銀河フェニックス物語【出会い編】 第二話 緑の森の闇の向こうに (一気読み版)
一・厄病神とダメ営業部員
「三十九度の高熱が出て、自宅で寝込んでいる」
と、オフィスで隣の席のベルから連絡が入った。同期の中でも姉御肌でいつも元気なベルの声がかすれていた。
ベルは明日からパキ星へ出張に出かける予定が入っているのだけれど・・・。
部長が申し訳ないという顔で、わたしに近づいてきた。
「ティリー君、休暇の日程をずらせないかね。ベル君の代わりに出張へ行ってもらいたいんだが」
わたしは明日から三日間、特別休暇をもらえることになっていた。
けれど、特に予定も入れていない。同期のために一肌脱ごう。
「わかりました。大丈夫です」
「じゃあ、よろしく頼むよ」
部長はほっとした様子で席に戻った。
わたしは、宇宙船メーカー最大手のクロノス社に勤めるティリー・マイルド十六歳。
ことし成人して、故郷のアンタレス星系から銀河連邦中心部のソラ系へと出てきた。ベルとわたしは一緒に入社した新入社員。
ベルとはお互いの業務を大体把握しあっている。
今回の出張は、部品の生産が遅れ気味のパキ星現地工場の視察で、ダルダ先輩のアシスタントだ。
ベルの机やコンピューター内の共有フォルダを勝手に探ってみたけれど、パキ星の資料データは見当たらなかった。
ベルは明るくさっぱりした性格で、そんなベルのことが好きなのだけれど、どうも仕事は大ざっぱだ。バックアップも取らずに、自宅へ持ち帰っているのだろう。
顔を合わせて引き継いだ方がいい。
見舞いがてらデータを受け取りに、ベルの自宅へ出かけることにした。
わたしのアパートもベルのアパートも、会社から歩いていける距離にあり、プライベートではしょっちゅう行き来している。
*
いつも元気でスポーツ万能なベルが、ベッドでぐったりと横になっている姿は痛々しく見えた。
「大丈夫?」
「うん、夏風邪だってさ。薬でだいぶ楽になったんだけど」
ベルもわたしも一人暮らしだ。
「鬼の霍乱ってこのことよね。手伝えることがあったら遠慮なく言って」
「ありがと。一通りプログラミングされてるから大丈夫」
薬やご飯の心配はなさそうだった。
出張の資料データを受け取り、中身を簡単に引き継ぐ。
「ごめんねティリー。ほんとは明日から休みだったんだよね。先週の出張、大変だったもんねぇ」
ベルが恐縮している。
そう、先週のわたしの仕事は、会社が慰労の特別休暇をくれるというぐらい大変だったのだ。
「といっても、ベルも知ってのとおり、休みに何の予定も入れていないのよ」
ベルはわざわざベッドから体を起こしショートカットの頭を下げた。
「ごめん」
律儀に起きなくてもいいのに、と言おうとした時、
「もう一つ引き継ぐことがあるの・・・」
ベルが充血した目でわたしの目をじっと見つめた。
「な、何?」
「船がフェニックス号なの」
「えっ?」
思わず手にした資料データを落としてしまった。
『厄病神』が乗る宇宙船フェニックス号。
まさに先週、わたしはその船で出張に出かけた。
フェニックス号で出かけると契約できないというジンクスがある。
そして、ジンクス通りに、出張先でわたしは大規模デモと警官隊の武力衝突に巻き込まれ、命からがら帰ってきた。契約どころじゃ無かった。
部長からは「『厄病神』の船で出かけたのだから仕方がない」の一言で片づけられ、またもやフェニックス号の悪名は高くなった。
もはや、誰もフェニックス号には乗りたがらない。
「仮病じゃないよ」
ベルは申し訳なさそうな顔で言った。
「わかってるわよ」
仮病じゃないのはわかるけど、仮病を使ってでも『厄病神』の船に乗りたくない気持ちもわかる。
床に落ちた資料データを拾う。
「泊まる場所はフェニックス号じゃなくて現地支社が高級ホテルを用意してくれたから・・・」
ベルがせめてもの罪滅ぼしのようにわたしに伝えた。病人に文句を言っても仕方がない。
わたしはつとめて明るい顔をした。
「あんな目にあったばかりだから、確率から言えばきっと今度は大丈夫よ」
この見通しがどれほど楽観的だったか、後に知ることとなる。
*
「ティリー君よろしく」
野太い声がした。一緒に出張へ出かけるダルダ先輩だ。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げた。
ダルダさんと組むのは初めて。
大柄で肌がよく灼けている四十代半ばのダルダさんは、明るくて豪快な人だ。
でも営業成績はあまりよくない。
「君、先週フェニックス号で出かけて大規模デモに巻き込まれたんだって? 大変だったろう」
「ええ」
先週のことを思い出すと気分が重たくなる。
「『厄病神』の船じゃ何があっても不思議じゃないけどね」
これからその船に乗るというのにまるで他人事のようだ。
「ダルダさんは平気なんですか?」
「俺はこれまでにもあいつと何度か仕事してるけど、あいつはボディーガードとしては腕が立つ」
あいつというのはフェニックス号の船主『厄病神』のレイター・フェニックスのことだ。
「君も怪我一つしなかったろ」
レイターはボディーガード協会のランク3A。おちゃらけた見た目と違って腕が確かなのは身を持って知っている。
だけど、・・・ダルダ先輩には言っておいた方がいい。
「レイターは先週、銃で撃たれて怪我をしたんです」
ダルダさんは意外だという顔をした。
レイターの怪我のことは、会社に報告していない。
まだ、あれから一週間しか経っていないのに彼は大丈夫なんだろうか。
「へえ、珍しいな。撃たれる前に撃つって奴なのに」
ギクリとした。
思い出したくないことを思い出す。
先週の出張でレイターは狙撃犯を撃たれる前に撃ち、わたしの目の前で殺害した。
わたしの生まれ育ったアンタレス星では、銃は所持しているだけで重罪だ。
ショックを受けたわたしは、レイターに銃を持たないで欲しいと頼んだ。
そうしたら今度は、レイターが撃たれて怪我をした・・・。
「ティリー君、そんな怖い顔しないで。人生はロマンとスリルだから」
ダルダさんは、レイターが撃たれたと聞いても意に返す風でもなかった。
これまで『厄病神』と仕事をしても、ジンクスに負けず平気だったということだろうか。それならそれで心強いのだけれど。
「フェニックス号で行こうがどうしようが、俺はダメ営業部員だからね。関係無いのさ。ガハハハハ」
厄病神とダメ部員。
ダルダさんの豪快な笑い声を聞いていたら、不安がつのってきた。
二・再会したくない厄病神との再会
フェニックス号の居間で一週間ぶりに船主、兼ボディーガード、兼厄病神のレイターと顔を合わせた。
「よ、ティリーさん。休み返上なんだって? また一緒にお仕事できるたぁうれしいねぇ。運命の赤い糸だ」
先週、あんな大変な目にあったのに、まるで何事も無かったかのような軽い挨拶。
相変わらずネクタイが緩んだ、だらしない格好をしている。
「あなたこそ、怪我はもういいの?」
「あん? 怪我? 何のことかな?」
そのとぼけた様子を見ていると、レイターが銃で撃たれたのが夢だったようにすら思えてきた。
横で聞いていたダルダさんが
「ティリーさん、こいつは『不死鳥のレイター』だ。死んでも生き返る奴だからな。ガハハハハ」
と大声で笑った。笑い事で済めばいいのだけれど。
ダルダさんがレイターにたずねた。
「なあ、レイター。今回、俺たちが視察するパキ星の工場は、どうして納期が遅れていると思う?」
難しい質問だ。現地からの報告ではそれがわからないから、わざわざ足を運ぶのだ。
しかし、これはボディーガードのレイターにではなくアシスタントであるわたしに聞くべき質問じゃないだろうか。
「簡単簡単。あんたんとこの、工場をでかくする計画のせいさ」
レイターが無責任に答える。
わたしは強い口調で反論した。
「適当なこと言わないで。拡張計画について反対運動があるのは確かだけど、現地でちゃんと対策を打っています。それよりも現地労働者との賃金交渉がうまくいっていないことが問題だ、って調査部は分析しているわ。パキ星は労働組合が強いのよ」
きのうベルに渡された資料は、すべて読んで頭に入れてある。
ピンチヒッターだけどちゃんと仕事の内容を理解していることを、ダルダさんにアピールしておかなくては。
「へえ、そうなんだ」
と感心したように言ったのは、レイターではなくダルダさんだった。
冗談なのか何なのかよくわからず、思わずダルダさんの顔を見つめる。
「いやあ、まだちゃんと資料読んでないんだよ。ガハハハハ」
頭をかくその表情から察するに、冗談ではなさそうだ。ダメ部員というレッテルが頭をよぎる。
「レイターに話を聞けばいいかと思ってさ」
「え?」
思わず眉をひそめる。その言い訳は言い訳になっていない。
「情報部の資料より、こいつの話のほうが信用できるし」
その理屈は、さらにわからない。
「ったく、あんたはいっつもそうだ。ちゃんとカネ払えよ」
そう言ってレイターが、ダルダさんに説明を始めた。
「お宅の会社が買収を決めたパキ星の工場拡張予定地に、きのこのパキールの自生地が含まれてるってことぐらいは知ってるよな?」
「ああ、そこは読んだ」
ダルダさんがうなずいた。
レイターが言ったことは資料の冒頭に書いてあった。それが拡張工事に対する反対運動の最大の理由。
パキールというのは現地の特産品のきのこで、パキ人にとって、なくてはならないほどの好物だということだった。特に自然発生地で採れる天然物は人気がある。
「だから、パキールを植え変えることで合意したんでしょ。すでに植え変えは始まっていて反対運動も収束したとあったわ」
情報部の資料にはちゃんと結論まで載っていた。
「さすが、俺のティリーさん。ダルさんと違ってよ~くお勉強してるねぇ」
どうしてこの人は、人の神経を逆なでするような言い方をするのだろう。
「その呼び方止めてください。とにかくその話は収まってるわ」
「確かに一旦は収まった。けど、その後、植え変えたパキールが移転先で次々と枯れてんだ」
「え?」
そんな情報は資料のどこにも無かった。
「反対運動はどうなってるんだ?」
ダルダさんが聞いた。
「もちろん、またまた盛り上がっちゃって連日ストライキさ。だから、納期に遅れがでてんだよ」
筋は通っているけれど、にわかには信じ難い。
「レイターの言うとおりだとしたら、どうしてそれが情報部の資料に載っていないわけ?」
「そりゃ、現地が情報を上げてねぇんだろ。あそこは政府が通信回線握ってるから、外から情報得にくいし」
「じゃあ、どうしてあなたは知ってるのよ?」
「んぱっ」
変な顔をして、わたしの質問をはぐらかした。
「いずれにしても、パキールの自生地を工場予定地にしたあんたの会社の失敗さ。パキ星政府は企業を誘致したくて、おいしいことばっかり並べ立てた。甘く見過ぎたのさ」
「な、こいつの情報はためになるだろ」
ダルダさんがウインクした。
「情報料は別料金。振込先はわかってるよな」
「ガハハハ。俺が払わなかったことがあるかよ」
ダルダさんがわたしに笑いながら話しかけた。
「俺の実家は農家でね、土は大事なんだよ。俺も子供の頃、土の入れ替えをよく手伝わさせられてね。それが嫌で俺は家を継ぐのを弟に任せて、サラリーマンの世界に入ったんだ」
「そうなんですか」
レイターが鼻で笑いながら言った。
「ふふふん。農家ねぇ。商社も手がける年商百億の農家ねぇ」
年商百億?
「ダルさんは今も毎年一億リルの小遣いを親からもらってんだぜ」
一億リルの小遣い?
「しょうがないだろ、実家の節税対策なんだから」
「ま、あんたにとっちゃ、サラリーマンの仕事は趣味だからな」
仕事は趣味?
