銀河フェニックス物語 【出会い編】第四十三話 恋心にテーピングして まとめ読み版
ティリーはレイターのお見舞いに月の御屋敷へでかけたが、気まずい別れ方をして帰ってきた。
・銀河フェニックス物語 総目次
・第四十二話「同級生が言うことには」
思ったより資料作りに時間がかかってしまった。
社内エアポートまで走ったのだけれど、
「天王星の第六ステーション行きの連絡宇宙船、出ちゃいました?」
「ああ、たった今な」
配船係のメルネさんの答えにがっくりきた。
ああぁ、ついてない。
二時までにお客様へ資料を届けなくちゃいけないのに。
「はあ」
思わず長いためいきをついた。
そんなに遠くないのに公共船で行くと、とにかく乗り換えが不便なのだ。
「空いてる船、出してやろか?」
メルネさんが優しい声をかけてくれた。
「助かります。神様に見えるわ」
「ちょうど慣らし運転の船が、二十四ポートにいるから」
天王星は、ここから直接向かえば三十分かからない。確かに船の慣らしにはちょうどいい。
*
二十四ポートの前で足が止まった。
どうしてここに、この船が…
銀色の中型船。フェニックス号だった。
『厄病神』のこの船で仕事に出掛けると失敗する、というジンクスがある。その隠された理由をわたしは知っている。
入り口にレイターが立っていた。
「メルネのじいさんから連絡があった。第六ステーション行きに乗り遅れた、どんくさいお客さんがいらっしゃるから頼む、とさ。ティリーさんでしたか」
「よ、よろしく」
レイターとは一週間前に、『月の御屋敷』で気まずい別れをしたところだった。
「仕事に復帰してたのね」
「ああ、昨日からな。まだ慣らしだけど、指の仮止めも取れたし」
レイターが軽く手の指を振った。
先月、リル星系の出張帰りに、わたしとレイターはゲリラに拉致された。
そこから脱出する際、レイターは指の骨を折った、ということでしばらく『月の御屋敷』で自宅療養していたのだ。
本当は指の骨折だけじゃなくて、レイターは大ケガをし、わたしたちは死にそうな目にあった。けれど、それは表にでていない。
さらに、その時レイターが実は連邦軍の特命諜報部員だ、ということを知った。
そして、それは誰にも言えない秘密だった。
「どうぞ、乗船ください」
レイターが仰々しく頭を下げた。
*
レイターに謝らなくちゃいけない。
先週、わたしはレイターのお見舞いに『月の御屋敷』へ出かけた。
そこで、わたしはレイターに心無いことを言ってしまったのだ。
レイターは地獄に落ちると。
思い返すのも苦しい。
わたしはレイターに命を助けられたのだ。レイターが地獄に落ちるならわたしも一緒だ。
とにかくわたしはレイターに謝らなければ。
想定外の再会に心の準備はできていなかったけれど、リビングで頭を下げた。
「この間は、ごめんなさい」
「あん? 謝ることなんてねぇだろ。ほんとのことだし、お互いさまだ」
肩をすくめるとレイターは、わたしに背を向け、操縦席に腰かけた。
お互いさま、ということは、レイターもわたしに謝ろうと思っていたということだろうか。
あの日、レイターはわたしのことを「フローラの身代わりだ」と言った。七年前に亡くなったレイターの前の彼女の代わり。
その言葉にわたしは傷ついた。
それを指して「お互いさま」と言っていると思うのだけれど、聞けない。
ちゃんと話をしたいのに…
フェニックス号が滑らかに宇宙空間へ飛び出した。
『銀河一の操縦士』は相変わらず操縦がうまい。第六ステーションまでは単調な道のり。
作ったばかりの資料に見落としがないか確認しているうちに、すぐに到着した。『厄病神』が出てくる間もなかった。
「何時頃、戻る予定だい?」
「あ、えっと」
レイターに聞かれてわたしはあせった。
そうだ、きょうはレイターはわたしのボディーガードじゃないのだ。空港まで送って、空港から帰る。あくまで運行船の操縦士。
「資料の確認だけなので、一時間で戻ります」
と言ってフェニックス号を降りたわたしは、急に不安になった。
目的地のビルは空港脇の開発地域にある。歩いて十分もかからない。
前にも訪問したことがある。
大丈夫。迷わない。
空港の出口で周りを見る。
すぐ不安に襲われた。この出口でよかっただろうか? 見覚えがあるような、無いような。
確認しようとして気がついた。
携帯ナビをフェニックス号に置いてきてしまった。レイターが一緒と勘違いしてつい油断した。
船へ取りに戻ろうか?
