銀河フェニックス物語 【出会い編】第三十六話 クラスメイトと秘密の会話(まとめ読み版)
・銀河フェニックス物語 総目次
・第三十五話「わたしをバトルに連れてって」
「この小型船、わかります?」
研究所の資料室で、わたしはクロノスのエンブレムがついた二人乗り宇宙船の3D写真を広げた。
「うわあ、古い機種だね。百年以上前の型だ」
ジョン先輩は驚いた顔でわたしを見つめた。
「間違いなくうちの会社の製品だけど、型番とかわからないんだよね?」
わたしはうなずいた。
型番がわかればわたしでも検索できる。画像検索をかけてもうまく引っかからなかった。
「カタログがそこにあるから一つずつ見ていく? 三千機種ぐらいあると思うけど」
気の遠くなるような作業にめまいがした。
「あと、所長ならわかるかも知れないなぁ」
「研究所所長のサパライアン副社長ですか?」
「そう。忙しいから時間を取ってもらうのが難しいけど」
そりゃそうでしょう、宇宙船業界屈指の第一人者。わたしは役員室勤めなのだ。副社長の忙しさは把握している。
*
きのう、学生時代の友だちのキャロルから久しぶりにメールが届いた。
ひいおじいさんが乗っていた古い宇宙船が見つかったという。
動かないから修理できるか見て欲しいという内容で、3D写真が添付されていた。
船のエンブレムを見て、わたしに送ってきたのだけれど、百年以上前の船だ。型番がわからないと修理できるか判断も難しい。
ジョン先輩がポンと手を打った。
「そうだ、歩く宇宙船図鑑に聞いてみればいいじゃないか」
そう言って先輩は写真を通信機にかけた。
おそらくジョン先輩は、わたしが一番最初に思いついた人に連絡をとろうとしている。
通信画面に人影が映った。
「やあ、レイター」
やっぱりそうだ。
「なんだジョン・プーかよ。俺、昨日泊りの仕事でさっき寝床に入ったばっかりなんだぜ」
寝起きで不機嫌そうなレイターにおかまいなしにジョン先輩は話を続ける。
「この船の型番わかるかい?」
宇宙船の話と聞いてレイターの目が一気に輝いた。
真剣に3D写真を見つめる。
「ほぉ、これまた随分と渋い船だねえ。CR25だ。二十五年型の869モデルじゃん」
「よくわかるなあ」
「この翼の曲線に特徴があんのよ。っつっても俺も実物は見たことねぇけどな。それがどうかしたのか?」
「ご依頼人はこちらだ」
ジョン先輩にうながされ、わたしは通信カメラの前に立った。
「およ、ティリーさん」
*
わたしはフェニックス号の居間にいた。
「気に入らないね。船のことならどうして俺に最初に聞かねぇんだ」
レイターがむっとした顔をしている。
「だって、うちの会社の機種だったから研究所で調べればわかると思って・・・」
嘘ではないけど真実でもない答えをした。
「ま、いいや。あと一時間でキャロルさんちに着く。俺はそれまで一寝入りするから」
と言ってレイターはソファーに横になった。
きょうは金曜日。
レイターがこの古い船を見たいと言い出して、キャロルに連絡を取ったらぜひ家に来てほしいという話になった。
わたしも久しぶりにキャロルに会いたい。
ということで、会社帰りそのままフェニックス号で出かけることになった。
どうしてレイターは、こんなに普通の顔で話ができるのだろう。
この一週間、わたしは落ち着かない日々を過ごしていた。
先週末、レイターとガレガレさんの船に乗り、白魔という凄腕の飛ばし屋とバトルをした。
その助手席でわたしは不思議な体験をした。
白魔を追い抜く時に、別の世界へ飛んでいったような陶酔感に襲われたのだ。
レイターは『あの感覚』と呼んでいた。
また経験したい、そんな幸せな感覚だった。
その帰り道にレイターは言った。
「ティリーさん、ずっと一緒に飛んでくれ」と。
レイターと別れてから気付いた。これはもしかしたら、恋愛の告白だったのでは?
