ジャズドラマーQuincy Davisと学ぶ『ジャズ全史』
ジャズ歴史はアメリカ史の根幹に深く関わります。アメリカ黒人ドラマーの立場から言葉と音楽で語った「What is Jazz??」をご紹介します。
奴隷貿易時代から、ジャズの発展、現在の最重要アーティストの紹介までを13分ほどの動画とともに一気に駆け抜けます。
クインシー・デイビス
1997年生まれアメリカのミシガン州出身で、北テキサス大学でジャズパーカッションの准教授を務める一方、現役ドラマーとして多忙の日々を送るクインシー・デイビス。
後進の育成のためのYouTube企画「Jazz Drummer Q-Tip of the week」はジャズドラマー必見です。
さらにインスタグラムでは「drummer 2 drummer」で名ドラマーとのインタビューをライブ配信、アーカイブ保存をしており非常に見応え抜群です。
アメリカ黒人から見るジャズ
そんなクインシーが、4月30日の国際ジャズ・デー、そして2月の黒人歴史月間に際して、ジャズ史、特にアフリカ系アメリカ人をフィーチャーした動画を出しました。
アメリカ史は、キリスト教やアメコミ、戦争など、様々な切り口で読み解くことができる濃密なテーマです。「ジョーカー」の記事でも、この豊かな歴史からくるアメリカ人の人間性はご紹介しました。
中でもジャズで読み解く歴史は、アメリカ文化が急激に発展した要因を分析でき興味深いです。
時代ごとのスタイルを表現したドラム演奏に、ナレーションでの解説を混ぜた動画。痺れるほど素晴らしい動画でしたので是非ご覧ください。
(聞き取りにくい方は字幕機能を使って御覧ください)
以下では音源を聞きながら、より詳しく見ていきましょう。
はじめてジャズに触れる方だと、一度で把握するのは難しいかもしれないので、繰り返しご覧いただくため、フォローやマガジンへの登録をお願いします。
<ジャズ前史ーRhythm & Blues>
ジャズはヨーロッパ音楽のハーモニーと、アフリカ音楽のリズムが融合したアメリカ、ルイジアナ州、ニューオーリンズ発祥の音楽です。
中でもジャズに含まれた特徴的なリズム&ブルースの要素を分析することからジャズ前史は始まります。
◆西アフリカのリズム
以前のアフリカ音楽を取り上げた記事でも紹介しましたが、三角貿易により奴隷海岸として悲劇の歴史を持つベニン湾は、西アフリカのナイジェリア付近に位置します。ここはヨルバ族がアフロビートを形成した場所です。
そしてジャズのシンバルレガートのリズムパターンは、このリズムに由来すると言われています。
クインシーが紹介したBembéやNanigoもそのリズムの一つです。
◆ラグタイム
奴隷貿易でアメリカの玄関口となったニューオーリンズでは人種・文化・音楽が混ざり合っていました。
1897年頃から売春宿では、ラグタイムと呼ばれるピアノ曲が演奏されていました。
”King of Ragtime”と呼ばれるスコット・ジョプリンの1977年公開の映画では当時の様子が描かれています。
◆セカンドライン
ラグタイムのセクシーでダンサブルなリズムは、ブラスバンドへと受け継がれました。葬式に帯同するバンドは、魂が天国へ送られるようにと陽気なマーチングを行う風習がありました。
◆ブルース
奴隷制において黒人たちはワーク・ソングや、フィールド・ハラーなどの労働歌や、スピリチュアルなどの宗教歌を歌い気を紛らわせました。
そこでは即興的なコール&レスポンスを繰り返し、結束力を高めました。労働が生んだエネルギーは奴隷解放後にブルースへと繋がりました。
<ジャズの歴史ーInnovators>
ラグタイムやブルースに、ヨーロッパ由来のハーモニーやメロディーが加わることでジャズの種は発芽し始めました。
◆ニューオーリンズジャズ(黎明期)
ラグタイム同様に売春地区ストーリーヴィルのBGMとして黎明期のジャズは誕生しました。
残念ながらニューオーリンズジャズ全盛期の音源は残されていません。ラグタイム出身のピアニスト、ジェリー・ロール・モートンは、自身をジャズの創始者だと語っていました。
