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きょうだい児

みなさんは、きょうだい児という言葉をご存知でじょうか。
家族に障害を持つ人がいて、私はいわゆるきょうだい児と呼ばれる立場にあります。
どのようなイメージを持たれているかわかりませんが、きょうだい児として感じてきたことを少し、お話できたらなと思います。

障害にもいろいろあると思いますが、私の家族は発達障害と診断されています。
同じ診断名でも一人ひとり症状や特性は違い、全く同じ人はいないのに、一括りに考えられてしまうことが多いです。

最近では発達障害への理解が深まる一方で、少しでもその兆候を感じる子がいると、簡単に発達障害ではないかと周りが口にして、必要以上に保護者を焦らせてしまうような風潮があるようにも感じております。

障害があるないに関わらず、あくまで個性の一つとしてその子の言動を捉えていくことで、治すものやあってはならない部分としてではなく、そのままを活かせる環境はどのようなものか、どうしたら築いていけるかを一緒に考えていけるのではないでしょうか。

とはいえ、実際に共に生活する家族としては第三者の方々から頂く、冷静なアドバイスも跳ね返したくなるほど余裕がありません。

日々トラブルが起きては解決を試みて、一難去ってまた一難を繰り返してきました。

ですが、その子が産まれてきてくれたこと、生きていてくれることがとても尊く、愛おしく感じるものです。

そのように感じるまでには時間がかかりました。物心ついた頃から暴れ回るその子に対してどう接するかを毎日試行錯誤して、やっと自分の人生を生きられるようになったのは物理的に距離を置いてからでした。

距離を置く分、綺麗事が言えてしまいます。
自分の生活がままならない状態でその子のそばに居ることはできませんでした。

その子が少しでも幸せに生きられるようこれからも学んでいきます。

みなさまにとってそのままの自分が受け入れられる居場所がありますように。

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