雨の音が怖くなる夜中のこと
昼間はとても暑かった。
夕方から雨が降るという天気予報が出ていたけれど、それほど降るような感じはしなかった。
それは、ここのところ幸運にも自分が住んでいる場所では、あまり強い雨が降っていなかったのと、午後になっても天気が良くて太陽は強く、空は青く、雨の気配が感じられなかったからだ。
当たり前だけど、目の前というか、今感じている天候しかわからない。
降り始めた雨
夕方になって、夜になる。
夕食を食べて、テレビを見て、それから食器を洗う。
夜に作業をして、妻を寝かせて、夜が深くなる。
いつもと同じように静かに時間が流れていく。
雨が降ってきて、それは天気予報通り、というよりも少し遅れていたのだけど、雨音が響いている。
洗濯物は、部屋の中に入れた。
洗濯機はほぼ外にあるので、カバーをかけた。にわか雨かもしれないので、という気持ちもあったので、同じように庭に置いてある自転車は、そのままにしてしまっていた。
そのことを少し後悔していたが、それでも、まだ雨はいつもの音のレベルだった。
テレビ画面
さらに夜中になる。
テレビ画面の隅っこに「速報」が流れ始める。
各地に大雨注意報や、洪水注意報の文字が出てくる。
自分の住んでいる地域も入っている。
雨音が強くなってきた。
さらに、速報の文字は、注意報から、警報になっている。
ちょっと怖くなってくる。
さらに、東京地方のMX テレビでは、指定河川、という見慣れない文字が出てきて、そこに目黒川という、なじみがある名前が出て、警報レベル4という表現になる。
もうあふれてしまうのではないか。
何年も前に台風がきて、家のそばの大きな川が、本当に久しぶりに決壊してしまうようなときがあった。あのときは、こわかった。それは、直接的に命の危険があっただけではなく、今の生活が変わってしまったり、もしくは避難するにしても、避難所がいっぱいだったり、そこにたどりつけないかも、といった変化への怖さや、なんとも言えない力が入らない感じなどがあって、いっそのこと、何もしないで家にいたいような気持ちもあって、それは、どこか投げやりに近かった。
幸いにも、そのときは、いつもの河川敷は完全に水でいっぱいになったようだけど、なんとか耐えてもらって、だけど、雨が上がって、晴れて、川の流れが通常モードになったときに川を見に行ったら、河川敷には上流から流れてきた樹木などで、見たことがない景色になっていた。
それはもう一度、土を盛ったりして、復旧するのにも時間がかかった。
そんな出来事の断片的なイメージが、目黒川。警報レベル4といった文字で浮かんで、やはり、怖くなってくる。
強くなる雨音
テレビ画面の情報だけではなく、午前12時を過ぎたあたりから、雨音がはっきりと強くなってきた。
雨粒が高い空から落ちてきて、屋根に当たる。
そんな偶然性を感じさせるいつもの雨の音ではなく、雨粒という液体が、何かの意志を持って叩きつけられるような強い音に変わってきた。
シトシト。パラパラ。
そんな音で表現できるレベルではなく、ダダダダダ、という打撃音に変わってきた。
だから、それは雨の降り方の質が完全に変わってきた、ということだった。
大雨の気配だった。
終わらない雨の音
集中豪雨、という言葉が似合う降り方になってくる。
ただ、ここまで、それこそバケツをひっくり返したような、という表現よりも、バケツの水を思い切り叩きつけるような感じになってきたから、もしかしたら、これは短時間で終わるのではないか、と思っていた。
だから、まだ怖さの中にちょっと楽観的な思いもあったのだけど、20分経っても、30分が過ぎても、その勢いが変わらずに、というよりも、もうこれ以上は強くならないと思っているのに、雨の音が大きくなってくる。
もう、やめてほしい、と思っているけれど、雨はやまない。弱くもならない。
怖くなる。
1階に降りて、窓の外から外を見る。
洗濯の物干場の上には、波板の薄い屋根があり、そこを雨が流れてきて、細い滝のように庭に降り注いでいるのが見える。
水道の蛇口を目一杯開いた時の水量だった。
道路をはさんで向かいのマンションの窓のほとんどない横の壁に、雨がつたって、落ちるように流れていくのも見える。それはとても薄い波のように少しうねりながら、大量の水がまとわりつくように、建物を覆いつくしているようにも見える。
どこまで雨が降るのだろう。怖くなる。いつもの穏やかな光景とは違う。
会話
寝室へ行ったら、妻も目を覚ましてしまったようだ。
布団の隣へ行って、話をする。
「怖いね」。
「うん。ずっと降ってる」。
そんな話をしながら、背中をさすったり、手を握ったりした。
雨の音は弱くならない。
怖さが続く。
「怖いね」。
そんな会話をしていると、少し雨が弱くなる。
ちょっとホッとする。
「弱くなってきたね」。
「そうだね」。
このままやんでくれれば、と思っていた。
ほんの10分くらいで、また降り出す。
それも、さっきと同じような強い雨音で、まだ降るのかと思う。
今は、午前2時くらいだけど、確か、さっき見たインターネットの天気予報だと、午前3時くらいまでで、あとは雨が止むはずだったのだけど、そんなことを忘れるくらいの、雨の強い音が続いていた。
本当にやむのだろうか。
それから、さらにかなり長い時間が経った気がしたけれど、雨が弱くなった。
やんだのかもしれない。
さっきも、こんな感じになって、また降り始めたから、不安が減らない。
長い時間だった。
もう降らないようだ。
「握手しよう」。
横になって、眠れなくなっていた妻が言った。
やんだことを、とりあえず危機は去ったことを確認したいようだった。
翌日の朝
次の日の朝になった。
妻に「おはよう」と言ったら「日常が迎えられて、よかった」と言葉が返ってきた。
今回、たまたま、この地域は無事だっただけで、他にもいろいろな被害にあった場所もあるはずだから、そうやってただ喜ぶのも----という話もして、だけど、今日は、やっぱりよかった、というような会話になった。
他の場所のことを考えられるのも、今は余裕が出てきたからだと思うし、確かに、そんなに喜んではいけないのかもしれないけれど、やっぱりホッとしたし、今回は幸運だったと思う。
あれだけ雨が降っていたのに、今日は天気がよくなっていた。
また暑くなりそうだった。
あんなに雨が怖かった感覚を、もう忘れそうになっている。
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