わたしは首を横に振った。
レイターが待つ船に戻る気がしなかった。
大丈夫、携帯通信機にも地図機能はついている。
腕につけた通信機から浮かび上がった地図は平面図だ。携帯ナビだったらわかりやすい3D立体地図なのだけれど。
うーん。
この出口で間違いないことはわかった。けど、この地図の矢印は、何層にもなった通路のどれをさしているのだろう。
行先は、丸い看板のついた特徴のあるビルだ。あたりを見回す。ここから見える範囲にそれらしいビルはない。
「そこを右だ」
後ろから聞きなれた声がした。
「レイター」
「ったく、あんた方向音痴なんだからナビはちゃんと持ってけよ」
レイターの手にわたしの携帯ナビがあった。
「あ、ありがとう」
そそくさとナビを受け取ると、わたしはレイターに背を向けて画面を開いた。
ナビの矢印が自分が考えている目的地の方向とは違う向きを指している。
あれっ? また迷ったのかしら。
「二本先の角を左へ曲がるんだよ」
振り向くと腕を組んでレイターが立っていた。
「ティリーさん、あんた、このままじゃ二時に間に合わねぇぜ」
「だ、大丈夫です」
レイターに言われた通りに二本先を左に曲がると見覚えのある丸い看板のビルが見えた。これで安心だわ。
まっすぐに向かおうとすると、背後からまたレイターの声がした。
「そこのエスカレーターで上の通路へ上らないと、大回りすることになるぞ」
結局、レイターに案内してもらった。
レイターはボディーガードの身分証を示してわたしと一緒にビルの中へ入った。何だかいつもと変わらない。
仕事は問題なく終わった。資料を見て検討してもらい、その返事を二週間後にもらうことを取り付けた。
レイターはいつもと同じようにドアの前で待ち、打ち合わせが終わると、いつもと同じように一緒に外へ出た。
車道脇の歩道を空港へ向かって歩く。
いつもと同じように少し後ろからレイターがついてくる。
いつもと違うのは、わたしたちがほとんど会話をしないことぐらいだ。
このままでいいわけがない。ちゃんとレイターと話をしなくちゃ。
もしかしたら、きょうのこの偶然は、神様が与えてくれた機会かもしれない。
「レイター…」
勇気をふり絞って声をかけた、その時、
「きゃあ、バッグを返して! その人を捕まえて!」
女性の叫び声が聞こえた。
後ろからカバンを持った若い男が猛スピードで走ってくる。
状況から察するに、ひったくりだ。
レイターがすっと足を出した。
「おっとと…」
男は足に引っかかり、転びそうになる。
いつの間にか、レイターの手に、男が抱えていたハンドバックがあった。
「この野郎、返しやがれ」
男がレイターに突進する。
レイターはするりとかわすと、男のわき腹にひざ蹴りを入れた。
男が地面に倒れる。
ブロロロロ…。
音を立ててバイクが近づいてきた。男の仲間のようだ。
「おい、乗れ」
サングラスをかけた柄の悪そうな男が、倒れている男に声をかけた。
「か、身体が動かねぇ」
倒れた男の腕をねじりあげるようにしてレイターが背中を踏みつけていた。力を入れているようには見えないのに、男は動けないでいた。
「そこのバイク、止まれ! 警察だ」
誰かが通報したのだろう。走ってくる警察官の姿が見えた。
「チッ、覚えていやがれ」
バイクの男は、仲間をおいて走り去った。
「ありがとうございます」
ひったくりの被害に遭った女性は、きれいな人だった。
「いやあ、どういたしまして」
レイターはハンドバッグを女性に返し、にっこりと笑いながら握手をしている。
きょう初めて見たレイターの笑顔だった。
警察官がレイターに声をかけた。
