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チョコレートが香る街の記憶。

 初めてのアメリカ大陸への出張は、入社して2年目だった。

 スポーツ新聞社のゴルフ担当の記者として働き始め、国内の取材から始め、1年目の秋には、1週間ほどの初めての海外取材をしてから、2年目は、約2ヶ月の海外出張をするような会社だった。

 今から振り返れば、かなりハードと言えるのもしれないが、大学卒業前の3月から働き始めていた。同期では、1月くらいから働いている人間もいたから、私は遅い方だった。3月末からは先輩記者と一緒に現場に行き、4月にはカメラマンと二人で、取材に行っていた。

 春のスポーツシーズンまでに、新入社員を、ある程度は戦力にする、という方針だったようだ。

一人での海外出張

 2年目になると、あれだけ仕事に馴染めないかも、と思っていたのに、少し慣れてきた。

 他の記者とは違うことを取材する。そういう毎日を繰り返してきて、それ自体が、面白くなってきたところもあった。

 何より、プロゴルファーのプレーの凄さや、言葉の独特さが、興味深くなっていた。

 そして、春過ぎには、海外出張が決まった。
 アメリカ大陸へ、女子プロゴルファーのツアーを取材して約1ヶ月。
 その後にイギリスに渡って、全英オープンというメジャー大会の取材。
 6月に日本を発って、7月末に帰国の予定。

 初めての海外出張だから不安もあったが、デスク以外の三人の先輩は、みんな20代で、入社して5年以内のはずだったのに、極端にいえば、1年の半分くらいは海外出張を繰り返すような有能な人ばかりだった。すごいと思う反面、自分もできるかもしれない、という小さい希望もあった。

 当初の予定と違って、出発は1週間早まった。
 だから、最初はカメラマンの人と一緒にアメリカへ行くはずだったのが、一人で、飛行機に乗り、最初の1週間は、一人で取材をすることになった。

 不安だった。

打ち合わせ

 出かける前、旅行代理店の人と話をした。

 最初は、取材するゴルフ場に近い街の便を取ろうと思ったのですが、ちょっと遠いところになりました。だけど、レンタカーを借りれば、1時間くらいで着くと思います。

 そんなことを笑顔で伝えられたが、地図で見ると近いが、実際の距離は、100キロくらいはありそうだった。

 泊まる場所は、先輩が予約してくれていた。
 名前は、ココアモーテル。街の交差点にあるということは聞いたが、何しろ、電話番号と、住所を書いてくれたので、それがあれば安心だった。

 あとは、スーツケースも買ったし、1ヶ月以上の生活をホテルなどに泊まりながら過ごすのは不安だったけれど、2週目以降は、カメラマンの人と合流するから、最初の取材が、スムーズにできれば、なんとかなるとは思っていた。

 この1年、国内の出張で、日本のあちこちにゴルフの取材に出かけ、場合によっては当日にホテルをとることもあった。電話をして、満室です、と言われたら、他のホテルありませんか?と尋ねて、探すようなことをできるような、そんな図々しさは少し身についていたから、わずかだけど自信がついていた。

飛行機

 成田から飛行機に乗る。

 まだ景気がいい時代だったから、エコノミーではなく、その上のエグゼクティブクラスの席で移動ができた。

 アルコールは飲み放題だった。食事は、魚と肉を選べて、少し迷っていたら、肉の方がボリュームがありますが、とCA(当時はスチュワーデス)に笑顔で言われた。
 私は、20代で、就職してから1年で、体重が10キロ以上増えて、太っていた。

 気がついたら、JFKに着いた。ニューヨークの空港。
 出かける前に、会社も含め、海外出張が日常になっている人たちが、アメリカの怖さも、少しからかうように教えてくれていた。