「ノンノン。趣味じゃないさ。人生に必要なロマンとスリルの一部だよ。ガハハハハ」
ロマンとスリル。聞くたびに脱力しそうになる。
ダルダさんがダメ営業部員と言われる所以がわかった。仕事に対する緊張感がまるでないのだ。
わたしはため息をついた。
三・パキ星の狐男
パキ星には一日で到着する。
フェニックス号はソラ系を抜けて安定飛行に入った。
普段レイターは、この船を家として使っている。
ホストコンピューターであるマザーの管理は徹底的で『厄病神』に祟られてさえいなければ、実は快適で居心地のいい船だった。
*
キッチンからいい香りがしてきた。
レイターがヘッドホンで何かを聞きながら、料理を作っている。この船は出てくる食事がとにかくおいしい。レイターは食にこだわりがある。
レイターは愉快そうに笑っていて楽しそうだ。ちょっと気になる。
「何聞いてるの?」
「あん?」
ヘッドホンをはずしたレイターにあらためてたずねる。
「何聞いてるの?」
「セクシーなお笑い。ティリーさんも聞く?」
セクシー、という言葉に一瞬戸惑う。正直なところ下ネタは好きではない。
レイターがにやっと笑った。
「ま、ガキには早いな」
カチンときた。
「貸して!」
わたしはヘッドホンを奪い取るように手にした。ちょっと緊張しながら耳に当てる。
「?????? 何これ?」
聞いたことも無い言語だった。笑い声以外はさっぱりわからない。
「パキの現地語ラジオさ。面白いだろ?」
「はあ?」
レイターの趣味はさっぱりよくわからない。
* *
そして、緑色が鮮やかな出張先のパキ星が近づいてきた。
パキ星は陸地の八割が未開の原生林。見渡す限り緑の星だ。
農林業が主な産業なのだけれど、パキ政府はこのところ宇宙船メーカーであるうちの会社のような連邦大企業の工場誘致に力を入れている。
林を切り開いてできた首都のパキ空港に、フェニックス号が着陸した。
現地のパキ支社が、わたしとダルダさんの宿泊先として高級ホテルを予約していて、ボーイさんがフェニックス号まで迎えにきた。
連邦資本の五つ星、レイモンダリアホテル。
ここの系列ホテルがわたしの住むソラ系にもあるけれど、一泊でひと月のお給料が吹き飛ぶような値段のはずだ。
わたしごときにこんなホテルを用意するなんて、現地支社にとって本社からの視察というのは、かなり気を使う案件なのに違いない。
*
案内されたホテルの部屋は最上階の二十五階だった。わたしの実家の家より広いんじゃないだろうか。
窓からの眺望は最高。
街のすぐ向こうに緑の林が広がっている。リゾート開発されていない天然林は絶景だ。
リラックスルームは使い放題。
お風呂も広いし、備え付けのシャンプーなどのアメニティーグッズは、最高級ブランドがいく種類も置かれていた。
一度使ってみたかったアンナ・ナンバーファイブのヘアトリートメントもある。贅沢して使っちゃおうっと。
いい香りにとろけそうだ。
何だかベルに悪いなあ。これじゃあ旅行だ。
ふかふかのソファーに腰掛けながら大画面テレビをつけると、普段見ている番組と同じ物が大迫力で流れていた。
チャンネルを変えると現地語の番組もやっている。でも通訳の副音声はついていなかった。結局いつもと同じ番組を見る。
隣はダルダさんの部屋。大金持ちのダルダさんは、いつもこういうホテルを利用しているのだろうか?
先週の出張は大変だったけれど、先輩に言われた通りのことをしていれば良かった。でも、ダルダさんはどうも心もとない。
わたしがしっかりしなければ。緊張しながら眠りについた。
* *
翌朝、レイターの運転するエアカーがホテルへ迎えに来た。レイターはフェニックス号に泊まっている。
助手席にわたし、後部座席にダルダさんが座った。
「アンナ・ナンバーファイブか」
隣でレイターがつぶやいた。
わたしはドキッとした。昨日使ったヘアトリートメントだ。
「よくわかったわね」
「ガキにしちゃ、いいセンスじゃん」
「ガキじゃありません!」
ダルダさんが後ろから声をかけた。
「まあまあのホテルだったな」
まあまあ?
あれでまあまあだったら、一体どんなホテルなら満足するのだろう。大金持ちの感覚は庶民のわたしとは違う。でもここまでくると、嫌みな感じもしない。
「フェニックス号のがいいだろ?」
レイターが聞いた。
「ああ、やっぱり飯がうまいってのは大事だな」
高級ホテルの朝食はもちろんおいしかった。
でも、ダルダさんのいう意味もわかる。レイターが作る料理は高級とは違う美味しさがある。
*
街の中心部では至る所で高層ビルが建設されていた。星全体に、上へ上へと向かっていく熱気のようなものが感じられる。
ホテルから十五分、快適に大通りを飛ばす。
街から離れると、すぐ工場が見えてきた。約束の時間よりも早い。
と、思ったら正門の前を車は通り過ぎた。
「ちょ、ちょっとレイターどこへ行くのよ」
「裏門」
「裏門?」
そこから入るように、支社から指示があったのだろうか?
「見といて損はねぇぜ」
車は長く続く工場の塀に沿って走った。工場の先にある森は拡張工事の予定地でもある。
レイターの言うとおり、見ておいて損はない。
工場のすぐ隣にうっそうとした森が見えてきた。緑というより黒い塊りの様だ。
大通りの角を左へ曲がった。左手に工場の塀。右には暗い森。
突然、道は細い田舎道になった。
舗装も所々ひび割れている。地元の人しか利用しないのだろう。
大通りとの落差に驚く。
そして、さらに角を工場の塀に沿って曲がった・・・。工場の裏門へ向かうその細い道には思わぬ光景が広がっていた。
「何なの?」
塀に沿って人があふれていた。
警官隊が規制のロープで道を確保している。
パキ語の横断幕やプラカードが掲げられていた。内容は読めないけれど一目で抗議の座り込みとわかる。
「おい、レイター、何て書いてあるんだ?」
後ろからダルダさんがたずねる。
「拡張工事に反対。パキールを返せ、とさ。あんたの会社の労働組合の旗もあるぜ」
たくさんの人が集まっているのに騒がしくはない。
拡張工事反対派の人たちは、規制線の内側で静かに座っている。その様子には慣れた雰囲気が漂っていて、この状況が長期にわたり続いていることをうかがわせた。
「座り込みのことレイターは知ってたの?」
「あん? ティリーさん、今朝のニュース見なかったのかい?」
「ちゃんと見たわよ」
「やってたじゃん。反対派の座りこみを、きのう警察が正門前から追い出して小競り合いがあったって」
そんなニュースは見ていない。放送されていれば気がつくはずなのに。
ダルダさんが言った。
「お前が見たのはパキ語で放送してる現地のローカルニュースだろ。俺が見た銀河共通語のニュースじゃやってなかったぞ」
「パキ政府に都合の悪い情報は、星系外に流れねぇからな」
車は抗議活動の前をそのまま通り過ぎ、塀に沿って走った。さっき通った整備された大通りへと戻り、正門前に着いた。
今、裏門で見た抗議活動が嘘のようにうって変わって平穏だ。
レイターが警備員にパキ語で話しかけ中へ入る。
それにしてもレイターは、どうしてこんなにパキ語がわかるのだろう。
パキ星の情報を外から得にくいのには言語の問題がある。
パキ語はこの星でしか通じない希少言語で通訳も少ない。語学学校でもパキ語なんて見たことないし、勉強する機会なんてそんなにないはずなのに。
*
指定された場所で車から降りると、空気がもわっとまとわりついた。湿気が多く気温がやや高い。
現地の責任者である工場長たちが出迎えた。
九十度に腰を折って深々と頭を下げる。慣れていないわたしは慌てて頭を下げた。
「わざわざ本社から足を運んでいただく事態に至り、申し訳なく思っております」
きれいな銀河共通語だ。
工場長は五十代後半の現地採用のパキ人だった。作業服に身を包んでいる。細面に切れ長の目。パキ人特有の黄色い肌。
現地採用で工場長に抜擢されるのだから、相当仕事ができる人なのだろう。
*
冷房がよく効いている会議室に案内された。
「生産が遅れている理由を報告してくれたまえ」
ダルダさんは工場長より十歳くらい若い。でも本社採用であるダルダさんの方が序列が上だ。
工場長は丁寧な言葉で答えた。
「すでにご報告差し上げておりますが、賃金交渉が長引いております。ストライキを回避できず、納期に遅れが出ており誠に申し訳ございません」
そつのない回答。どこか狐のような印象だ。
「賃金交渉が長引いている理由は?」
「パキ星の物価上昇率をご存じでしょうか?」
「いや」
ダルダさんは正直に答えた。
工場長がモニターにグラフを示した。報告書に添付されていたものと同じグラフだ。
そのグラフを見てダルダさんが大きな声でつぶやいた。
「ふむ。物価上昇率が賃金上昇率を上回っているのか」
「政府の産業誘致によりまして、年々、パキ星の成長率が上がっております。それに伴い、物価も右肩上がりの状況でございます。本社からは、前年と変わらぬ利益を求められておりますので、人件費を据え置きましたが、生活がかかっているだけに組合によるストライキが頻発しておりまして、生産ラインに影響が出ております」
次の画面では、ストライキの回数と規模が表になっていた。工場長の説明には説得力があった。
現地労働者の賃金が、本社勤務と比べずいぶん低く抑えられているのは確かだ。
「生活がかかっていては、大変だよなあ」
ダルダさんのつぶやきに心がこもっていた。ここで働く労働者に同情しているようだ。
ベルが引継ぎで話していたことを思い出した。
「ダルダ先輩は正義感が強くて、時々仕事から脱線しちゃうんだよね」と。
先輩自身は、年に一億リルの小遣いをもらっていて、物価の上昇率なんて気にしたことはないのだろうけど、逆にだからこそ弱者に感情移入してしまうのかも知れない。
「人件費を抑えるのはよくないんじゃないか?」
ダルダさんの反応に、工場長の細い目がさらに細くなった。
「私どもも同じ考えでございます。そこで人件費を補填するための対策にお力添えをいただければと」
「どうしようというのかね?」
ダルダさんが聞いた。
「物価スライド制度の申請を検討しております」
「ああ、それはいいアイデアだ」
「お褒めいただき、ありがとうございます」
物価スライドは物価上昇が激しい新興星に一定額を補填する制度だ。本社の経営会議で導入の可否が判断される。
ただ、パキ星工場で働く現地労働者の給料は、この星の平均賃金をかなり上回っていて適用には微妙な状況だったはず。
「本社で認められるのは容易ではございません。ここは一つ、ダルダさまのお力添えをいただいて、後押しをしていただければと存じます。スライド制度が導入され賃金交渉に片が付けば、納期の遅れは解消されます」
「わかった。本社と話してみよう」
ダルダさんはあっさりと引き受けている。
何か釈然としない。
どう見てもダルダさんより狐男の方が一枚上手だ。工場長がダルダさんの正義感の強さを利用しているように見えた。
ふと、扉の前にレイターが立っているのが目に入った。
ボディーガードの彼にもこのやりとりは聞こえているはずだけれど、全くの無表情で何を考えているのかわからない。
