己防衛反応としてストレスに対処する術をいくつも持っている。
それは人によって手段も様々で、効き目も様々なのだが。
その中で最後で最大のカードが、自ら命を絶つことだ。

通常、コーピングは効く効かないの判断が出来るようになっている。
だが、この最後のカードだけはフィードバックがない。
手を出したら終わりだ。損失は計り知れないだろう
だが、悲しい事にこの選択を取る人が年々増え続けていて、
もはや社会問題になっている。

勿論、全員が全員その道を選ぶわけじゃない。
事実、私は選ばなかったからここに立って鷹揚に喋ってるわけで。
最近は関係者の努力もあって救いの手は手厚くなってきている。
それでも私がある程度の損失を負ってるのは事実だし、
最後のカードを切るような状況に追い込まれたことがあるのも事実だ。

それを突き詰めてくと、自分の「やりたい事」「やりたくない事」の分別と扱い方がうまくいっていなかったんだな、という反省に帰着した。
周りはそれをちゃんと教えてくれようとしてたけど、
私はだいぶ理解が弱いので、時間がかかった。
こうしてヘタクソな言葉で書き下してみたけど、これが誰かの助けになればいいと思う。
当たり前の事かもしれないけどね。

まとめ

ここまでだらだら書いてたら8,000文字超してた。

・人が自分にやって欲しい事
・自分がやりたい事、やりたくない事
ここをしっかり整理して認識することが大事。

それが一番言いたかったことだ。
あと、アマチュアはアマチュアなんだから、
時が来るまでプロみたいな色気を出すな、苦しむのは自分だ
これもめっちゃ言いたい。
就活であれば、
自分のやりたい事が良い塩梅に均衡する場所を探そう

世界は、思ったより広くていろんな驚きに満ちている。
ヒントは案外そこら中にある。

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