見出し画像

兄妹格差の傷。

私には、4つ上の、血の繋がった兄がいる。

兄とは、私が22歳になる年の4月に実家を出るまでずっと一緒に暮らしていたが、私が小学6年生になった頃から、一言も言葉を交わしていない。目も合わせていない。
(喋ってない期間は私の人生の半分以上になる)

喧嘩したとか、なにか大きなきっかけがあったわけではなく、気づいたらもう何年も話してないな、という感じだった。
“喋りたくない、関わりたくない”と拒絶していた時期はあるが、もう今となっては“今更なにをどうやって”喋ったらいいかわからない。


兄は、大学卒業後に就職した職場を1ヶ月程度で辞めて、その後、様々な会社に就職しては辞め、無職の期間を過ごし、また就職しては辞め、無職の期間を過ごし、、、
卒業後の6年弱で、働いていた期間は合計しても半分くらいだと思う。

無職の期間、必死に仕事探しをするわけでもなく、一生懸命バイトをするわけでもなく、なにか資格を取るわけでもなく、かといって遊び呆けるわけでもなく、引きこもるわけでもなく、本当に“ふわふわ”生きてきている。


母はそんな兄に対し、だんだんと甘くなっている。
子どもの頃から、兄にも私にも「正社員で働かない人は家を追い出すから」と何度も言い聞かせていた。
兄が初めて仕事を辞めた時は、「辞めるにしても次の仕事決まってからでしょ」「無職の期間があるなんてありえない」という考えだったし、「絶対に新卒1年目の今年度中に就職しなさい」「必ず正社員で。」と口うるさく言っていた。「でないと家を追い出す」と。
しかし、全然働き始めなかったり、働き始めてもすぐに辞めてしまう兄を見て、「2年目のうちには必ず」「まぁ身体壊すくらいなら、辞めた方が良いか」と言うようになり(ちなみに、特に仕事が原因で身体を壊したことはない)、それがだんだん「25歳までには、、」「とりあえず正社員でいいところが見つかるまではバイトでも良い」「お金もないだろうから追い出すわけにもいかない」「最悪30歳までには、、、」と、言うことがどんどん変わっている。
現時点で、「30歳までには正社員として就職を。」「さすがにそれが無理だったら追い出さないとね。」と母は言っているが、これまでのことを考えたら、きっといつまでも許し続けるんだろう。



自分が無職であることに焦りを感じておらず、なぜか毎日ものすごく楽しそうに生きている兄。
何度失業しても、落ち込む様子もないし、必死に就職活動する様子もない。
なにか資格を取ろうと、パンフレット等を取り寄せてみたり、スクールに通ってみたりはするものの、気付いたらやめていて、結局なにも取っていない。
それでもなにも焦っていない。
全く落ち込んでもいない。

どこまでポジティブ人間なのかと感心する。

思い返せば、昔から、自分への自信と期待が不思議なくらいにものすごく高かった。
幼い頃から今に至るまで、兄はなにかで“優秀”だったことも“成績を残した”こともなく、“なにか秀でた才能を持っている”と言われる環境で生きてきた経験もない。
どちらかといえば、というか、誰がどう見ても“なにをしても別にそんなにできない”タイプの人間だ。
だから成功体験は少ないはずなのに、なぜかいつも“自分はもっとできる”と思っていて、結果が出なくても“本気出せば俺はできる”と思っているため、自分に対して落ち込んでいる姿を見たことがない。
自己肯定感が爆高い。
私には到底理解のできない思考と感覚だ。