レイターがいつものおちゃらけたレイターじゃなかった。表情は優しく、声は真剣だった。
レイターの声が何度も頭の中でリフレインする。「ずっと一緒に飛んでくれ」と。
特定の彼女は作らないと宣言しているレイターから、つき合うという選択肢が突きつけられたような気がした。
もし、そうだったら何と答える?
いや、単にバトルに誘っただけ、という可能性も高い。
告られたという思い込みだとしたら相当に恥ずかしい。友人のベルにもチャムールにも話せなかった。
答えが出ていない状態でレイターと会うのが怖い。
秘書室へ異動になったから、幸い仕事で一緒になることはない。こちらから連絡を取ることは避けていたのだけれど。
思わぬきっかけで一週間ぶりに会ったレイターは、そんなやりとり自体忘れているようだった。
のんきに寝ているこの人を見ていると、あんなに悩んでいた自分がバカみたいに思えてきた。
*
クラスメイトだったキャロルの実家はリーノ星の田舎にある大豪邸。自宅にフェニックス号を駐機するスペースがあった。
キャロルはわたしの故郷アンタレスの学校に星系外入学し、寮で暮らしていた。
生徒会の副会長を務めていた彼女は人気者だった。寮の部屋は友人たちのたまり場になっていて、あの頃は、くだらないおしゃべりや、学校のこと、恋愛のこと、将来のこと、どれだけ話しても時間が足りなかった。
「ティリー、久しぶりね。親は出かけてて私しかいないから、のんびりしていって」
学校を卒業するとキャロルはリーノ星へ戻り、わたしはソラ系へと出た。
会うのは卒業パーティ以来だ。
もともとおしゃれ好きだったキャロルは、デザイン会社に就職し、学生時代と比べてさらにあか抜けている。
女好きなレイターが、いつものように握手を求めた。
「キャロルさんは素敵だねぇ。ファッションセンスも抜群だ。さすが俺のティリーさんの友人だ」
キャロルが不思議そうな顔をする。
「俺の、ティリー?」
「レイター、やめて! キャロルは気にしないで」
「俺の警護対象者のティリーさんさ」
と言いながらレイターはキャロルの手をうれしそうに握った。
広大な格納庫へとキャロルがわたしたちを案内した。奥に古い二人乗り宇宙船CR25が見える。
現物めがけてレイターが走りだした。
「すっげぇ!! 保管状態めちゃくちゃいいじゃん」
「直るものでしたら、修理をお願いしたいんですけど」
レイターはいろいろな角度から船を見てまわる。
「こりゃ部品さえあれば一日で直るぞ」
おもちゃ屋さんではしゃぐ子供みたいだ。
「直るなら、うちの修理工場に出せばいいんじゃないの?」
わたしの意見にチッチッチッチと指を立ててレイターが反論する。
「キャロルさん、俺にお任せください。ちゃんと整備士の一級免許も持ってますから。それにこの船で使われてる部品はそんじょそこらの工場じゃ見つかんねぇ希少品なんだ。そうだ、サッパちゃんに聞いてみっか」
そう言ってレイターは、腕に着けた携帯通信機を操作した。
「サッパちゃん。お元気?」
「レイターか、こっちは深夜二時じゃぞ」
サッパちゃんと呼ばれた年配の男性はパジャマ姿だった。寝起きの声がしゃがれている。通信前に先方の現地時間が表示されたはずなのに、レイターは無視している。
「驚くなよ、CR25を見つけたぜ。しかもノーマル」
「何じゃと!!」
どうやらレイターの宇宙船お宅仲間のようだ。一気に目が覚めたという顔で食いついてきた。
「ただ、動力部がいかれてんだ。部品の在庫があるか知りてぇ」
「無いな、CR73までだ。73で代用きかんか」
「73かぁ。じゃ、パーツのナンバー四を至急送ってくれよ。後は俺の持ってる部品を改造してみる」
二人のやり取りをみながら、気が付いた。このダミ声。
サッパちゃん、というのは弊社取締役のサパライアン副社長だ。
ジョン先輩が昔の機種をわかる人としてあげていた、研究所の所長。宇宙船業界の第一人者だ。
*
フェニックス号から修理用機材一式とポータブルのコンピューター端末、つまりはマザーをキャロルの格納庫に持ち込んだ。
