映画「コーラス」の3本の矢
映画「コーラス」が大ヒットした要因は3本の矢にあると思います。
1本目の矢はジャン=バティスト・モニエです。彼の歌声がなければ15週で750万人を動員することはなかったでしょう。この映画に関して私が最も後悔していることはこの映画の情報を知らなかったということです。もし知っていれば、2004年に来日したサンマルク少年少女合唱団と2005年公開で当時の彼の生の歌声を聴くことができたかもしれないからです。2度のチャンスを逸してしまったことは悔やんでも悔やみきれません。しかしそんな多くの人達に愛される彼もこの映画に出会っていなければサンマルク少年少女合唱団のソリストという小さな世界に留まり日の目を見ることはなかったでしょう。だから彼には、モランジュの才能を見いだし高いところに導くマチューのような2本目の矢が必要でした。
その矢は音楽家でもある監督のクリストフ・バラティエです。彼はモニエを見いだしただけでなくこの映画に必要不可欠な6つの楽曲をブリュノ・クーレと共に手掛けました。どの曲も心にしみる名曲で、これ等の楽曲があってこその「コーラス」と言っても過言ではありません。また演出も見事です。学校の火災を未然に防ぐことが出来なかったという理由で校長に解雇され、子ども達とのお別れも禁止されたマチューが学校を去る場面は秀逸です。ここで歌われる曲は「凧」で紙飛行機がマチューの頭上に舞い降りて来ます。それはお別れの手紙でした。多彩な個性に溢れた子ども達の顔は敢えて出さず高所の窓から手を振るだけのシーンはフランスらしいエスプリのきいた演出でその美しい光景にうっとりとしてしまいます。
そんな素晴らしい監督に見出だされたモニエですが台詞はそう多くありません。台詞の多くはマチューに与えられています。
このことからも分かるように3本目の矢はこの映画の進行役を担っていたマチュー役のジェラール・ジュニョです。彼が進行役で幸いでした。声質も見た目も演技もこの映画の音楽に完全に溶け込んでいたからです。だから吹替え版は全く別物の映画になっています。
映画は不遇な二人の出会いから始まります。その一人は挫折を繰り返した落ちこぼれの音楽家クレマン・マチューです。もう一人はパパが土曜日に迎えくると信じている7歳位のぺピノです。でも彼は戦災孤児でした。二人が出会った場所は問題児を更正させる寄宿学校の施錠された門扉でした。
この出会いから醸し出される雰囲気はこの映画全体を通じてこの映画の主題曲「海への想い」と共に流れていきます。その楽譜はシンプルですがこの雰囲気にぴったりのメロディーでいつまでも耳に残る名曲です。この曲をモニエがソロで歌うシーンがありますが、サンマルク少年少女合唱団のコンサートで歌うソロの方が雑味のない自然な発声でモニエの歌唱力が遺憾なく発揮されています。モニエは映画の中でラモーの「夜」もソロで歌いますがこれは秀逸です。このシーンはモニエが演ずる問題児のモランジュがマチューの巧みな導きによって歌うことの本当の喜びを甘受し人との関わりに光を見いだす感動的な場面です。モランジュの拗ねた顔が笑顔に変わっていくあのシーンに観客は心を奪われ救われます。そしてもう1つ救われるシーンがあります。それはラストシーンです。解雇されたマチューがバスを待っているとあろうことかあのぺピノがラグビーボールの形をした袋と子熊の縫いぐるみを持ってマチューを追って来たのです。彼は「僕も連れてって!」と言いました。勿論マチューは拒否し学校に戻るように促しました。バスはぺピノを残して走り出しますが、すぐに止まってドアが開きます。ニコッとしたぺピノはバスに走り寄りドアで待つマチューに抱き抱えられてバスに乗り込みました。不遇な二人に似つかわしい終わり方に観客もホッとします。流れる曲は「途中でみてごらん」です。マチューの優しさとぺピノのこの人に付いていくという判断の正しさを称賛するかのような余韻の残る名曲です。迎えに来たのはパパではなかったけれど二人が旅立った日は1949年バカンスさなかのある土曜日でした。
(See you)