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人が辿る生きる道、それをきっと「人生」と呼ぶ
人生のあり方は人それぞれ、千差万別。
十人十色、人の数だけ人生がある。
どうやら産声を上げたその時に目の前に真っ直ぐな道が伸びるらしい。
しかしその道のりを辿るうちに必ずしも真っ直ぐではないということに気付かされる。
一本線のようにスーッと伸びているかと思いきや、クネクネと右や左に曲がっていたり、ガタガタとして歩き難かったり、急に道が横に逸れたりもするかもしれない。
もしかすると昇り降りの差が激しく、もはや標高差と言っても差し支えないほどに辿るのが苦しい道もあるかもしれない。
だがしかし、兎にも角にも生きている以上はその道を歩んでいく他ない。
その足の歩みのペースも人それぞれ。
ゆっくりとまるでカタツムリのように進むこともある。
或いは(あるいは)まるで陸上競技の短距離選手のように猛スピードで駆けていくこともきっとある。
僕は前者を選んだ。
というよりその他の選択肢は無かった。
ゆっくりと着々と進んでいく最中、ひどい雨風に曝される時もある。
そんな時は殻に籠って外が静まぬて穏やかになるのをじっと待つ。
そしてまた進み始めると道が分かれていることに気がつく。
とりあえず運試しのように自身の感覚でその分かれ道を選ぶ。
そうして進んでいくと、とんでもない恐怖が待ち受けていた。
だから僕は後ろに退がった。
しかし、どれだけ後ろへと退がろうともあの時に選んだ分かれ道までは戻れないらしい。
それならばと。
普段はまるでカタツムリのようなくせしておきながら、その時ばかりは殻を脱ぎ捨てて、猛ダッシュでその"恐怖"という霧がかったような"不安"の中を、両耳を手で塞ぎ、両目を瞑りながら通り過ぎようと試みる。
当然前も見えないし、外からの音は聞こえない。
要するに外からの情報は無いに等しい。
その道を歩むに頼れるのは、己の感覚と足で踏んだ地面の感触のみ。
そろそろか、と思い目を開けて耳で音を聞くとそこは思いもよらない光景だったりする。
こんなにも綺麗な道だっただろうか。
はたまたこんなにも凄惨(せいさん)な道だっただろうか。
そしてやはりその先も進めば進むほど分かれ道が現れる。
悉く(ことごとく)僕はどの道を辿るかを第六感などを頼りに選んでは、進んでいく。
無論、全ての道を歩んでいるうちは僕は生きている。
「人生」とは、人が生きる中で辿る道の略称なのかもしれない。
生きているから苦しみが待ち受ける。
生きているから涙を流す。
生きているから後ろにも退がる。
それでもやっぱり生きているから前に歩み続ける。
力尽きるその時までは。
この命がくたばるその日まで僕はこの道を生きて歩んでいこうとするこの足を止めはしない。
今この道は人生の最期までのどの辺りなのだろうか。
もう少しで道は途絶えるのか、それともまだ当座のうちは道が続いていくのか。
それは誰しもが知る由のないこと。
それはほんの数メートルか、まだまだ数キロメートル先か。
それよりももっともっと遠い先まで続いていくのだろうか。
それが楽しみな人もいるだろう。
それにうんざりして辟易(へきえき)してしまう人もいることだろう。
今度ばかりは僕は後者を望む。
長くこの道を歩いていきたい訳ではない。
そう、長生きは望まない。
いわゆる「太く短く」とは望まない。
そして「細く長く」とも望まない。
この命を太くあろうとは思ってはいない。
同じく細くあろうとも思っていない。
ただし短い分には一向に構わない。
それはきっと産声を上げた時にその道も同時に生まれたはずだから。
それすらもあまりの辛さに耐えかねて途中で放棄しようと思う時もある。
しかしそれは叶わなかった。
だから僕は残りの道のりを歩くしかないらしい。
僕は「はぁ」、と溜め息を吐きながら、でもきっと若干の笑みを浮かべながら。
しかしそれでもやっぱりその足取りは重く、ぼちぼちと進んでいくのだろう。
その日々を過ごす中で上を向くと太陽が嫌になる程に眩しかったり、雨が目に入って上を向けなかったり、見上げた星空がいたく綺麗にこの両の眼に映ったり。
下を向けばその道はガタガタの歩きにくい道だったり。ただ何か大切なものが落ちていたり。
そうこうしていると歩き疲れる日もあるだろう。
前に進むのが億劫で歩く気にもならない無気力な日もあるだろう。
ただしその命が呼吸をしているのなら。
その体は生きている。
そしてきっと心も生きている。
それならばと、例え辛かろうと人はその道をどうにかこうにかしながら生きていく。
それをきっと「人生」と呼ぶのではないだろうか。
人の数だけの人生。
人の数だけの生き方。
それは素晴らしいことか、地獄のような苦しみの果てか。
その道のりを歩き終えるまでは何も答えは出ないのがその「人生」とやらなのかもしれない。
答え合わせは最期の最期に。
ひろき
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