「ひったくり犯逮捕にご協力ありがとうございます。警察署まで来ていただきたいのですが」
レイターは露骨にめんどくさそうな顔をした。とにかくレイターは警察が嫌いなのだ。
ところが、
「お手数かけて申し訳ありません」
と女性があいさつすると
「いや、構いませんよ。ご一緒します」
と態度を一変させた。
「ティリーさん、あんたどうする?」
レイターと被害女性が親しげにしているのを見たら、無性に腹が立って来た。
「わたし、船に戻ってます」
「迷子になるなよ」
「なりません!」
「ナビにフェニックス号の位置、セットしといたから」
レイターの言葉にちょっと安心した。
*
歩き出すと、わたしは深いため息をついた。
どうしてこうなっちゃうんだろう。
この一週間、わたしはずっとレイターのことを考えていた。
わたしにとってのレイター、レイターにとってのわたし。
レイターが亡くなったフローラさんの面影をわたしに重ねているのは、わかっていたことだ。出会った頃からたくさんの人に言われてきたのだ。『愛しの君』すなわちフローラさんに似ていると。
納得できない気持ちは今もある。わたしを一人の個人として見てほしい。
それでも、わたしはレイターが好き。
レイターもわたしが好き、多分。
この単純な事実の前に立てば、フローラさんの代わりだろうと何だろうといいのではないか。
ただ、わたしのどうでもいいプライドが、意地を張ってるだけだ。
一方で、レイターが連邦軍人であることについては、きちんと話を聞いておきたい。
アクセルとブレーキを一緒にかけているような感覚。
レイターに会いたかった。
話をしたかった。
声を聞きたかったのに……
どうしてうまくいかないんだろう。泣きたい。
埃っぽい風が吹いてきて思わず目を閉じる。考えごとをしながら歩いていたら、空港の端に出てしまった。
倉庫街だ。あれ? ナビを見直さなくちゃ。
かばんからナビを取りだそうとした時だった。
グゥイイイイン……ブロロロォ……
けたたましいエンジン音がした。
一台じゃない、複数のバイクが連なって近づいてくる。全部で五台だ。
イヤな予感がした。
「さっきは、あんたの連れが楽しいことしてくれたじゃねぇか。お返しさせてもらうぜ」
サングラスをかけた男。さっきバイクで逃げたひったくり犯の仲間だ。バイクを降りて大股で近づいてきた。
『厄病神』の発動だ。
頭の中が真っ白になる。
「お返しはいりません。ひったくりはよくないと思います」
それだけ言うのが精いっぱいだ。逃げなくちゃ。わかっているけれど背中を向けるのが怖くて後ずさる。
「そのカバンもらうだけじゃ、足りないな」
ほかの男たちもバイクを降りてきた。
もう、逃げられない。
と、その時、
「お返しは俺がもらってやるよ」
背後から声がした。
レイターだ。
「ったく、ナビ持ってて、どうして迷子になるかね」
レイターは腕につけた携帯通信機を操作しながら、わたしの横に立った。
「あ、おまわりさん? さっきのひったくりの共犯が空港脇の七号倉庫前にいるんだけど、捕まえにきてくれねぇか」
「貴様、サツが来る前にとっととお返ししてやるぜ」
相手は七人。鉄パイプのような棒で殴りかかってきた。
レイターはズボンのポケットに手を入れ、鉄パイプの攻撃をかわしながら、ひったくり犯たちを蹴り倒していく。
「女を狙え」
一人が、わたしのほうへ近づいてきた。
わたしは歩道を走って逃げた。足音が迫る。
追いつかれる! と、その時
「俺のティリーさんに手ぇ出すな」
レイターが男を捕まえ、殴りつけた。
「あーあ、やっちまった。解禁だ」
レイターがつぶやくのが聞こえた。解禁?
