アメリカ。

ワタシ、初めて国際免許で6時間走った〜アメリカ〜西海岸〜

 卒業旅行シーズン
学生時代しか、やりたいことはできない、と思っていた。なので、とても生き急いでいた。特別、これをヤンなきゃいけない、てこともなかった。長期のお休みが取れるのは学生の頃だけだというレッテルがあり、海外旅行といえば、アメリカだろうという考えもあり、アメリカに行くと、ビッグな人になった気になる。アメリカ西海岸といえば、ルート66という道路を北から下り、南へ向かうというアメリカンドリームを叶えるべく、ツレと計画を立てた。ツレ、というのは、前章でバリを共にした相方である。海外旅行での運転は初めて、ということもあり、生まれの兵庫県で国際免許をとる。案外、すんなりと取得はできた。その場での申請だけで、英語表記されたグレーの紙もの1枚の物で、発行後半年で、返却の義務がある。しかし、思い出に浸りたいがあまり返却出来ずにいる。ここでの内緒話である。署名欄に、繋がり文字で、英語で自分の名前を明記したが、なんだか生きてることが誇らしかった。
 アメリカ西海岸を上からグランドキャニオン、ラスベガス、ハリウッドエリア、サンフランシスコ、南に降ってロサンゼルス、ラスベガスまで観光を予定してプランを立てた。はじめにラスベガス国際空港に到着。約18時間以上の、フライトであっただろうか。隣にいた大柄な彼女を彼氏だと思い、墜落したらどうしよう、などと被害妄想をしつつも、大きな騒音(フライト音)を聞きつつ出発した。静かなワクワクをエンジン音が掻き立ててくれる。静かなワクワクこそが本物のワクワクだと思ってる。静かなワクワクを知ることが最大の強み、素敵なものになるだろう。ギャンブルが好きなわけではないが、ラスベガスの夜景を見ることに憧れがあった。ないものねだりであった。すでに綺麗な夜景があるのに、日本に、自分が住んでいる街に。自分の中の声を大切に生きていると、本音に従って生きていると、大丈夫な気がするの。見たいものだけ見る、と心に決めると良いことばかり起きると、分かる。分かるのだ。見たいものだけ見えてくるのだ。