レイターの情報では納期が遅れている原因は、賃金ではなく工場の拡張工事への反対運動ということだった。
さっき目にした座り込みのことをきちんと確認して置かなくては。
思い切ってわたしは口を挟んだ。
「工場拡張の反対運動は生産の遅れと関係ないのでしょうか?」
「反対運動は収束している」
工場長が短く答えた。ピシリとドアを閉めたような、冷たい声だった。
今更小娘が何を言い出す。静かにしてろ。と言っているように聞こえた。嫌な感じだ。
ダルダさんに対する態度と全然違う。確かにわたしは新入社員でアシスタント。工場長に意見できる立場じゃない。
ダルダさんがゆっくり聞いた。
「じゃあ裏門の座り込みは何なんだね?」
工場長がビクっと体を揺らした。
「ご覧になられたのですか」
驚いたその様子から察するに、おそらくこの狐男が、反対運動の座り込みを正門から排除したのだ。わたしたち本社の視察に見つからないように。
工場予定地の取得にはパキ星政府が絡んでいる。警察を動かすこともできるのだろう。
「先ほども申し上げましたが、賃上げをめぐる交渉が続いておりますので」
バカにされたものだ。プラカードの文字が読めないと思ったに違いない。
腹が立った勢いでわたしは発言した。
「プラカードには『拡張工事反対』の文字がありましたけど、ストライキの要求には拡張工事の見直しも入っているんじゃないですか?」
狐男は落ち着いて答えた。
「工場の拡張は何の問題もありません。反対しているのは一部の市民運動家だけなんです。そこに組合も乗せられていましてね、困ったものです」
工場長は物価スライド制で本社から得るお金を使って、反対派を黙らせようとしているのだろう。
この狐男が情報を本社に上げていないのは確実だ。それどころか隠している。
狐男は数字を並べて説明を続けた。
拡張計画はパキ星の雇用にも貢献し、ひいては産業の牽引役にもなり、結果として会社に多大な利益をもたらしますと。
その様子はまるでパキ星の広報官僚のように見えた。
もちろん工場の拡張は、会社の売り上げに貢献する話だ。でも、企業倫理を含め長期的に検討する必要はある。
そこをいくら詰めようとしても工場長は、生産が遅れているのは賃金交渉に関するストライキのせいで拡張工事は何の問題もない、の一点張りだった。
わたしとダルダさんの追及をのらりくらりとかわしていく。このままでは埒があかないと思った時、
「移転先で天然のパキールが枯れているそうじゃないか」
ダルダさんがレイターの情報でカードを切った。
だが、狐男は平然と答えた。
「よくご存知ですね。たまたま、土との相性が悪いところが一部であった、ということで、これも問題はありません」
「・・・・・・」
困った。こちらに反論するカードが無くなってしまった。
とその時、
PPP・・・
ダルダさんの携帯通信機が鳴った。
「おっと失礼」
メッセージが届いたようだ。
ダルダさんが着信音を止めた際、一瞬ちらりと送信元の名前が見えた。『レイター』と出ていた。
わたしは思わず扉の方を振り向いた。レイターがにやりと笑った。
携帯のメッセージを見ながらダルダさんが狐男に詰め寄った。
「移転先では九十ニパーセントが枯れているそうじゃないか」
「・・・そ、その数字は」
狐男が細い目を見開いた。
「九十二パーセントをたまたまとか一部とは言わないだろう」
狐男が黙った。
反論のしようがない数字なのだ。
「政府は隠蔽しているようだが、いずれにせよ本社が入って調査すればすぐにばれてしまうことだ」
レイターが送ってきた数字。
どうしてそんな情報をあの人は持っているのだろう。
ダルダさんが続けた。
「物価スライドと同時に、工場の拡張についても本社の検討議題にあげるから、ちゃんと反対派の動向についても情報をあげてもらいたい」
「はい。かしこまりました」
狐男は丁寧に頭を下げた。本心かどうかわからない。不安は残っている。
「ところで、パキールというのはそんなにおいしいのかね?」
ダルダさんがたずねた。
「この地域の特産品ですが、生でも火を入れても食べられまして、私達パキ人にとってはなくてはならない食材です。天然にこだわらず栽培物でも十分おいしいんですよ。反対派が言っていることは極端なんです。今夜は最高のお店をご用意いたしました。政府の要人もお呼びしています」
政府は工場を誘致したいのだ。狐男はわたしたちを要人と引き合わせ、接待で懐柔するつもりだ。
でも、逆にその場を利用してもっと情報を得ることもできる。この会食は緊張したやりとりになりそうだ。
と考えた瞬間、
「いや、結構。食事は予約してきた」
ダルダさんが工場長の誘いを断った。
そんな話は聞いていない。
誰か別の人物とのアポイントを入れているのだろうか?
狐男があわてている。
「実は産業担当の大臣にお時間を空けていただいているのです。短いお時間で結構です。お顔を出していただけないでしょうか?」
これまで本社からの視察と言えば、高級ホテルに泊めて美味しい食事を出して、要人に会わせて、とパターンが決まっていたのだろう。
「悪いがこちらも忙しいんだよ。ガハハハハ」
ダルダさんの笑い声に狐男が途方にくれた顔をした。その様子を見るのは痛快だった。
四・パキールのお味は
帰りの車は後部座席のダルダさんの隣に座った。予定を確認しておかなくては。
「きょうはどなたと食事をする予定なんですか?」
「誰って別に予定はないが」
「え? さっき先約があるって」
呆気にとられる。
「レイター、俺は現地の人が行く店で食事したいんだよな。お前、現地語しゃべれるだろ? 案内してくれよ」
「あん? 工場長に連れて行ってもらえばよかったじゃねぇか」
「あいつが行くところと言えば、銀河共通語が通じて連邦資本が入った店だろ。そんなところにロマンとスリルはない。それに、折角の出張なのにあんな食事のまずくなる奴と食いたくないだろが」
「あんた、これは仕事か? プライベートか?」
「プライベートさ、俺がおごる」
「あんたの仕事はいっつもこうだ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
わたしは話の流れに驚いた。
「大臣との会食をキャンセルしたんですよ」
ダルダさんが驚いた顔をした。
「ティリー君、行きたかったのかい?」
「いえ、行きたいとか、行きたくないとかじゃなくて、行くべきだったんじゃないですか?」
「どうしてだい? 折角の出張だよ、楽しもうじゃないか。ガハハハ」
出張を楽しむと言うのは、それは仕事がうまくいった後の話じゃないだろうか。
運転席のレイターが言った。
「ダルさんが食事を断った時の工場長の顔、最高だったよな。会社で一番接待に釣られない男を派遣したところで、すでに本社の勝ちだったってわけだ」
「ガハハハハ。会社も俺の使い方をわかってきたな」
確かに、わたしたちの仕事の目的である生産の遅れについて、要因は把握できた。
これまで正確な情報が取れなかったのは、狐男の策略ともてなしに引っかかっていたからで、下手にパキ政府と交渉をして、取り込まれたりしないほうが賢明なのかもしれない。
そう思うと何だか急にお腹が空いてきた。
「食事にわたしもご一緒していいですか?」
レイターが文句を言った。
「俺の仕事が増えるぢゃねぇかよ。ガキはお部屋でお寝んねしてな」
この人はいちいち腹が立つことを言う。
「わたしはガキじゃありません。それに、わたしはレイターじゃなくダルダさんに聞いたんです」
ダルダさんが笑顔で言った。
「もちろん、構わんよ」
ダルダさんの答えにレイターがあわてた。
「おいおい、あんたガキ連れてく気かよ」
「大丈夫だ、俺は純粋に食事に行く」
「あんたが?」
バックミラーに映るレイターが、いぶかしげな顔をした。
「ガハハハハ。歓楽街は逃げないさ」
二人の会話からレイターがわたしを連れていくのを嫌がった理由がわかった。この二人は、いつも出張の際、男の人が楽しむ夜の街へ繰り出しているようだ。
「ティリー君の分もおごるよ」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です割り勘で。お金もカードに入ってます」
「信じらんねぇ」
レイターが驚いた声を出した。
「何がよ?」
驚かれる意味がわからない。
「ダルさんがおごるって言ってんだぜ。自分で払うことねぇじゃん」
「わたしはあなたとは違います」
「あんた、ダルさんの小遣いの話、聞いてなかったのか?」
「その話とわたしとは、関係ないでしょうが」
わたしたちのやりとりを見ていたダルダさんが、笑いながら言った。
「ガハハハハ。レイターにとって俺は、単なる金ヅルだからな」
「よくわかってんじゃん」
「ティリー君、先輩としておごらせてもらうよ。後輩の指導は先輩の仕事だ。きょうはよく働いてくれたから、ねぎらいたいんだ」
そう言われると断る理由がなかった。
よく働いてくれた、と言われるとうれしかった。狐男を相手に自分でもよく戦ったと思う。
でも、その時気づいた。
ほとんどレイターがくれた情報を武器にしていたことに。
* *
「ロマンとスリルは電車にある」
と、ダルダさんが提案した。
「ったくあんたの警護はボディーガード泣かせだぜ」
「仕事じゃない。プライベートだ。文句があるなら夕飯代は自分で払え。ガハハハハ」
「ちっ」
ぶつぶつ文句を言いながらもレイターはパキ語で切符の手配をした。
旧式の電車に揺られながらわたしはレイターに聞いてみた。
「ねえ、レイターはどうしてパキ語が話せるの?」
わたしの問いにダルダさんが答えた。
「こいつらは、ほとんどすべての星系の言語を叩き込まれてるんだ」
「すべての言語?」
驚くわたしにレイターが笑顔で声をかけた。
「アンドリューム、マルバトーレ?」
その響きにわたしは息を飲んだ。久しぶりに聞いた。
故郷のアンタレス語で『ご機嫌いかがですか、お嬢さん?』。アンタレスの外で聞いたのは初めてだ。驚いたのはその発音のよさだ。
思わず返事をしそうになった。
そして気がついた、レイターってこんなにいい声をしていたのだと。
「ま、八年も前の話だから、あいさつぐらいしか覚えてねぇけど、おかげで銀河中の女性と仲良くなれるからな」
銀河共通語で話すレイターの言葉は軽薄で、品が悪くて、相手にしようと言う気がしない。
だけど、アンタレス語で話すレイターの声はまるで別人のように心地よく耳に響いた。
「レイターと一緒だとどの星へ行ってもナンパができるから助かるよ、ガハハハハ」
この二人は出張先で一体何をしているんだか。それにしても、八年前に叩き込まれたってどういことだろう。
「レイターはどんな学校に通ってたの?」
わたしの質問にダルダさんが答えた。
「こいつ見かけによらず皇宮警備だったんだ」
その答えにびっくりした。
「えっ、皇宮警備ってあの王室を警護する? 冗談でしょ」
皇宮警備といえば、ドラマにもなることがある連邦軍のエリート集団だ。
各星系の王室を守る皇宮警備なら、すべての言語を身につけていても不思議ではない。
運動能力や体力だけでなく、知力や人格が秀でた人が選抜され、さらに厳しい規律で有名なのだ。このだらけた態度とはまるで結びつかない。
