アセット_10

ハイスペ女子が裏垢女子ツイッタラーになるまで / Tinder文学 第5話

女としての幸せ。という、不思議な単語がこの世には存在する。

あなたもGoogleで検索してみるといい。クソみたいなキュレーションサイトが、A4用紙1枚の重みもないようなクソみたいな文章を、ビュー数獲得のために何ページにも分けて書いたクソみたいな記事がいくつも見つかるはずだ。
いくつか読んでみたので、再現してみせよう。

女性として生まれたからには、仕事だけじゃなくて恋愛も楽しまなきゃ損!
カレに愛されて、女の幸せをゲットするための4つの秘訣を教えちゃいます☆

① ハッピーに生きる!ポジティブなエネルギーで意中の彼を振り向かせちゃおう

② オンナはいつだって綺麗に!ツメやクツなど、意外と見られるポイントにこそ気を付けよう

③ 強がってるだけじゃダメ!女の子らしい弱さに男の子はキュンとするはず

④ 時には積極的に!さりげない上品ボディタッチで彼もメロメロ♡


いかがでしたか?具合が悪くなりませんか?

こういった類の言説は、一種の呪いであり、ヘイトですらあると思う。
「女」という、その人に(少なくとも身体的/生物学的には)先天的に与えられる選択不可能な属性を、クソライター個人の思う幸せの矯正具の中に押し込むような、そんな無邪気な呪い。
この呪いのタチの悪さはー 前述のような意見を持つ人が世間に少ない、それも女性の中にも少ないということで、裏を返せば、日本国民の多くが、そうだよな~ウンウンと言いながらクソ記事をツイッターでシェアしたりなんかする。
普段は愛想がいいので、よく結婚式に呼ばれる。おれたちゼロ年代は、だいたいモー娘。か木村カエラ、そして恋愛ソングの女王・西野カナ先生の曲が採用されがちだ。

今日から君が歩いてく 新しい未来への道
たくさんの愛に包まれて 大きな夢を今この場所で叶える君を 心から誇りに思うよ
西野カナ「Dear Bride」(2016)

さて問題です。文中の「大きな夢」とは何を指すでしょう?
正解は「結婚」である。ぜひこの曲の歌詞に全部目を通してみてほしい。
西野カナと「君」を含む数人の友人同士は、「あの頃」から「誰が最初に結婚するんだろう」って話していた。あの頃がいつなのか明示的でないが、何にせよ「大きな夢」として結婚を想像する曲を書く歌手と、それに共感して結婚式でその曲を流す「女子」が、この国にはたくさんいるのだ。

そんな西野カナフォロワーたちに囲まれつつも、西野カナ的な価値観を「呪い」と捉え、距離を取ろうとする女子の人生は、一体どんなだろう。
今日は、そんな呪いに抗おうとし、時に屈し、その苦しみを癒す麻薬として「架空の人生」を選んだ、ある女の子の話をしようと思う。


近頃都に流行るもの。それは間違いなく「暇な女子大生」であった。
「膣キュン」「膣ドカタ」「東大ちんぽ」「京大ちんぽ」「優勝」…湧き出て止まらない品位0のパワーワードはもちろんのこと、「俺たちは生きているだけで偉いのだ」と高学歴ボーイズの股ぐらをいきり立たせるその高学歴ポルノに、おれたち某私立大生も熱狂した。みな口を開けば「暇女」の話をしていた時期というのが、この国のある時点で、確かに存在した。

たまごっちが流行るとそのパチもんが出てきたように、「暇女」が流行したその時、暇女ワナビーというか、二匹目の膣を取りに来た裏垢女子がたくさん湧いた。

プロフィールはこんな感じだ。

生きてるだけでモテる24歳CA♡
高学歴大好き♡商社広告大好き♡合コン大好き♡銀座大好き♡
twitterは、ハイスペ男子と遊んだ日記がわりに使います♡

で、プロフィール画像は石原さとみか泉里香。いい迷惑だ。
決して自分の顔は出さず、とにかく自分がモテた話、特に「ハイスペ男子」なるものを翻弄し、時に翻弄されたというエピソードが延々と語られる。たまにアップされる、ハイスペ男子から与えられたという高いフレンチレストランでの食事やプレゼント(バッグやアクセサリー)が彼女らの実在を裏付けるべく機能した。
こうなりたい、と思う女の子と、こういう女の子から生きてるだけでモテたい、と思う自称ハイスペ男子がすぐに彼女らを取り囲んだ。世は群雄割拠の裏垢女子時代を迎えようとしていた。