 ラスベガス国際空港に到着した。
朝の4時頃だっただろうか。早朝、大雪が降っていた。真っ暗な空港で早朝、レンタカーを借りに行く。暗すぎる道路、親友は英語と交渉力が頼もしいほどに長けている。運転はできるが、英語は彼女に任せた。良き相棒であった。笑顔で軽やかに軽快に交渉をこなす彼女に憧れがあった。流暢さ、フランクさ、さっぱりとした愛嬌。彼女がいれば、安心。という異国での極寒で焚き火に出会えた感覚なのであった。暗闇の中での光。であった。レンタカーは、目立つ真っ赤なカラー。記念に車の前でポーズを決めてみた。とっても良い気分であった。アメリカ、真っ赤な車、(オープンカーであっただろうが、2月の早朝氷点下であったため、暖房をつけ、空調を整えることをを優先した。)海外の車だ、という実感が湧いたのは助手席と運転席が反対である所である。お、と思った。22歳。免許を取ったのが20歳。実家で暮らしていたこともあり、車を運転することがあった。安全に運転することを目標に時速20kmで走行していたこともある。小心者だからだ。警戒心の強さは父親譲りである。エンジンをかけて、ラスベガス空港から、宿泊先かつ、最初の観光地であるグランドキャニオンへ向かう。暗闇の中でのドライブは、目をしっかり開いてとにかく雪が降る高速道路を北へ進み続けた。吹雪の中でのドライブは、スリル満点であった。3時間、北へ走り続けた。ゴー、ゴーー、というエンジン音が、真っ暗闇の車内に響く。3時間の運転時間なので、長丁場となる。1時間半の交代で運転することとなる。前半、ワタシは運転した。1時間半が経過。旅先であったということもあってか、疲れはそれほど感じなかった。免許を取ったばかりのほとんどペーパーであると申告を受けた後に彼女に任せたワタシの度胸を今になって更に讃えたい。命を預けるようなものなのだから。走りだしたときは、記憶にない。安心し切っていたからである。しばらくすると、いきなり目を瞑りだす彼女を見た、見てよかった。話している最中にら眠りだす彼女。運転中の居眠りである。ワタシは彼女の名前を助手席で叫んでいた。(ゆうこの仮名で名付けよう)「ゆうこ!ゆうこ!おい!!(男勝りな口調になっていた)」まっすぐ暗闇を走っていた車両は、徐々に右側に逸れる。でこぼこしたさほど舗装されていない所まで逸れた。ワタシは、命を落とすと思った。思ったので、彼女の名前をひたすらに叫んでいた。というか、喚いていた。目がうつろ、うつろなままで運転する彼女は、ワタシの喚き声で、目を開け、でこぼこ道を猛スピードで走行していたが、急ブレーキで停車した。ワタシは、抑えられない感情をぶつけていた気がする。初めて、叱った。叱った、というより、命の危機を感じたからである。1人の人間として、尊敬する、愛する友であるからこそ本気の感情をぶつけたくなった。初めて、海外旅行という長旅を共にしたいと思えた存在だったから。大切だと思うから感情も、本気でぶつける。叫びすぎて、罵りすぎて、忘れたが、一気に火山噴火のように言葉をぶつけたので、その後冷静になり、言いすぎたと思い、沈黙を持った。だが、ケロッとした表情で、「いや、本気で言ってくれてありがとう。」と、言われたことは今も覚えている。澄んだ瞳で伝えてきた彼女。結局運転は交代し、日本語訳のカーナビを頼りにゆっくり進めることにした。渡米初の、ラスベガス〜グランドキャニオンの旅路。文面でキャッチコピーのように綴ると、輝かしい。海外、ザ、アメリカでの路中だからこそ、素直に怒りと感情をぶつけられたのだろう。こんな感情、わなわなとした感情が自分にもあって、噴火する事があるのだと。負の感情を曝け出すのって躊躇しがちなところがあったが、人間らしくなれるのだと思えた。絆が更に深まるのだなとも思えた。
 グランドキャニオンに着いた。グランドキャニオンで宿泊する事などもう無いと思っている。人生で、もう一度行きたい旅先でもある。
 宿は、相方が手配してくれた。センスの良い場所で、翌朝早朝は、窓から日の出が見えた。早朝、とにかくワタシは、海外旅行に行くと多動なこともあり、外の新鮮な空気を吸いたくなる。地層と朝日の光が重なり合うなんとも言えない瞬間を垣間見ることもできた。この上なく幸福に包まれた。素敵な絶景を見られる幸福感。サングラスをしていて、しっかり日焼け止めも塗ったが、朝日に感動したあまり、時間が経つのを忘れ、紫外線を浴びた。結果、メガネ型は、くっきりと残ったのだが。目に焼き付けたいがあまり、白いと、賞賛された素肌が犠牲となった。引き換えに目の中に絶景が映り、はたまた自分の目の中が潤ったのだ。
 グランドキャニオン、国立公園、自然豊かな地層、日の光と共に土色をした地層が、自然の偉大さを象徴していたかのように思える。広大な大地を見た。大地の偉大さを見た。見たからワタシは、もう無敵だ。昔から、世界の絶景、地元の海を見ると、日頃の悩みがとるに足らないものなのだと分かる。とある本の1文に"君の悩みは、点、なのだ。"という言い回しがあるのを見つけた。悩みなど、悩む事など一切ないのだ。暇だから悩んだり、想いに耽ったりするのだ。と、分かる。「あの頃は良かった。」と、過去に逃げたくなる。今に対する純度が上がり、濃くなるのが怖くなるから、気持ちを過去に向けたり、まだ見ぬ先の未来へ向けたりもする。いま、に向き合う怖さがあるからなのか。何を、ワタシは恐れてる?旅先で絶景を見るとき思う。いつも、内側、中を見る。何を意図したいのか。どんな感情を得たいのか。どんな人に囲まれたいのか。都度確認してる。都度、という言い方がとても硬い。仕事をしてるととても愚直が固くなる。頑なに固くなる。柔らかな話し方を身に付けたいものだ。
 あり方、目指す方向、ワタシが目指す方向を定める。本音で生きて良いと決める。会社は一つじゃないから、辞めてもいいと決める。我慢する事など何もない。人生は一度きりで、長いのだから。いや、好きなことをしているとあっという間に過ぎ去るのであろう。ワタシが好きなのは、物語を、紡いでゆくことだ。美しく、前を向いて行ける姿勢を貫ける解釈を持って、前に進む事である。正しさとかは求めないので、どうかいい気分が続く道が一生ありますように。海外旅行に行っても、安全な道を通って行けばいいだけだし、行きたい場所へ安全に向かう事に、これでいいのかと躊躇わなくてい。幸せに浸っていいのだ。ジタバタしないで、肩の力をぬいていこう。水に浮いているかのように、ゆらゆらと揺れていよう。
 いつも心が休まる場所を見つけていたいと感じていた。心が休まる場所は一体どこなのか。旅をするたび気掛かりなことが増えていた。本当は何もないのに。生きていると、ただ幸せでいることを忘れてしまう。ワタシは、最近幸せについて考えてしまう。何が幸せだっけと、考えてしまう。外側の幸せ、ではなくて内側をしっかりと見ること。自分への労を労う、という形を忘れていた。いつも、忘れていた。自分を蔑ろにしていた。仕事、プライベート、余暇、目標、得たいものが無いのなら、得たい感情にフォーカスをすること。欲しいものは無理やり探すのではなく、既にあることに気づく事。チャンスは、既に転がっている事。
 グランドキャニオンの地層が教えてくれた気がした。ありのままを認めると、チャンスがやってくる?なんて思えた。自分の中の「ルンルン♪」を見つける練習なのだ。アメリカでの出来事を執筆しているのは日本だが、日本での治安の良さ、安全性、清潔さはピカイチだと思っている(偉そうな目線)自然や世界遺産が恋しくなるのは、人混みが苦手だからである。かろうじて、仕事であれば我慢ができるみたいだ。逃げ場が欲しくなる時、自分の中へ逃げられたら1番良いのだが、ワタシはそこまで強くなかったなんて思う。誰かにおせっかいしたり、別の場所へアウトプット、インプットに出かけたり、何か新しい刺激を取り入れるようにすることにした。すると、案外スルスルとうまく行く。するん、と上手くいく。抜け道はたくさんある。幸せに生きる道を選ぶ事。時には立ち止まって方向性を見定めること。他人軸でなくて、自分が選んでホッとする道へ行くこと。安心を選ぶこと。選んでいい。やりたいことやっていいのだと許可をすること。
 これであってるのかな?といつも考える。間違った方向に向かってないかいつも考える。行動ベースだから苦しくなる。いい感情をいつも考える。安心ベースは、ワタシの安心ベーススポットはどこにある。をとらえる。
 人の目を見ることが怖かった過去。不安症だから人を信用できなかった過去。過去の経験があるから、今の自分が崩れないように、バランスを崩さないように、慎重に進めるようになった。自分との関係も、他人や、お隣さんとの関係も。
 他人と比べるものでも無いし、誰かに求めるものでも無いので。干渉しない。サッパリ生きるに限ると気づくのだ。マインドをシンプルにすればするほど、本質なワタシに近づく。それは、少し怖いところもある。怖いって思っているだけなのかもしれないが、しっかり感情を受け止めると、ワタシが本当に求めていることがじんわりと湧いてくる。ああ、幸せだなと気づく。意図的に頭の中を空にするので、いい気分が入ってくるのだ。しっかり、自分を見失わないように生きると決めてから。
 グランドキャニオンで、何を誓ったのかわからない。22歳で、若さゆえの、感動量は大きかったのだ。外側に左右されない内側を、作るには、多くの月日が必要ではあった。
 なんとも言えない、ただ何かに縋りつきたくて、気づけば涙が流れていた時もある。働く女性あるあるなのかもしれない。ただ、なんとなく生きるだけに、嫌気がさしてしまったり、目の前の仕事にのめり込むのが嫌な為に、余計なことを、本当はやりたく無いことまで手をつけてしまったり。100%で何かを、本当の気持ちを向けたいところに注ぎ込めるように、名誉、注目の的、見栄を捨ててもいいと思う。自分の本心を見極めるの。厳しいことなんて何も無い。誰もが自由に生きていい。相手の自由を認めるし、自由を認めた者同士が幸せに生きていけると考えておく。考えておくというより、本当にそうなのだと思う。ワタシは、人の、自分の、周りの環境の、いいところしか見たく無いし、いいシチュエーションだけ出迎えたい。あるものに目を向けて、愛を注ぐこと。それは、自分へ向けた愛の形でもある。自己中心的な文字の羅列かもしれない。ワタシは、そうとは捉えない。純度の高いエネルギー、心のエネルギーは、しっかりと失わないように。自分だけの城、ワタシだけの世界観があって良い。穏やかなオーラが滲み出るから。目が合えば、朗らかな微笑みを向けられるような、ワタシでいたい。他人への眼差しは、自分への眼差し。優しい世界を作りたいから、ワタシは優しさを自分に向けることにした。ネガティブなオーラを感じるところには行かないようにするし、無理くりテンションを上げて向かわなければいけない場へはで向かわないし、自然体、無、無言ってそんなに悪いことでなく、寧ろとっても素敵。おしゃべりすぎる人が苦手な訳では無い(あ、嘘です。)話さない方が、気づくことが多いから。無駄や成功するまでの通り道、プロセスをかっ飛ばさなくていいし、楽しさはきっとあると分かってて。
 目の前で怒る展開にフォーカスすること。いい感情を意図すること。意図すること。意図すること。