あり得ない。
わたしの顔を見て、レイターがニヤリと笑った。
「あんたの顔、冗談みたいに面白いぜ」
間抜けな顔をさらしてしまった。
「だって、あり得ないもの」
語学力をナンパに使う皇宮警備など、ありえない。
「ガハハハハ。人生はスリルとロマンとジョークに満ち溢れているということさ」
わたしは肩を落とした。全然面白くないジョークだった。
*
「ここらで降りるか」
わたしたちはダルダさんが気まぐれで決めた適当な駅で降り、小さな路地を歩いた。
「よし、ここにしよう」
ダルダさんが選んだのは、本当に地元の人しか入らないであろうと思われる小さな店だった。
「カルダポルン」
店の人が笑顔で迎えてくれる。「いらっしゃいませ」と言ったんだと思うのだけどさっぱりよくわからない。
ダルダさんが銀河共通語であいさつしたけれど全く通じない。
「おい、レイター『こんばんわ』は何ていうんだ」
「カルデロ」
「は~い、カルデロ」
ダルダさんが手を振りながらあいさつした。
レイターはメニューを持ってきた若い女性に現地語で話しかけ、にっこり笑うと手を握った。
女性はうれしそうに顔を赤らめた。
現地語だから聞き取れないけれど「町一番の美人さんに会えて光栄だ」とか大体そんなところだろう。
一緒になってダルダさんも握手をしている。何だか腹が立つ。
気持ちを落ち着けようとメニューをのぞき込む。何が書いてあるのかさっぱりちんぷんかんぷんだ。どうやら数字も現地語だ。価格すらわからない。
「レイター、俺はパキール料理を食べたい」
今回の出張は、きのこのパキールに振り回されている。わたしも食べてみたい。
「この辺がパキールのスープ、サラダ、炒め物ってところだな」
レイターが指で示す。
わたしには記号にしか見えない文字を、ちゃんと読めていることにあらためて感心する。
レイターはあいさつ程度しかできないと言っていたけれど店員たちと普通に話をしていた。
レイターが現地語のラジオを聞いていたことを思い出した。多分、彼は耳を慣らしていたのだ。
「なあ、レイター、パキールの天然物と栽培物はどう違うのか聞いてくれないか?」
「あんた注文が多いぞ。別料金とるからな」
文句を言いながらもレイターが通訳すると、ウエイトレスが三十代ぐらいの男性を呼んできた。
どうやら店長さんのようだ。男性の早口の言葉をレイターが訳す。
「こちらの店長さんによると天然物と栽培物は味も風味も全然違う、って言ってるぜ。最近は天然物はめっきり入らなくなって、この店も基本的には栽培物を出してるそうだ。ただ、あんたが金を出すなら、天然物と栽培物の食べ比べをさせてもいいって言ってるがどうする?」
「もちろん頼むさ」
一万五千リルという料金を聞くとぼったくられている気がしたけれど、ダルダさんはまったく気にしていないようだった。
「それからキノコ酒を頼むぞ。ティリー君、お酒は?」
「じゃあ一口だけ」
レイターが突っかかってくる。
「ガキはジュースでいいだろが」
「あなた、わたしのことガキって言いますけど、一応アンタレス人は十六歳から成人扱いなんです。お酒を飲んでも法には一切触れません」
「ガハハハハ、レイターの負けだ。アンタレス人が法律違反するわけないだろうが」
わたしたちアンタレス人は順法意識が高い。
「ちっ、勝手にしろ」
「まあまあ、お前も飲むだろ。今日は電車だし」
「忘れるなよ、あんたのおごりだからな」
「ティリーさん。こいつ、飲酒運転だけはしないんだよ。何と言っても『銀河一の操縦士』だからな。ガハハハハ」
へぇ。意外だ。少しだけ感心する。そして、ダルダさんが電車で誘った理由もわかった。レイターとお酒が飲みたかったのだ。
「ガハハハ、では、仕事の成功を祝してカンパーイ」
いつの間にか仕事は成功したことになっていた。
パキール料理が運ばれてきた。
見た目は普通のキノコだ。天然物と栽培物の炒め物が別々の皿に盛られている。
「まずは栽培物から」
と言ってレイターがフォークを伸ばす。
「栽培物から食べた方がいいの?」
「あん? そりゃそうさ。旨いものは後に取っておくに限る」
レイターのアドバイスに従って先に栽培物を口にほおばる。
「おいしい」
きのこの香ばしい香りが口と鼻の両方に広がる。少しくせがあるけれどそれがやみつきになりそうだ。
「うまいなあ」
ダルダさんも笑顔でぱくついている。
「続いて、本命へいってみようぜ。せえの」
レイターにうながされ、全員で天然物を同じタイミングで口にした。
ぱくっ。
ん、違う。
口に入れた瞬間、いや入れる前から香りを感じた。栽培物と同じ香りなのに違う。歯で軽く噛むとその違いが際だった。歯ごたえがしっかりしている。
「全然違うぞ、うまいっ。こりゃもめるわな」
ダルダさんが大声で感想を口にした。
味も香りも歯ごたえも天然物のほうが断然おいしかった。
食べ比べないとわからないけれど、地元の人にとっては大きな違いに違いない。
「俺んちは農家だからよくわかるが、天然物は土が大事なんだ。うちの工場を別のところに建てればいいのさ」
「あんた、話はそんな簡単じゃないぜ。この星の林を切り開くのに金がかかる土地とそうでない土地がある。パキールが生えてるのは金のかかんねぇ柔らかい土地なんだ。だから、この問題はどこまで行っても壁にぶち当たる」
レイターは、一体どうしてこんなに情報をもっているのだろう。
「レイター、現地語の『おいしい』と『ありがとう』を教えてくれよ」
ダルダさんはレイターに教わった二言を使い、ウエイトレスや店長と身振り手振りでコミュニケーションを取りはじめた。その様子が笑える。
お酒のせいかわたしもちょっとハイになっている。
レイターがダルダさんに言う。
「あんたはどこへ行ってもこれだけで仲良くなるんだから。いいよな」
「ま、お前がいないとそうもいかんのだがな」
実際にはレイターが通訳しているから伝わっているのだ。それにしても、レイターやダルダさんのやりとりは横で見ていても面白かった。
*
「そう言えばレイター、お前十メートルの巨大きのこを見たことあるんだろ?」
ダルダさんがレイターに話をふった。
「あん? キノコ星の話か」
「そう、それそれ」
キノコを食べながらの巨大キノコの話題に、何だか興味をそそられた。店長さんたちも身を乗り出している。レイターが話を始めた。
「辺境にキノコ星ってのがあってさ、そこに高さ十メートルの幻のキノコが生えてたんだ」
「幻のキノコ?」
聞き返すわたしの顔を見て、レイターがにやりと笑った。
「精力がつくっ、て噂のな」
「十メートルは大きすぎるなあ」
ダルダさんがうれしそうに言った。わたしは反応に困ってしまう。
お酒が入ると男の人たちはどうしてこういうお色気ものの話題が好きなのか。
セクハラぎりぎり。でも、まだ許せる範囲。
レイターは楽しそうにパキ語に通訳し、周りの客も盛り上がってきた。
「とにかくそいつを焼こうって話になって、あぶってみたわけさ」
十メートルのキノコをあぶる? 想像ができない。
「どうやって?」
わたしの問いにレイターは動作をつけながら陽気に答えた。
「火炎放射機をぶっ放すのさ」
その様子がおかしかった。
「ガハハハハ」
ダルダさんはもちろん、ついわたしも笑ってしまった。
「そうしたら、このパキールみたいに香ばしい香りがぐんぐん広がってさあ、鼻の奥がたまらねぇわけよ」
これは作り話に違いない。でも、妙にリアルでおかしい。レイターは話術が巧みだ。
「キノコのかけらが、ちょうど食べごろの大きさで落ちてきて、俺の隣にいた奴が、目にも留まらぬ早さで拾いやがって、俺より先につまみ食いしたのさ」
そこで、レイターが一呼吸おいた。みんな話に引き込まれ興味津々だ。
「で、どうなったんだ?」
ダルダさんが先をうながす。
「そいつ、突然笑いだしちゃってさ」
「笑いだす?」
「そのキノコは笑い茸だったのさ」
「笑い茸ぇ? じゃあ、女とはどうするんだ」
「笑いながらなんてやれるかよ、ダルさんじゃあるまいし。っつうことで、幻のキノコは幻に終わったってわけだ」
「ガハハハハ」
ダルダさんの大笑いにつられ、店の人たちも大爆笑だ。
さらに、レイターが現地語で何かを言うと、笑いの声がさらに大きくなった。
「おい、レイター何言ったんだ?」
ダルダさんがたずねる。
「後で教えてやるよ」
「後で?」
「十八禁だ」
ダルダさんがちらりとわたしを見た。
「わかったわかった、ガハハハハ」
わたしは聞こえないふりをした。レイターは多分きわどい話をしたのだ。
*
それにしても、ダルダさんとレイターは出張を思いっきり楽しんでいる。陽気な二人はいつもこの調子で仕事をやってきたんだろうな。
ちょっぴりうらやましい。工場長の接待を受けなくて良かった。
「ティリー君、お酒のおかわりは?」
「もう結構です」
「レイター、お前は飲むよなぁ」
ダルダさんはどんどんとレイターにお酒を勧めている。
「俺はよく大酒飲みと言われるが、お前ほんとに酒強いよな」
言われて気がつく。お酌をするダルダさんは顔が真っ赤だけれど、レイターはほとんど顔に出ていない。
「お前、ほんとはこの量なら操縦だって問題ないんだろ? このままホテルに送ってくれたら楽なんだが」
困ったことにダルダ先輩は電車で帰るのが面倒くさくなっているようだ。
「そんなことを言っていると、飲酒操縦の教唆罪に問われますよ」
怒らせないように冗談っぽく言ってみた。
「レイターは免許が停止になったら困るでしょうし」
「いやいや、こいつは絶対に交通違反で引っかかったりしないんだ。スピード違反だろうが、一方通行の逆走だろうが、平気なんだよ。なあ」
「当たりめぇだ。警察なんかに捕まるわけねぇだろが」
「は? じゃあどうして飲酒はしないの?」
「警察は関係ねぇよ。俺は『銀河一の操縦士』だ。0.一秒でも判断が遅れるようなかっこ悪い操縦はしたかねぇんだよ」
不思議な人だ。職業意識が高いのか何なのかよくわからない。ただ、操縦に恐ろしいほどのプライドを持っていることだけはわかった。
*
しばらく食事を続けていると、何となく店の雰囲気が静かになってきた。親しげな感じがよそよそしさに変わっている。
レイターが黙り込んだ。耳をそば立てて聴いている。
「どうした?」
ダルダさんがたずねる。
「周りの会話が不穏だ。反対派がいるな。俺達が工場の拡張のために来たって噂してる。早いとこ、ここからずらかったほうがいい感じだ」
*
レイターが会計を頼むと、さっきまでフレンドリーだった店長が打って変わって強い口調で攻め立てた。言葉はわからないけれど糾弾しているようだ。
レイターも最初は冷静に話をしていたけれど、段々と声を荒げて一歩も引かなかった。もう、喧嘩寸前という感じ。
「おいおい何をトラブってるんだ」
ダルダさんがなだめる。
「パキールの代金をぼったくっていやがる。天然物が入らないのは俺達のせいだとか因縁つけて、いくら説明しても聞きやしねぇ」
「いくらだ?」
「一万五千リルのところ七万リルだ」
七万リル。それは、この星の物価からしても高すぎる。
「わかった。俺が払うからいいよ」