そんな時、私も1人の裏垢女子と飲むことになった。当然、出会いの場はツイッターでなくTinderである。


職業柄、流行には敏感である。目に見えるようで目に見えない、まさしくバーチャルな流行を遂に実体として捉え、眺めることができる好機を私は見逃すことができなかった。
場所は当然銀座だ。コリドー街のわかりやすく銀座らしいカジュアルビストロと、東銀座寄りの落ち着いているが実力のあるレストランを提示したところ、当然のように前者を選んできた。これぞおれの期待した裏垢女子…と、小さい感動を覚えながらお店に予約の電話をした。

彼女のプロフィール写真は、例によって石原さとみだった。

季節は2017年の夏の終わり。
首都高から発せられる騒音も排ガスも、すべて抜けのよい青空を経て宇宙の果てまで届くのではないかと思われた。約束の19時。まだ人もまばらなコリドー街には、沈みゆく陽光の残照と、取り残された熱気がアスファルトにまだ潜んでいた。

カウンター席に座る私の隣にやってきたのは…なんというか、すごく地味な普通の女の子だった。
小さい目、小さい鼻、薄い唇。薄めで、ありきたりなメイク。
黒くて、やや重たすぎるボブ。
季節に取り残されようとしている、オフホワイトのサマーニット、ベージュの丈の長いスカート。サンダル。いずれにも装飾らしい装飾はなく、またアクセサリーもつけていない。いずれの品も特に高いものでもなさそうだ。彼女に投げかけた僕の視線も、彼女をするりとスルーして宇宙の果てまで飛んで行ってしまうような特徴のなさ。ユニクロが人になったらこんな形をしているのだろう。
少なくとも、僕の想像する裏垢女子の像からはかけ離れていた。


銀座ですしね、裏垢女子ですもんね、とカヴァで乾杯する。
まずはいきなり、卒業大学名を確認される。
「なんか、こう、証拠になるものというか。たまに学歴詐称している人もいて…」
裏垢女子の洗礼を浴びて面食らうが、ここで学歴詐称認定されてツイッターでネタにされるほうがムカつくな、と判断して、紺色の卒業証書を持った私の写真を見せた。
「あっ、これS君ですよね。」私の隣に写るクラスの友人S君の名を彼女は口にした。
「あれ、知り合いですか?」
「うん、わたし大学は早稲田なんだけど、」
就職先は、まだここにない出会いを生み出すあの会社で、そこで会社の同僚であるS君と知り合ったらしい。
「内定者の頃に一瞬だけ付き合った女がいたって話、聞いたことない?」
心当たりがあった。結婚にも交際にもメリットを感じない、紙ペラ1枚あるだけでやることは変わらんだろ、が口癖の遊び人S君にしては、付き合うなんて珍しいなと思ってやけに覚えていた。

S君の話はそれきりにして、私は核心に切り込む。
「アカウント、どれです?もう勤務先も卒業大学も、元カレも晒したんだから、もう守るもんなんてないでしょう」
えー、と言いながらも、彼女はツイッターを開き、あるアカウントを見せてくれた。


いわゆる量産型の裏垢女子である。フォロワーは限りなく少なかった。
「アカウントの運用上、ぜひリアルなハイスペ男子の話を集めたいし、できれば男の子の写真も撮らせてほしいんだけど、ツイッター経由だと変な人来そうだし、」
それで、Tinderで大学名を明示している男性に片っ端からlikeを進呈しているそうだ。
「黙っといてよー、これ私だって。会社にも怒られちゃいそう。代わりに何か秘密を教えて」

お互い秘密を人質にするという提案だった。私は、私の独特の性癖について彼女に教え、彼女はそれに大笑いした。お認め頂けたようだ。

彼女との会話は愉快だった。
彼女のアカウントー 既に削除されているが、確か「あいりちゃん」という名前だった ーは、男性陣の学歴に釣られて参加した合コンで一番のブサイクに持ち帰られたとか、ゴムを取り扱う総合商社マンがゴムをつけてくれなかったとか、なんというか、裏垢女子哀史とでも呼ぶべきようなツイートが多く、他の裏垢女子アカウントとは一線を画している感じがした。何と言っても、文章がうまい。知性は接続詞と句読点に顕れる、とは私が常日頃主張する自説であるが、彼女の文章はまさしくそれであった。二人でああでもないこうでもない、と言いながらツイッターの画面を眺め、安い白ワインのボトルをあっという間に飲み干した。

「ね、写真撮らせてよ、顔は写さないし、大学も他のとこだって書くから。ハイスペ男子と銀座で飲んでます♡って書きたい」
やや酔った僕は、喜んでモデルを引き受けた。大学進学を機に親から買ってもらったオメガの腕時計がよく見えるように、左腕を絶妙な角度に置いたその写真は、今でもインターネットの海を、プラスチック製ゴミのように漂っているのだろうか。