レイターの動きが変わった。
ポケットから手を出して、殴り、棒を奪い取る。
鬼に金棒、とはこのことだ。武器を持ったレイターの動きは思わず見とれてしまうほど鮮やかだ。積み重ねた訓練が格の違いを見せつける。
「つ、強ぇ」
男たちはまるでレイターの相手にならなかった。次々と地面に転がる。
続いてレイターは、奪った棒で軽やかにバイクを叩き始めた。
カンカンカン……リズムを鳴らして遊んでいるかのようだ。
ウウウウウウゥゥゥゥ……
サイレンの音と共に警察車両が近づいてくる。
「逃げるぞ」
男たちが起き上がりあわててバイクにまたがった。が、エンジンがかからない。
起動装置が壊されていた。
*
「ご協力感謝します」
警察官がわたしたちに頭を下げた。わたしを襲った男たちは連続引ったくり団で、懸賞金付きの指名手配されていた。
「感謝状はいらねぇから、懸賞金だけ送ってくれ」
レイターは書類にサインをした。
様子が変だ。左手でサインをしている。右手の指がだらりと力なく垂れている。
「テッドのじいさんにまた叱られるな」
レイターがつぶやくのが聞こえた。テッドさんって、将軍家の侍医長さんだ。
先日、拉致された際、レイターはすべての指の骨をゲリラに折られてしまった。仮止めが取れたとは言っていたけれど、完治はしていなかったということだ。
「ま、右手しか使わなかったから良しとしよう。仮止めのし直しだな」
侍医長さんから指に負荷のかかることを禁止されていたに違いない。
また、わたしのせいだ。
自己嫌悪に陥る。
*
フェニックス号は自動操縦で帰路に就いた。
引ったくり団に襲われたことで、時間がかかってしまった。「直帰します」と会社へ連絡を入れると、『厄病神』の船だから仕方ない、と返事が返ってきた。
普段着に着替えたレイターが、居間のソファーで指にテーピングテープを巻いていた。
わたしのミスだ。ちゃんとナビを確認してフェニックス号へ帰っていればこんなことにはならなかったのだ。
「ごめんなさい。わたしのせいで」
「あん? おかげで懸賞金が儲かったぜ、どんくさいティリーさんのおかげさ」
「テーピング、手伝おうか?」
「ティリーさんに巻いてもらえるたあ、光栄だね」
にやりと笑った。いつものレイターだ。肩に入っていた力が抜ける。
レイターのがっしりした右手を、両手で包んだ。
いろいろなことを乗り越えてきた手。思ったより指が細くて長い。
多分、音楽家の母譲り。
指の関節ごとに見よう見まねでテーピングテープを巻いていく。
レイターは何も言わない。これでいいのだろうか。
わたしは器用な方ではない。
うまくいかない。自分から言い出したことだけれど、レイターが片手で巻いたほうが上手にテーピングできたに違いない。申し訳なかった。
「痛くない?」
「全然」
嘘だ。何でも器用にこなす、いとおしい手。
レイターの体温が伝わる。
こんなに近くにいて触れているのに遠い。
何度この手に救われただろうか。きょうだって、レイターが来てくれなかったらどうなっていたかわからない。
一方で、この手は人の命を奪うこともある。彼は銃を持つことを許されたボディーガードで、現役の軍人なのだ。その重い事実がわたしの心を揺さぶる。
それでもやっぱりこの人が好きだ。この手を離したくない。
行き場のないあふれ出る想いに翻弄される。
突然、大粒の涙がこぼれた。
「ティリーさん、どうした?」
レイターが驚いている。どうした? と聞かれても説明できない。
「ご、ごめん、テーピングうまく巻けなくて」
「十分助かったぜ、あとは自分でやれるから大丈夫だ」
そう言ってレイターは、わたしの手から残ったテープを引き取った。
* *
ティリーさんが一生懸命テーピングしてくれる。相変わらず、不器用だ。
それでもティリーさんの手が俺の手を包むと、柔らかく温かな感触に痛みが消えていくように錯覚する。
「痛くない?」
「全然」
このまま時間が止まっちまえばいいのに……
俺は、ボディーガード協会のランク3Aで、連邦軍特命諜報部の隠密班。不測の事態へ対応するために、常に先を読む。加えて、女心にも詳しい。
そんな俺の想定を、ティリーさんはすぐに超えてくる。
ポタリとティリーさんの目から涙がこぼれ落ちた。
おいおい、どうしてここで泣く?