ダルダさんは「ありがとう」と「おいしい」と現地語で店長に言いながら七万リルを支払った。
後味が悪かった。
*
帰り道。
「すまねぇ。あんたが払う必要のねぇ金だった」
レイターがダルダさんに謝った。
「お前、現地語で喧嘩できるってすごいな」
「喧嘩できても負けちゃ意味がねぇよ」
悔しそうにレイターが言った。
その時、さっきの店長が追いかけてきた。
「どうしたんだ?」
喧嘩の続きをしようというのかと警戒した。
が、彼はレイターに向かって頭を下げた。言葉はわからないけれどその表情から謝っているのがわかった。
レイターと彼は裏の路地に入ってひそひそと話をはじめた。聞かれてはまずい話のようだ。
最後にレイターが現地語で「ありがとう」と言ったのがわかった。
店長は足早に店へと戻っていった。
「どうした?」
ダルダさんが聞く。
「店に顔を出したオーナーが工場建設の強硬な反対派だそうだ。だからぼったくって申し訳なかったとさ。で、貴重な情報をもらった」
「貴重な情報?」
「とにかく急いでホテルへ戻るぜ。電車は止めてタクシーを拾おう」
わたしたちは大通り目指して足早に歩き始めた。
五・環境テロ集団NR
もう少しで大通りに出るというところだった。
「やべぇな」
レイターがつぶやいた。
わたしたちの後をつけてくる足音が聞こえた。一人じゃない複数だ。前からも男たちが来た。
路地の小さな広場で七~八人の男がわたしたちを取り囲んでいた。反対派だろうか。
手に持っているものが見えた。
銃だ。
無意識のうちにつばをゴクリと飲む。心臓の鼓動が速くなる。
リーダーとおぼしき男がわたしたちに声をかけた。
「クロノスの社員だな。おとなしくついてこい!」
「俺のティリーさんには指一本触れさせねぇぜ」
と言うレイターに
「おいおい、俺はどうなる?」
とダルダさんが聞いた。
「安心しろ、俺は金ヅルから取りっぱぐれたことはねぇ」
そう言いながら、レイターが銃を抜いたように見えた。
わたしは体が震えるような感覚に襲われた。思い出したくないことが目の前で再現されている。
先週の出張で人が眼の前で殺された。自分が撃たれる恐怖よりも、その悪夢の再来に怯えた。
その時、
ビユゥウウーン
空気がしなるような音がした。
レイターが手にしていたのは銃ではなく電子鞭だった。
ブゥオオオオン。
ピシッツピシッツ
あっという間の出来事だった。
しなった光線がみるまに男たちの銃をはじきとばす。レイターが器用に操る鞭のような光に触れた男たちは次々と倒れた。
「すぐに目を覚ましちまうから急げ!」
レイターがわたしの手を引っ張った。
彼らが死んでいないことにほっとした。
足がガクガクしていたけれど、レイターの温かくてがっしりとした手で手を握られていると心が落ち着いてきた。
*
大通りで無人タクシーを拾う。男たちは追ってこなかった。
「レイモンダリアホテルまで」
「レイター、一体奴ら何者だ?」
「環境保護テログループのNRだ」
NRと言えば荒っぽい手口で有名だ。自然を保護するためなら人間を殺しても構わない、という狂信的なグループ。
「どうしてわかる?」
「簡単さ、あいつらNRのバッチを胸につけてた。声をかけてきた奴は赤いバッチだったから幹部だ」
「お前、よく見てるな」
ダルダさんが感心している。
「っつうか、店長が教えてくれたのさ」
「店長が?」
「店長によると、工場拡張の反対派がNRと手を結んだんだとさ。店長はテロまではやりすぎだと思ってた。だから、オーナーが俺たちが店に来ていることをNRに伝えているのを聞いて、気をつけろって教えてくれたわけさ」
「気をつけろとは?」
ダルダさんがたずねる。
「NRがクロノス本社の社員を襲って、工場の拡張阻止を図ろうとしてるってことさ」
「それって、わたしたちのこと?」
「ああ」
血の気が引いた。レイターが続ける。
「反対派はいくら拡張反対を訴えたって、パキ政府に情報を握りつぶされてるからな。NR使ってクロノス本社の人間を誘拐するなり殺すなりすりゃ銀河連邦も動き出すって腹だろ」
「ふむ。人生にはロマンとスリルが必要だ」
「そんなこと言ってる場合じゃないです」
「大丈夫さ。レイターがいるんだから」
「まあな。スリルは十分味わえると思うぜ」
レイターはにやりと笑った。
*
わたしたちが宿泊しているレイモンダリアホテルに着いた。
「裏の駐車場まで突っ切るぜ」
レイターの言うとおりロビーを足早に通り抜けた。
駐車場にはレイターのエアカーが停めてある。
「お袋さん、聞こえるか」
レイターがフェニックス号のメインコンピューター、マザーを呼び出した。
「はい、聞こえます」
「この車、船に直結で入れろ」
「かしこまりました」
「ダルさん。船で待っててくれ、絶対外へ出るなよ」
「わかった」
ダルダさんが後部座席に乗り込む。わたしは急速に不安に襲われた。
「レイターは一緒に来ないの?」
「俺も、折角だからティリーさんの手を握ってたいんだけどさ・・・」
と言われて気がついた。
わたしはレイターの手を握ったままだった。
そのままレイターはわたしの手をとって、後部座席へとエスコートした。あまりに自然な振る舞いに、わたしは気がつくと座席に座っていた。
レイターは握っていたわたしの手から、するりと手を抜いた。わたしは自分がいつ手を離したのかわからなかった。
「いい子だ。俺もすぐ追いかける。ちょっとだけロマンとスリルだ」
レイターが言い終わらないうちに、エアカーはスタートした。
振り向くとレイターがホテルの館内へ戻っていくのが見えた。
船へ帰るのなら、レイターも一緒にさっきのタクシーで向かえばよかったのに。もう何が何だかわからない。
不安になってダルダさんに話しかけた。
「NRが出てくるって『厄病神』のせいでしょうか。これから、どうなっちゃうんでしょう?」
「大丈夫さ、レイターの言うとおりにしてれば」
ダルダさんはレイターに全幅の信頼を置いている。けれど・・・。
*
フェニックス号に到着した。
居間のテレビが付いていた。パキ語のローカルニュースだ。付けっぱなしだったのだろうか。と思いながら画面を見ると凍りついた。
「ダ、ダルダさん!」
「どうした?」
「ホテルが、燃えてる」
見慣れた高級ホテルが炎をあげて燃えていた。
さっきロビーを横切ったレイモンダリアホテルだ。放送局のリポーターがホテルの前から生中継で伝えていた。
現地語がわからない。
「何て言ってるのかしら?」
いらいらしてつぶやくとマザーが反応した。
「通訳が必要ですか?」
「マザー、お願い」
「かしこまりました」
マザーがニュースに合わせて通訳をはじめた。
「さきほど、レイモンダリアホテルのニ十五階にある二五十四号室に迫撃弾が打ち込まれました」
二五一四号室がダルダさん、隣の二五一五号室がわたしの部屋だ。思わず二人で顔を見合わせる。
「この部屋には出張中の会社員が泊まっており、ホテル側によりますと会社員が部屋へ戻った直後に砲撃された模様です。現在のところこの会社員の安否はわかっていません」
部屋へ戻った会社員って・・・レイターのことだ。
「レ、レイターがあの中に。う、うそでしょ」
テレビの画面に釘付けになった。
「マザー、レイターを呼んで!」
「反応がありません」
わたしは言葉が出せなかった。
「大丈夫だ、あいつは殺しても死なない」
そういうダルダさんの口も真一文字に閉じられていた。
「とにかく、会社へ連絡をいれよう」
「は、はい」
連絡回線を開こうと試みた。
ところが、画面にノイズが走るばかりでパキ支社も本社もつながらない。マザーが淡々とした声で報告する。
「政府が情報統制をしているものとみられます」
銀河連邦資本のホテルが砲撃されたなんてことは、隠して置けるはずないのに。
ニュースで行方不明の宿泊者の名前が読み上げられた。わたしとダルダさんの名前だ。行方不明者の生存は絶望的、という消防関係者の見解を示していた。
このニュースは誤報だ。わたしもダルダさんも生きている。でも、レイターは・・・。
ニュースを読むアナウンサーに原稿が横から突っ込まれた。何か動きがあったようだ。
「犯行声明がでました! 環境保護テロ組織のNRから、犯行声明が出ました」
放送局にNRから犯行声明が届いたという。マザーがアナウンサーの読む犯行声明を通訳する。
『パキール自生地に工場を拡大するのは、自然への冒涜であり、どんな手段をもってしても断固反対する。犠牲者はさらに増えるだろう』と。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
工場の拡大はまだ決定事項じゃない。
しかも、今回わたしたちが実際に視察してどちらかといえば計画は見直しの方向に動きそうなのに。
自然への冒涜って言うけれど、そんな風に言われなきゃならないほどわたしたちはひどいことはしていない。
続いて流れた関連ニュースの映像に、見知った顔が映った。
細面に切れ長の目。工場長の『狐男』だ。
フラッシュがたかれる中、一流レストランから出てきた狐男が険しい顔をして足早に高級車へ乗り込んでいく。
その後ろから出てきた恰幅のいい男性が、記者に囲まれた。
マザーがニュースを伝える。
「今夜、パキ政府とクロノス社の間で秘密会合が持たれ、工場の拡大で合意したものとみられます。しかし、先ほど発生したテロ事件を受けて、正式発表が延期となったもようです。産業大臣は記者団に対し『ノーコメント』とだけ答えて車に乗り込みました」
工場の拡大で合意ですって?
「うそよ、うそ! 何なのこれは?!」
六・ギャフンって何?
NRのパキ星支部長ゴドは、痛みが残る右手でキーボードの決定キーを押した。報告書は仕上がった。
クロノス本社の社員襲撃は成功。
「できた」
電子鞭で打たれた右手をさすりながら、本部へ提出する前にもう一度読み返す。
当初、クロノスの社員は高級レストランで大臣と会談し、接待を受けるはずだった。そこの出入りで誘拐し、工場の拡張工事の中止を求めてクロノス本社と交渉する計画だった。
ところが、接待の場に本社の奴らは現れなかった。
情報の精度は高いはずだったのに、一体何があったのか。
途方に暮れていたところに、嬉しい垂れ込みが入った。
クロノスの社員が食事のために郊外へ来ている、と。天は我々に味方した。
裏道で誘拐すべく、手はずを整えた。
大事な人質だ、殺すつもりは無かった。だから引き金を引くタイミングが遅れた。
その隙を突かれた。ボディガードの電子鞭ではじき飛ばされ、意識を失った。目を覚ました時には奴らの姿は消えていた。
思い出すと電子鞭で打たれた右手がしびれて痛んだ。まったくもって腹立たしい。
だが、あのボディーガードは、今頃、自分の失敗を思い知っただろう。素直にあそこで誘拐されていれば、命までは奪わなかったのだ。
我々は作戦を変更した。
誘拐より殺害の方が簡単だ。奴らは何も知らずにホテルへと戻った。連邦資本のレイモンダリアホテルなら、セキュリティも万全だと思っている。確かに侵入するのは簡単ではない。
だが、外からなら攻撃できる。我々は軍用の迫撃砲を持っているのだ。