ワイン2本は危険だ、との良識的な意思決定をして、次はデキャンタで赤ワインを頼んだ。味のしない生ハムと合わせてだらだら飲む戦略だ。

「なんで裏垢女子やってるの?」
渋みも香りも何もない安いチリワインを飲む彼女に、僕は問う。
「てっきり、何と言うか…こう…」
女子大でインカレサークルにでも入って、東大生や早大生と遊んで、卒業後は生保の一般職にでもなって、専業主婦を夢見るような、
「そんな女の子がやっているのかと思ってた。」と、私は偏見をぶつけてみた。

彼女は、グラスに残る赤ワインを飲んで「味も香りもないね」と言って、
「もしかしたら、そういう人生に、少し憧れてたのかも」と続けた。

よく勉強のできる子だった。メガネをかけて、テストはいつも満点。授業参観では、一番難しい問題を黒板で解いて見せて、母親もそれに満足げだった。
中高は御三家に進み、東大にこそ届かなかったものの早大法学部に進学。法曹の道も考えたが、既存のルールという狭いプールの中で泳ぐよりも、自ら新たなマーケットを開拓し、その大海原で心地よく遠泳するビジネスの道に惹かれ、とある有名企業に就職。現在はサービスマネージャーとして既存サービスのグロースを担当しつつ、新規事業の開拓にも参画する。


欠けるところのまるでない完璧な人生だ。しかし、その人生には唯一の、そして最大の欠落があることに、彼女は数年前、白金台の八芳園で気付いてしまった。

話は2年間遡る。御三家で共に苦しい大学受験を乗り越え、見事に東大への進学を勝ち取った戦友の結婚式が執り行われた。
八芳園で開催されたその式はー あまりに平凡というか、ありきたりだ、と彼女の眼には映った。
手作り感の強い、安っぽいオープニングムービー。スポットライトが集まる両開きの大きな扉から入場する新郎新婦。メガネのひょろりとした新郎には、タキシードは一切似合っていない。その新郎のつまらない挨拶、しかし集まる大学同期たちからのガヤと下品な笑い。新郎上司の挨拶と新婦上司の乾杯。ケーキ入刀、二人の出会いの場である安田講堂を模したチョコレートケーキ。そして新郎新婦連れ立って会場を巡り、写真撮影タイム。

高校でも常に上位の成績を獲得し、そして見事に東大に現役合格した新婦は、その後経産省に入所し、活躍する女性官僚としてしばしば新聞等の取材も受けたと聞いていた。しかし、ハートの風船を手に彼女のもとにやってきた新婦は、彼女が見たことのない表情をして、彼女が想像もしない言葉をいくつか吐いた。
「えー絶対はやく結婚したほうがいいよー今すごい幸せー」
「合コン開いてあげよっか?経産省だったら独身いっぱいいるよー」

幸せ太り、と表現すべきなのか、ややふくよかになった新婦の顔はー しかし、彼女がこれまでみたこともないくらい素敵な笑顔に溢れていた。
「あとね、みんなにしか言わないんだけど…」
新婦はそして、その幸せ太りの原因が妊娠であることを告げ、出産後はいったん産休を取り、場合によっては専業主婦になる覚悟があると話した。

みんなで写真を撮って、新郎新婦が次の卓へと移動したのち、彼女の座る高校同級生の卓は、異様な空気に包まれた。
いったんの沈黙。そして、その沈黙を気まずく思ったのか、めでたい式で高尚な哲学的思索に耽ることをよしとしなかったのか、みな一様に「かわいかったねー」「出産祝いもしなきゃ」などと話し始めた。が、彼女を含む彼女らの頭を支配したのは、2017年における高学歴女子の幸せについてであったに違いない。
彼女は、同卓の皆の顔を見る。化粧っ気のない顔、髪は染めておらず、見た目よりも実用性を重んじてかショートカットが多い。ドレスだって、きちんとしたところで買った人なんていないだろう。名門大を経て名門企業に勤める彼女らの所得に比すと、あまりに安っぽくて、かわいくないものばかりだった。

たまらなくなって、お手洗いに行く。誰もいない。鏡の前に立つ。
彼女が彼女らに向けた先ほどの言葉は、彼女自身にも適用されうるということを、彼女はよく理解していた。
前日の深夜残業でついた隈、不健康にこけた頬、ファンデーション越しにも見えるニキビ跡。潤いの足りない癖っ毛。うまく書けなかった眉とアイライン。来る途中にルミネで適当に買った、安っぽいサテンのドレス…。