一方でラグタイムをジャズへ発展させたのはコルネット奏者のバディ・ボールデンだとも言われています。2019年に彼の生涯は映画化されました。
映画内では一世代下のルイ・アームストロングが”King of Buddy Bolden, the first king of New Orleans music!!”と紹介しているシーンが印象的です。
◆ シカゴジャズ(全米への展開)
1917年に第一次世界大戦へアメリカが参戦し、ストーリーヴィルは閉鎖となりました。この影響で多くのミュージシャンは、ミシシッピ川の蒸気船で演奏をしながら北上してシカゴを目指しました。
ルイ・アームストロングもその一人で、ニューオーリンズスタイルを今日のソロ中心のジャズスタイルへと変容させていきました。
また白人からも愛されるキャラクターで、ジャズを白人社会に紹介することに成功しました。
ベイビー・ドッズは、ドラムセットの開発に尽力しました。
ドッズは、スムーズに流れるスネアのバズロールを行い、今日のリズムパターンの原型を形作りました。
またスネアを叩くスティックでシンバルを叩くことを一般化し、周りが小節数を見失わないようにしました。それは今日ではドラマーの基礎であり、楽譜で細かく規定せず一定の間隔で進行するジャズには非常にマッチしていました。
また片足が余っているということで足で踏めるシンバル「Low Boy」を使いはじめ、それは今ではハイハットと呼ばれています。
ドラム開発の歴史は、以下で発展的に詳しく述べていますので、是非合わせて御覧ください。
◆ スウィング・ジャズ(ビックバンドの隆盛)
1920年から始まった禁酒法により、ギャングとジャズの関係が良好になり、スピークイージーという闇酒場でジャズは脈々と受け継がれていました。
デューク・エリントンは、1927年ニューヨークの「コットンクラブ」という高級クラブで楽団をつくり人気を集め、今でも演奏され続けるスタンダード曲を多く作曲しました。
カウント・ベイシーはカンザスシティの暗黒街で活躍しました。目まぐるしいソロの交代が特徴で、チャーリー・パーカーをはじめ多くのミュージシャンが競い合う場を提供しました。
さらに彼の楽団のオール・アメリカン・リズム・セクションは、ジャズ界最高のリズム隊と名高いです。中でも|ジョー・ジョーンズ《Papa-Jo-Jones》は、ハイハットを足で開閉しながらリズムキープをする特徴的なスタイルをつくり、モダンドラミングの礎を築きました。
◆ ビバップ(モダンジャズの誕生)
スウィング・ジャズの白人化と、収まらぬ人種差別に対する反発は着々とエネルギーとして蓄えられていました。
ニューヨークのミントンズハウスというジャズクラブでは、定期的にジャムセッションを開催し、ビバップ前夜のミュージシャンのたまり場になっていました。
ケニー・クラークはパパジョーの影響を受けてビバップ時代のドラミングを開発しました。それはリズムキープと即興性を併せ持った洗練されたドラミングで、モダンジャズの始まりでした。
アルトサックス奏者のチャーリー・パーカーや、トランペット奏者のディジー・ガレスピーは、ソロを即興で巧みにつなぎ、不協和音を多用しながら豊かなハーモニーを構築するというビバップのスタイルを築きました。
1940年代は踊る音楽から、鑑賞する音楽へ変遷した時期でした。そのためスウィング時代のルイ・アームストロングやデューク・エリントンのような、笑顔で愉快な「エンターテイナー」から変化して、スマートで自信に満ちた表情の「アーティスト」となっている事が分かります。
セロニアス・モンクもビバップ革命を起こした一人で、独特なメロディとリズムをつくるピアニストです。
モンクの正統後継者こそ現れないものの、マイルス・デイビスをはじめ、モンクの影響力は計り知れません。ドラムの合いの手ですら、モンクを聞いて勉強しろと言われます。
マックス・ローチはケニー・クラークと並ぶビバップ最初期のドラマーで、多彩なハイハットのフレーズや、歌うようなタム回しが特徴で、ドラムソロを進化させました。