古い船を眺めてはデレデレと幸せそうな顔をしているレイターを残して、わたしとキャロルはキッチンで夕食の支度を始めることにした。
学生時代の友だちって不思議だ。
会社に入ってから知り合ったベルやチャムールとは、また違う安心感がある。
「ティリーがエースを追いかけてクロノスへ行くって言った時には驚いたわよ」
「聞いて、今、わたし役員室でエース専務の担当してるのよ」
「知ってるわよ。アンタレスの仲間内じゃ大変な騒ぎよ」
「そうなの?」
驚いた。情報が速い。
「ティリーは入ってなかったわね。メッセージグループに招待するわ」
キャロルと互いの携帯通信機を操作する。
キャロルは、みんなからの人望が厚い。アンタレスを離れても、相変わらず友人たちの中心にいるようだ。
グループトークサイトには懐かしい名前が並んでいた。
『ティリーです。今、キャロルと一緒にいます。よろしく』と書き込んだ。『久しぶり』『元気だった?』女友だちのメッセージが次々と飛んできた。
みんなの顔が思い浮かぶ。学生時代に戻ったみたいだ。
『上司のエースはどうなの?』
という書き込みにドキッとする。
エースがわたしに告白したんだよ、って返信しちゃおうか。みんな驚くだろうな。彼女たちは応援してくれるに違いない。
けれど『エースの申し出を断るなんてありえない』と背中が押されることが怖い。
当り障りのない返事を書いた。
『つらい仕事も、推しのためならがんばれる』
『夢が叶ってよかったね』
『毎日、眼福』
と、ハートマークの絵文字でしめる。嘘じゃない。けれど隠し事をしているような罪悪感がちょっぴり残った。
*
キャロルがパンと野菜を取り出した。
「食べながらでも作業ができるように、夕飯はサンドイッチにしようと思うの」
「了解。わたし、野菜を切るわ」
料理は得意ではないけれど野菜のカットぐらいはできる。レイターに教わった。
「じゃあ、トマトときゅうり、あと玉ねぎのスライスをお願いね。わたしは卵とツナの準備をするわ。あとは、このローストビーフとスモークサーモンを使って、と」
キャロルは手際がいい。
サンドイッチ用のパンにバターを塗りながら、話しかけてきた。
「それで、ティリーとボディーガードの彼はどういう関係なの?」
「え?」
キャロルは突然何を言い出すのか。
「どうって、仕事仲間と言うか・・・」
言葉をにごしながらわたしは答えた。
「違うでしょ」
「どうして?」
「つきあい長いんだからわかるわよ。ティリーが彼を意識してる」
わたしは反論した。
「じゃあ、つきあい長いからわかるでしょ。レイターは、全然、わたしの好みのタイプじゃないって」
キャロルが笑う。
「わかるわかる。エースとも前の彼氏のアンドレとも全く違うもんね。アンドレとは連絡とってるの?」
わたしは首を横に振った。
「ううん」
「元気でやっているそうよ」
懐かしい。
アンドレは勉強ができて、堅物ではないけど真面目で、生徒会長だった。
スポーツも得意なアンドレはテニス部のキャプテンで、わたしは万年補欠。
なぜか、アンドレから告白されておつきあいをした。
同じアンタレス人だから、倫理観の高い生き方も、育った環境も似ていてアンドレの考えは手にとるようにわかった。
レイターとは大違いだ。
キャロルはわたしの元カレを知っているけれど、レイターのことは知らない。第三者的というか話しやすい。つい、学生時代に戻ったように口が軽くなる。
「実は、レイターに先週、ずっと一緒に船で飛んでほしい、って言われたのよ」
「何それ? プロポーズ?.」
キャロルがバターを塗る手を止めてわたしを見た。
「にも聞こえるわよね。だからわたしは意識しちゃったのよ。なのに、レイターったらそんなこと何もなかった、って顔してるでしょ」
「俺のティリーさん、って呼んでたじゃない」
「あれは、お約束のあいさつみたいなもの」
「意識した、ってことは、ティリーも気があるわけよね」
わたしは、小さくため息をついた。