、、、貶しすぎている気がするので兄についてはこの辺にして。
ちなみに、唯一、嫌味なく褒めれるなと思うポイントは、「基本的に優しい人」であること。



最近、こんな兄の話を、母と会う度にする。
そしてその度に、私の心の傷は広がり、深くなっていく。


自分の意思で福祉系の大学に行ったのにも関わらず、なんの資格も取らずに卒業した兄に対して、母は「進学するなんて思ってなかった。進学できたのがすごい」そして、「4年で卒業できただけ十分」と言う。
さらに今、兄がこれだけ働いていなくても、母はその状況を許しまくっている。
それなのに、
妹の私が進路を専門学校に選んだとき、母は心の底から納得してなさそうにしていたし、遠回しに嫌味っぽく“大学しかありえない”という考えを漂わせてきた。
看護の国家試験の直前には、母に
「ほんと頼むからね。」と言われた。
この言葉に込められた意味は、
“国家試験受からんかったらどうなるかわかっとるんだろうね?”だ。
“落ちたらお前の未来はないぞ”と。

え?
この、兄と私への、母の対応の違いはなに?


過去を振り返ると、、、

小学生の頃、親の提案で、お遊びの陸上教室やマラソン大会に参加することがあった。
兄は、参加しても特に結果を残すことなく終えたり、参加を嫌がったりしていた。そしてそれを、親は普通に受け入れて、許していた。
私は、割と結果を残せることが多かった。そして、結果が残せなかった日や記録が落ちた日には、母の反応や機嫌が悪くなるのを強く感じ取っていた。あまり参加に対して乗り気ではない発言をしたときの、母の不満そうな態度も感じ取っていた。結局、イベント側の年齢制限がくるまで、参加しない選択肢は選べなかった。“嫌だ、行きたくない”と思いながら“楽しんでいる子”を演じ続け、最後までやりきった。


中学生の頃の兄は、進学できる高校がほとんどなく、母が塾に通わせ、塾の先生に頼み込んで、なんとかしてとある高校の合格を掴み取った。
兄の高校での成績は学年順位ワースト10位以内が当たり前、毎年留年の危機で補習も当たり前だったくらいに勉強をしていなかった。母はいつも「留年さえしなければいい」「3年で卒業できたらいい」と言っていた。

私はそんな兄と、4年違いで同じ高校に進学した。部活の準特待生として声をかけていただいた。
成績は学年の上位3分の1には常に入れるくらいの勉強はしていた。
そんな私に対して母はいつも不満そうだった。
少しテストの点が良くて喜ぶと、「上には上がいるんだよ」「それが毎回続かないと意味ないじゃん」「これで喜んでていいの?」と言われた。成績が悪いと、不機嫌になった。

私の成績に対する反応は、中学生の頃からそんな感じだった。褒めてもらった記憶は一度もない。
中学生時代は、部活で先輩がいる中でも活躍したり、自分の代でキャプテンとしてチームを引っ張り、結果を残している私を見て、母は満足そうだった。
室長(学級委員)や学年代表、委員長など、学校や学年の中心メンバーになり活動したり、行事で目立つ役回りをしたり、そんな私を見て、母は満足そうだった。
懇談で先生に褒めていただけたり、通知表に書かれた先生からの褒め言葉を読む母は、満足そうだった。
褒めてはくれなかったけれど、機嫌は良くて、満足そうだった。
高校で、そのような類の活動や活躍を全くしなくなったことで、満足そうな母を見ることはなくなった。
小学校、中学校時代の私の様々な活動や活躍、先生方からの褒め言葉など、母が満足している私の過去の話は、大人になった今でも時々、なぜか母が自慢げに私に話してくる。
褒めてはくれない。そして、私の意欲や頑張りなどの過程に対しては触れず、結果のみを満足そうに話す。

これは無条件の愛ですか?
無条件の承認ですか?