二十五階の奴らの部屋に明かりが灯り、人影を確認した。そして、迫撃弾を打ち込んだ。
あっと言う間に火は燃え広がった。生きていられるはずはない。
予定通りに犯行声明をテレビ局へ送りつけ、放送された。
いくらパキ星政府が隠蔽しようとしても、もはやクロノス本社も銀河連邦も、この事態を無視することはできない。
これは、俺がパキ星支部長からステップアップするチャンスだ。こんな田舎の三流星系で、ずっと見張りをさせられてきた。
だが、この成功を契機に本部は俺を中央へ引き上げるだろう。
さあ、報告書を送信しよう。
ゴドは本部への通信回線を開いた。
* *
ティリーはフェニックス号の居間で食い入るようにニュースを見ていた。これからどうすればいいのだろう。ダルダ先輩は何も言わない。
と、その時、
「ただいまぁ」
スピーカーから気の抜けた声が聞こえた。
レイターの声だ。レイターが帰ってきた。ダルダ先輩とタラップまで大慌てで走った。
「よ、ただいま」
レイターは両手にスーツケースを持って立っていた。わたしとダルダさんのだ。
「無事だったのね。よかった」
レイターの顔を見たら、ほっとして涙が出てきた。
無意識のうちにレイターに抱きついた。レイターは生きている。
「ほんとによかった」
レイターの服から焦げ臭いにおいがする。
「熱烈歓迎うれしいねぇ。こんなに愛されてたとは」
レイターの言葉で我に返った。
あわてて体を離す。
「ち、違うわ! 心配しただけよ!」
「とりあえずダルさんの荷物は何とかなったが、ティリーさんのは、煙が充満してきてよくわかんなくなっちまった」
ふと見るとわたしのスーツケースから何かがはみ出している。
それを見た瞬間、わたしは顔から火が噴き出しそうになった。
イチゴ柄の下着。
レイターも同じところへ視線を落とした。
「・・・ガキだな」
「見ないでっ!」
気がつくとわたしはレイターの頬をはたいていた。
*
フェニックス号の居間でニュースを見ながら、ダルダさんが怒っていた。
「俺は、工場の拡張に慎重な立場だが、このまま手を引いたら環境テロの奴らの思うつぼであいつらが勝ったみたいじゃないか! くやしいなぁ」
わたしもダルダさんと同じ気持ちだった。
「わたしもテロに屈するのは許せません。うちの会社の存在を自然への冒涜だなんて言い方するのは、名誉毀損だわ」
「おいレイター、お前、何かいいアイデアあるだろ?」
ダルダさんがたずねると、レイターは目を細めて明らかに迷惑そうな顔をした。
「あん? あんた、これ以上俺の仕事を増やす気かよ。折角、NRの裏をかいてあんたたちをここまで連れてきたっつうのに」
レイターの行動の意味がようやくわかった。
NRはホテルにわたしたちが到着するのを見張っていたのだ。だからレイターは、わざわざ裏口からタクシーを乗り換えさせてわたしたちを逃がし、自分は残って攻撃を仕掛けさせた。
今頃NRは、わたしたちの命を奪うことに成功した、と思ってるはずだ。
ダルダさんがきっぱりと言った。
「ここから先は仕事じゃない、プライベートだ」
「プライベート?」
レイターが聞き返す。わたしも意味がわからない。
「俺がお前を雇う。だからNRの奴らを何とかしろ」
「何とかしろ、ってどういう意味だよ」
「ギャフンと言わせてやりたいのさ」
「はあ?」
ギャフンと言う言葉の意味はよくわからない。でもダルダさんの気持ちはよくわかる。
「わたしも手伝います。こんなの間違ってます」
気がつくと、声に出していた。いきなりホテルに迫撃弾を打ち込みテロ行為に及ぶなんて卑怯だ。
だって、これは話し合えば解決できる問題なのだ。
「テロリストに間違ってるっつってもなぁ」
レイターは頭をかきながら言った。
「あんたら命狙われてんだぜ」
命を狙われているのが怖くないと言えば嘘だけど。でも、許せない。わたしたちに折れる気がないことをレイターもわかったようだ。
「ダルさんは金払いがいいから受けてやってもいいが、条件がある」
「条件?」
レイターがにやりと笑った。
「俺の言うことを何でもきくかい?」
「どんなことだ?」
ダルダさんが聞く。
「俺に十億リルくれ」
じゅ、十億? わたしはびっくりしたけれどダルダさんはさらりと答えた。
「構わんが、手持ちの資産を超えてるからなぁ、金策に二日はかかるぞ」
「OK」
次にレイターはわたしの顔を見た。心配になる。わたしはそんなお金は持っていない。
「ティリーさんは、俺にキスしてくれる?」
「は?」
一体何を言い出すの。こんな時にふざけているとしか思えない。
「そんなことできるわけ・・・」
ないでしょ、と言おうとして思いとどまった。レイターはわたしたちを試しているのだ。どれほどの覚悟があるのか。
ダルダさんはレイターを信頼している。だから十億でも用意すると平気で答えた。NRと対峙するということは命の危険だってある。生半可な気持ちでできることじゃないのだ。簡単に断るわけにはいかない・・・。
迷った末、わたしにできるギリギリの回答をした。
「不本意であっても必要であれば」
レイターが「必要だ」とキスを迫ってきたらどうしよう。好きでもない人とのキスをわたしは受け入れられるのだろうか。
「不本意ぃ? ちぇっ、喜んでくれるかと思ったのに」
わたしの心配をよそにレイターは肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。
ダルダ先輩が笑いながらレイターの肩をたたく。
「ガハハハハ。お前がナンパで失敗したの初めて見たぞ」
「相手がガキすぎた」
ナンパ? 肩の力が抜けていく。
「俺の仕事受けてくれるな」
「しょうがねぇ」
レイターはテレビのモニターを指差した。
「とりあえず、テレビのニュースに出て、こっちの主張を話すってのはどうでぃ。拡張計画を白紙撤回しようとしたのにNRのせいで話がこじれたっつって、犯行声明に対抗するんだ」
パキ星の地元チャンネルは、どこもかしこもホテル爆撃のニュース一色だった。このテレビに出演すれば、NRが間違っていることを訴えられる。
「ただし、NRの奴らがまた襲ってくる可能性は高いぜ」
レイターがわたしたちを試すように言った。テレビに出演すれば居場所を教えるようなものだ。
「でも、行きましょう!」
わたしは大きな声を出していた。
きちんとわたしたちの主張はアピールすべきだ。このまま逃げ帰ることはできない。
* *
レイターはティリーの顔を見つめた。
幼い顔に口紅を引いた十六歳。ガキだからだろうか。よくわかんねぇ子だ。銃を見るのも嫌いなくせに、命狙われる場所へ『行きましょう!』ときたもんだ。正義感の強いアンタレス人だからか。
俺のキスを絶対断ると思ったのに。
俺の想定が次々と裏切られる。この状況は危険だ。
* *
「ティリーさんには船に残っててもらいてぇんだ」
「船に、残る?」
レイターの言葉の意味が分からず、わたしは聞き返した。
「頼みてぇ仕事があるのさ」
レイターは、自分の部屋から紙の束を持ってきた。
「ほい」
渡された束は分厚くて重たかった。小さな字が汚い手書きで書きなぐってある。よく読めないけど伝票のようだ。
「こいつをお袋さんに手入力して欲しいんだ」
レイターに反発心がわき起こった。
どうしてこんな事務作業をわたしに頼むのか。答えは簡単だ、わたしを連れて行きたくない、っていうことだ。
でも、関係のない仕事を手伝わさせられるのは納得がいかない。
「これは何なの?」
問いつめると、珍しいことにレイターが困った顔をした。レイターの言うことを何でも聞くという約束だったことを思い出した。
「って聞いちゃだめなのね」
レイターは一呼吸置いてからから答えた。
「ほんとは教えたくねぇんだけど。ま、いいや。誰にも言うなよ。これはNRの備品購入伝票だ」
「NRの伝票?」
どうしてレイターがそんなものを持っているのだろう。
「アルバ関数で暗号化されてる。ここに書かれてるのはパキ語の数字だ、これを対象表で見ながら数字を打ち込むと・・・」
レイターが数字をテンキーで入力する。
即座にアルバ関数の解が現れた。
「ほれ、これで去年の三月にあいつらが宇宙服を十着買ったってことがわかるだろ」
伝票に書かれた数字が、物品購入時のデータになっていた。
「パキ語で、しかもわざと汚ねぇ字で書いてあるから、手入力しねぇとお袋さんが読み込みを間違っちまうんだ。で、知りてぇのはNRが最近購入した武器だ。あいつらが何を持ってるかがわかると警護が楽になる」
これは大切な仕事だ。
「わかったわ」
と答えたけれど、わたしだけ置いていかれることについて、レイターに一言言わないと気が済まない。
「これをやるにあたって条件があるわ」
「あん? 何でい?」
レイターがさぐるようにわたしを見た。
わたしは腰に手をあてて言った。
「絶対ちゃんと帰ってきて。じゃないと怒るわよ」
レイターはふっと笑うとわたしの頭に手を置き、子供をあやすように髪をなぜた。嫌悪感はなかった。
「その条件、確かに飲んだ」
レイターを見つめる。
明るいブルーの瞳は透んでいてビー玉のようだ。こんなに綺麗な目をしていたとは今まで気づかなかった。
頭に置かれた手が気持ちいい。
ナンパされた女の子がこの人についていくのが、ちょっとだけわかる気がした。
すっとレイターの手が離れた。
「ダルさん、とりあえず、現場のホテルへ戻ろう。テレビ局が生中継してっからそこで出るのが手っとり早い」
* *
レイモンダリアホテルへと向かう道は空いていた。エアカーの助手席に座ったダルダがレイターに聞いた。
「おまえ、さっきNR相手に銃を抜かなかっただろう」
「あん? 電子鞭、使ったからな」
「随分と殺傷力の弱い武器だな」
「接近戦だったからな」
「最近聞いた話だが、銃を持たずに撃たれたボディーガードがいたらしいぞ」
ダルダは、レイターが銃の使用を避けていることに気づいている。
「へぇそいつは相当なドジだな。俺は当然持ってる」
ダルダはわき腹に固いものを感じた。いつの間に抜いたのか、レイターは左手でダルダに銃を突きつけ、右手でエアカーを操縦していた。
「ガハハハ、ティリーさんがいなけりゃいくらでも使えるってわけだ」
「うるせぇ」
「なあ、ティリーさんはお前の『愛しの君』に似てるよなあ」
レイターは思わず横を向き、ダルダの顔を見て反論した。
「似てねぇよ!」
「おいおい、図星だからってよそ見運転するなよ」
「静かにしねぇと、そのでかっ腹を涼しくするぜ」
「少し痩せたいと思ってたところだ。ガハハハ」
「ったく、あんたはいっつもそうだ」
* *
ティリーはつぶやきながら作業を進めていた。
「去年六月、お弁当十五個、一万五千リル。・・・今年五月、ビニール袋百二十枚、六百リル。・・・今年一月、六十メートルのロープ一本、千二百リル。・・・去年八月、フライパン一個、二千九百八十リル」
手入力する数字は膨大だった。しかも、ほとんどが生活雑貨だ。
この中に、武器の伝票が本当に入っているのだろうか?
入っていたとして間に合うのだろうか?
レイターは警護のためにこの情報を入手したのだろうけれど、そもそもこれは本当にNRの伝票なんだろうか?