「よく、わかんない。さっきだってうちの副社長を、サッパちゃんって馴れ馴れしく呼んでたでしょ。レイターの知り合い、ってマフィアや飛ばし屋から王族まで、おおよそわたしとは縁の無い世界の人たちばかりで、加えて身元保証人は将軍なのよ」
キャロルと話をするうちに、自分の中で整理されてくる気がした。
「キャロルも知ってるとおり、わたしはごくごく普通の何の取り柄もない一般人よ。わたしの会社の友人が将軍家の御曹司とつきあってるんだけどね」
「ニュースで見たわ。彼女、すごい設計士なんでしょ」
将軍家の跡取りであるアーサーさんと、同期で売れっ子設計士のチャムールは結婚前提のおつきあいをしている。
「そういう秀でたモノがわたしには何もないの。営業成績は普通だし、操縦も下手だし」
「ティリーは自分に自信が無いんだ」
キャロルに言われて気がつく。
「・・・無い。それに、そもそもレイターは、特定の人とつきあわない、って公言してるし」
「でも、ずっと一緒に、って言われたんでしょ。ティリーを好きじゃなくちゃ言わないわよ」
好き、という言葉に一瞬、浮かれたけれど、すぐ冷静になった。
「彼は、亡くなった前の彼女が忘れられなくて、今も愛してるのよ」
「そっか、ティリーは自分が一番に思われていないのが嫌なんだ」
「そんなこと、考えたこともないわ」
と、反射的に否定した。
その一方で、キャロルの指摘にうろたえた。
つきあうのであれば一番好きでいて欲しい、フローラさんより愛して欲しい、って願うことはおかしくない。
けれど、フローラさんより愛されるということは、あり得ない。
「とにかく、彼にサンドイッチを持っていってあげたら」
*
サンドイッチを入れたバスケットとコーヒーポットを持って格納庫へ入る。
「レイター」
「あん?」
この人はいつもこういう間の抜けた返事をする。
「夕飯のサンドイッチ、ここに置いておくわよ」
作業机の空いた場所にバスケットを置く。
「サンキュ」
彼は顔を上げず、作業の手を止めないまま礼を言った。
ビビビビッツビビ。
小さなねじのような部品を削っている。かなり細かな仕事だ。
見ているわたしも息を止めてしまうほど集中している。
さっき、特急配達便でサパライアン副社長から部品が届いた。それを改造しているのだろう。
この人は、研究所のジョン先輩が驚くほど整備の腕が確かだ。
「レイターって、何をやらせても器用よね」
わたしのつぶやきに、次の部品をセットしながらレイターが応じた。
「俺、老師んところで、スクラップ寸前の廃船を修理して売ってたんだ。結構、儲かったんだぜ」
風の設計士団を率いている『老師』といえば伝説の設計士だ。その人のもとで金儲けしていたと。
「そん時、優良顧客だったのがアレグロさ。あいつんちは大富豪のハサム一族だからな」
「そうなんだ。知らなかった」
「で、アレグロが速い飛ばし屋がいる、って御台を見つけてきた」
飛ばし屋のアレグロさんと御台所のヘレンさん。わたしの知らない裏将軍時代のレイターを知る人。
少しずつ、レイターの世界とわたしの世界が重なっていく。
作業を続けるレイターの横顔を見つめる。レイターってまつげが長いんだ。
普段のおちゃらけた表情とは違う。
青い瞳に手もとを照らすライトの光が映っている。整った顔立ち、馬鹿なことを言わなければかっこいいのに。
黙々と部品を作り続けるその姿に心が惹かれた。職人の手さばきの様な美しい動き。
この一週間、ずっとレイターのことを考えていた。避けていたけれど、会いたかった。このまま時が止まればいい。
「ふうぅ。できた」
レイターが大きく伸びをしながらわたしの方を見た。
「ティリーさん。俺に、見とれてんの?」
レイターがニヤリと笑った。
目があった瞬間、胸が締め付けられた。息が苦しい。
「ば、ばかなこと言わないで。キャロルのところに戻るわ」
*
「どうしたの?」
キッチンに戻ったわたしをキャロルが不思議そうな顔で見つめた。
うまく言葉が見つからない。
「訳がわからないの」
唇をかみしめた。