エラ・フィッツジェラルドは、"the First Lady of Song", "Queen of Jazz"と称されるジャズボーカリストです。歌唱力のみならず、即興的なスキャット、スウィング感、バンドを引っ張るリーダーシップは圧倒的でした。
◆ クールジャズ(緊張をほぐす)
ビバップ革命は、アドリブ重視のソロにより、非常に緊張感がありました。その反動として1940年代後半に、リラックスして聞ける、曲全体の構成重視のクール・ジャズが生まれ白人を中心として人気を集めました。
マイルス・デイビスのアルバム「Birth of Cool」がまさしくクールの誕生だと言われています。
◆ ハードバップ(R&Bを再び)
1955年に覚醒剤などの影響で若くしてチャーリー・パーカーが亡くなり、徐々にジャズから大衆が離れていく中、ファンキーでソウルフルなジャズ、ハードバップは非常に聞きやすく多くの支持を得ました。
アート・ブレイキー(Art Blakey)はアグレッシブで西アフリカ由来なポリリズムを扱うドラマーです。ピアニストのホレス・シルバー(Horace Silver)と共にジャズ・メッセンジャーズ(The Jazz Messengers)を結成し、このバンドは若いミュージシャンの登竜門として非常に長く活躍しました。
◆ モードジャズ(メロディ重視)
マイルス・デイビスはハードバップをする中で、アドリブが制限されることに窮屈さを感じ、コード進行に縛られないメロディを考えました。そして1959年「Kind of Blue」にてモード・ジャズ(モーダル・ジャズ)が完成しました。そうしてカインド・オブ・ブルーはジャズ屈指の名盤となりました。
ジョン・コルトレーン(John Coltrane)もカインド・オブ・ブルーでサックスを吹いたモード・ジャズの重要人物です。
1965年の名盤「A Love Supreme」ではエルヴィン・ジョーンズ(Elvin Jones)がドラムを演奏しており、コルトレーンの祈るような演奏に、ドラムを全面に押し出したエルヴィンの演奏は、非常にスピリチュアルで、まさに愛の啓示を表現してるようです。
トニー・ウィリアムス(Tony Williams)も17歳からマイルスに抜擢され気に入られたドラマーでした。ソロイストを煽りまくるパワフルなドラムプレイは非常にしびれます。
以前あげた記事「シン・カルチャー論」では、文化遺伝子の進化について、醸成(農民)→流行(貴族)→反骨(武士)→伝統(僧侶)という文化形成サイクルを提唱しました。
ジャズについても、この文化論は応用できます。
醸成(ブルース)→流行(スウィング)→反骨(ビバップ)→伝統(クール/ハードバップ/モード)のように、ジャズの文化形成は一周して洗練されました。
そしてジャズ衰退に抗うため、新たなサイクルの醸成過程として発展したのが次のフリージャズです。
◆ フリージャズ(衰退と実験)
1950年代後半ビバップスタイルの限界を感じ始めた中、ジョン・コルトレーンをはじめ多くのミュージシャンが実験的アプローチを試み誕生したのがフリージャズです。
オーネット・コールマン(Ornette Coleman)はフリージャズ・ムーブメントの先駆者として知られています。クラシックなどの西洋音楽理論に縛られずにアフリカのルーツを重要視した演奏を試みました。
セシル・テイラー(Cecil Taylor)はクラシック音楽の素養があり、セロニアス・モンクやホレス・シルバーの影響を受けながら、非常にアヴァンギャルドなフリージャズピアノを開拓しました。
ファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)はジョン・コルトレーンの後継者として活躍するサックス奏者です。インドやイスラムの宗教に興味があり、彼の音楽はスピリチュアル・ジャズとも呼ばれています。ビートルズがインドを訪れていた頃と時代が重なります。
アリス・コルトレーン(Alice Coltrane)は、ジョン・コルトレーンの妻であり、ピアノ・オルガン・ハープの奏者です。1967年のジョンの死後、コズミック・ジャズやスピリチュアル・ジャズへ傾倒していきます。
◆ フュージョン(エレクトリックの登場)