単純作業が続くと、つい余計なことばかり考えてしまう。
アルバ関数はハイスクールで勉強した。
わたしたちアンタレス人は数字に強い。十桁の四則演算の暗算ぐらいは小学校へ上がる前にできるようになる。
とは言え、もちろんわたしの手計算より、マザーの方が早い。
けど、その時、あることにひらめいた。
* *
迫撃弾を受けたレイモンダリアホテルからは煙が立ち昇り、最上階は黒く焼け落ちている。現場近くにはこげ臭いにおいが漂い、割れたガラスの破片が散乱していた。
火が上へと上ったためか、建物は形をとどめているものの、ほとんどの階のガラス窓が衝撃で割れている。
警察や消防が、ホテルに残っている人がいないか捜索活動を続けており、ホテルの周囲百メートルは立ち入り禁止になっていた。
規制線の外から、テレビのリポーターが生中継している。
そのテレビ局のスタッフへ、ダルダが近づいていった。
「二五一四号室が狙われたっていうのは本当か? 俺はその二五一四号室に泊まっていたんだ」
「あなた、あの部屋の宿泊者ですか? クロノス社の本社社員ですか?」
ダルダが社員証と部屋の鍵を示すと記者の顔色が変わった。
「今、ここでインタビューに答えてもらえますか」
「ああ、構わんよ」
生放送でダルダのインタビューが始まった。
「部屋に戻った後、飲みなおそうとして、一旦、部屋を出たんだ。大きな音がしたが、まさか自分の部屋が狙われたとは思わなかった・・・」
打ち合わせどおりの嘘と主張を、ダルダはとうとうとしゃべり始めた。
* *
環境保護テロ組織NRのパキ星系支部。
支部長のゴドは、意気揚々とNR本部へ報告を上げていた。
「先程、報告書をお送りした通り、クロノスの社員がレイモンダリアホテルへ戻ったところを砲撃しました。社員が死んではクロノス社も連邦も動くしかありません。作戦成功です」
これで昇進が決まったようなものだ。電子鞭に打たれたことは報告には入れなかった。
だが、本部の空気がおかしい。上層部は明らかに不機嫌を通り越して怒っている。
「君の報告書は嘘ばかりだな」
「な、何をおっしゃいますか」
「では今、テレビで話しているのは誰かね?」
テレビ? スイッチを入れたゴドは目を見開いた。
「ば、ばかな」
画面に映っているのは、間違いない。さっき目にしたクロノスの社員だ。生きていたのか。
『NRがやっていることはおかしい・・・』
男性社員はテレビの中で、NR批判を延々と展開している。
「す、すぐに片づけます」
ゴドはあわてて通信を切ると、格納庫へと向かった。
* *
フェニックス号のテレビから、ダルダさんの声が聞こえてきた。
ティリーは少しだけ手を止めて画面を見た。
『NRがやっていることはおかしい。われわれは今回、工場の現場を視察して、拡張工事について再検討するという方針を固めたところだ。まったく彼らがやっていることは、意味のない破壊だ。これでは工事反対派は単なる暴力行為に加担しているだけだ。自然を冒涜しているのが誰か、よく考えて欲しい』
ダルダさんの主張は説得力を持っていた。
このテレビを見たNRはどうするだろう。おとなしく引き下がるとは思えない。
わたしは、わたしに与えられた仕事を早く終えなければ。さっきひらめいた方法は有効なはずだ。
ハイスクールで学んだアルバ関数の特性を思い出す。入力する前に数字を確認する。武器はおそらく価格が高い。ということは、解の後ろのほうが大きな数字になるはずなのだ。
概算をし目ぼしい数字を見極めて入力する。
「今年一月、大型発電機一台、百五十万リル」
高額物品だ。お弁当やフライパンよりずっと近づいている。次の数字を入れる。
「今年三月、エアカー一台、二百万リル。今年二月、ヘリ一台、一億三千万リル」
ヘリコプターだ。しかも、これは・・・。
あわてて通信回線を開くとレイターの連絡先を押した。
* *
テレビ局の技術スタッフの脇に、レイターは立っていた。
カメラの前のダルさんはうれしそうだ。あれだけ熱弁を振るったから、そろそろ気が済んだんじゃねぇか。敵さんが出てくる前に、おいとましてぇんだが。
PPPP・・・
腕に付けた通信機が反応した。ティリーの興奮した声が聞こえる。
「レイター、NRは軍用の大型高速ヘリを持ってるわ。型番MM二十六よ」
ヒュー。思わずレイターは口笛を吹いた。
「そいつは大物だ」
レイターは驚いていた。
こんなに早くあの膨大な伝票から割れるとは思っていなかった。ティリーさんを船に残すために頼んだ仕事が、効を奏した。
「MM二十六とはこれまた最新鋭だねぇ。ティリーさん、サンキュー助かるぜ」
軍用ヘリか。
どんな武器でも積めるな。あいつら迫撃砲を持ってやがるから、警備の位置を変更しよう。
レイターは、煙が立ち昇るレイモンダリアホテルの上空を見上げた。
消防や警察、取材用のヘリなどが何機も旋回していた。
*
レイターはテレビ局の中継地点を離れ、エアカーに戻ると急上昇させた。
ホテルに近いビルの屋上にエアカーを停めると、小型通信機を銀河連邦軍の周波数にあわせた。
「おい、アーサー聞こえるか?」
軍の特命諜報部を率いるアーサー・トライムス少佐は、パキ星の地元テレビを見ながら答えた。
「ああ」
「さっき俺が逃がしてやったNRの奴らのお家は、わかったのかよ?」
レイターの問いにアーサーが答えた。
「間に合わなかった」
「ったく、何やってんだよ」
レイターの声がイラついている。
パキ星に環境保護テロ組織NRの武器庫がある、という情報が連邦軍の特命諜報部にもたらされたのは、三日前のことだ。
NRの武器庫の場所を特定するため、アーサーは建築資材の搬入業者を装い十人の部隊と共にパキ星に潜入していた。
アーサーは静かに反論した。
「こちらは、お前の連絡から四分三十三秒で到着した。だがNRはもう姿を消していた。お前が使った電子鞭では衝撃が弱すぎて時間が稼げなかったんだ。なぜ、低出力の銃を使わなかった?」
「俺の勝手だろ」
レイターが口をとがらせた。
先週も似たようなやりとりをした。
アーサーのもとに、クロノス社の女性担当者が急遽変わった、という報告が上がっていた。レイターが銃を使わない理由。
「ティリーさんか・・・」
先週と全く同じだ。
「あんたにゃ関係ねぇ。とにかく、次は大型軍用ヘリだ。MM二十六だぞ」
驚いた。
「伝票がもう入手できたのか?」
「当たりめぇだ」
アーサーとしては、先週、銃で撃たれたばかりのレイターを働かせるつもりは無かった。
だが、怪我をしたことをレイターがクロノス社へ報告しなかったため、偶然、パキ星への仕事が入った。
レイターが連邦軍特命諜報部の仕事を請け負っていることを知っているのは、軍の上層部と諜報部員だけだ。
あいつを現地で遊ばせておくような余裕は諜報部にはない。
NRの伝票入手という補助的任務を与えた。
「きのう、徹夜でいただいてきたぜ」
相変わらずレイターは仕事が速い。
それにしても伝票の分析には、三日はかかると見ていたが、ホストコンピューターのマザーが想定以上に速く仕上げたということか。
「情報屋から巻き上げるのに随分苦労した」
こいつが苦労したというのは、金がかかったという意味だ。くぎを差しておく必要がある。
「実費のみ請求しろよ、水増しは認めないからな」
「立て替えた分の利子は払ってもらうぜ。で、軍用ヘリが飛んできたら発信機を張り付けるからな。今度はちゃんと追っかけろよ」
小型砲に粘着式の発信機をセットしながらレイターが言った。
「わかった」
アーサーは発信機の信号をレーダーで確認した。
MM二十六は最新鋭ヘリだが、軍の高速艇なら追いつける。
レイターには補助的任務を与えたはずが、気付けば任務の中心を担っている。私のせいではない。あいつが勝手に自分で自分の仕事を増やしている。
結果としてNRの武器庫が判明するなら、万事オーケーだ。
*
レイターはエアカーの外へ出てヘリの音に集中した。
レイターは耳がいい。エンジンやローターの回転音で大体の機種はわかる。微妙に高音のへリの音が聞こえた。
来た。MM二十六だ。
小型砲を軍用ヘリに向けて構えた。と、その時、ティリーから慌てた声で連絡が入った。
「レイター、大変よ。NRは熱デギ放射砲を購入しているわ」
「熱デギ放射砲? マジかよ」
おいおい、そんな出力の高い武器でヘリから撃たれたら半径五百メートルがぶっとぶぞ。
あいつら、ダルさんを殺す気なんだ。発信機付けてるうちに殺られちまう。
レイターは大急ぎでエアカーに乗り込むと、エンジンをかけた。
* *
環境保護テロ組織NRのゴド支部長は、上空から目標を確認した。
照明がたかれたレイモンダリアホテルの周りに、消防車やマスコミの中継車などが集まっている。
ゴド支部長は軍用ヘリを高い高度でホバーリングさせると、レイモンダリアホテルに熱デギ放射砲の照準をあわせた。
これで周りにいるクロノス社員も含めて、みんな吹っ飛ぶ。
ざまあみろ。
* *
レイモンダリアホテルの上空を飛んでいた地元警察のヘリコプターが気づいた。
「おい、あのヘリ、軍用だ。熱デギ放射砲を積んでいるぞ」
軍用ヘリの前方に取り付けられた大型の熱デギ放射砲が、赤く光り始めた。地上のホテルを狙っている。
警察ヘリの中で警部が大声で指示した。
「サイレンをならせ!!」
ウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥ・・・・・
「こちらパキ警察だ。武器を解除したまえ」
熱デギ放射砲は、発射するためのエネルギー充填に十秒の時間を要する。
「警部、撃ち落としますか?」
「駄目だ、この状況で墜落させたら熱デギ砲以上に被害がでる」
* *
地上にもサイレンの音が響いた。
「皆さん、避難してください! 軍用ヘリがホテルを攻撃しようとしています」
レイモンダリアホテル前にいたテレビのリポーターが、絶叫しながらカメラとともに現場から走り出した。
「これは大変だ」
ダルダもあわてて一緒になって逃げる。
そして、熱デギ放射砲が臨界状態になった。
* *
「ダルダさん、逃げて!」
ティリーはテレビに向けて叫んだ。フェニックス号のテレビの中からサイレンが鳴り響いている。
放送中にダルダさんがテレビ局のリポーターと一緒に大慌てで逃げ出したところまで見た。今カメラは無人のレイモンダリアホテルを映している。
ティリーは手を握りしめ、食い入るようにテレビの画面を見つめた。
画面が切り替わった。
NRの軍用ヘリだ。赤く光る熱デギ放射砲を、放送局のヘリが遠巻きに撮影している。
熱デギ放射砲の光が赤から白に変わった。臨界だ。一体どのくらいの範囲を熱で吹き飛ばすのだろう。
ダルダさんとレイターは一緒にいるのだろうか。
走っていては間に合わない。エアカーで逃げているはず。
アナウンサーの緊迫した声が聞こえた。
「あ、軍用ヘリに向かってエアカーが飛んでいきます」
画面の下の方にエアカーが映っていた。
ティリーの頭が凍り付いた。あのエアカーは、さっきダルダさんとレイターが乗っていった車だ。
「ひ、人が乗っています。無人ではありません」
アナウンサーが叫んだ。
運転席にカメラがズームインすると、レイターの姿がくっきりと見えた。
* *
軍用ヘリMM二十六の操縦室でレーダーがエアカーを捉えた。
「エアカーが近づいてきます。熱デギ放射砲に向かってきます」
テロリストのゴド支部長は鼻で笑った。
もう臨界だ。自殺をしたいのか知らんが、エアカーごと吹き飛ばしてくれる。
「想定外の高速です」
「何?」
エアカーが熱デギ放射砲の寸前にまで迫っていた。
「馬鹿な」
あり得ない。
あわててゴド支部長はスイッチを押した。
* *
「レイター! やめて」
レイターはエアカーごと熱デギ放射砲に突っ込む気だ。
猛スピードで接近する。
エアカーってあんなにスピードが出るのだろうか。まるで早送りで見ているようだ。
そして・・・テレビカメラの死角にエアカーが入った。
ババァァァァン
破裂音とともに画面が真っ白に輝いた。
思わずティリーは目を閉じた。
ど、どうなったの?
画面は一面白くぼやけていて何も見えない。
テレビの中継リポートを聞き洩らさないように集中する。
「エアカーは熱デギ放射砲の発射直前にヘリに衝突。エアカーは大破したもようです」
大破ってレイターは???