中学時代の兄は、行ける高校がなくて本気で母が悩むくらいに勉強はしていなかったし、部活もなんとか3年間続けたものの、後輩にどんどん抜かれていく、最後まで結果が残せない部員だった。学校での活動や行事も最低限の参加しかせず、目立たない学生だった。先生から言われることも、当たり障りのない、“誰に対してでも言える”ような“使いまわせる”内容の評価ばかりだった。言うことがなくて先生も頭を抱えたんだろう、というのがわかってしまう通知表の文章だった。
そんな兄に対して、母は「部活3年間続けたのがすごい。それだけで素晴らしい!」と言う。




昔から、母はなんでも
“兄には結果を求めず”
“私には良い結果を求めてきた”


兄は、生きているだけでよかった。
悪いことをしても、手がかかろうとも、母の前で生きてさえいれば、全てが許された。
結果どころか、頑張った過程すらなくても、存在しているだけでそれで十分。

私は、良い結果や誇れるものがあれば、認めてもらえた。それがなければ、存在することすら許してもらえなかった。頑張った過程がどれだけたくさんあったとしても、結果がなければ無意味だった。結果が伴わない私は、存在してはいけなかった。

――これはきっと私の思い込みだろう。

けれど、そう感じて生きてきたという事実は確実にここに存在する。
そしてそれに苦しめられてきたことも、事実としてきちんと存在する。

母はそんなことには一切気付かず、
「兄妹平等に育ててきた」
と自信満々に私に自慢してくる

そういえば母も自己肯定感が爆高いんだった。
あぁ、兄の自信家ぶりは、母に似たんだな。


つい先日、普段兄の話題はヘラヘラ笑って聞き、おふざけでいじる程度にしか突っ込まない私が、少し真面目に「(働くことに関して)もうちょっと頑張らなかんと思うけどな。」と言ったら、母からこんな言葉が返ってきた。
「まぁねえ。でも人には人の、、あれがあるじゃん?」と。
母の言っている“あれ”とは、“キャパシティ”とか“限界のライン”とか“レベル”とかそういうニュアンスのことを指していた。


、、、なんだよそれ。

正しいけど、正しくないよ。

そういうことじゃないんだよ。

どこまで兄のことかばうんだよ。




また別の会話のときには、母から信じられない言葉がとんできた。
“この状況で、なんで兄はあんなに楽しそうに生きてるんだろうね。ポジティブすぎて感心するよね”
という話をしていたとき。
母は「まぁでも、落ち込んだり引きこもりになったりするよりいいよね」
「なんか変な病気になっても困るしさ。うつ病とか。ねえ?」と。

・・・。

自分がこの人から生まれてきて、この人に育てられたんだと思うと、吐き気がした。

もし、母に、私がこれまで隠してきた自分の姿を見せたとしたら、変な病気の人だと認識されるらしい。

私、「反復性うつ病性障害」という診断名ついてますよ?「摂食障害」もありますよ?
自傷行為してますよ?自殺願望ありますよ?希死念慮ありますよ?正真正銘、精神を病んでますよ?
あなたの娘、変な病気かかってますよ。

ていうか、変な病気ってなんだよ。
偏見にもほどがあるだろ。
なんなんだよ。

どこまで傷つければ自分の誤ちに気付くんだよ。
どこまで傷つければ気が済むんだよ。





物分かりがよくて、空気が読めて気が利く“いい子”だった子ども時代の私は、
きっと、母に認めてもらいたくて、いい子になった。
もっと私のことを見てほしくて、お兄ちゃんだけじゃなくて、私のことももっと構ってほしくて、いい子になった。

いい子でいなきゃ、冷静沈着で物事を理論的に捉えられる人にならなきゃ、家族が成り立たなかったのかもしれない。
いや、そうでなきゃ、あの家族の中に私の居場所がつくれなかったんだと思う。




ねえ。返してよ。
私の子ども時代、返してよ。

もっと子どもらしく生きたかったよ。
妹として振る舞いたかったよ。





絶対に返ってこない子ども時代の苦しみを抱え、成長とともにこじらせながら大人になった私は、ずっと、うまく生きられない。

安全基地がないまま成長して
精神的居場所を得られないまま大人になって
歳を重ねるごとに自己肯定感を失って
その結果の今がある。

「自分の子育ては大成功だった!」と得意げに自慢話を娘に聞かせているとき、母はどんな気持ちなのだろう。なんて反応してほしいのだろう。
「お母さん最高!育ててくれてありがとう!」と言ってほしいのだろうか。
、、、舐めんな