話は、アメリカでの旅に戻る。グランドキャニオン近辺での宿泊、翌日は、アンテロープキャニオンへ。先住民がつけた名前であり、「水が岩を流れる場所」という意味づけがされている。実際、先住民が住んでいる様子も見ることができた。ザインディアン、というような感じの服、風貌、言い方がよろしく無いが、某ドラえもんに出てくるジャイアンのような逞しい男性がちらほらいた。すぐにでも狩へ出られそうなほどだ。渓谷の中から、岩壁を見るのだ。見上げて歩けば歩くほど岩壁が広がる。車での移動、道幅が狭く、徒歩でしか観光できないエリアがあり、ツレと、ガイドさんと、ワタシ(車中の激しい揺れのためヘトヘト)で、歩いた。もう、8年も前の話なのに、今でも鮮明に覚えている。文章で表現するのが難しい程の感動を覚えた。雨が降り、固まり、また雨が降り、地層ができたのだと思うと、地球そのものが大自然の恵みで満たされている生命体なのだと思えた。偉大だ。なんて、偉大なのだ。観光後に調べたのだが、ユタ州とアリゾナ州を跨ぐ、半径約230kmのエリアがグランドサークルと称されるエリアなのだそう。ルート66.ラスベガス辺りも含まれるのだ。ラスベガスから、アンテロープキャニオンまで伸びる。グランドサールくんわ頭の中に浮かべると神秘さに包まれる、とてつもない高揚感にも包まれる。柔らかな光、強い日差しであるが、嫌味のない光。神々しさに似た感覚であった。
 いつも、ワタシは目の前から逃げたくなる。逃げたくなるから、逃げ場として執筆をしている。
 いい環境で、生きる為に、積極的にいい環境、いい感情を取り入れる。今、ここ、マインドフルネス。集中が途切れがちなので。ワタシは自分の軸がブレる時は、意図的に休む。周りに流されないように意図的に休む。とにかく休まなきゃ、良い判断ができないし、急いでも良いことは今までの経験ではなかった。これからもないのだと考えている。目の前を信頼すること。目の前を信頼することは、ワタシを信頼すること。愛=信頼だと思っている。上手く人との関係を築けないや、、と落ち込んでいる時、案外それは、勘違いだとわかる。放っておく事でうまく行くことがたくさんある。放り投げておく。うまく距離をとる。ペース配分に気をつける。自分を大切にする在り方を見直す。 