「ティリーさん、どうした?」
「ご、ごめん、テーピングうまく巻けなくて」
テーピングが「うまく巻けなくて」が涙の理由じゃねぇことはわかる。
ったく、あまりにかわいくて、抱きしめたくなっちまうだろが。
忍耐の訓練かよ。
ふうぅ。呼吸を整えてテーピングに集中しろ、精神を落ち着かせろ。
* *
わたしは涙をぬぐってレイターの指を見つめた。
片手なのに、器用な人だ。
わたしが巻くよりよっぽどきれいにテーピングされていく。
「まもなく着陸準備に入ります」
「了解」
マザーの連絡を聞いてテーピングを終えたレイターがソファーから立ちあがった。
操縦席へ向かう。
もうすぐ自宅近くの空港に到着する。
レイターときちんと話がしたい。けれど、別の機会にちゃんと時間をとって話をした方がいいだろうか……
わたしもつられるように立ち上がった。
「レイター」
「あん?」
判断するより先にレイターに問いかけていた。
「あなた、リル星系でアーサーさんの艦に着いた時、何て言ったか覚えてる?」
あの時の混乱した状況を、レイターは覚えているだろうか。
ゲリラに拉致され、命からがら逃げだしてアーサーさんの艦に着艦した。
わたしに一言告げた後、彼はそのまま意識を失って倒れたのだ。
レイターは無表情でわたしを見つめた。
覚えていないのか。質問の意味がわからないのか。思い出そうとしているのか。
微動だにせず何も言わない。
一秒一秒が永遠のように長く感じられた。
やはり空耳だったのだ。
着陸準備に入らなくちゃいけない。もういいわ、と言おうとしたその時、レイターがおもむろに口を開いた。
「愛してる」
わたしは息を飲んだ。
空耳でも、妄想でもなかった。
わたしの記憶と同じ言葉がレイターの中にも存在していた。
心臓がドクッドクッと音を立てた。
* *
「あなた、リル星系でアーサーさんの艦に着いた時、何て言ったか覚えてる?」
ティリーさんの声が、あの時の混乱した状況を思い出させる。
俺たちを拉致したリル星系ゲリラの船に乗っていたのは、十年前に俺が撃墜したハゲタカ大尉の息子、ロベルトだった。
俺はハゲタカ大尉の顔を直接見たことはねぇ。だが、動画では何度も確認したからわかる。
ロベルトは父親のカールダイン大尉と似ていた。
あいつが帰りを待ち望んでいた父親を殺したのは、俺だ。
あいつとあいつの家族の人生を狂わせたのは、俺だ。
ティリーさんがいなければ、あのままあいつに殺されてやってもよかった。
殴られて、蹴られて、大量の自白剤を投入されて、体力も精神もぎりぎり限界だった。
何とか気力でアーサーの艦に着艦したが、到着と同時に緊張が途切れて、意識が朦朧とした。
そこへティリーさんの優しい声が飛び込んできた。
「レイターは?」
俺? 俺は……
俺に問いかける光の矢は心を貫き、奥深く鍵をかけてある場所まで、一気に到達した。
自白剤は俺を解放した。
導かれるままに、完全に無防備な俺がさらけ出された。
「ティリーさん、愛してる」
* *
ア・イ・シ・テ・ル
頭の中に浮揚していた言葉が、突如実体を伴い、現実の世界に姿を見せた。
ずっと触れそうで触れられなかった、レイターの心の奥。
わたしは、その感情にずっと包まれていたのに、確証が持てないでいた。
苦しかった。
ようやく、対話の扉が開いた。
ちゃんとレイターと話をしなくては。
きちんと整理して伝えたいこと聞きたいことがたくさんある。
でも、もう、そのすべてのプロセスが面倒だ。
レイターがフローラのことを忘れられなくてもいい。
レイターが現役の軍人でも人殺しでも構わない。
すべて、どうでもいい。
「レイターのことが好きなの」
わたしはレイターの胸に飛び込んだ。
「バカ!」
そのまま両手の拳骨でレイターの胸を叩いた。涙があふれてくる。
「バカバカバカバカ……」
レイターの胸に顔をうずめながら、何度も何度も叩いた。
* *
ティリーさんの拳が俺の胸を打つ。
どうして俺は「バカ」って連呼されてるんだろう。わかんねぇ。
今、俺のこと好きだ、って言わなかったか?