あんな息子とこんな娘を完成させといて、子育て大成功だなんて、やっぱり母は自信家で自己肯定感が爆高い人だ。幸せ者かよ。


兄のことも、母のことも、そしてこれらの状況を黙認してきた父のことも、許せない。






ただ、ほんとうは。。。

ほんとうは、兄はなにも悪くない。
もしかしたら、“いい子”で色んな結果を出しながら生きていた妹に劣等感とかを抱いたことがあったかもしれない。親が、兄自身ではなく妹にかける期待の方が大きいことを感じて、苦しんだことがあるかもしれない。
真実はわからない。会話がないから、聞いたことがない。聞いてみたいと思う気持ちもあるが、返答によってはさらに傷つく気がして、聞きたくないと思ったりする。
兄の気持ちや考えがなにもわからないから、兄も被害者だ、とはいえないけれど、少なくとも兄は直接的に私に加害はしていない。だからなにも悪くない。

そして、、、きっと、父もなにも悪くない。
あまり良くない家庭環境で育った父は、親子関係というものを上手に築けないのだと思う。子育てとか、教育とか、我が子を愛するとか、たぶん、わからないなりに色々考えて、父なりに関わってきてくれたんだと思う。そして、最愛の妻を尊重する気持ちも大きかったのかもしれない。

母も、、、悪くないのかもしれない。
何をしても“人よりできるタイプ”の人間として生きてきて、“努力することも難なくできてしまう”人で、常に自分の希望を叶え続けて生きてきた。そんなすごい人だから、できない側の気持ちなんてわかるはずない。仕方ない。
そんな自分と、自分が愛した人の間に生まれた息子がちょっと問題児で、きっとなかなか受け入れられなかったんだろう。次に生まれた娘が、息子よりちょっとできる子で、嬉しくなって、全ての期待を娘に注いでしまったんだろう。そうしていくうちに、娘も、自分のようになんでもできて当たり前だと錯覚していったのだろうか。
きっと、我が子を愛してないわけじゃないんだと思う。きっと、ずっと大切にしてくれてはいる。その方法が、ちょっとズレてしまっていただけなのかもしれない。それは母のせいなのではなくて、母が生まれ持った能力と、育った環境が必然的にもたらした結果なのだと思う。

そして、そんな2人がお互いをパートナーとして選んだ結果、このような子育てが完成しただけ。その結果、あの兄が完成して、この妹が完成した。
誰も、なにも、悪くない。
父を育てた祖父母、母を育てた祖父母たちも、悪くない。
みんな、その時の精一杯の判断をして、その時の最大限の愛情を持って、子育てをしてきたのだと思う。
そう信じたい。
それが少しずつ少しずつ、ズレてしまった結果、今がある。ただそれだけなんだと思う。






だから苦しいのです。
誰も悪くないとわかっているから、余計に苦しいのです。

ぶつけるところがない。
責める相手がいない。
だって誰も悪くないから。

けれど、私は圧倒的に苦しいし、やっぱり親を許せない。

だから、私は自分を責める。
何も悪くない人たちのことを責めてしまう自分が、憎くて、許せない。
仕方がないことが連続して起こったことを原因にして、精神を病んでしまっている自分が、情けなくて、許せない。
親の、我が子への愛情を真っ直ぐ受け止められなかった自分が、弱くて弱くて許せない。
“条件付きの承認しかもらえなかった”
“条件付きの愛情しかもらえなかった”
と、本人に聞こえないところで嘆き、喚き、叫び、傷つき続け、泣き続けることしかできない自分が、しょうもなくて、許せない。

こんな娘で、こんな妹で、ごめんなさい。
こんな私でごめんなさい。
こんな私なんかが存在しててごめんなさい。




結局1番悪いのは、どう考えても自分。

ごめんなさい。










最後までお読みくださった方、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?