泣くつもりはないのにキャロルの顔を見たら涙があふれた。
「一緒にいると楽しいの、イライラすることもあるけれど、人として尊敬できるし、操縦したり何かに打ち込んでるレイターが好きなの」
初めてレイターの好きなところを口にした。
部品を削る集中したレイターの横顔が思い出されて、胸が苦しい。
わたしは続けた。
「でも、理解できない。法律は守らないし、お金にうるさいし、女ったらしだし、それに、・・・」
そこでわたしは言葉を切った。
キャロルはじっとわたしを見つめた。
黙って次の言葉を待っていてくれる。
思い切ってわたしは口にした。
「・・・レイターはいつも銃を持っているの」
キャロルがまゆをひそめた。
「銃を持っていると、この星でも捕まるわよ。でも、お仕事がボディーガードだもんね」
わたしの故郷アンタレスで暮らしたキャロルなら、わたしの不安を理解してくれる。
キャロルは目を大きく見開いた。
「それは衝撃ね。アンタレスはうちの星以上に殺生に厳格だからね。『行いの書』に殺人が記されたら大変だよ」
真っ赤な炎に焼かれるレイターの姿が、幼いころから教えられてきたアンタレスの業火と重なり、身体が震えた。
「レイターがボディガードを続ける限り、同じことが起きるかも知れない。実際、近いことは何度も起きてる。それを受け止める自信はないの、かと言ってお仕事を辞めて、とも言えない」
涙がこぼれ落ちた。
「彼が怖いの?」
「わかんない。辛いことをいろいろ乗り越えて、人の痛みによく気がつく人だって思う」
「きっと、優しい人なんだね」
キャロルがわたしにタオルを渡して肩を抱いた。
「昔もよく、こうやって話したね」
足音が近づく。キッチンのドアが開いた。
「はぁい。サンドイッチ、ベリーデリシャスよん。ごっつぉうさま」
皿を指先でくるくる回しながらレイターが入ってきた。
「あん? ティリーさんどうしたんでい?」
レイターがびっくりした顔をする。涙を見られてしまった。
「あなたのせいよ。玉葱が目にしみたの!!」
レイターを前にすると、いつもこうだ。
「ったく、どんくせぇな。俺が包丁の使い方教えてやったってのに」
隣でキャロルがあきれて笑っていた。
*
レイターは格納庫にこもって作業を続けている。
わたしとキャロルはサンドイッチをつまみながら、おしゃべりに興じた。
ちょっとサンドイッチを作りすぎた。お腹がいっぱいだ。
デザイン会社に勤めるキャロルの部屋はおしゃれだ。センスがいい。
部屋というのはどこかその人を映し出すのだろう。学生時代の寮の部屋と雰囲気が似ていて落ち着く。
「仕事でイベントのトータルデザインを任されてて、忙しいんだけれど、楽しくて仕方ないのよ」
「やりがいがあるって、いいじゃない」
キャロルが暗い顔をした。
「でもね、心が仕事で飽和状態になっちゃうの。ずっと仕事のことを考えてて。・・・彼氏のこと嫌いになった訳じゃないのに、すれ違ってうまくいかなかった」
キャロルはわたしたちアンタレス人と気質が似ている。真面目で、仕事に一途に打ち込む姿が目に浮かぶようだ。
彼氏とは三か月前に別れたという。
「寄りを戻したいの?」
と聞きながら、デザートのチーズケーキに手を伸ばす。
「ううん、新しい恋がしたい。でも、前の彼氏と同じ失敗はしたくない。仕事と恋を両立させたいのよね」
チーズクリームが口の中でとろける。サンドイッチでお腹いっぱいなのに、別腹で食べられる。
「スイーツみたいに、恋も別腹にできたらいいのにね」
わたしの例えにキャロルが笑った。
「どこかにいないかな。別腹で食べられる彼氏」
「キャロルなら大丈夫だよ。すぐにいい人が見つかるよ」
おしゃれで、人当たりが良くて、信頼できて、わたしが男なら彼女にしたいくらいだ。
「どうして、恋愛ってお悩みとセットになってるんだろね。もう時効だから、ティリーに教えちゃおっかな」
と言いながらキャロルがわたしの目を見た。
「なに?」
「アンドレもよく悩んでいたよ」
「え?」
