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こんにちは。 maruです。昔のことや日々のことを書いていきたいと思います。よろしくお…

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こんにちは。 maruです。昔のことや日々のことを書いていきたいと思います。よろしくお願いします。

最近の記事

死んじゃったじゃなくて出会えて良かった

こんにちは。 大切な人が亡くなって1ヶ月が過ぎた。 死んじゃったんだと思うより、あなたに出会えて良かったと思うこと、出会うために産まれて来れたのかなと思う方が素敵だなと思った。 そりゃ、綺麗事じゃ語れない人生だけど、そんな捉え方ができる自分でありたい。 自己肯定感が高いということは、できる自分を認める力ではなくて、できないことも含めての自分をあるがままに認められる力の高さだと聞いた。 いつもあるがままの自分を認めてくれていた唯一の存在の死。 これからは、自分で切り

    • やるべきこと

      〜すべき、〜しなければならない そんな言葉を自分にかけ続けるあまり、やりたいこととやるべきことのバランスが取れなくなっていく。 自分が本当にしたいことは、この人生でやりたいことは何なのか。 すぐに出てこなくてもいい 焦らなくてもいい 自分が生きたいところに辿り着けるといいなぁ

      • 意識次第で景色が変わる

        自分の思い込みって、結構人間関係に影響を与えてる。 自分にとって嫌なこと、つらいこととしてたくさんフィルターをかけたり構えると、現実に起きてることをひどいこととして捉えるよう心を向かわせる。 自分の思考が感情を支配することって思ったより簡単なんだなと思った。 それなら、ちょっと意識を変えてみて自分の不快ポイントを摘み取れるように準備していったら、結果が変わるかも。 変わったら嬉しくてどんどん元気が出るし、工夫も積み重ねていく。 変わらなくても、次はどんなことをしたら、

        • 自分の位置

          結婚を考えた。 いまの自分が結婚したいのは、そこにいま抱えているしんどさの解決を全て任せているからだと思った。 私は結婚しても幸せにはなれない。 それは分かりきったことなのに、何を解決したいのかすらわからなくなって結婚がしたいという思考に陥る。 結婚というものに何をつめこんでいるのか。 私の悩みはどこにあるのか。 ひたすら自問自答する。 そういう時に浮かぶのが、尊敬している人の顔。 きっとあの人なら、そんな考えんでええ。 そう言うんじゃないかな。 その一言で

        死んじゃったじゃなくて出会えて良かった

          家族間の暴力がもたらすもの

          家族から暴力を受けた経験を話したいと思う。 わたしの家は、親が子を殴ってしまうことがあった。 しつけというよりは、ストレスの吐口や、思い通りに行動しない子どもへの罰のような感じだった。 私は親から直接殴られたことはなかったが、兄弟が暴力を受けていて、そのストレスが連鎖して私に流れていた。 兄弟が暴力を振るわれると、次は私が兄弟から暴力を振るわれる。 その繰り返しだった。それは、親からの暴力がなくなっても続いた。 なぜなら、記憶に刻まれた傷は簡単には消えないからだ。兄

          家族間の暴力がもたらすもの

          読書と経験が結びつくとき

          本を読む楽しみの一つに、書いてあることが自分に起こった出来事と結びついて納得できるということがある。 あの出来事はそういうことか!と発見してその本と出来事がピタッとハマる感覚が好き。 自分の中での言葉にならない感情や、なんとなく流していた出来事の一つ一つをまとめてくれている文章に出逢うと、ちょっとした歓喜。 誰かに伝えるほどのことでもないのだけれど、そういう時に本を読むことの喜びを感じる。 表現には色々な方法があって、それぞれの立場がある。 その中で読書は静かに心を