わかんねぇ。
けど、もう、だめだ。
俺のすべての呪縛が切り離されていく。
もうこの手から離したくない。
* *
レイターがわたしの体を強く抱きしめた。
わたしは叩くのをやめた。
レイターの胸の鼓動が耳の奥でこだまする。
レイターが腕の力をゆるめた。
顔を上げると彼の青い瞳がわたしを見つめていた。
「バカで悪いが、俺とつきあってくれねぇか」
レイターの告白ははっきりと覚えている。
でも、自分がどう答えたのかよく覚えていない。
ただ、気がつくと、わたしはレイターとキスをしていた。
**エピローグ**
レイターと初めてキスをした。
天王星の取引先に資料を届けるだけの仕事だったのに、引ったくり犯のせいで思わぬ時間がかかった。さすが『厄病神』だ。
自宅近くのエアポートへ帰ってきた時にはもう夜になっていた。フェニックス号でおいしい夕飯をすませる。
「遅ぇから、送ってくよ」
「あ、ありがとう」
宇宙港からうちまで、そんなに遠くない。
無料ライナーを降りて、レイターと歩く。
これまでも、何度もこうして家まで送ってもらった。
いつもと同じ道なのに、いつもと違う気がする。
さっきまでは、警護対象者とボディーガード。
今は、違う。
彼氏と彼女なのだ。けれど、普段の癖で、レイターは少しだけわたしの後ろからついてくる。
恋人って、真横に並んで歩くものじゃないだろうか。
手をつなぎたい気もするし、恥ずかしい気もする。
「ねぇ」
振り向いてレイターに声をかける。
「あん?」
いつもと変わらないレイターの間の抜けた返事。
それを聞いたら、ま、いいかこのままで、という気持ちになった。
ボディガードのこの人は、手がふさがることが嫌いなのだ。
つきあうことにしたのはいいのだけれど、距離感がつかめない、というか、まだ現実感がない。普段との変化がなさすぎる。
もしや、騙されたんじゃないだろうか。
いいや、さっきのキスを思い出す。
唇がほんのりと熱を持っている。
ちらりとレイターの顔を見る。まつげが長い。こんなに美形だっただろうか。
変な魔法にかかったようだ。見慣れているのにドキドキする。
すっと、レイターの手がわたしの左手に触れた。
レイターの指に巻かれたテーピングテープがざらりとした。
温かい手を軽く握り返す。
全ての感覚が指先に集中する。触れた先からレイターへ心臓の鼓動が伝わってしまいそうだ。
何も言わなくてもこの人は、わたしの欲しいものすべてを把握している。
自宅アパートが近づいてきた。どうしよう。
家に着いたら、コーヒーぐらい出した方がいいのだろうか。
部屋はそんなに散らかっていない。とはいえ、家に上げていいものだろうか。いや、彼氏なら問題ないか。
前にも上がってもらったことはある。あの時はモニターを修理してもらった。
レイターはどう考えてるのだろう。
気がつくと、無言のままアパートの前に着いてしまった。
エントランスの前でレイターの方を振り向いた。
「ねぇ」
「あん?」
「送ってくれてありがとう」
わたしはお礼を言った。レイターの反応を待つ。
「どういたしまして。じゃあな」
軽く手を上げて帰る仕草をした。
「う、うん。おやすみ」
「おやすみ」
あっけないお別れだった。いつもとおんなじ。
少し気が抜けながらエントランスホールへと入った。
わたしったら何を期待していたんだろう。
エレベーターに乗り、自分の部屋の番号を押した。
エレベーターが上昇していく。
急に、世界がわたし一人になってしまったような孤独感に襲われた。
今、レイターと別れたばかりなのに…
会いたい。今すぐレイターに会いたい。
部屋へ入ると、窓に駆け寄った。
道路を空港へと歩くレイターの影が見えた。
弾かれたようにわたしは走り出した。
いやだ、レイターと離れたくない。今来たルートを逆に戻り、エレベーターホールへ向かう。
自分で自分のやっていることに驚く。
エレベーターの下りボタンを勢いよく押す。
どうしてこういう時、エレベーターはすぐに来ないんだろう。イライラする。カチカチと何度も押し続ける。
わたしは、こんなにもレイターのことが好きだったんだ。
エントランスから外へ出る。
空港へ向かう道に人影は見えなかった。帰っちゃったか。
わたしはがっかりして肩を落とした。
とその時、暗がりから誰かに腕を引っ張られた。緊張で胸がバクっと音をたてる。不審者? 助けて! レイター!
