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生きる意味

 『お前の生きる意味はなんだ?』と問われたら、自分は真っ先に『俺は生きてないので分かりません』と答えるだろう。 
 すると恐らく、『生きてないって何だ?お前は死んでるのか?』などと聞かれるかもしれないが、そうではない。自分は今生きているのではなく、『死んでいない』だけなのである。 
 例えば目の前に『自殺ボタン』なるものがあった場合、自分は真っ先にそのボタンを押すだろう。死にたいからである。 
 しかし今、自殺せずにこのような文章を書いているのはなぜか。それは単純に自殺するのが怖いからである。飛び降りるのは怖い。首吊りも怖い。ODも怖い。実を言うと、リストカットすら1回もやったことが無い。つまり、自分が持つ希死念慮などその程度のものなのである。だから到底死ぬことなどできず、『死んでない』だけの日々を送っている。  
 ではなぜ死にたいのか。それは単純に、病気の辛さが、人生の楽しさを上回っているからである。 
 病気が本当にしんどい。回復に向かってはいるのだが、治るペースが遅すぎる。アルバイトを始めて1年が経ち、彼女もでき、体力もついたが、仕事量は1日平均3時間が限界のままだ。仕事量だけ見れば、1年前と何も変わっていない。 
 出勤した日は、夕方から体がかなり重くなる。ベッドでただ横になっているという状態だ。その状態の時間が短くなってきてはいるものの、これ以上回復するかどうかはわからない。 
 つまるところ、頑張っても病気が回復する保証が無いというのが1番辛いのである。本来、人生のほとんどのことは、辛いこともあるけど楽しいこともあるというのがお約束ではなかったのか。野球も勉強もそうだった。野球の練習はしんどいが、気の知れた仲間と一緒にやる練習は楽しかった。勉強はしんどいが、知識が増えたり思考が深くなるのは楽しかった。 
 しかし病気はどうだ。しんどいことばかりではないか。何も楽しくない。もちろん、病気の回復を感じた時に嬉しくなることはあるが、それは病気自体が楽しいのではない。病気が治った未来の自分を想像して嬉しくなっているだけである。しかも本来は、病気がない状態が普通であるべきなのに。だから自分は、病気が辛くて死にたいのである。 
 では人生で楽しいことが全然無いのかと問われると、そんなことはない。仕事は今、高校時代の友達に誘われて同じ所で働いている。病気の人間にとっては奇跡みたいな状況である。しかも在宅ワークまでさせてくれている。もちろんアルバイトだが、こんな状況は奇跡という他ない。この職場がなければ、今も無職だった可能性が高い。
 また、とても可愛い彼女もできた。友達にアドバイスをもらいながら、マッチングアプリを続けてなんとか彼女ができた。恋愛偏差値の低い自分からしたら、考えられないくらい可愛い彼女である。本当に友達に助けられて、ギリギリなんとかなっている。
 しかしそれでも、人生の楽しさより病気の辛さの方が上回ってしまう。体調が悪い時は、仕事を早退したり、在宅ワークせずに休んだことも何回もある。彼女の家に行く予定だったのに行けなかったこともある。やはり病気が、仕事も恋愛も上回ってしまうのである。 
 もし、仕事でどうしても休めない納期ギリギリの日があったとしても、その時体調が悪かったら、自分は休んで他の人に仕事を投げてしまうだろう。もし、彼女が体調が悪くて倒れたりしても、その時自分も体調が悪かったら、看病に行くことはできないだろう。 
 もちろん仕事を他人に投げても、恋人の看病に行けなくても、別に死ぬほどのことでは全然無い。しかし、仕事や恋人など、人生において大切なものを病気が上回ってしまっているという事実が、しんどいのである。そしてこの状態が一生続くかも知れないという状態もしんどいのである。だから死にたいのである。 
 しかし人間は、幸福になることを諦められないものである。なのでこの現状を打破するためにはどうすればいいのかと思考を巡らせるのだが、これが難しい。『生きる意味』という、人生で1番難しい問題に、向き合わなければならないのかも知れない。

 

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