 空港で、バッグを足にはさんで、公衆電話で通話をしていて、終わったら、気がついたら、バッグが雑誌に変わっていたんだ。(当時は、携帯電話も普及してなかった)。

 実際にニューヨークの空港に一人で着いたら、そんなエピソードを思い出し、歩いている人に、もしかしたら荷物を取られるのではないか、と考えると、怖くなり、あちこちを見ながら、たぶん、挙動不審の東洋人として、空港内を歩いていた。

 ここから、乗り換えて、フィラデルフィアまで行かなくてはいけない。

 広い空港で、どこに行くのか分からないから、誰かに聞こうと思って、気持ちを落ち着けて、なんとなく親切そうな女性に声をかけた。

 航空券を見せて、ここに行きたい、というようなカタコトの英語で話したら、とても早い英語で、説明してくれたけれど、分からなかったので、プリーズ、スピーク、モア、スローリーを繰り返して、なんとか乗り換えの場所がわかって、そこに歩いて行った。

 空港内で、小さいバスに乗って、そこから、少し寂しい場所まで移動する。聞かなければ、おそらく、ずっとたどり着けなかった。親切に教えてもらって、とてもありがたかった。

レンタカー

 やっとフィラディルフィア空港に着く。

 そこから、レンタカーに乗る。その予約は、先輩記者がしてくれていた。クルマで1時間くらいはかかるはずだけど、まずは、空港に降りてから、クルマを借りる場所が分からなかった。

 再び、近くを歩く人に聞いて、プリーズ、スピーク、モア、スローリーを繰り返して、ちょっと離れた場所の、オレンジ色の看板の「ハーツ」のレンタカーを見つけたときは、ホッとした。

 レンタカーの手続きをして、それから、目的の街の行き方を、早い英語で説明されても、よくわからず、何度も尋ねていたら、やれやれ、みたいな顔をされ、それから、道順が何行にも渡ってプリントされた紙をくれた。ありがたかった。その指示に従えば、着けるはずだ。

 就職する前に免許は取った。それから2年経っていなかったし、公道を走った経験もほぼなかったから、国際免許を取って、初めて走ったハイウエイは、右側通行だった。だから、ウインカーを出そうとして、ワイパーを何度も動かしてしまったし、怖さも、戸惑いもあった。

 ただ、道は広かったし、スピードを出すと気持ちがよかった。
 ラジオから、ホイットニー・ヒューストンが流れると、ついアクセルを踏んでしまい、降りるべきインターチェンジを通り過ぎそうになった。

 途中で、道が分からなくなった。

 道端の家で、芝刈りをしている大柄な男性に、街の名前を繰り返して、アイウォントツーゴー、という、かなりメチャクチャな英語を話していたのに、通じたらしく、笑顔で、それから先の行き方を教えてくれた。
 親切だった。

 おかげで、やっと目的の街が近づいてきた。

チョコレートの香り

 飛行機を降りた辺りから、ずっと不安があった。

 荷物は、大きいスーツケースと、仕事道具を入れてあるバッグを持って行ったのだけど、先輩記者に、宿泊場所を書いてもらったはずのメモが見当たらなくなっていたからだ。
 住所も、電話番号も分からない。

 覚えているのは、ココアモーテル、という名前と、交差点に面している、ということだけ。

 よくあるように、荷物を探していれば、そのうち見つかるのでは、と楽観的に構えて、時々、探して見つからないまま、目的の街に着いてしまった。

 もう、仕方がない。

 町中の交差点を探そう、と秘かに決意しつつ、街に入る。

 

 窓を開けているから、外の音や匂いは入ってくる。急に、それまでとは異質の香りになった。
 
 甘さもあって、なじみがある。

 チョコレートの香りだった。

 この街の名前は「HERSHY」だった。
「ハーシーチョコレート」の街で、今も現役で工場が稼働しているようだった。

 こんなに外へ、においが漏れていいのだろうか。そんなことを思ったが、気持ちは、ちょっと浮き足立っていた。

 ココアモーテルは、わりとすぐに見つかった。
 
 個人的なことだけど、初めてのアメリカ本土の記憶は、チョコレートの香りと、やっぱり結びついている、と思う。



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