元カレのアンドレの名前が突然出てきたことに驚いた。アンドレとキャロルは生徒会の会長と副会長。二人が親し気に話しているのをわたしは何度も見かけたけれど。
「ティリーがいつも僕じゃなくてエースを見てる、って」
「は?・・・仕方ないでしょ、エースはわたしの推しだもの。アンドレだってそのことを知っててつきあったのよ。そんなこと、彼から言われたことないし」
いや、一度問われたことを思い出した。エースと僕のどっちが好きかと。
「アンドレも、エースに嫉妬するのは大人げないと思っていたから、ティリーには何も言わなかったのよ。そうしたら、ティリーったらエースの会社に入社しちゃったもんね。彼はプライドが高いから、きっと取り乱したりせずに、送り出してくれたんじゃないの?」
その通りだ。別れの言葉は今でも思い出せる。
『エースの近くで活躍しておいで、僕は待ってるよ』
わたしは言葉を失った。そのエースから告られたなんて口に出せない。
「・・・」
「アンドレは相当、傷ついたと思うよ」
手に取るようにわかっていると思っていたアンドレのこと。わたしは全然わかっていなかった。
「相手がいることだから難しいよね。恋における努力って、がんばったから何とかなるってものでもないから」
キャロルの声がゆっくりと胸の中に落ちていく。
*
時計が深夜を回っていた。キャロルがあくびをした。
「学生時代は朝までしゃべってたけれど、そろそろ、寝よっか」
「わたし、寝る前に船の様子を見てくるわ。おやすみ」
キャロルの部屋を出る。格納庫には灯りがついていた。
レイターは油にまみれながら真剣な表情で自作のパーツを取り付けていた。
「ちっ、ダメか」
修理は難航しているようだ。
「どう?」
レイターが振り向いた。
「ふむ、強度が足りてねぇ部品が結構あってさ。補修しながらやってるとこ。大丈夫、銀河一の整備士が明日までに直しちゃうから、ティリーさんは、部屋で休んでてくれよ」
もう少しレイターの様子を見ていたい。
わたしは作業机の横の椅子に静かに腰かけた。
苦戦しているといってもレイターは、楽しそうだ。昨日も寝ていないと言っていたのに、まるで大好きなプラモデルを作っている子どもみたいだ。
部品に補修材を張って、取り付けてはチェックする。という作業を延々と繰り返している。
おつきあいなんてしなくても、こうしてレイターを見ているだけで幸せなんだけどな、とぼんやり思う。
*
カクン、っと落ちるような感覚がしてわたしは目を覚ました。わたしはどうやら眠ってしまったようだ。腕を枕にして机に突っ伏していた。
レイターの作業上着がわたしの肩にかけてあった。夜中の格納庫は少し冷える。
キャロルが言う通り、レイターは優しい。その優しさは見えにくいけれどわかるようになってきた。
お礼を言わなくちゃ。
レイターは床に座り込み、わたしに背を向けて作業に打ち込んでいた。
まくりあげた袖から引き締まった腕が見える。その鍛えられた腕にわたしは何度守られただろうか。
レイターの上着をぎゅっと握り締めた。フェニックス号の作業場と同じオイルの匂いがする。
レイターに抱き締められているような錯覚に陥る。胸の鼓動が早鐘のように耳の奥で響いた。
レイターのことが好きだ。
でも、嫌いなところがたくさんある。
前の彼氏のアンドレは嫌いなところがなかった。
でも、好きの熱量は高くなかった。
つきあう、ってどういうことなんだろう。
嫌いな部分は、目をつぶるということなのだろうか。
嫌いなところも、好きにならなくちゃいけないのだろうか。
レイターが振り向いた。
「ティリーさん、あんた、寝るならちゃんと寝ねぇと風邪引くぞ、ったく、ガキにゃ困ったもんだ」
はじかれるように席を立った。
「失礼ね、ガキじゃありません!」
子ども扱いされると、反射的に腹が立つ。
アンタレス人は成人が早い。わたしは大人だ。けれど六歳の年の差は永遠に埋まらない。
「おやすみなさい」
プイッと背中を向けてあいさつをし、急ぎ足で通路へ出る。
上着をかけてくれてありがとう、ってお礼を言おうと思ってたのに。どうしてこうなっちゃうんだろう。