ジャズにロックで使用されていたエレキギター、エレキベース、シンセサイザーの導入を試みる実験の最中、1970年マイルス・デイビスは「Bitches Brew」をリリースしました。スウィングからファンクの16ビートへ移行をし、ポストジャズ、コンテンポラリー・ジャズがはじまりました。
ハービー・ハンコック(Harbie Hancock)はマイルスに呼応するようにジャズ・ファンクへ傾倒していき、1983年「Future Shock」ではヒップ・ホップをジャズへ取り入れました。サンプリング、ドラムマシーン、スクラッチなど大胆な変貌を遂げています。
<現代のジャズーWhat is Jazz??>
フュージョンの登場で、もはや何がジャズだったのかわからなくなり始めました。「Rock Itなんて、ジャズでもヒップホップでもなくエレクトロだろ!」と言いたくなってしまします。
そこで現代のジャズシーンを見ていくことで、ジャズとは何だったのかもう少し紐解いていきましょう。
ウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis)は1961年ニューオーリンズのジャズ一家で生まれました。幼少期にはジャズの時代はどんどん衰え始め、ビートルズ(ロック)やジェイムズ・ブラウン(ファンク)が登場しはじめました。
ウィントン・マルサリスはトランペット奏者として現代で最も著名なジャズミュージシャンですが、そのジャズはアメリカ伝統芸能としての”ジャズ”かもしれません。
実際にウィントンはジャズの創始者の一人、バディ・ボールデンの伝記映画で、音楽提供ならびにエグゼクティブ・プロデューサーを務めるなど、ジャズ教育に貢献しています。
レジーナ・カーター(Regina Carter)はジャズバイオリニストで、非常にソウルフルで、かつスイングしたジャズを奏でます。
ロイ・ハーグローブ(Roy Hargrove)はジャズトランペット奏者として伝統的ジャズを演奏する一方、コンテンポラリー・R&Bとジャズとの接近を試みました。ディアンジェロ(D’Angelo)のネオ・ソウル「Voodoo」に参加し、その後ジャズシーンへ、コンテンポラリーR&Bを組み込むことに成功しました。
エスペランサ・スポルディング(Esperanza Spalding)は、ベース奏者・シンガーソングライターであり、ボサノバをはじめフュージョンへの関心が強く、ジャズをネオソウルやヒップホップと同等の存在にしたいと述べています。
ロバート・グラスパー(Robert Glasper)は、コンテンポラリーR&Bや、HIPHOPへの影響力を持ったジャズピアニストです。2015年ケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)の「To Pimp a Butterfly」でジャズと最新のヒップホップの完全な融合を見せてくれました。それはグラスパー曰く”Jazz is the mother of hip-hop”であり不可能なわけがありませんでした。
さてここまでお疲れさまでした。
冒頭の動画へ戻りましょう
今まで見てきたジャズに共通していたのは、ミュージシャンがインタラクティブに繋がり、コミュニケーションをとって、新しいモノを作り出すことでした。
真にジャズにとって必要なのは伝統でもなく、新たなジャンルでもなく、曲でもありません。
人のつながり、”場”です。
これは現在の音楽サービスでは体感しにくく、どうしてもジャズは演奏家のための音楽なんて言われ方をされてしまいがちです。
ただ偉大なるデューク・エリントンは言いました。
スウィングとは、体を揺らすことでも、手拍子でも、足踏みでもよく。
音楽にアグレッシブに向き合うことです。
そうすればきっとあなたもジャズなんです。
紹介したジャンルのプレイリストや、様々な音楽ジャンルへジャズが与えた影響を知りたい方は以下の記事もあわせてご覧下さい。
よむよむ。
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