 アンテロープキャニオンから、大移動〜ルート66〜
映画のシーンでよく見る、ざ、アメリカンで定番な観光スポット。正直、聞いた事がある程度で、人生で一度ドライブさえ出来れば満足度だと思う考えていた。とりあえず経験しておこう、というやんわりふんわりとした感覚である。やんわりふんわりした感覚は、内側の芯を守ってくれると考える。ただ広がるルート66の看板に挟まれた道路を、まっすぐに、進む。ドライブ中も、休憩中も、ワタシの人生が道路のように思えてた、どことなくまっすぐに、すらっと伸びてる。ワタシの人生もこれからすらっと真っ直ぐ伸びてたら、楽な気がする、、曲がりくねった道は、極端で波があって、一度右に曲がると、大きくエネルギーが左に返ってくる気がする。帰ってくるエネルギーがいらないエネルギーだったら、欲しくない現状にマキはくべない事。
 それが、1番幸せ。

ワタシ、気づく。

世の中で、やらなくちゃいけない事、殆どない。

気づいちゃった。

誰かにとって重要でやらなくちゃならないことはあるのかもしれない。

わたしは、何も求めていないのだと気づいた、

お化粧、お洋服、コスメ、お金、名誉、地位。
肩書を得るためのエッセンスや要素はたくさんあるのだけれど、

あってもなくても幸せで、

グランドキャにオンニあって、日本にないものってあるのだけれど、どちらの国にもいいものはあって

密度が高いのが嫌だから、遠くに行きたくなることが多いのである。

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一度は行きたいあの場所

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