「ったく、何で俺が送ったあとに出歩くんだよ、あんたは」
聞き慣れた声に、わたしは気が抜けた。
「レ、レイター」
わたしはそのままレイターに抱きついた。
「会いたかった」
口にしたとたん恥ずかしくなった。「会いたかった」って、さっき別れたばかりなのだ。
レイターは呆れているだろう。
「俺も……」
「え?」
思わずレイターの顔を見上げた。
「何だかそのまま帰るのが惜しくて戻ってきたんだ。そしたら、あんたが出てきたから驚いたぜ」
うれしい。レイターもわたしと同じことを考えてた。
「部屋でコーヒーでも飲む?」
わたしは誘った。迷いもなく素直に声がでた。レイターと一緒にいたい。レイターも同じ気持ちに違いない。
「きょうはこれで帰る」
予想外の答えだった。
「どうして? もっと一緒にいたい」
「ふむ。帰るのが辛くなるからな」
「帰らなければいいじゃない」
と言ってからわたしは恥ずかしくなった。
わたしは今、レイターに泊まっていけと言ってしまった。そういうつもりではなかったのに。
「ありがとよ」
そう言ってレイターはわたしの唇に軽くキスをした。これはお別れのキスだ。
「また明日」
「また明日」
部屋へ戻った。
窓から外を見ると、レイターが空港へ歩いている後ろ姿が見えた。不思議と気分は落ち着いていた。
レイターはわたしよりわたしのことをよく知っている。
「おやすみなさい」
つぶやきながら、レイターの後姿に手を振った。やっぱり寂しい。ずっと隣にいてほしい。
とその瞬間、レイターが振り向いた。
レイターが大きく手を振った。わたしも大きく手を振る。
レイターの影が見えなくなっても、そこから離れられなかった。
わたしは唇に手を当てた。柔らかな感触に胸が高鳴る。
一人でいるのに一人じゃない。熱量の高さを自分でコントロールできない。
ハイスクールの時につきあっていたアンドレのことも『好き』だった。
推しのエースのことももちろん『好き』だ。
けれど、二人に抱いていた『好き』と、言葉は同じなのにレイターに対する感覚は明らかに違う。これは恋だ。
不思議だ。
きのうもレイターのこと考えていた。
「フローラさんの身代わり」と言われて、「地獄へ落ちる」と言い返した最悪の展開。関係修復の手立てもわからず、どうしていいのか不安と迷いでいっぱいだった。
それが、きょうはこんなに満たされている。
もっと早くつきあいたいって言えばよかった。でもそれは結果論だ。わたしたちには今日までの時間が必要だった。
ベルとチャムールに知らせよう。
レイターとつきあうことにしたって言ったら、二人は驚くだろうな。
レイターはおしゃべりだから、彼氏のアーサーさんやフェルナンドさんから伝わったら水臭いと思われちゃうし……
メッセージを送ろうとして手が止まる。
夜、遅いけれど、この件は顔を見て伝えたほうがいい。
通信機を立ち上げ、ベルとチャムールの宛先を選択して画面を二画面にする。呼び出し音を聞きながら、胸がドキドキしてきた。
わたしったら友人との通信に何を緊張しているのだろう。
まず、ベルが出た。
「あらティリー。どうしたの? きょうは『厄病神』のせいで天王星から直帰したんだよね」
続いてチャムールの顔が映った。
「遅くに呼び出してごめんね」
とりあえず謝る。
モニターに映る二人がじっとわたしを見つめる。
「えっと、びっくりしないでね。わたしレイターとつきあうことにしたの」
そこまで言って二人の反応を見る。
どうしたんだろう。反応がない。
わたしの言っている意味が伝わらなかったのだろうか。
あらためて説明するのは、ちょっと恥ずかしい。
「つきあうっていうのは、そのぉ……」
「良かったじゃん」
ベルがあっさりと言った。緊張が一気にほぐれた。
「あ、ありがとう。驚かないの?」
「今更、何言ってんの?」
「想定より時間かかったわよね。とにかくおめでとう」
とチャムール。