ため息をつきながら部屋へと戻った。
*
翌朝、キャロルと一緒に格納庫へ顔を出すとCR25はきれいに磨き上げられていた。新品とはいかないけれど、明らかに昨日までとは違う。
よみがえった、と言えばいいのだろうか。
レイターは徹夜の疲れも見せず、にっこりとわたしたちを出迎えた。
「すごいぜ、この船。オークションにかけたら絶対儲かるぞ。クラシック船マニアならよだれがでる」
言われてみるとフォルムが美しい。翼の曲線がなめらかだ。
「さっそく試験飛行といきますか」
二人乗りの操縦席にレイター、助手席にキャロルが乗り込んだ。
わたしは作業机に置かれたマザーのポータブル端末の前に座った。
「ティリーさん、映像は映んねぇけど、重力圏抜けるまでの間、音声はつながってるから」
端末のスピーカーからレイターの声が聞こえる。
タタタタっと小気味よい音を立ててCR25のエンジンがかかり、ゆっくりと滑走し始めた。
通信機からキャロルとレイターの楽し気なやりとりが流れてきた。
「きゃあ、動いたわ」
「俺の図鑑に不可能の文字はねぇのよ」
「すごいすごい」
「へへん、俺は銀河一の操縦士、兼整備士だぜ」
レイターの得意げな様子が目に浮かぶ。
格納庫のシャッターは天窓まで開放されていた。青い空がきれいだ。
CR25は格納庫の外へ出ると、そのまま一気に飛び立った。
空に映える鮮やかな飛ばしに思わず見とれる。
残されたわたしは急に寂しさを感じた。
宇宙船お宅のレイターは、きっといい表情をしているに違いない。
操縦するレイターの顔が見たい。
けれど、端末モニターには音声の波形が表示されるだけ。
「ティリーさん、ここで音声切れるけど、すぐ戻るから」
レイターの声を最後にスピーカーからはノイズしか聞こえなくなった。
*
「すぐ戻る」レイターは確かにそう言った。
あれから三十分が経った。
重力圏を出て少し飛ばすとしても十五分あれば戻れるはず。徐々に腹が立ってきた。
船の調子が良くて足を伸ばしているのかも知れないし、怒るほどの時間じゃない。
わかっているのに、イライラした。
いつもレイターの助手席に座るのはわたしなのだ。
その、わたしがいるはずの場所にキャロルがいる。
先週の白魔とのバトルを思い出した。
レイターと一緒なら何でもできるような幸福感。もしかしてキャロルも『あの感覚』を感じているのだろうか。嫌だ。
どす黒い気持ちが忍び寄ってくる。
この感情をわたしは知っている。
嫉妬だ。
関係ないキャロルを妬むなんて、わたしはどうかしている。
「ねぇマザー。CR25の現在位置を確認できる?」
モニターにリーノ星周辺の星域図が映った。
「CR25の現在位置はわかりません」
「どういうこと?」
「重力圏を出てすぐに三十四ポイントで複数機による事故が発生しています。CR25も巻き込まれたようで、その後の動きが確認できません」
「えっ?」
マザーの答えにわたしはびっくりした。ここで、のんきに待っている場合じゃない。
「それって大変なことじゃないの」
厄病神が発生したんだ。
「少し待ってください。確認がとれそうです」
というマザーの回答より先に、スピーカーから緊張感の無いレイターの声が聞こえた。
「ティリーさん、お待たせぇ。今、戻るから」
CR25が重力圏に入ったということだ。二人は無事だ。
わたしは格納庫から外へ出て空を見上げた。
警察車両が目に入った。よく見るとCR25は警察のレッカー船に引かれている。
「銀河一の操縦士が何やってんのよ。かっこ悪い」
わたしは空に向かってつぶやいた。
*
着陸した船からレイターとキャロルが降りてきた。
「一体、どうしたの?」
「オーバーヒートしちゃってさ」
「もう大変だったのよ」
キャロルが興奮している。
警察官が近づきレイターの前で敬礼した。
「後日、感謝状を送らせていただきます」
「感謝状はどうでもいいけど、謝礼金と修理代は早く頼むぜ」
「わかりました。こちらで書類の記入を願います」
