見出し画像

【邪念走】番外編 第3回 小さなブリッジを渡る。

「というわけで洗浄力重視で価格を抑えたい方は」
6回目……。

「ドラム式よりタテ型をオススメしております」
7回目……。

「マンションのような集合住宅でも」
8回……。

「置き」
9……。

「やすいですからね」
10!

そうして店員は洗濯機の操作パネルを触り始めた。洗濯機を買い替えようと近所の家電量販店を訪れ、店員に縦型とドラム式のメリットやデメリットを聞こうとしたところ、「いらっしゃいませ」……。「洗濯機のご購入でしょうか」……。「ドラム式とタテ型ですか」……3回目! 最初の挨拶の場面だけで彼は3回もマスクのポジションを直したのである。

このマスクポジションのズレは立体型マスクを装着している時に起こりやすい。会話により口を動かすと顎の先端が生地に引っかかってマスクを下げてしまうのだ。

下げたら上げる。私はこのマスポジ直しにイライラしてしまう。ちっとも会話に集中できない。マスクの表面には比較的長時間ウイルスが付着しているらしい。とても不衛生なのだ。といってもそこまで神経質に気にしているわけではないが、看護師や学校の講師、心理カウンセラーと、会話を重視する業務を生業にしているからか、会話中の余計な動作が気になってしょうがないのだ。

心理学的に解釈すると、会話中に鼻を触るのは嘘をついているときに多い。表情から嘘がバレるのを防ぐために、顔の中心にある鼻だけでも隠そうと、ついうっかり手が伸びてしまうのだ。マスポジを直す人は嘘をついているつもりはないものの、そういった背景からなんとなくマスポジを直す動作に軽率さ、不誠実さを感じてしまうのだ。

私がこの店員の勧めでタテ型洗濯機を購入する代わりに、この店員はプロ・フィッツ ランニングマスクを装着して業務に従事してほしいなと思う。ランニングマスクというのは、運動時の着用の息苦しさとウイルス対策を両立させたマスクのことである。

コロナ禍においてランニング中もマスクを着用する時代になった。しかし通常のマスクだと生地が口元に張り付き、瞬く間に呼吸困難に陥ってしまう。また、走っているうちにずれ落ちてくるため、客に洗濯機を勧めるとき以上にマスポジを直さなければならなず鬱陶しいことこのうえない。

しかしプロ・フィッツ ランニングマスクはセンターワイヤーが装備され、口元の空間が保持されるという仕様を持っているのだ。口元に空間が生まれると呼吸もしやすくなり、会話をしてもずれ落ちることがない。口元の空間とマスポジが安定することで、心にも体にも余裕をもったランニングが可能となり、ドラム式かタテ型か決めかねている客にも余裕を持った接客ができるようになるのだ。

画像1

空間は心の余裕を生む。そういえば私が物書きを目指したのも、ある空間がきっかけだった。

20年前、私は常に愛に悩んでいた。太宰治や村上春樹や辻仁成を読み漁り、いろいろこじらせていた。そしていろんな女性と夜を過ごした。「やだ……」「もう……」などと恥じらう言葉を聞き、ああ、この人は恥じらっているんだなあ、恥じらっているのに僕はその気持ちを尊重せずにエロいことばかりしてるなあ、と軽薄な罪悪感を感じながらパンティーを脱がそうとすると女性は皆、

小さなブリッジをするのだ。

パンティーが円滑に脱げるように、小さな小さなブリッジをするのだ。性欲のジャーマンスープレックス、切なさの栄光の架け橋、伸身の新月面が描く悲しみの放物線。

言ってることとやってることが違う。恥じらう気持ちは重力と共に尻を下げ、欲望は快楽と共に天を目指す。脱ぎたくない無垢な気持ち、脱がないと伸びちゃうゴムな気持ち。この相反する力がベッドと尻の間に真空状態を作り、切なさや愛しさや心強さなどを全部吸い込んでしまう愛のブラックホールが誕生するのだ。

私はこの空間を発見した。イヤと言いながら小さなブリッジをする。言ってることとやってることが違う「愛の相対性理論」を発見した。そして私はペンを持ち、この空間の存在を後世に伝え続けようと思った。

というのも純粋と不純の間に存在するこの空間を知らないから、人は恋愛に失敗し、同じ過ちを繰り返す。愛の最上級の形であるハグであっても、手首がちょっと痒くなって抱きしめたついでにポリポリ掻いたり、キスをした彼女の首筋が自分の唾液で臭くなって危うく彼女を嫌いになりかけたりするのだ。

このように、いたる所に瞬間的にこのブラックホールは生まれている。そのブラックホールに愛する気持ちがたちまち吸い込まれて虚無感や孤独感だけが残り、訳も分からずに突然冷めたり、陰鬱でポエミーな長文ラインを送ったりする。

人類が猿から進化し、パンティーを履き始めた瞬間から生まれたこの悲しみの連鎖を断つように、このブラックホールの存在を暴くために、「愛の相対性理論」の立証のために書き上げたのが、詩集・短編集「月刊男心」(まどか出版 2006)である。もう出版社もなくなってしまったので、この著作すらもブラックホールに吸い込まれてしまったのだが。

あれから15年、今夜も家族が寝静まってから物音を立てずにストレッチをしてランニングの準備を始める。寝室には愛する妻がいて、愛する娘たちがいる。

かつてベッドと尻の空間に翻弄された私も、今やマスクと口の間に穏やかな空間を手に入れ、昔よりも心に余裕を持って愛を考え、息が乱れることなく、より遠くまで走れるようになった。若かりし私の空間は常に黒いパンティーと接していた。今の私の空間は常に黒いマスクと接している。黒い三角形という共通点だけを残して、猜疑心や嫉妬心は全て愛のブラックホールに吸い込まれて消えた。

私は、プロ・フィッツ ランニングマスクで心を乱さずに走り続ける力を手に入れた。

プロ・フィッツ ランニングマスク。マスクのポジションは、人生のポジションを決める。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?