ベルが真面目な顔でわたしに忠告した。
「気をつけなよ。何と言っても『厄病神』だからね」
「うん」
即答したわたしを見てチャムールが噴き出す。
「ティリーったら、彼氏を『厄病神』呼ばわりされたら怒らなくちゃだめじゃないの」
「え?」
ベルが大笑いしていた。二人はわたしをからかって楽しんでいる。
チャムールが心配そうな顔で聞いた。
「レイターの体調はもういいの?」
「うん、昨日から慣らし運転で復帰してたんだけどね、実は、きょう大変なことがあって」
二人にきょう一日を説明する。
取引先から帰る途中にレイターがひったくり犯を捕まえたのだけれど、わたしが道に迷ったせいで仕返ししようという仲間に取り囲まれて、レイターが駆けつけて守ってくれたけれど、指をまた折ってしまって……
「で、どっちが告ったの?」
ベルから聞かれる。どちらからだっただろう。一瞬迷う。最初に「愛してる」と言ったのも、「つきあってくれ」と言ったのもレイターだ。
「レ、レイター」
「おのろけありがとう」
ふと時計を見たら一人で三十分近くしゃべっていた。熱量恐るべし。
「ごめん」
わたしは気が付いた。誰かに聞いて欲しくて、共有したくてうずうずしていたことに。
「謝ることないよ。こういう恋バナのために女友だちはいるんだから。それにしてもレイターも骨を折った甲斐があったというもんだね」
ベルの気の利いた駄洒落にみんなで笑った。
「ありがとう」
レイターと出会って二年。回り道もしたけれど、二人が支えてくれたおかげでここまで来られたのだ。
チャムールが提案した。
「今度、みんなで食事でもしましょうよ。私はアーサーを誘ってみるわ。ティリーはレイターを、ベルはフェルナンドさんを連れて来るというのはどう?」
「面白そうじゃん。わたし、店探すよ」
盛り上がる二人を前に、わたしは答えるのに躊躇してしまった。
アーサーさんやフェルナンドさんと一緒だとレイターの変人ぶりが際立ちそうだ。今更、隠す相手でもないけれど……
ベルが腕を組んでわたしに言った。
「ふ~ん。ティリーはみんなで会う時間があったら、二人で過ごしたいってわけね」
「違うわよ!」
慌てて否定する。
チャムールが諭すように言った。
「否定しなくてもいいのよ。彼氏との時間は何より大切なんだから」
また、二人に笑われた。
どうもレイターが彼氏だという環境に対応できない。
でも、それも楽しい。女子トークはスイーツの食べ放題のように幸せだった。
* *
俺、よく自制したな。
フェニックス号に戻ったレイターはソファーに身体を投げ出した。
やっべぇ。離れたくねぇ。
本当はティリーさんをフェニックス号に監禁しときてぇ。
俺は所有欲が強いんだ。
「帰らなければいいじゃない」だと。
ティリーさん大丈夫か?
俺を部屋にあげてどうするつもりだったんだよ。誘ってんのか? いや、わかってる、何も考えてねぇんだよな。
狼ってのは赤ずきんを食っちゃうんだからな。送り狼って言葉を知らねぇのかよ。これだからガキは困るんだよ。
言っとくが、俺はアーサーやフェルナンドみたいな紳士じゃねぇぞ。
って、ティリーさんのいねぇところで言ってどうするよ。俺。
指、骨折してなかったら今ごろ……
いや、違うな。俺としたことが、躊躇したんだ。
はぁぁ。ため息が出る。
しかし、何て贅沢で幸せなため息なんだ。心が解放されていく。
俺の想定を飛び超えてくる彼女。
「おやすみ、ティリーさん」
俺は久しぶりに、何の夢も見ずにぐっすりと眠りについた。 (おしまい)
<出会い編>はこれにて終了です。明日からは<恋愛編>第一話「居酒屋の哲学談義」をお楽しみください。
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ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」