お手洗いを出ると、他の会場での式に出席するであろう女子の一群がいた。スマホをいじるふりをして話を聞いてみると、実践女子大のインカレサークルに入っていて、そこで知り合った法政大生と結婚した女の子の結婚式があるらしく、そこに溜まっていた彼女らもそのサークルのメンバーだったらしい。
彼女らをじろりと見る。細くて白い腕、明るい茶髪を綺麗に結んで、そのためによく見える頬も首筋もうっとりするように美しい。きっと、どこかの生保で一般職でもしていて、合コンで知り合った商社マンなり広告マンなりと幸せな結婚をして、それでー。

なんだか泣きそうになってきたので、もう考えるのをやめて式場に戻る。
初夏の強い日差しは、鬱蒼とした雅叙園の木々の葉の上で乱反射していて、その景色は場違いな程に美しかった。

式は淡々と進む。
お色直しが終わり、鮮やかなオレンジのドレスに着替えた新婦を見て、新郎は「ほんまにキレイです」と言った。しょうもない余興があり、東大のダンスサークルが躍った。最後に新郎新婦から両親への感動的な手紙があった。そして二人は退場。出口で待ち受ける二人からちょっとした焼き菓子と、改めての合コンの提案を受け取って、彼女は家に帰る。

ロビーにはもう、例の実践女子大の一群はいなかった。あの中で一番美人だった子は、ちょっとだけ石原さとみに似ていて、「あいり」と呼ばれていたことを思い出す。


アラサーは飲酒後の水が大事、と二人でセブンに寄って、それぞれミネラルウォーターを購入する。
「ツイッターのネタにさせてもらうねぇー」
と、酔った彼女はふらふらと有楽町駅へと向かってゆく。
「『あいりちゃん』、おやすみー」
と、酔った僕も明るく返答する。アカウント名は伏せろ首絞め野郎~、と情けない声が返ってくる。

帰りの日比谷線。彼女のツイッターを確認すると、さっそく僕がネタになっていた。

慶應卒ファンド勤務のハイスペ男子と飲み♡首絞めが好きらしく、お金払うから首絞めさせて♡って言われたけど、あいりはSだから無理です♡って断っちゃった♡これから東大男子のおうちで飲みなおし♡


僕の人質が明るく処刑されていた。だから、ここでネタにするくらいは許してもらえるだろう。

改めて、彼女のTwitterを見返す。
彼女が演じるのは、おそらく女子大の女の子。ハイスペ大好きで合コン大好き、ちょっとバカだけど、かわいいから許されているし、ちょっとバカだから、よく不幸な目に遭う。それでも、彼女は折れないし挫けない。自分の信じる価値観である「ハイスペとの結婚」を、いついかなる時も、どんな辛いことがあってもブレさせることはない。

彼女はどんな思いで、この架空の人生を作り上げているのだろう?


後日、クラスの飲み会でS君に会う機会があったから、彼女のことを何となく聞いてみた。
「あー、」とS君は苦笑いして、
「酔ったときに、一回やっちゃったんだよね。そしたらあいつ、『付き合ってくれー』『好きって言ってー』って泣き叫んで、裸のまま。面倒だから、とりあえず付き合おうって言ったら、」
内定者中に言い触らされたらしい。で、すぐに別れた。
「御三家からの東大、そのパターン多くね!?」と彼は言い、何名か深く頷く者がいた。
「バカとは付き合ったり結婚したくはないけど、メンヘラはきついよ〜」
そう言ってS君は笑った。僕も追従笑いをしておいた。

あの聡明な彼女をそこまで追い込んだ焦り、苦しみ、劣等感。
それらについて考えているうちに、その日の飲み会は穏やかに終了した。



2020年3月。もうインターネット上に、彼女のアカウントも、また彼女を覚えている人もいなくなった。
大量に沸いた裏垢女子は、親玉である「暇女」の活動停止とともに消えていった。「あいりちゃん」も同じ命運を辿ったらしく、その後特にウォッチはしていなかったが、もう同名のそれらしきアカウントも、僕の首絞めツイートも見つからなかった。
彼女はいま、自分の本当の人生をどう評価するだろうか?
現代の女性に期待される「女の幸せ」を手にした、とても幸せな女性であるはずなのに、西野カナや新婦にその根幹を揺さぶられ、照りつける初夏の美しい日差しと、それゆえに生まれた鮮烈な黒い影の中で立ち竦んだ彼女は、何を思ったろう?

ふと、彼女の本名でGoogle検索してみる。彼女のlinkedinが見つかる。
新卒で入社した、S君のいる会社からは既に転職していて、外資のSaaS系の会社で営業をしているらしい。
ただ、彼女が自分の人生を、強く肯定していればいいなと思って、僕はスマホをポケットにしまった。

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