テレビ画面にピントが戻る。エアカーが破片となって降っていく様子が映っていた。
生きて帰ってくるって約束したじゃない。
『その条件、飲んだぜ』
青いレイターの瞳が頭に浮かんだ。
ばかばかばかばか。レイターのバカ。
わたしのせいだ。NRにギャフンと言わせる、なんて言わずにおとなしくソラ系へ帰ればよかったのだ。
* *
NRのゴド支部長が発射のスイッチを押した瞬間。
ダッツダダーン。
乗機する軍用ヘリが大きな衝撃を受けた。イスから飛ばされそうになったゴド支部長は必死に操縦卓にしがみつく。
飛んできたエアカーが、熱デギ放射砲の噴射口に激突。
臨界直前で熱拡散を起こした熱デギ放射砲は、使い物にならなくなっていた。
* *
「軍用ヘリの着陸脚に誰かいます」
呆然としていたティリーは、アナウンサーの声で我に返った。
煙の中に人影が見えた。
レイターだ。レイターが着陸脚にぶら下がっていた。
「レイター!!!!」
テレビに向かって大声で叫んだ。
ヘリの窓からレーザー銃を持った男がレイターを狙って撃つ。
「危ない」
ビシューン、ビシューン
レイターは体をずらして器用によけていく。
何だか現実味が無い。
まるでアクション映画のようだ。皇宮警備のドラマを思い出す。
かっこいい。
思わずレイターの動きに見とれる。
でも、これはドラマじゃない。撃たれても落ちてもレイターの命はないのだ。
レイターは着陸脚に足をかけて上り、レーザー銃の死角へ入った。
ほっとする間もなく、へリはレイターを振り落とそうと右に左に旋回した。レイターの身体が大きく傾く。
「レイター、がんばって!」
ティリーは祈る気持ちでテレビを見つめた。
七・秘密のアジトで
とにかく風が強い。レイターは顔をしかめた。
機体をつかむ指が痺れてきたぜ。
ちっ、いつもより身体が重く感じる。先週の怪我が響いてんな。
「っはん。こんなところで落ちたら、ティリーさんに叱られちまうぜ」
レイターは指先に力を込めた。
「そこのヘリコプター。止まりなさい」
警察のヘリパトが近づいてきた。
軍用ヘリMM二十六はレイターを振り落とすことをあきらめ、旋回を止めるとスピードを上げて逃走し始めた。
あの田舎警察のへぼいへリじゃ追いつけねぇな。
レイターは振り落とされないように体を安定させると、腕につけた無線機のスイッチを入れた。
「アーサー聞こえるか? NRが動き出した。ちゃんと追えてるか」
「お前自らが発信機とはな」
「フン。俺のエアカー代、ちゃんと払えよ」
「必要経費として請求してくれ。経理が判断する」
「言っとくが、定価の倍は改造費がかかってるんだからな」
「水増し計上は認めないと言ったはずだ」
「水増しじゃねぇ実費だ!」
*
軍用ヘリは見る間に市街地を抜け、原生林の上を低空で飛行した。灯り一つない黒い闇が広がっている。
パキ星は未開の地がほとんどだ。深い森の奥はパキ政府も把握し切れていない。
森の上でヘリが突然ローターを畳んだ。
「到着ですか」
レイターが体を緊張させる。
ヘリは急降下し森の中へと突っ込んだ。緑の葉がレイターの体をたたくように当たる。
覆い茂った葉で上空からはわからなかったが、森の中はその一部が切り開かれていた。
倉庫のような建物。ここがNRの武器庫か。
NRの構成員が、武器庫から次々と飛び出してくる。
エアクッションを使って着陸した軍用ヘリの周りを、銃を構えた男たちが取り囲んだ。
「はいはい」
レイターは両手を挙げて戦意がないことを示した。
「武器を解除しろ」
軍用ヘリから降りてきた男が指示した。
胸にNRの赤い幹部バッジが光っている。さっき裏通りで会った男だ。
男たちは、レイターから銃と電子鞭を取り上げると、後ろ手にして手錠をかけた。
赤いバッジの男がレイターの身分証を確認する。
「ボディーガード協会のランク3A。どうりで手ごわいはずだ。俺はNRパキ星支部長のゴド」
名乗るとゴドはレイターから取り上げた電子鞭を振った。
ブォーン。
鈍い音を立てながらレーザー光が軌跡を描いてしなる。
うれしくねぇ展開だ。とレイターは思った。
ゴド支部長が、電子鞭をしならせながらレイターに言った。
「まだ、手がしびれているんだよ。先ほどの借りを返させてもらおうか」
「いや、ちゃらにしてやる。返さなくていいぜ」
「うるさい!」
ビッシーン
レイターの右肩を思いっきり叩く。
「うっ」
右肩だけでなく全身に衝撃と痛みが走る。体中が痺れて立っているのがやっとだ。
「ほぅ、流石3Aだな、一撃では気を失わないのか」
ビシーン。
今度は左肩を打った。
心臓が締め付けられるような痛みが走る。
誰だ、電子鞭の衝撃は弱いって言った奴。今度、電子鞭でぶったたいてやる。
「お前のせいで、NR本部から命じられた計画が狂ったんだ」
ビシーン、ビシーン
レイターの肩や胴、を次々と連続して叩く。
痛みに耐えながらレイターは思った。こいつ、さっき銃で撃っちまえば良かった。
「ホテルの砲撃から逃がしたのもお前だな?」
「お仕事だからな」
ビッシ、ビッシーン
ゴド支部長はいらだちをレイターにぶつける。
こいつのせいで俺は。
立っていられなくなったレイターが片ひざを付いた。
このまま倒れちまえば楽だ。
だが、まだだ・・・。
レイターは肩で息をしながら、ゴド支部長をにらみつけて言った。
「クロノス本社は、工場の拡張に、慎重だ。あんたらさえ、出て、こなけりゃ・・・丸く、収まったんだ・・・」
「黙れ、黙れ! お前のせいで俺は本部から叱責を受けたんだ」
中央部へ昇進するはずだったのに、幹部の声は冷たく最悪のタイミングだった。
昇進どころかどんな制裁が待っているか。
こいつのせいだ、こいつの。
怒りにまかせてレイターの背中をレーザー鞭で繰り返し打つ。
「くっ・・・」
ぐらりとレイターの体が傾き地面に倒れた。
ゴド支部長の息も上がっていた。
「ふぅ、気を失ったか。作戦変更だ。こいつを人質にして交渉する」
ゴドが基地へ入ろうと向きを変えた、その時。
基地の中から長身の男が銃を構えて出てきた。
連邦軍の制服に身を包み、長い黒髪を後ろで束ねた男。
「連邦軍特命諜報部です。NRパキ星支部長ゴド・ドアール。あなたに逮捕状が出ています」
一目見てゴドはこの男が何者か理解した。アーサー殿下だ。
銀河連邦で知らぬ者はいない。将軍家の御曹司で次期将軍。この男はアーサー・トライムス少佐。
「ど、どういうことだ」
ゴドは事態が把握できなかった。
「この基地は連邦軍が占拠しました」
い、一体いつの間に。
「こいつがどうなってもいいのか」
ゴドはあわてて足元に転がっているレイターに銃を向けた。
その瞬間、レイターが目を開いて言った。
「アーサーに聞いたって『どうなってもいい』って答えるだけだぜ」
バシッツ。
ゴドが引き金を引くより早く、レイターがゴドのすねを蹴り飛ばした。
はずみで電子鞭が転がる。
レイターは手錠からするりと腕を抜くと電子鞭をつかんだ。倒れた体勢のまま鞭をしならせる。
「お返しのお返しだ」
ビッシーン。
電子鞭で打たれたゴドの体が地面へと倒れた。
*
「立てるか」
レイターにアーサーが手を差し出した。
その手を掴んで立ち上がりながら、レイターは文句を言った。
「親切なふりしたってわかってんだよ。ったく、あんた、俺が叩かれてるの止めもせずにゆっくり見てただろが。相っ変わらず性格悪りぃな」
レイターの指摘をアーサーは否定しなかった。
レイターが倒れずに時間を稼いでくれたのもわかっている。
「いいリハビリになっただろう?」
「はぁ?」
怒っていいのか、呆れた方がいいのか反応に困るレイターにアーサーは笑顔で言った。
「冗談だ」
「あんたの冗談が面白かった試しがねぇよ」
「まだ本調子じゃないところ、悪かった」
「悪いと思ってる奴がこんなハードな仕事当てるかよ。ったく、礼も詫びもいらねぇから、その分手当てをはずめよ」
* *
「ただいまぁ」
フェニックス号の居間にレイターの間延びした声が聞こえた。
わたしは大急ぎでタラップへと走った。レイターとダルダさんが二人そろって帰ってきた。
「よっ、約束は守ったぜ」
レイターの笑顔を見たら涙がでてきた。よかった。本当によかった。
「あれ? 今度は熱烈歓迎はなしかなぁ」
レイターがハグする格好をした。
「バカ」
そう言いながらわたしは笑っていた。
「ガハハハ。なかなかのロマンとスリルだったよ」
「あんたが軍用ヘリと熱デギ放射砲を見つけてくれたおかげで助かった。ありがとよ」
レイターがわたしに礼を言った。
「どういたしまして」
わたしは少し誇らしかった。留守番だったけど、わたしはわたしの仕事をやり遂げたのだ。
だから、次のレイターの言葉には納得いかなかった。
「ティリーさんは運がいいよな。あんなに早く見つけられるとは思わなかったぜ」
「運がいい? 違います」
わたしは即座に否定した。
「あん?」
「ちゃんとアルバ関数を概算して、怪しい数字をピックアップしたんです」
つい、ムキになってしまった。わたしだってがんばったのだ、運だけじゃないことは伝えておきたい。
でも、言ってから後悔した。子供みたいってまたレイターにからかわれるに違いない。
「へぇ、そうだったのか。あんた凄いな」
レイターが素直に感心した顔でわたしを見た。いつものようにちゃかさない。
レイターの声がドキッとするほどいい声だった。変な感じだ。照れてしまう。
ダルダさんがレイターのわき腹を突っついた。
「ガハハハ。ますます『愛しの君』に似てるじゃないか」
『愛しの君』って誰のことだろう、と考える間もなく、
「うるせぇ」
いきなりレイターが銃を引き抜いた。
「レイター! 止めて」
わたしはあわてて叫んだ。
「おっととと、間違えた。猛獣には鞭だった」
そういいながらレイターは、電子鞭をしならせた。
* *
ニュースでは環境テロ集団NRのパキ星支部長が逮捕され、基地から大量の武器や兵器が押収されたと伝えていた。
これだけの武器の押収は初めてで、NR本体にもかなりの影響を与えるだろうということだった。
NRの摘発に、ダルダさんとレイターの二人が噛んでいるのは間違いないと思うのだけれど、どのメディアにもその話はでていなかった。
ダルダさんはテレビに出たのがうれしかったらしく、何度も繰り返し同じ話をしてくれた。「ロマンとスリルだ」と言いながら。
でも、肝心の摘発のことはよく知らないようだった。
そしてレイターは、
「ふああ、きのうさぁ、徹夜だったんだ」
とあくびをするとそのままソファーに倒れ込み、眠り続けていた。
眠っているレイターを横に、ダルダさんがわたしに話しかけた。
「こいつ、すごいだろ?」
「ええ」
素直にわたしはうなづいた。
テレビに映っていたレイターは、いつもとは別人のように格好よかった。
「だから俺は心配してないんだ。ガハハハハ」
実際のところ、何があったのかわたしにはよくわからなかった。
ただ、二人が約束を守って生きて帰ってきたことと、テロ組織がダメージを受けたことがうれしかった。
レイターの寝顔を見ていたら、ダルダさんに聞きたくなった。声を潜めてたずねた。
「あのぉ、『愛しの君』って・・・」
「気になるかい?」
「い、いえ」
わたしはあわてて否定した。
でも、自分に似ていると言われて気にならないと言えば嘘になる。
先週もアーサーさんに似たようなことを言われた。
「こいつが想い続けているぞっこんの女さ」
ダルダさんとレイターのやりとりから、大体のところは想像していた。
でも腹が立ってきた。
「変な人。そんな好きな相手がいるのに、女の人と見ればちゃらちゃら声かけておかしいわ」
「まあ、いいんじゃないか。レイターも手の届かない恋だけを追ってるわけにいかないからな」
どうやらレイターの片思いのようだ。
「人生にはロマンとスリルとロマンスが必要なのさ。ガハハハ」
というか、ナンパとかそういう軽いことをしているから、本命の人とうまくいかないんじゃないだろうか、と他人事ながら思った。
* *
そして、我が社の工場の拡張計画は一旦白紙となり、もう一度パキールの生態調査から行うことになった。
どうやらそこにダルダさんの実家が一枚噛むことになり(ダルダさんの実家は農業研究所も持っていたのだ)、ダルダさんはまた実家から小遣いをもらったと噂で聞いた。
*
本社へ戻ると隣の席のベルがわたしに頭を下げた。夏風邪はすっかり元気になっていた。
「ティリー、ごめんねぇ。こんなことになるとは思わなかったわ。宿泊ホテルに迫撃弾なんて前代未聞よ。怖かったでしょ~」
わたし以上に興奮しているベルを見ていたら、
「まあ、人生にロマンとスリルは付き物だから」
と、答えてしまった。やばい。あの二人に毒されてきた。
「レイターって噂通りの厄病神ね」
ベルの言葉に思いっきりうなづいた。
「ほんと、参っちゃうわ」
でも、もし、レイターがいなかったら、わたしは迫撃弾の火の中で命を落としていたかも知れない。
そして、テロに屈する形で拡張計画がつぶれていただろう。
こんな目にあったとは言え、ダルダさんもわたしも怪我一つしていない。レイターはボディーガードとして優秀なのだ。
その時わたしは、レイターにお礼を言っていないことを思い出した。
ちゃんと感謝の気持ちを伝えようと、通信回線をフェニックス号にセットした。
少し驚いた表情のレイターがモニターに映った。
「およ、ティリーさんから連絡とはめずらしいね、どうしたんでい?」
「伝えたいことがあって・・・」
命を救ってくれてありがとう。感謝しています。って言葉も考えていたのに。
「きょうもイチゴちゃんなのかな?」
レイターがにやりと笑った。
イチゴ・・・。スーツケースにはさまった下着を思い出した。顔が赤くなる。
「ス、スケベ」
「あん? 俺に伝えたいことがあるんだろ。愛の告白かい?」
この人、わたしをからかって喜んでいる。最低、やっぱり厄病神だ。
「はっきり伝えさせていただいます。レイターなんか大っきらい!」
それだけ言うとわたしは思いっきり通信機のスイッチを切った。 (おしまい)
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ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」