レイターは警察車両の中へ呼ばれていった。
「一体、何があったの?」
「聞いて聞いて」
キャロルが早口でまくしたてた。
「重力圏を出たところで、暴走族が当て逃げ事故を起こして逃げてて、うちの船にも接触しそうになったの。で、レイターが怒って追いかけて、すごかったのよ。あんな百年前の旧式の船で警察の白パトでも追いつけない改造ハイテク船を超高速で追跡して。逆走ラインに入っちゃって、ものすごく怖かったわ。けど、さすが銀河一の操縦士よね、右へ左へってかわしながら暴走族のたまり場まで追いかけたの。でも、そこでこの船はオーバーヒートしちゃってね。レイターが『ここで待ってろ』って言って船の外に出たら、奥から二十人ぐらい出てきたのよ。ナイフやチェーンを持った男たちにレイターが囲まれた時にはどうなるかと思ったんだけど、彼ったら驚く程強くて。『あんな操縦で族を名乗るな!!人の迷惑考えろ』って、ちぎっては投げちぎっては投げで、全員こてんぱんにやっつけちゃったのよ。格が違うって言うのかしら、もう、映画のワンシーンみたいだったわ。私ドキドキしちゃった。レイターめちゃくちゃかっこいいんだもの。操縦はうまいし、優しいし、話はおもしろいし・・・」
レイターの様子が目に浮かぶ。
キャロルに話してあげたい。レイターは銀河一の操縦士で、飛ばし屋の裏将軍で、元皇宮警備で、わたしも何度も助けてもらったの。
一気に話したキャロルは、一息いれると、真面目な顔でわたしを見つめた。
「ティリーごめん。レイターって私の別腹の彼氏になれると思うのよね。おつきあい申し込んでもいい?」
おしゃれなキャロル。生徒会の副会長で、みんなに好かれて、男の子に人気のあったキャロル。
「や、止めて!」
思わずわたしは大声で叫んだ。
キャロルが意地悪く言う。
「どうしてだめなの? 私じゃ不釣り合いだとでも言うの」
「どうしてって・・・」
わたしは口ごもった。
ん?
わたしを見るキャロルの目が笑っている。やられた。
「ティリーはレイターに彼女ができることが嫌なんでしょ。だったら、告っちゃえば」
キャロルはわざとレイターとつきあいたいと言ったのだ。わたしの気持ちを可視化するために。
持つべきものは友だちだ。
とはいえ、
わたしから言うの? 厄病神につき合いましょうって?
「無理よ無理。だから、説明したでしょ。彼は、特定の人とはつきあわない、って宣言しているんだってば」
「その言葉にティリーは甘えてる」
「え?」
「ほかに彼女を作らないなら、いいと思ってる。今の関係で居心地がいいから」
「・・・・・・」
反論できない。
「でも、人の心は変わるわよ。私だって前の彼氏とうまくいっていた時にはこの人と結婚してもいい、と思ってたんだから。レイターが主義主張を変えることだってある。女性とつきあう可能性もゼロじゃない。それはティリーかも知れないし、そうじゃないかも知れない」
学生時代からそうだった。キャロルは論点整理が上手だ。もめている議題の問題点を洗い出し、解決へと導いていく。
「でも、レイターのことはわかんないことが多いし、銃のことだってあるし・・・」
「できない理由を探して、踏み出さないなら、その程度の想いとも言えるけどね」
キャロルの言葉が弓矢のようにわたしを貫く。
警察とのやりとりが終わったようだ。レイターが船から出てきた。
おちゃらけて手を振る姿が別人のように目に映る。
キャロルがわたしの中の気持ちを引きだし、背中を押した。
レイターへの想いは、その程度? どの程度?
わたしは一歩が踏み出せないまま、そこに立ちすくんでいた。 (おしまい) 第三十七話「漆黒のコントレール」へ続く
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ティリー「サポートしていただけたらうれしいです」 レイター「船を維持するにゃ、カネがかかるんだよな」 ティリー「フェニックス号のためじゃないです。この世界を維持するためです」 レイター「なんか、すげぇな……」