          読書と経験が結びつくとき

          きょうだい児

          みなさんは、きょうだい児という言葉をご存知でじょうか。 家族に障害を持つ人がいて、私はいわゆるきょうだい児と呼ばれる立場にあります。 どのようなイメージを持たれているかわかりませんが、きょうだい児として感じてきたことを少し、お話できたらなと思います。 障害にもいろいろあると思いますが、私の家族は発達障害と診断されています。 同じ診断名でも一人ひとり症状や特性は違い、全く同じ人はいないのに、一括りに考えられてしまうことが多いです。 最近では発達障害への理解が深まる一方で、少

          きょうだい児

          掃除

          人生で、掃除を教えてくれた人が2人いる。 1人は小学生の頃、もう1人は高校生の頃だった。 小学生の頃は仕事という気持ちが大きかった。 学校に行けない分、家中の掃除をする。それが自分の役目だった。 ただひたすら、無心で掃除した。掃除機をかけてトイレ掃除をしてモップがけをしてお風呂掃除をして、洗面台が終わると鏡を仕上げて、玄関の掃き掃除。 洗濯機の使い方を教わったのもその頃だった。それまで家事というものをしてこなかった。結局、小学生のうちはそこまで興味がわかないまま、淡々

          コンプレックス

          自分の顔にコンプレックスを持ったのは中学生の頃だった。 それまで何も意識していなかったのに、急に自分の顔が嫌になった。 きっかけは人から言われた言葉だったけど、その後コンプレックスを深めていったのは自分自身だった。 ちょうど顔立ちや身体、心も大きく変化する時期で、自分の気持ちと成長がちぐはぐな感覚になり、違和感だらけだった。 とにかく人の視線が気になり、家を出る前はいつも変じゃないかが気になった。 思春期のひと言で済む事だけど、当時はもどかしさでいっぱいだった。今、中

          コンプレックス

          迷子

          小学生の頃、迷子になった。 調理実習が嫌で、学校に行くふりをして家を出て、2、3時間歩いているうちに迷子になった。 最初は親戚の家に行こうと思い立ち、車道にある青い標識を見て新宿方面を目指して歩いた。 今思えばどうしてそれだけで辿り着けると思ったのか謎だけど、自信満々で向かった。 見知らぬ歯医者や大きな看板を見ながら歩くうちに、だんだん寂しくなってきた。 雨も降り始め、どうしてここにいるのかわからなくなった。 新宿には辿り着けず、力尽きた。 ランドセルに入っていた

          学校

          学校に行けなかった。 ずっと、「行けない」のか「行かない」のか考えていた。 今はどうしても行けなかった自分のことを認めていて、それで良かったとも思う。 当時、怠けてると言われればその通りだと思ったし相手が責めたいだけ責められる立場にあった。その時言われた言葉の一つ一つが胸に刻まれている。 つらい、苦しいという気持ちは理解されないのが当たり前で、理解してくれたとしてもそこから先に大人が掲げる目標は、「学校に行けるようになること」だった。 それは私の中で、本当に理解して

          自殺未遂

          自殺未遂。 私はこの言葉の意味を勘違いしていた。「自殺未遂をした人」という捉え方は、間違っていた。 その人は、「自分は自殺未遂をしたんじゃなくて、自殺したんだ、失敗してしまっただけで」 そう話してくれた。その話を聴く時まで私は、結果が自殺未遂に終わればそれは自殺ではないと考えていた。 ただ、本人の表情や声色に、勘違いするなという強い気持ちが表れていた。 それからは、その人に対して「一度自殺した、助かった人なんだ」と思うようになった。そう捉え直すことで感じる悲しみやつ

          自殺未遂

          腹痛

          お腹がいたい。 この痛みと向き合い始めて数ヶ月。 少しずつわかってきたことがある。 それは、お腹は冷やさない方がいいということ。 クーラーガンガンそうなとこに出かける時は上着を持って行き、 夜はお腹にお布団をかけ、締めつけない靴下を履いて寝る。 飲み物はなるべく温かいものを選び、お腹を温める。 大好きなアイスも我慢した。 アイス我慢が私の中ではわりと効いた気がする。 みなさまのお腹の痛みも和らぎますように。